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奴隷姫の奏でるbig willie blues 5
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「弾丸を斬った?!」
そんなジョーク、このアメリカでもないわよ?
マクスウェルの報告を彼女は鼻先で笑い飛ばした。
170を越える高い背丈に短くまとめられたブルネットの黒髪。
青く深い瞳は見る者にこの新大陸へ渡ってきた大海を思い起こさせる。
優しいというよりは、不敵ともいえる雰囲気を称えた美女がそこにいた。
「ねえ、ミスター?
そんな際物が、なんであなたの船に乗る必要があるのよ?
それほどの腕前のソードマスターなら、組織に聞こえてこないはず、ないでしょ?」
「そうですねえ、ミス・アドラー。
ですが、彼一人でイグサム二機を断ち切ったんですよ?」
「あのタコみたいなやつを?
本当にマクスウェル。
あなたは冗談が好きね?」
アドラー。
一時期、大陸各地のオペラ劇場でその美声で観衆を魅了した歌手に似た姓を持つ彼女は、しかし髪の色と瞳の色を除けばよく似た、美女だった。
「やはり、簡単には信じていただけませんねぇ……。
どうですか、ジャック君。
君からも何か言って下さいよ」
商会の事務所に同席していた、例の税理士、ジャックが帳簿から顔を上げる。
「そうですね、ミス・アドラー。
彼は、ミスター・セオはとても優秀な仕事をなさいましたよ。
それは間違いない」
あえて断言はせずに、会話をマクスウェルに戻すとジャックは視線を帳簿に戻した。
「ふうむ……」
どうしても自分の見たものをあり得ないと言い張るこの美女に、マクスウェルはなんとか認めさせたいらしい。
弾丸を両断したあの素晴らしい銀光の一閃。
彼が望むのならば、組織にも是非、欲しい逸材だった。
「ねえ、ミスター?」
「はい?」
再度声をかけられてジャックが顔を上げる。
何か御用で? という感じだ。
「あなた、はその時なにをしていたの?」
「私ですか?」
「そう。
あなたも単なる税理士、なんて名目だけでここにいるわけではないわよね?」
弾丸を斬るソードマスター並みに何か活躍をしたの?
そんな感じの挑発的な視線だった。
「まさか、まさか」
税理士は片手を頭にあてて首を振る。
「私はしがない、会計屋ですよ。
ねえ、マクスウェルさん」
「そうそう。
彼は優秀、な税理士だよ。とても優秀なね」
相変わらずでっぷりと太ったマクスウェルは脂ぽいその肌で光を鈍く反射させて、その鈍重な雰囲気のわりには鋭い眼光をアドラーにやる。
「ふうん……」
座っていた来客用のチェアを立つとアドラーはジャックの机へと向かう。
見てもいい?
そんな感じで帳簿を指差した。
「ずいぶんと売りさばいたものね」
呆れたようにそこに書かれた、売却済みの人数を目で読み上げる。
「?」
この数週間分にわたる帳面のなかで、同じ金額が上下してることを不審に思った。
「これ、怪しまれるわよ?
ちょっとバラして記帳するとか……」
思わず指先で指摘するアドラーにジャックは意外という顔をする。
「女性なのに数字に御強いとは。
これは失礼」
帳簿を丁寧に受け取りながら、どちらかでお勉強でも?としつもんをする。
この時代、女性の識字率はそんなに高い方ではなかったからだ。
特にここ、新大陸では女性が社会進出することをよく思わないキリスト教派が主流だった。
その中でも、この南部は特別に男尊女卑の傾向が強いからだ。
「前にね、ボストンにいたのよ。
会計事務所で事務をしてたわ。
そこで覚えたのよ」
ほう、と二人の男は意外そうな顔をする。
同じ組織に、いや、提携する組織同士にいながら過去を語る人間は少ない。
「調べればわかることよ。
それより、これどうするの?」
あ、蒸し返された。
どうやら彼女は一つのことが気になると他が目に入らなくなるらしい。
「それでいいんですよ、ミス?」
「シャーリーン、よ」
「ああ、失礼。
シャーリン。
その時期のものは、そう、ここ」
ジャックが指をその数日後に移動させる。
「ここできちんと、ね?
支払いされてるでしょ?
まとめて購入した方が安くあがることもあるのですよ」
「ふうん……」
まあ、それで通るならいいんだろうけれど。
「それより、シャーリーン。
あなたは何がお好きですか?」
何?
「意味が分からないわ、ミスター」
「ジャックで、結構」
「そう、ならジャック。
ロンドンの闇を震え上がらせた切り裂き男みたいな名前ね。
わたしの好きなもの?
意味が分からないわ」
ですから。
と、ジャックは室内に同席していたもう一人の美女、ルシールの方を見た。
「?」
シャーリーンがそちらに気を向けた一瞬の隙に、彼の左手には小型のリボルバーが握られていた。
「あら、御挨拶ね。ジャック」
シャーリーンはそれを見てにっこりと微笑む。
「でもレディに銃を向けるものではないわ」
そう言った彼女がゆっくりと何気ない動作で伸ばした指先からは鋭い光が放たれていた。
タンッ!
軽い音を立ててジャックの左頬すれすれを何かが飛び過ぎ壁に突き立たる。
「おやおや、レディはナイフがお好きですか―」
マクスウェルの間の抜けた声が両者の緊迫感を一気にぶち壊した。
「でもだめですよ、ジャック君も、シャーリーン嬢も。
ここは身内の場ですからね。
何より、彼女に傷がつくことは」
人差し指を立ててそれを左右にマクスウェルは振る。
「禁止です。いいですね?」
はあ、とシャーリーンが呆れた声を出して壁際に寄りナイフを抜く。
それはどこに消えたのかあっという間に手元から消えた。
「ジャックだけならともかく、あなたたちまでそんなに早いんじゃねえ……」
振り返ると、先ほどの税理士はまだ拳銃を構えているし、マクスウェルもどこから出したか短銃を。
おまけに人形かと思うほどに静かに動かなかったルシールまでもどこから取り出したか、銀色の小型銃をこちらに向けている。
「わたしのナイフは遅いとは思わないけど。
ちょっと分が悪いわね」
「では」
マクスウェルの合図で、残り二人が銃を収めた。
「ところで、ミスター」
「はい?」
マクスウェルが返事する。
違う、そっち、とシャーリーンが見たのはジャックだった。
「は?」
まだ何かあるのかと身構える彼に、突き付けられたのは意外な質問だった。
「さっき、何が好きかと聞いたわね?
それは銃口で語るべきことだったの?」
「ああ……」
どうなのよ、とシャーリーンは肩をすくめた。
自分の腕前だけを見たいなら、他のやり方だってあったはずだからだ。
「歌や踊りなどはお好きかと」
何それ?
意味がわからない。
そんな顔をするがとりあえず、
「下手じゃないかもね?
そこらのバーの歌姫よりは」
と嫌味気に伝えてやる。
それはいい、とジャックとマクスウェルが手を叩いた。
は?
なんだ、この反応は。
シャーリーンが思わず引きそうな程案を二人が持ちかけたのはこの後のことだった。
その夜。
チラシに書かれていた『奴隷姫の演奏会』
その開幕前にシャーリーンは呆れた顔で化粧台の鏡を見つめる自分を見ていた。
「なによ、これ」
普段来ているドレスよりも露出の激しいドレス。
胸元を強調し、激しくスリットの入ったロングスカートの下には見られてもいいようにしてはいるのもも、まるで巡業する一座の花形のような気分だ。
「いかがですか?」
昼間、自分に銀色の短銃を突き付けた若い彼女がこちらに向かってくる。
「あら」
あちらはアラブの御姫様とでもいうような胸元と最低限の下着をつけ、全体的に透けたパンタロンのようなズボンを履いている。顔には黒く透けたベールがかかっている。
その決して発育がいいとは言えない肢体と、その白人にしては陽によくやけた肌によく似合っていた。
「いいわね。
でも、こんなショーをしなきゃいけないほど、あなたを人目にさらす必要があるの?」
マクスウェルがあれほど大事にしている愛妾。
妾だろうに。
「ご主人様は儲かることでしたら何でもされる方ですから。
わたくしどもはその御意思に従うだけです」
見事な奴隷の返事ね。
アメリカ生まれで独立精神旺盛なシャーリーンにはその感覚が理解できない。
「まあ、そこまでいうならあなた」
「はい?」
同年代よりは年下。
まだ二十代前半で発育は止まっただろうけど。
「もう少し、ご主人様の愛を受け取れるくらいに大きくしたほうがいいんじゃない?」
と、自身の豊満な肢体を突き出してみせる。
昼間、やられたことの多少なりの意趣返しだ。
あの時はこの子までが銃口を突き付けてくるとは思っていなかった。
「あ……」
ルシールは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「ご、ご主人様はこのままでもよい、と……。
あまり成人された方の様な容姿はお気に召さないようですから」
と、さりげなく主人の趣味を口走るルシール。
そんな暴露いらないわよ。
呆れた気になりながら、それでも一応、彼女は自身のスタイルに引け目はあるらしい。
とりあえず、借りは返せたようだ。
なら、舞台ではせめて仲良くしてやるか。
溜飲を下げて舞台裏に上がるシャーリーンを後に、ルシールはその場に残った。
「貧相……」
なのかな、と全身を鏡に映し出してぼやいていた。
これでも、ご主人様は愛して下さるのだからそれでいいじゃない、とも思い直すとまだ開いてない舞台の番出し(リハーサル)へと向かった。
「さて、ジャック君。
彼女は上手くやってれますかね?」
残された事務所でマクスウェルが言う。
「さてどうでしょう。
何より、あの場でナイフとは、ね。
正直驚きましたが」
「ああ、あれですか」
まあ、余興としはよかったではないですか。
そうマクスウェルは言う。
何より、無料で今夜の人員不足を補えましたし。
と彼としては満足そうな顔をしている。
あの流れでまさかの舞台に上がる依頼をされるとは、シャーリーンも思っていなかっただろう。
「まあ、良かったですね。
頭取。それよりも彼女」
マクスウェルはそれを聞いて商人から武器や奴隷の密売人の顔に戻る。
「そう。
シャーリーン・アドラー。
あの、アイリーン・アドラーの関係者かもしくは……」
「シャーロック・ホームズ、ですか」
そう。
と、マクスウェルが頷く。
「イギリス海軍大佐の弟にして、我らの商売仲間の教授の宿敵、です」
「しかし、ホームズはロンドンにいると監視からの報告が上がっていますが」
そうですねえ。
と、マクスウェルはどうも思案顔だ。
「ホームズだけならいいんですがねぇ。どうにもそれだけではない側もあるようですしねえ」
それだけではない?
そこはジャックにはわからない世界だ。
だがあえてそこは踏み込まない。
自分は税理士で、たまに裏のことをするだけの使用人だ。
余計な詮索は無用。
「まあ、いいでしょう。
それより、彼です彼」
腰から剣を抜く素振りを見せる。
「まさかあのステンレス鋼材を切り裂くとは思いませんでした。
しまいには、弾丸まで切り裂く始末。
こちらとしては道化を演じるよりも、欲しくなりましたよ」
あの女怪物たち、機械仕掛けの化け物を切り裂いたセオのことを言っているのだろう。
「そうですね。
あれは凄まじかった。
そしてあの人数。あれほどの達人が数人もこんな西洋の果てにいることがおかしい」
時は苦しくも1900年代初頭。
日英同盟締結後、数年した頃だ。
「日本からのスパイでしょうか?
彼らはカリフォルニアに植民地建設を目的とした移民を計画しているとも聞きますし」
いや、それは考えにくい。
そうマクスウェルが否定する。
「日本からは十数年前に、あの国のエンペラーの御兄弟がいらしたはずです。
エジプト、フランス。しかし、彼らが帰国した時には政府が変わっていたとも聞く」
「つまり、流民ですか。
国を失った」
「そうですねえ。
カリフォルニアへの移民と彼らが共謀しているなら、あの太平洋の地に新たな建国を考えるかもしれません。
しかし、日本にはそれほどの国力はないと思いますよ。
ロシアも南下を強めていますから。
まあ、日清戦争で清側が負けたことで我が大英帝国の威信は大きくかの地、中国で落ち込みましたし、それは宜しくない」
武器をどこに移動すればよく売れるのかをマクスウェルは常にアンテナを張って情報を得ている。
「まあ、日本にはしばらくロシアとにらみ合いをするしか国力に余力はないでしょう。
そして、サムライ。
前政府のエンペラーに仕えていた彼らソードマスターの多くは、十数年前の内戦で大半が死滅したと聞きます。
彼は戻りたくても戻れない、そんな状況でしょう、ジャック君」
「さすがですね、頭取」
「どうでしょうかね、ジャック君?」
「はい?」
なにか面白いことを思いついたようにマクスウェルが言う。
「あのグアバル(女怪物)たちのお披露目は上手く行きました。
まあ、ミスターセオの存在は予想外でしたが」
はい、それは先ほども話しましが、と思いながらジャックには意味がわからない。
「ルシール。
あれを当てがって彼を引き込めると思いますか?」
自分の愛人を目的の為には容赦なく使う気らしい。
「さあ、どうでしょうか。
東洋人、という意味では食指が動かない可能性が高いかと」
なるほど、とマクスウェルは考え込む。
「それなら、彼女がいるではないですか」
ルシールたちが出ているステージの前座の一つを任されている日本人奴隷がいる。
日本がまだ政府が変わる前にあちらの色街から買われてきた三、四歳の少女が十数年をえていまではまともな歌姫をしている。
まあ、その舞台後に客を取る生活だが。
身請けをされるまでは、どれだけ働いて稼いでも自由になることのない、そういう身分だ。
「名前はなんでしたっけねえ?」
「確かー」
そんなジョーク、このアメリカでもないわよ?
マクスウェルの報告を彼女は鼻先で笑い飛ばした。
170を越える高い背丈に短くまとめられたブルネットの黒髪。
青く深い瞳は見る者にこの新大陸へ渡ってきた大海を思い起こさせる。
優しいというよりは、不敵ともいえる雰囲気を称えた美女がそこにいた。
「ねえ、ミスター?
そんな際物が、なんであなたの船に乗る必要があるのよ?
それほどの腕前のソードマスターなら、組織に聞こえてこないはず、ないでしょ?」
「そうですねえ、ミス・アドラー。
ですが、彼一人でイグサム二機を断ち切ったんですよ?」
「あのタコみたいなやつを?
本当にマクスウェル。
あなたは冗談が好きね?」
アドラー。
一時期、大陸各地のオペラ劇場でその美声で観衆を魅了した歌手に似た姓を持つ彼女は、しかし髪の色と瞳の色を除けばよく似た、美女だった。
「やはり、簡単には信じていただけませんねぇ……。
どうですか、ジャック君。
君からも何か言って下さいよ」
商会の事務所に同席していた、例の税理士、ジャックが帳簿から顔を上げる。
「そうですね、ミス・アドラー。
彼は、ミスター・セオはとても優秀な仕事をなさいましたよ。
それは間違いない」
あえて断言はせずに、会話をマクスウェルに戻すとジャックは視線を帳簿に戻した。
「ふうむ……」
どうしても自分の見たものをあり得ないと言い張るこの美女に、マクスウェルはなんとか認めさせたいらしい。
弾丸を両断したあの素晴らしい銀光の一閃。
彼が望むのならば、組織にも是非、欲しい逸材だった。
「ねえ、ミスター?」
「はい?」
再度声をかけられてジャックが顔を上げる。
何か御用で? という感じだ。
「あなた、はその時なにをしていたの?」
「私ですか?」
「そう。
あなたも単なる税理士、なんて名目だけでここにいるわけではないわよね?」
弾丸を斬るソードマスター並みに何か活躍をしたの?
そんな感じの挑発的な視線だった。
「まさか、まさか」
税理士は片手を頭にあてて首を振る。
「私はしがない、会計屋ですよ。
ねえ、マクスウェルさん」
「そうそう。
彼は優秀、な税理士だよ。とても優秀なね」
相変わらずでっぷりと太ったマクスウェルは脂ぽいその肌で光を鈍く反射させて、その鈍重な雰囲気のわりには鋭い眼光をアドラーにやる。
「ふうん……」
座っていた来客用のチェアを立つとアドラーはジャックの机へと向かう。
見てもいい?
そんな感じで帳簿を指差した。
「ずいぶんと売りさばいたものね」
呆れたようにそこに書かれた、売却済みの人数を目で読み上げる。
「?」
この数週間分にわたる帳面のなかで、同じ金額が上下してることを不審に思った。
「これ、怪しまれるわよ?
ちょっとバラして記帳するとか……」
思わず指先で指摘するアドラーにジャックは意外という顔をする。
「女性なのに数字に御強いとは。
これは失礼」
帳簿を丁寧に受け取りながら、どちらかでお勉強でも?としつもんをする。
この時代、女性の識字率はそんなに高い方ではなかったからだ。
特にここ、新大陸では女性が社会進出することをよく思わないキリスト教派が主流だった。
その中でも、この南部は特別に男尊女卑の傾向が強いからだ。
「前にね、ボストンにいたのよ。
会計事務所で事務をしてたわ。
そこで覚えたのよ」
ほう、と二人の男は意外そうな顔をする。
同じ組織に、いや、提携する組織同士にいながら過去を語る人間は少ない。
「調べればわかることよ。
それより、これどうするの?」
あ、蒸し返された。
どうやら彼女は一つのことが気になると他が目に入らなくなるらしい。
「それでいいんですよ、ミス?」
「シャーリーン、よ」
「ああ、失礼。
シャーリン。
その時期のものは、そう、ここ」
ジャックが指をその数日後に移動させる。
「ここできちんと、ね?
支払いされてるでしょ?
まとめて購入した方が安くあがることもあるのですよ」
「ふうん……」
まあ、それで通るならいいんだろうけれど。
「それより、シャーリーン。
あなたは何がお好きですか?」
何?
「意味が分からないわ、ミスター」
「ジャックで、結構」
「そう、ならジャック。
ロンドンの闇を震え上がらせた切り裂き男みたいな名前ね。
わたしの好きなもの?
意味が分からないわ」
ですから。
と、ジャックは室内に同席していたもう一人の美女、ルシールの方を見た。
「?」
シャーリーンがそちらに気を向けた一瞬の隙に、彼の左手には小型のリボルバーが握られていた。
「あら、御挨拶ね。ジャック」
シャーリーンはそれを見てにっこりと微笑む。
「でもレディに銃を向けるものではないわ」
そう言った彼女がゆっくりと何気ない動作で伸ばした指先からは鋭い光が放たれていた。
タンッ!
軽い音を立ててジャックの左頬すれすれを何かが飛び過ぎ壁に突き立たる。
「おやおや、レディはナイフがお好きですか―」
マクスウェルの間の抜けた声が両者の緊迫感を一気にぶち壊した。
「でもだめですよ、ジャック君も、シャーリーン嬢も。
ここは身内の場ですからね。
何より、彼女に傷がつくことは」
人差し指を立ててそれを左右にマクスウェルは振る。
「禁止です。いいですね?」
はあ、とシャーリーンが呆れた声を出して壁際に寄りナイフを抜く。
それはどこに消えたのかあっという間に手元から消えた。
「ジャックだけならともかく、あなたたちまでそんなに早いんじゃねえ……」
振り返ると、先ほどの税理士はまだ拳銃を構えているし、マクスウェルもどこから出したか短銃を。
おまけに人形かと思うほどに静かに動かなかったルシールまでもどこから取り出したか、銀色の小型銃をこちらに向けている。
「わたしのナイフは遅いとは思わないけど。
ちょっと分が悪いわね」
「では」
マクスウェルの合図で、残り二人が銃を収めた。
「ところで、ミスター」
「はい?」
マクスウェルが返事する。
違う、そっち、とシャーリーンが見たのはジャックだった。
「は?」
まだ何かあるのかと身構える彼に、突き付けられたのは意外な質問だった。
「さっき、何が好きかと聞いたわね?
それは銃口で語るべきことだったの?」
「ああ……」
どうなのよ、とシャーリーンは肩をすくめた。
自分の腕前だけを見たいなら、他のやり方だってあったはずだからだ。
「歌や踊りなどはお好きかと」
何それ?
意味がわからない。
そんな顔をするがとりあえず、
「下手じゃないかもね?
そこらのバーの歌姫よりは」
と嫌味気に伝えてやる。
それはいい、とジャックとマクスウェルが手を叩いた。
は?
なんだ、この反応は。
シャーリーンが思わず引きそうな程案を二人が持ちかけたのはこの後のことだった。
その夜。
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その開幕前にシャーリーンは呆れた顔で化粧台の鏡を見つめる自分を見ていた。
「なによ、これ」
普段来ているドレスよりも露出の激しいドレス。
胸元を強調し、激しくスリットの入ったロングスカートの下には見られてもいいようにしてはいるのもも、まるで巡業する一座の花形のような気分だ。
「いかがですか?」
昼間、自分に銀色の短銃を突き付けた若い彼女がこちらに向かってくる。
「あら」
あちらはアラブの御姫様とでもいうような胸元と最低限の下着をつけ、全体的に透けたパンタロンのようなズボンを履いている。顔には黒く透けたベールがかかっている。
その決して発育がいいとは言えない肢体と、その白人にしては陽によくやけた肌によく似合っていた。
「いいわね。
でも、こんなショーをしなきゃいけないほど、あなたを人目にさらす必要があるの?」
マクスウェルがあれほど大事にしている愛妾。
妾だろうに。
「ご主人様は儲かることでしたら何でもされる方ですから。
わたくしどもはその御意思に従うだけです」
見事な奴隷の返事ね。
アメリカ生まれで独立精神旺盛なシャーリーンにはその感覚が理解できない。
「まあ、そこまでいうならあなた」
「はい?」
同年代よりは年下。
まだ二十代前半で発育は止まっただろうけど。
「もう少し、ご主人様の愛を受け取れるくらいに大きくしたほうがいいんじゃない?」
と、自身の豊満な肢体を突き出してみせる。
昼間、やられたことの多少なりの意趣返しだ。
あの時はこの子までが銃口を突き付けてくるとは思っていなかった。
「あ……」
ルシールは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「ご、ご主人様はこのままでもよい、と……。
あまり成人された方の様な容姿はお気に召さないようですから」
と、さりげなく主人の趣味を口走るルシール。
そんな暴露いらないわよ。
呆れた気になりながら、それでも一応、彼女は自身のスタイルに引け目はあるらしい。
とりあえず、借りは返せたようだ。
なら、舞台ではせめて仲良くしてやるか。
溜飲を下げて舞台裏に上がるシャーリーンを後に、ルシールはその場に残った。
「貧相……」
なのかな、と全身を鏡に映し出してぼやいていた。
これでも、ご主人様は愛して下さるのだからそれでいいじゃない、とも思い直すとまだ開いてない舞台の番出し(リハーサル)へと向かった。
「さて、ジャック君。
彼女は上手くやってれますかね?」
残された事務所でマクスウェルが言う。
「さてどうでしょう。
何より、あの場でナイフとは、ね。
正直驚きましたが」
「ああ、あれですか」
まあ、余興としはよかったではないですか。
そうマクスウェルは言う。
何より、無料で今夜の人員不足を補えましたし。
と彼としては満足そうな顔をしている。
あの流れでまさかの舞台に上がる依頼をされるとは、シャーリーンも思っていなかっただろう。
「まあ、良かったですね。
頭取。それよりも彼女」
マクスウェルはそれを聞いて商人から武器や奴隷の密売人の顔に戻る。
「そう。
シャーリーン・アドラー。
あの、アイリーン・アドラーの関係者かもしくは……」
「シャーロック・ホームズ、ですか」
そう。
と、マクスウェルが頷く。
「イギリス海軍大佐の弟にして、我らの商売仲間の教授の宿敵、です」
「しかし、ホームズはロンドンにいると監視からの報告が上がっていますが」
そうですねえ。
と、マクスウェルはどうも思案顔だ。
「ホームズだけならいいんですがねぇ。どうにもそれだけではない側もあるようですしねえ」
それだけではない?
そこはジャックにはわからない世界だ。
だがあえてそこは踏み込まない。
自分は税理士で、たまに裏のことをするだけの使用人だ。
余計な詮索は無用。
「まあ、いいでしょう。
それより、彼です彼」
腰から剣を抜く素振りを見せる。
「まさかあのステンレス鋼材を切り裂くとは思いませんでした。
しまいには、弾丸まで切り裂く始末。
こちらとしては道化を演じるよりも、欲しくなりましたよ」
あの女怪物たち、機械仕掛けの化け物を切り裂いたセオのことを言っているのだろう。
「そうですね。
あれは凄まじかった。
そしてあの人数。あれほどの達人が数人もこんな西洋の果てにいることがおかしい」
時は苦しくも1900年代初頭。
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「日本からのスパイでしょうか?
彼らはカリフォルニアに植民地建設を目的とした移民を計画しているとも聞きますし」
いや、それは考えにくい。
そうマクスウェルが否定する。
「日本からは十数年前に、あの国のエンペラーの御兄弟がいらしたはずです。
エジプト、フランス。しかし、彼らが帰国した時には政府が変わっていたとも聞く」
「つまり、流民ですか。
国を失った」
「そうですねえ。
カリフォルニアへの移民と彼らが共謀しているなら、あの太平洋の地に新たな建国を考えるかもしれません。
しかし、日本にはそれほどの国力はないと思いますよ。
ロシアも南下を強めていますから。
まあ、日清戦争で清側が負けたことで我が大英帝国の威信は大きくかの地、中国で落ち込みましたし、それは宜しくない」
武器をどこに移動すればよく売れるのかをマクスウェルは常にアンテナを張って情報を得ている。
「まあ、日本にはしばらくロシアとにらみ合いをするしか国力に余力はないでしょう。
そして、サムライ。
前政府のエンペラーに仕えていた彼らソードマスターの多くは、十数年前の内戦で大半が死滅したと聞きます。
彼は戻りたくても戻れない、そんな状況でしょう、ジャック君」
「さすがですね、頭取」
「どうでしょうかね、ジャック君?」
「はい?」
なにか面白いことを思いついたようにマクスウェルが言う。
「あのグアバル(女怪物)たちのお披露目は上手く行きました。
まあ、ミスターセオの存在は予想外でしたが」
はい、それは先ほども話しましが、と思いながらジャックには意味がわからない。
「ルシール。
あれを当てがって彼を引き込めると思いますか?」
自分の愛人を目的の為には容赦なく使う気らしい。
「さあ、どうでしょうか。
東洋人、という意味では食指が動かない可能性が高いかと」
なるほど、とマクスウェルは考え込む。
「それなら、彼女がいるではないですか」
ルシールたちが出ているステージの前座の一つを任されている日本人奴隷がいる。
日本がまだ政府が変わる前にあちらの色街から買われてきた三、四歳の少女が十数年をえていまではまともな歌姫をしている。
まあ、その舞台後に客を取る生活だが。
身請けをされるまでは、どれだけ働いて稼いでも自由になることのない、そういう身分だ。
「名前はなんでしたっけねえ?」
「確かー」
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