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第二章 第二の身分証明書

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「なら、これで完成‥‥‥ね」
 それが乾くまでの間に仕度をしよう。
 この腐臭が漂う服はもうたくさんだ。
 時計があればなあ‥‥‥ナターシャはそう思う。
 簡単な懐中時計でいいのだ。
 だが、そんな高価なものはここにはないだろう……
 あの金庫の中のまだ開けてない数段とか。
 男性死刑囚の服に忘れられてないかしら?
 茶色の革製のベスト、黒の厚手の麻のズボンに、ベストと同じ色のジャケットと黒い帯剣ベルト。
 小刀と短刀。用心に細い剣も一本と、軽い両刃の長剣を一本。
 あの大きな剣は背負うことにした。
 女性のドレスとまではいかないが、街娘が着るには問題のないワンピースを二着。
 下着も数着。それだけでリュツクは詰まりそうだっかたから、全部を丸め詰め込んでいく。
 こうすると場を取らずに済む。
 刺繍用の布をしまいこむ時の経験が役に立つなんて妙なものだ。
 助かるものは他にもあった。
 夫人や紳士連中が巻いていたスカーフがそのまま残されている。
 ありがたい。
 これを巻いてあの帽子を被ればこの髪も目立たずに済む。
 何より、男性が首に巻くスカーフはそれなりに厚手である意味、薄いタオルのようにも見えた。
 使えるものは頂こう。
 さて、時計は‥‥‥
 あるとすれば、外套だ。
 それに引っ掛けているのが常識だったから。
 だけど銀や金の鎖のそれらが残っているかしら???
 数十着のそれらの内ポケットやその辺りすべてを探しているとー‥‥‥
「襟の裏なんて‥‥‥」
 呆れた。
 こんなとこに隠したところで死を免れるわけがないのに。
 高価な金の指輪、ネックレス、望んでいた懐中時計。
 なんとも男性の考えることは同じらしい。
 それを見落とす警護兵も間抜けなものだ。
「どうかしら、もう乾いたかな‥‥‥?」
 裏紙を押し当てて確認する。
 インクはそれらの作業をしている間に乾ききっていた。
 動かない懐中時計もねじを巻けば動くだろう。
 この小屋にきてもう二時間にはなる。
 時間は深夜‥‥‥かな?
 ねじを軽く巻き、時間を合わせるとそれは動き出した。
 まるで止まっていた死の闇が動き出したかのように。
「動いた‥‥‥そしてこっちも、ね。
 レーゼン・シェイブ・オーウェン公爵
 古王国時代の言葉にすると‥‥‥新しき光の盟主? レーゼンは集まるって意味だし。
 シェイブは光の、とか、明るきものが、とか、改善するだし。
 オーウェンは新たなる、新しい、変革。
 人生を変えよ。
 そういう意味にも通じそうね」
 二度目の人生を歩き出すには悪くない。
「さて、どの道を行くべきかな。
 これ少し古い地図だけど、なるほどね。
 この山の向こうにはあれがあるんだわ、王都まで行けば単なる河だけど。
 スレイプニール峡谷。
 赤と緑の大渓谷があるのね。そして、荒野も」
 誰もここを守らないわけだ。
 でも、隠れ住むにはいいかもしれない。
「じゃ、行きますか。
 食糧は少しだけど干し肉‥‥‥?」
 まさか、これはーー
 人の物だったりはーーしないわよね?
 その保存食を鞄につめ、二本の剣を腰に太刀を背負い、誰のものかわからない。
 樫で作られ簡素だが綺麗な装飾と様々な紋様の描かれた棒を片手にし、肘のほどの長さのある水筒に水を二本分つめて少女は歩き出す。
 この斬首刑のある山。
 オルバイル山越えを目指して。

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