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Tenth Chapter...7/28

満ち足りていること

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「何なんだ……満ち足りた暮らしってのは」

 この街のスローガンとして在り続ける言葉。
 そこに、奴らはどんな意味を込めている?
 オヤジは話していた。ハンディキャップを持つ者が、最新の技術によって不自由ない生活を送れることを目標にしていると。なら、その最新の技術というのが奴らの計画という論法でいいのだろうが……。
 それが結局どんな技術で、どんな計画かということだ。
 軍事的な技術も絡めた、倫理の危ぶまれる計画……。

「……話が難しすぎんだよ」

 苛立ちに地団駄を踏んだところで、それとは違う別の音が微かに聞こえた気がした。
 ……まさか、貴獅が戻ってきた? 特に理由は思いつかないが、どういうつもりだろう。
 耳を澄ますと、さっきと同じエレベーターの駆動音。勝手に下に降りてくることはないだろうし、人が乗っているのは間違いなさそうだが。

「……え?」

 扉が開いたとき、そこにいる人物に俺は驚きを隠せなかった。
 飄々とした様子でこちらに向かってくるのは、蟹田さんだったからだ。エレベーター内の光で僅かに判別できたくらいだが、確かに彼だ。

「やあ、虎牙くん。……結婚面倒な事態に陥ってしまったみたいだね」
「蟹田さん……いや、情けない限りっす」
「仕方ない。目のことを理解している上で君を頼ったのは俺だし、これは俺のせいでもある。だから隙を見てここまで来たんだ」
「ここって、病院の地下なんすよね?」

 蟹田さんは頷く。どうやらここが実験のメインとなる区画で、俺が閉じ込められているのも別段牢屋というわけじゃなく、ただの実験スペースらしい。鍵を開けられるようにしておけよ、と言いたくなるが。

「生憎、解錠するものはなくてね。どんなものなのか確認に来ただけなんだけど……また、隙を縫って来ることにするよ。しかし、盗聴のためにこの場所のことを探っていたのは役に立ったな」
「貴獅は仕事以外じゃ大体ここに?」
「そのはずだよ。他にも関係者は時折来ているだろうけど、残念ながら俺は病室で過ごしてばかりだからね。確認はできてない」

 とは言え、早乙女さんが犯罪行為に手を染めている以上、貴獅の味方というのはほぼ間違いない。そんな彼女と同じ施設で育った双太さんは、白なのか黒なのか。

「それより、貴獅さんは何か重要そうなことを話していたかい? 君になら、油断することもあるかとは思ってたんだが」
「なんかそれ、囮に使われたように聞こえるんすけど」
「はは、そこまで深い意味はないさ」

 ……この人もこの人で、ほんとに底が知れないな。安請け合いはもうしない方がいいかもしれない。ちゃんとリスクとリターンを考えなくては。

「貴獅が永射を殺したんじゃなさそうだってのは分かりましたよ。割と真剣に犯人探しをしてるような感じもあったし。八月二日に実験が達成されるまで、その障害はなるべく排除しないと、みたいな。俺もそれで閉じ込められました」
「八月二日まで、ね。やはり、彼はその日以降のことをどうでもいいと思っているようだな……杞憂であればいいんだが」
「目的さえ達成できればすぐにいなくなるつもりなんすかね? けど、流石に辺境の街っつっても病院を放置していくのはあり得ないよな……」

 GHOST関係者だけが行方を晦まし、普通の医療従事者が差し替えであてがわれる、なんてことも考えられはするが、どうだろう。プロジェクトが終わればそのチームが解体されるというのはまあ、社会じゃよくありそうなことの気はするけれども。


「その辺りはヒントもないし、何とも言えないね。ただまともな考えであることを祈るばかりだ。……それ以上のことは、特に語らなかったか」
「教えてくれとは言ったんすけどね。口の硬い野郎だ。……あ、でも話せることがもう一つ。永射の家に忍び込んで、地下室の扉を見つけましたよ」

 俺は意識を失う前の、永射邸の調査について簡潔に語った。最後に殴られたことを伝えると、君はよく不意を打たれるねと心配されてしまった。
 ……多分、俺の事情は街中の知るところだし、犯人や病院側の人間も当然、俺が隙だらけだという認識でいるのだろう。

「しかし、鍵……か。早乙女さんがやって来て、地下室の扉付近まで近づいていたなら、その鍵は彼女が持っている可能性が高そうだな」
「だと思いますよ。放火をしたのも彼女だし、結構ヤバいことでも使いっ走りみたいにやらされてる感は」
「ふむ」

 蟹田さんは眉間に皺を寄せながら呟き、

「放火の後、地下が無傷であることを指摘されて慌てて証拠隠滅に行った……とかかな。もしも虎牙くんの登場で、一旦それを棚上げせざるを得なくなっていたなら、まだ何かしら残っている可能性はあるかも」
「ならいいんすけどね。鍵がないと開けられないんで……」
「そこは入院生活の長い俺に任せてくれ」

 ニヤリと悪い笑み。まさかとは思うが、鍵をちょろまかす手立てでも考えているのだろうか。……ま、聞かなかったことにしておこう。

「何にせよ、ここの鍵だって見つけなきゃならないしね。悪いが、もう少しだけ待っててくれよ」
「八月まで放置されるのに比べりゃそれくらいは当然」
「はは、その通りだ」

 蟹田さんは笑って、さっきの貴獅と同じようにくるりと身を翻す。そろそろ帰るのだろう。
 ただ、彼は一歩だけ踏み出したところで立ち止まり、俺に声を掛けた。

「……なあ、虎牙くん」
「何すか?」

 背中を向けたままにしている彼の表情は読み取れなかったが。
 言葉は、どうしてかさっきまでとは打って変わり、哀しみを湛えているように思えた。

「満ち足りているって何だろうね?」
「それは……」

 答えることもできないまま。
 彼の姿は、自動扉の向こう側へと消えていくのだった。
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