上 下
21 / 29
第二部 消えた王国

プロローグ

しおりを挟む
 ふと、思いだすときがある。
 それはあの懐かしくも狂おしいほどに憎悪の詰まった過去のことだ。
 夫をそれまでの関係を持っていた親友に、いや、親友もどきに寝取られた愚かな元王太子妃は、彼女に斬り落とされた腕がたまに痛むときに過去を思い返していた。

「どうした、まだ痛むのか?
 治癒は完全だったはずだが?」

 黒狼サクの背中に寝そべりながら、虚空の闇夜を駆けている彼女にサクは優しく語りかけていた。
 そうね、とシェイラは思う。
 神様からすれば、治療は完璧なんだろうな、と。
 しかし、自分は人間で、それでも寿命なんて因果なものから解き放たれた存在ではあったが――

「ええ、たまに痛みますの。
 幻覚というか、幻の痛みというか。
 あの痛みはこれまでに無いくらい‥‥‥辛いものでした」

「ふん‥‥‥。
 まさか、素肌と布一枚と思っていた相手があんな剣を‥‥‥。
 女の細腕であっても、かなりの技量を要するだろうにな。
 それだけの剣の腕前と、剣の性能が良かったということか。
 あっけなく、切断されていたからな、お前の腕は」

「酷い物言いですね、サク様?
 この王太子妃を誘拐しておいて」

 そんなシェイラの嫌味もサクには通じない。
 この無愛想なある意味、邪神よりもタチの悪い黒狼は頬を歪めて笑っていた。

「さて、どうかな?
 あちらが夫を寝取ったのであれば、こちらは神に奪われたのだ。
 それでいいではないか?」

 神に奪われたって‥‥‥まるであなた様の子供でも産めと言いかねないわね、この御方は。
 まるで神話にある、王妃があまりにも美しいからさらって妻にした太古の神にそっくりな物言いだ。
 あの神の名はなんといったか。
 シェイラは記憶を探る。
 はるかな太古の記憶。
 神殿にだけ受け継がれて来たあの神々の戦争の逸話。
 その名は確かー‥‥‥。

「大神ダーシェ‥‥‥だったかしら?」

 その呟きに呼応するように、どこかで闇がうごめいた。
 え?
 シェイラがなんだろうと思う暇もなく、光であり、雷でもあるそれらはサクの頭上から幾百もの轟雷を叩きつけるように振り落としてくる。

「なんで!?
 雷嫌いなのに―――!!」

「まあ、気にするな。
 この程度、なんの問題にもならん」

 まるで意思を持って襲い来るようなそれらを、サクは笑いながら全ての落ちる先を見通しているかのように乗り切ってしまっていた。
 背中にいるシェイラは揺れることなくその危険地帯を駆け抜けたサクに羨望の眼差しを向ける。
 いずれは自分もこの力を継承するのだと思うと、武者震いをしてしまっていた。

「凄い、サク様。
 でもあの雷はなんでいきなり‥‥‥??」

 自分の発したあの神の名が原因なのかともシェイラは思ったが、そうそう都合よくこんな危険に出くわすはずも――

「まあ、名前だ、シェイラ。
 ここは虚空。
 罪と罰を受けし神や魔もいれば、まだ滅び足らず現世への執着が渦巻く場でもある。
 そして、虚無との境目でもあるからな。
 まあ、その口にした神は戦争に負けてここに追いやられたのよ。
 誰かが自分の在りし日の名を呼んだことに反応しただけだ。
 愚かな神めー‥‥‥」

「ああ‥‥‥そう、です、か。
 でも、わたしをさらっているサク様も同じー‥‥‥」

「俺はさらったわけではない。
 これは共存共栄だ」

「共存共栄?
 サク様、意味が分かりかねます」

「俺は人の姿にはなれるがそれはあまり好きではない。
 影に潜み、お前を守ろう。
 お前はこれより行く先々の世界や国で俺の代わりに目となり耳となり、口となって我らがヤンギガルブの姫を探してくれればいい。
 そういう意味での、共存共栄だ。
 嫌か?」

 そういう意味ですか。
 まあ、それならいいかな?
 シェイラはそう思い、フカフカの背中に身を預けた。

「でも、サク様。
 これからどちらに行かれるご予定ですか?」

 どこかに当てでもあるのかしら?
 そう思い、シェイラは尋ねてみる。

「まずはお前のその悔恨の念を晴らすべきではないのか、シェイラ?
 腕がうずくのだろう?
 約束の二十年。
 この虚空からならば、すぐにでも行けるぞ?」

「約束、です、か。
 夫を寝取られた元王太子妃に何ができると――」

 ふん。
 そういう考えを人間はするのか。
 なるほど、興味深い。
 サクはそう呟き、ならばとシェイラを驚かせる提案をしてきた。

「ならば、俺がお前を奪い妻にしたとすればいい。
 神が選んだ妻だ。
 人間からすれば、尊い存在として敬いはされるが忌避はされまい」

「呆れた‥‥‥。
 それでも結構ですけど、どうせ‥‥‥シェイラめには否定する権限はないのでしょうから。
 ただー‥‥‥一つお伺いしていいですか?」

「なんだ?」

「サク様。
 奥様やお子様は‥‥‥?」

 しかし、この問いにはなぜか黒狼はぶすっとして返事をしなかった。
 とりあえず、いないということでいいのかしら?
 シェイラは一抹の不安を抱えたまま、元の世界への道をサクと共に取るのだった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

へぇ。美的感覚が違うんですか。なら私は結婚しなくてすみそうですね。え?求婚ですか?ご遠慮します

如月花恋
ファンタジー
この世界では女性はつり目などのキツい印象の方がいいらしい 全くもって分からない 転生した私にはその美的感覚が分からないよ

【本編完結】ただの平凡令嬢なので、姉に婚約者を取られました。

138ネコ@書籍化&コミカライズしました
ファンタジー
「誰にも出来ないような事は求めないから、せめて人並みになってくれ」  お父様にそう言われ、平凡になるためにたゆまぬ努力をしたつもりです。  賢者様が使ったとされる神級魔法を会得し、復活した魔王をかつての勇者様のように倒し、領民に慕われた名領主のように領地を治めました。  誰にも出来ないような事は、私には出来ません。私に出来るのは、誰かがやれる事を平凡に努めてきただけ。  そんな平凡な私だから、非凡な姉に婚約者を奪われてしまうのは、仕方がない事なのです。  諦めきれない私は、せめて平凡なりに仕返しをしてみようと思います。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

『絶対に許さないわ』 嵌められた公爵令嬢は自らの力を使って陰湿に復讐を遂げる

黒木  鳴
ファンタジー
タイトルそのまんまです。殿下の婚約者だった公爵令嬢がありがち展開で冤罪での断罪を受けたところからお話しスタート。将来王族の一員となる者として清く正しく生きてきたのに悪役令嬢呼ばわりされ、復讐を決意して行動した結果悲劇の令嬢扱いされるお話し。

女の子なのに能力【怪力】を与えられて異世界に転生しました~開き直って騎士を目指していたらイケメンハーレムができていた件~

沙寺絃
ファンタジー
平凡な女子高生だった主人公は、神様から特殊能力【怪力】を与えられて、異世界の農村に転生する。 持前の怪力を活かしてドラゴン退治していたら、壊滅寸前だった騎士団の騎士に見出された。 「君ほどの力の持ち主を、一介の村娘や冒険者として終わらせるのは惜しい! ぜひイース王国に仕える騎士となるべきだ!」 騎士の推薦のおかげで、軍事都市アルスターの騎士学校に通うことになった。 入学試験当日には素性を隠した金髪王子と出会って気に入られ、騎士団長の息子からはプロポーズされてしまう。さらに王子の付き人は、やっぱりイケメンの銀髪&毒舌家執事。 ひたすら周りを魅了しながら、賑やかな学園生活を送るサクセス&青春ストーリー。 ※この小説はカクヨムでも掲載しています。

私を裏切った相手とは関わるつもりはありません

みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。 未来を変えるために行動をする 1度裏切った相手とは関わらないように過ごす

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

断罪された商才令嬢は隣国を満喫中

水空 葵
ファンタジー
 伯爵令嬢で王国一の商会の長でもあるルシアナ・アストライアはある日のパーティーで王太子の婚約者──聖女候補を虐めたという冤罪で国外追放を言い渡されてしまう。  そんな王太子と聖女候補はルシアナが絶望感する様子を楽しみにしている様子。  けれども、今いるグレール王国には未来が無いと考えていたルシアナは追放を喜んだ。 「国外追放になって悔しいか?」 「いいえ、感謝していますわ。国外追放に処してくださってありがとうございます!」  悔しがる王太子達とは違って、ルシアナは隣国での商人生活に期待を膨らませていて、隣国を拠点に人々の役に立つ魔道具を作って広めることを決意する。  その一方で、彼女が去った後の王国は破滅へと向かっていて……。  断罪された令嬢が皆から愛され、幸せになるお話。 ※他サイトでも連載中です。  毎日18時頃の更新を予定しています。

処理中です...