207 / 221
四獣
孤独な神様 肆
しおりを挟む
ジイルはいつものように御簾の奥に座って、ただぼんやりと過ごしていた。すると、社の外から人が争うような声が聞こえてくる。それは段々と近づいており、こちらに向かってきているのがわかった。今までにないことであり、ジイルは思わず腰を浮かせた。
社の扉が激しく音を立てて開き、
「私の息子を返せ!」
と同時に男の怒号が飛び込んできた。ジイルの世話役が押さえ込もうとするが、はねつけられ、重たい足音が近づいてきた。
ジイルは重い装束に足を取られそうになりながら立ち上がる。その間にも誰かのうめき声や何かがぶつかったような鈍い音がするため、世話役の者たちが伸されているのを御簾越しでも十分把握できた。
そしてついに、御簾は引きちぎられる。ジイルは男と目があった。御簾がない状態で、世話役以外の者と顔を合わせるのはもう何年も前のことだった。今では父親ですら御簾を下ろして話す始末だったのだ。
男の表情は怒り、悲しみ、憎しみ、絶望、そう言った負の感情が渦巻き、まるで魔物のようだった。人がそこまで変貌することにジイルは驚愕した。
「お前、蘇りの力を持っていると嘯いたな?確かに息子はお前の力で動くようになった。でも、あれは息子ではない!一体何をしたんだ!?」
男はジイルの胸倉を掴み、詰った。ジイルは人の激情に触れたことが今まで無く、体は硬直する。それと同時に、ジイルが感じてきた事を理解した者がいる事を嬉しく思った。
(でも僕がその事実を知っていたと分かったら、余計に刺激するだろうな)
男は殺意に溢れており、ジイルは今、下手な動きをすると己の身が危ないと察していた。
「そうだ、僕はそんな神のような力は持っていない。軽はずみに中途半端な力を使い、皆が期待し、祀りあげた人間でしかない。」
「こいつ…!」
男の顔が真っ赤に染まるのを見て、ジイルは床を足で踏み鳴らした。ジイルの足元から何かが芽吹き、それはみるみるうちに大樹へと育っていく。男は慌ててジイルから離れた。
大樹は凄まじい勢いで育っていき、社の天井を突き破った。次第に年輪も重ねていき、幹は太くなる。社が耐えきれず、崩壊を始めた頃、ジイルは飛び出した。
外の世界は秋に差し掛かっており、涼やかな風が頬を撫でる。実り始めた稲穂が擦れて、さらさらと音を立てていた。
田畑には大勢の村人が出ていたが、装束姿の少年が駆けていくのを、誰一人気に留める様子がなかった。
ただ黙々と作業を続け、村人同士で声を掛け合う様子もなかった。
(僕が生き返らせた人たちだ…!)
その数はあまりに多く、ジイルは死者の顔を全く覚えていなかった。しかし、その異様な雰囲気で瞬時に理解した。
ジイルにとって、蘇りの力は大切な人を拠り所として生きるために使っていた。ジイルが母を蘇らせたのも、母を失いたくないという思いからだ。
先程、社に入ってきた男は息子を返せと怒りを露わにしていた。おそらくあの頃のジイルと同じ気持ちだったのだろう。
しかし、いつの間にか村人たちはそういった気持ちを忘れかけているのかもしれない。死者を蘇らせて労働力としているなど、ジイルは夢にも思っていなかった。人々の変わりように激しく落胆し、母を蘇らせて父や村人の様子が変わってしまったあの日のことを思い出す。
(もう、働かなくていいんだ)
ジイルは心の中で、働き続ける死者たちに呼びかけたが、反応を見せる者は誰もいない。ただ黙々と農作業を続けている。
(この人たちにもう一度眠ってもらおうか…?)
ジイルには行動に移す勇気がなかった。もはや魂は宿っておらず、人形のような存在ではあったが、何故か命を奪う行為のように思えた。
躊躇ったその一瞬、気を取られていたようだ。背後から
「待て、逃げるんじゃない…!!」
と社に侵入した男が迫ってきていた。騒ぎを聞きつけたであろう他の村人も、遅れて走って来るのが見える。
(便利な人間だから、僕がいなくなると困るんだ…)
男も村人もそれぞれ目的は違えど、ジイルを手放してはいけないと必死だった。
ジイルは再び走り出した。撹乱するために次々と植物を生やしていく。それは轍のように道に跡を残した。
蔦がジイルの足に激しくぶつかり、痛みが走る。身につけていた装束は衝撃で破れ、植物の汁で汚れていた。
「追え…!追うんだ…!」
気がつくと村人だけでなく、指示されたであろう蘇った人々もジイルを追いかけていた。彼らには恐れと言った感情や、考える力はない。ジイルが出した植物達に巻き込まれ、転んだり傷つく者も多数いた。
(僕は…こんな風に傷ついて、奴隷のように生きるために蘇って欲しくない)
ジイルはそこで腹を括った。
ジイルを追う足音の数が減り、その代わりに村人の怒号や悲鳴が響く。
「おい!どうしたんだ…!」
「急に動かなくなったぞ…!」
ジイルは己が今まで積み上げてきた愚行を酷く後悔した。己の寂しさ故に母を蘇らせ、村人のためになるならと他の人々の命を軽々しく扱った。そして、こうして再び大勢の蘇った人々はジイルの手によって動かなくなってしまったのだ。
社の扉が激しく音を立てて開き、
「私の息子を返せ!」
と同時に男の怒号が飛び込んできた。ジイルの世話役が押さえ込もうとするが、はねつけられ、重たい足音が近づいてきた。
ジイルは重い装束に足を取られそうになりながら立ち上がる。その間にも誰かのうめき声や何かがぶつかったような鈍い音がするため、世話役の者たちが伸されているのを御簾越しでも十分把握できた。
そしてついに、御簾は引きちぎられる。ジイルは男と目があった。御簾がない状態で、世話役以外の者と顔を合わせるのはもう何年も前のことだった。今では父親ですら御簾を下ろして話す始末だったのだ。
男の表情は怒り、悲しみ、憎しみ、絶望、そう言った負の感情が渦巻き、まるで魔物のようだった。人がそこまで変貌することにジイルは驚愕した。
「お前、蘇りの力を持っていると嘯いたな?確かに息子はお前の力で動くようになった。でも、あれは息子ではない!一体何をしたんだ!?」
男はジイルの胸倉を掴み、詰った。ジイルは人の激情に触れたことが今まで無く、体は硬直する。それと同時に、ジイルが感じてきた事を理解した者がいる事を嬉しく思った。
(でも僕がその事実を知っていたと分かったら、余計に刺激するだろうな)
男は殺意に溢れており、ジイルは今、下手な動きをすると己の身が危ないと察していた。
「そうだ、僕はそんな神のような力は持っていない。軽はずみに中途半端な力を使い、皆が期待し、祀りあげた人間でしかない。」
「こいつ…!」
男の顔が真っ赤に染まるのを見て、ジイルは床を足で踏み鳴らした。ジイルの足元から何かが芽吹き、それはみるみるうちに大樹へと育っていく。男は慌ててジイルから離れた。
大樹は凄まじい勢いで育っていき、社の天井を突き破った。次第に年輪も重ねていき、幹は太くなる。社が耐えきれず、崩壊を始めた頃、ジイルは飛び出した。
外の世界は秋に差し掛かっており、涼やかな風が頬を撫でる。実り始めた稲穂が擦れて、さらさらと音を立てていた。
田畑には大勢の村人が出ていたが、装束姿の少年が駆けていくのを、誰一人気に留める様子がなかった。
ただ黙々と作業を続け、村人同士で声を掛け合う様子もなかった。
(僕が生き返らせた人たちだ…!)
その数はあまりに多く、ジイルは死者の顔を全く覚えていなかった。しかし、その異様な雰囲気で瞬時に理解した。
ジイルにとって、蘇りの力は大切な人を拠り所として生きるために使っていた。ジイルが母を蘇らせたのも、母を失いたくないという思いからだ。
先程、社に入ってきた男は息子を返せと怒りを露わにしていた。おそらくあの頃のジイルと同じ気持ちだったのだろう。
しかし、いつの間にか村人たちはそういった気持ちを忘れかけているのかもしれない。死者を蘇らせて労働力としているなど、ジイルは夢にも思っていなかった。人々の変わりように激しく落胆し、母を蘇らせて父や村人の様子が変わってしまったあの日のことを思い出す。
(もう、働かなくていいんだ)
ジイルは心の中で、働き続ける死者たちに呼びかけたが、反応を見せる者は誰もいない。ただ黙々と農作業を続けている。
(この人たちにもう一度眠ってもらおうか…?)
ジイルには行動に移す勇気がなかった。もはや魂は宿っておらず、人形のような存在ではあったが、何故か命を奪う行為のように思えた。
躊躇ったその一瞬、気を取られていたようだ。背後から
「待て、逃げるんじゃない…!!」
と社に侵入した男が迫ってきていた。騒ぎを聞きつけたであろう他の村人も、遅れて走って来るのが見える。
(便利な人間だから、僕がいなくなると困るんだ…)
男も村人もそれぞれ目的は違えど、ジイルを手放してはいけないと必死だった。
ジイルは再び走り出した。撹乱するために次々と植物を生やしていく。それは轍のように道に跡を残した。
蔦がジイルの足に激しくぶつかり、痛みが走る。身につけていた装束は衝撃で破れ、植物の汁で汚れていた。
「追え…!追うんだ…!」
気がつくと村人だけでなく、指示されたであろう蘇った人々もジイルを追いかけていた。彼らには恐れと言った感情や、考える力はない。ジイルが出した植物達に巻き込まれ、転んだり傷つく者も多数いた。
(僕は…こんな風に傷ついて、奴隷のように生きるために蘇って欲しくない)
ジイルはそこで腹を括った。
ジイルを追う足音の数が減り、その代わりに村人の怒号や悲鳴が響く。
「おい!どうしたんだ…!」
「急に動かなくなったぞ…!」
ジイルは己が今まで積み上げてきた愚行を酷く後悔した。己の寂しさ故に母を蘇らせ、村人のためになるならと他の人々の命を軽々しく扱った。そして、こうして再び大勢の蘇った人々はジイルの手によって動かなくなってしまったのだ。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい
宇水涼麻
恋愛
ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。
「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」
呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。
王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。
その意味することとは?
慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?
なぜこのような状況になったのだろうか?
ご指摘いただき一部変更いたしました。
みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。
今後ともよろしくお願いします。
たくさんのお気に入り嬉しいです!
大変励みになります。
ありがとうございます。
おかげさまで160万pt達成!
↓これよりネタバレあらすじ
第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。
親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。
ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。
ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。
※短いお話です。
※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる