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究明編

匣の外からのメッセージ

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 組み立てが終わり、パソコンの事前設定も完了する。キーボード入力は主に玄人の役割だ。手の不自由な龍美にも、目の不自由な虎牙にもキータッチは出来ないから。
 起動されたプログラム、レッドアイ。月面反射通信を行うのには必須の通信用ソフトだ。
 明乃さんも興味津々といった眼差しで画面を見つめている。

「まさか……このプログラムも皆さんで?」
「流石にそれはないわ。利用してるのはレッドアイっていうフリーソフトだけど……明乃さんは知らなさそうね」
「ええ、パソコン関係はそこまで詳しくなくて……」
「相当メジャーなソフトらしいけれど、やっぱり界隈の中では、みたいな感じなのかしら」
「うーん……そうかもですね?」

 龍美もこの場面で言及している通り、レッドアイは通信用ソフトとしてメジャーなプログラムで、ネット検索でも上位にくるものだったはずだ。明乃さんなら名前を聞いたことくらいはあるのでは、などと思ったりもしていたのだが。

「レッドアイ……赤目、ですか」
「その名前に、龍美も後々違和感は抱いていたみたいだけどね」
「と、言うと?」

 首を傾げる明乃さんに、私は河野理魚という少女の病状や、八月二日が近づくにつれ住民たちに起きていく変化について簡単に説明した。これらは全て、龍美の視点を可能な限り追うことで得られた情報だ。
 赤い目に支配されゆく匣庭……。

「……確か、三鬼村時代の伝承には赤い満月が昇ると人々が狂うというものもあったんでしたっけ」
「ええ。結論から言えばそれは、過度の脳負荷による目の充血が景色を赤く見せていたというもので、そこにはかつて村に研究所を構えていた軍部の電波実験が影響しているのだと龍美は看破していたわ。電波実験と赤目、そしてレッドアイという通信ソフトの名称……それらが偶然なのか必然なのかは、結局分からなかったけれど」

 どうやらお酒の種類にもレッドアイというものはあるようだし、確かソフトの開発者はとあるミステリにインスパイアされてこの名を付けたと記していたはずだ。だから私は、どちらかと言えば偶然なのではないかと考えていたのだが。

「こういう時、真澄さんに連絡が取れればなあ……」

 明乃さんは歯がゆそうにそう呟く。今口にした真澄、という人物が彼女とともに満生台へとやって来た仲間のようだ。さぞかし頼りがいのある人物なのだろう。パソコンの方面にも明るいのかもしれない。
 困っている彼女に、私が何かヒントでも与えられたらいいのだろうが、他ならぬ私自身がこの匣庭で囚われの身になっているわけで、外部との連絡方法なんてものが思いつくはずもない。……このEMEが外部へ繋がってくれるわけもないだろうし。
 これは未来へ向けた信号ではない。過去の中で繰り返される事象に過ぎないのだ……きっと。

「頼んだわよ、ムーンスパロー」

 龍美がそう言ってニヤリと笑う。この装置が、何らかの通信を拾ってくれるのを期待して。
 そしてこの時は、成果を得られるのだ。たとえ意味の読み取れない程度の微弱な信号だとしても。

「今もそんな奇跡があればいいのにね」

 私は殆ど無意識に、そんな風に呟いている。
 ただ、既に奇跡は一つ起きていると言ってもいい。頼もしい来訪者が一人、隣にいるのだから。

「……さて。ここからしばらくは勉強タイムになるわ。ムーンスパローが通信を拾うまでに結構な時間がかかるから。他愛もない会話が続くけれど、ちょっと我慢してね」
「ふふ、そういう日常が好きですよ」
「それはそうだわ」

 真面目に教科書とノートを広げる玄人と龍美。椅子にふんぞり返ってしまう勉強嫌いの虎牙。
 私はその光景を見ながら、楽しそうに笑う。
 私は……。

「いいー? ここの問題はね、先週出て来た方程式を使ってやるのよ。記号が難しいと思ったら、丸とか四角とか、頭の中で勝手に変えて覚えたらいいの」

 龍美が声を掛けてくれる。だから私も、あの日の言葉を繰り返す。
 だけど……私はここで、何をしていたのだろう。
 会話だけは鮮明だけれど、私がとった行動はどうしても、思い出せずにいる。

「――あ」

 明乃さんの声が、意識を引き戻した。
 どうしたのかと思うと、基地の中に電子音が響いている。
 ムーンスパローが電波を受信したことを示す音だ。
 龍美はペンを机の上に放り出し、慌ててパソコンの前に座る。玄人や虎牙もその後に続いた。

「本当だ、反応してるわ!」

 万に一つと思っていた可能性が実現した瞬間だ。彼女たちは笑顔の花を咲かせている。
 湧き上がる興奮。それを、当時の私も共有していたのだ。
 平常時は何の動きもないグラフ。その波形が、電波によって揺らいでいて。
 記号化された情報は、やがてプログラムにより複合化され、認識可能な文字となる。
 確か、拾い上げられた文字は『ありがとう、またよろしく』という一文だけでしかなかったはずだ……。

「……え?」

 私と明乃さんは、その文章を目にして絶句する。
 何故なら、そこに映し出されたのは過去の文章ではなかったからだ。

『アキノヘ WAWトハベツノ センノウケイカクアリ アカメヲチョウサ』

 それは、明乃さんへ向けた明確なメッセージ。
 驚いたのも束の間、しかしメッセージは0と1の奔流に搔き消されて、すぐに変換されてしまう。
 後に残ったのは、『ありがとう、またよろしく』という記憶通りの文章だった。
 それでも……。

「一瞬だけでも、通信が匣庭の外と繋がった……」
「……ですね。外で真澄さんも頑張ってくれてるんだ」

 明乃さんは安堵したように笑みを浮かべる。やっぱり頼りになるな、と付け加えて。

「もしかしたら、外部と通信をしたという痕跡が一種の抜け道のようになっているのかもしれません。あちら側でも通信のタイミングに気付いて、受信できるようメッセージを送ってくれたのかも」
「事実、メッセージが届いた以上はそう考えていいでしょうね。文字数が少ないということは、かなり制限がありそうだけど……WAWプログラムとは別の洗脳計画、か」
「心当たりは?」
「それこそ龍美が八木さんと調査していた、電波による洗脳計画ね……そもそも彼女はそれこそWAWプログラムだと思っていたようだけれど、勿論父の計画とは別物だから」

 通信の相手……真澄という人物が、別計画の存在をこちらに伝えてきたということは、龍美と八木さんが追っていた『電波による洗脳』が決してWAWプログラムに対する勘違いなどではなく、別計画として確かにあったということなのか。
 だとすれば……異常をきたした住民には目の充血が起きていたはずだし、レッドアイというプログラムに対しても再び疑惑が浮かび上がってくる。
 果たしてその名は偶然の一致なのか。あまつさえそれが通信プログラムであることも、偶然といっていいのか……。

「レッドアイと洗脳計画……ふう。この匣庭で出来ることは限られているかもしれないけれど、せっかく届けてくれた手掛かりだものね。やれるだけのことは、やってみましょう」
「はい。この匣庭を、きちんと終わらせられるように」

 その先に待つものを、確かめるために。
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