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序章
第二話 外交武官(女スパイ)
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左右に数列ずつわかれた友人、知人たちの見送りを受け、用意された四頭建ての馬車に乗り込む。
祝賀用にデザインされた馬車は、白く飾り立てられて、まばゆい春の陽光を照り返しながら、これから旅行に出かける二人を乗せて、街中へと移動を始めた。
車内でエレンジーナはベールを取ると、次の会場まで束の間の休息を味わった。
これから帝国が経営するホテルギャザリックへと移動し、そこでまた披露宴を終えてから着替えを済ませた後に、帝都の横を流れるシェス大河のクルージングへと繰り出すのだ。
まだ、先は長い。
そう思うと飾りに飾った外見を崩したくもなる。
しかし、側に座るジーニアスはついさっき夫婦になったばかりの、最も身近な他人だった男だ。
一日の予定の半分も消化できていないのに、ここで素の自分を曝け出すのは、ちょっとためらわれた。
「シャンパンでも飲むか?」
馬車内に設置された黒いボックスを開くと、中には冷えたグラスとシャンパンのボトルが数本。その他には、水差しなどが納められている。
ついさっきまで立っていた神殿の聖堂では数世紀前の礼法に則った儀式が行われていて、そこから離れたら一気に現代に舞い戻ってしまった。
「いただくわ。‥‥‥変ね、その冷蔵庫」
どこの家庭にでも当たり前のように設置されている冷蔵後が、古めかしい棚を模して置かれている事実に、シャンパンの入ったグラスを受け取りながら、エレンジーナは苦笑を隠せない。
「雰囲気を壊さないように、太陽神アギトの神殿も気を配っているんだろうな。あそこは古いから」
「そんなことを言うと、アギト様の神罰が下るわよ? あなた、仮にもムゲール王国の王家の血筋なんでしょう? 太陽神アギト様を奉じる神官の系列じゃない」
「俺は――そういうんじゃない」
嫌味を込めてそう言うと、ジーニアスは自分もシャンパンを注いだグラスを手に取る。
二人でグラスを軽く打ち鳴らし、祝杯を挙げながら、彼は困ったように言った。
「俺は?」
「ムゲール王国の王室は、神殿に関係しない」
「そうなの? てっきり聖女様の血筋かと思っていたわ」
「……そうだから、結婚したのか?」
なんとなく知りたくなかったという顔を、新郎はする。
もちろん、エレンジーナにそんな気持ちはなかった。
いいえ、と否定すると、ジーニアスは深い面持ちから、年齢相応の若々しい顔つきを取り戻す。
単純で明朗快活な人なんだ、とエレンジーナは思った。
「結婚したのは叔父さまの仲介があったから。でも、嫌な人だったらどうにかして拒絶していると思う。その――私は、普通の貴族令嬢ではなく、女伯爵だから」
「ああ」
そういうことか、と彼は納得した顔をした。
エレンジーナはアルドノア伯爵家の当主なのだ。女だが、その権限は男当主と同様に扱われる。
彼女がこの結婚を破談にしたければ、いくらでもやりようはあっただろう。
「そうだった」
「……忘れていたの、ジーニアス?」
「忘れてなんかないよ、エレンジーナ。ただ、慣れていないだけ。俺の周りに、女の当主は少ないから」
「それはそうでしょうね。私もまだ出会ったことがない」
ここに一人いる。ジーニアスはエレンジーナの肩を抱き寄せると、そう静かにささやいた。
二度目のキスが交わされる。
今度は、拒絶は無かった。
触れ合うそばから、電流のようなものが全身を走り、エレンジーナに新たな恋の始まりを告げた。
若い男性の魅力に抗えず、エレンジーナは両腕を彼の背中に回し、その頭を愛おしそうに抱き寄せる。
「おい、ちょっと。ここはまだだろ」
「そうかしら? 会場に着くまでまだ時間に余裕はありますよわ、殿下」
女性とのこういったシチュエーションに慣れているのだろうか?
顔合わせの時、あまり女性経験がないと言ったジーニアスの言葉は、お世辞にもならないらしい。
油断なく、それでいてしなやかに、大切な宝物を。
生きている花を手折らないように扱う手つきの優しさは、まるでこういったことに慣れているようにエレンジーナは感じた。
深くキスを交わしながら、彼女は思ってしまう。
やはり、他に愛する女性がいるのだろうか? そう思うと、不安と罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
彼がもしそうだとしたら。
いやそうでないとしても、自分は夫を騙そうとしていることに、違いはないからだ。
これから新婚旅行を兼ねたクルージングに赴き、エレンジーナはあることを成し遂げねばならない。
彼女は元、帝国軍少女騎士団の一員として、武官に任命され軍で生きてきた。
前の夫とも仕事の関係で出会い、熱烈な恋愛をした結果、結婚したのだ。
アルドノア女伯爵エレンジーナ。
現在、彼女は外務省の外交武官として、とある任務に就いている。
外交武官とは軍事関係者として他国に出向き、諜報活動に従事する者のことだ。
つまり――エレンジーナは、王国の女スパイだった。
祝賀用にデザインされた馬車は、白く飾り立てられて、まばゆい春の陽光を照り返しながら、これから旅行に出かける二人を乗せて、街中へと移動を始めた。
車内でエレンジーナはベールを取ると、次の会場まで束の間の休息を味わった。
これから帝国が経営するホテルギャザリックへと移動し、そこでまた披露宴を終えてから着替えを済ませた後に、帝都の横を流れるシェス大河のクルージングへと繰り出すのだ。
まだ、先は長い。
そう思うと飾りに飾った外見を崩したくもなる。
しかし、側に座るジーニアスはついさっき夫婦になったばかりの、最も身近な他人だった男だ。
一日の予定の半分も消化できていないのに、ここで素の自分を曝け出すのは、ちょっとためらわれた。
「シャンパンでも飲むか?」
馬車内に設置された黒いボックスを開くと、中には冷えたグラスとシャンパンのボトルが数本。その他には、水差しなどが納められている。
ついさっきまで立っていた神殿の聖堂では数世紀前の礼法に則った儀式が行われていて、そこから離れたら一気に現代に舞い戻ってしまった。
「いただくわ。‥‥‥変ね、その冷蔵庫」
どこの家庭にでも当たり前のように設置されている冷蔵後が、古めかしい棚を模して置かれている事実に、シャンパンの入ったグラスを受け取りながら、エレンジーナは苦笑を隠せない。
「雰囲気を壊さないように、太陽神アギトの神殿も気を配っているんだろうな。あそこは古いから」
「そんなことを言うと、アギト様の神罰が下るわよ? あなた、仮にもムゲール王国の王家の血筋なんでしょう? 太陽神アギト様を奉じる神官の系列じゃない」
「俺は――そういうんじゃない」
嫌味を込めてそう言うと、ジーニアスは自分もシャンパンを注いだグラスを手に取る。
二人でグラスを軽く打ち鳴らし、祝杯を挙げながら、彼は困ったように言った。
「俺は?」
「ムゲール王国の王室は、神殿に関係しない」
「そうなの? てっきり聖女様の血筋かと思っていたわ」
「……そうだから、結婚したのか?」
なんとなく知りたくなかったという顔を、新郎はする。
もちろん、エレンジーナにそんな気持ちはなかった。
いいえ、と否定すると、ジーニアスは深い面持ちから、年齢相応の若々しい顔つきを取り戻す。
単純で明朗快活な人なんだ、とエレンジーナは思った。
「結婚したのは叔父さまの仲介があったから。でも、嫌な人だったらどうにかして拒絶していると思う。その――私は、普通の貴族令嬢ではなく、女伯爵だから」
「ああ」
そういうことか、と彼は納得した顔をした。
エレンジーナはアルドノア伯爵家の当主なのだ。女だが、その権限は男当主と同様に扱われる。
彼女がこの結婚を破談にしたければ、いくらでもやりようはあっただろう。
「そうだった」
「……忘れていたの、ジーニアス?」
「忘れてなんかないよ、エレンジーナ。ただ、慣れていないだけ。俺の周りに、女の当主は少ないから」
「それはそうでしょうね。私もまだ出会ったことがない」
ここに一人いる。ジーニアスはエレンジーナの肩を抱き寄せると、そう静かにささやいた。
二度目のキスが交わされる。
今度は、拒絶は無かった。
触れ合うそばから、電流のようなものが全身を走り、エレンジーナに新たな恋の始まりを告げた。
若い男性の魅力に抗えず、エレンジーナは両腕を彼の背中に回し、その頭を愛おしそうに抱き寄せる。
「おい、ちょっと。ここはまだだろ」
「そうかしら? 会場に着くまでまだ時間に余裕はありますよわ、殿下」
女性とのこういったシチュエーションに慣れているのだろうか?
顔合わせの時、あまり女性経験がないと言ったジーニアスの言葉は、お世辞にもならないらしい。
油断なく、それでいてしなやかに、大切な宝物を。
生きている花を手折らないように扱う手つきの優しさは、まるでこういったことに慣れているようにエレンジーナは感じた。
深くキスを交わしながら、彼女は思ってしまう。
やはり、他に愛する女性がいるのだろうか? そう思うと、不安と罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
彼がもしそうだとしたら。
いやそうでないとしても、自分は夫を騙そうとしていることに、違いはないからだ。
これから新婚旅行を兼ねたクルージングに赴き、エレンジーナはあることを成し遂げねばならない。
彼女は元、帝国軍少女騎士団の一員として、武官に任命され軍で生きてきた。
前の夫とも仕事の関係で出会い、熱烈な恋愛をした結果、結婚したのだ。
アルドノア女伯爵エレンジーナ。
現在、彼女は外務省の外交武官として、とある任務に就いている。
外交武官とは軍事関係者として他国に出向き、諜報活動に従事する者のことだ。
つまり――エレンジーナは、王国の女スパイだった。
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