この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―

至堂文斗

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Thirteenth Chapter...7/31

病院を後にして

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 僕がいた病室は、三〇一号室だったので、まずは蟹田さんの病室を覗いてみることにする。廊下の端まで歩いて、三〇三号室へ。すると、病室の扉が半開きになっていて、中に白衣姿の男性がいるのが見えた。
 牛牧さんだった。

「……おや」

 牛牧さんは、僕に気付くと相好を崩し、手招きをした。入ってきなさいということらしい。てっきり今は入ってこないでほしいと言われるだろうなと思っていたので、ちょっと意外だった。

「えと、失礼します」
「もう体調は問題ないかね、真智田くん」
「はい。ご迷惑おかけしました」
「いや……無理もないことだ」

 牛牧さんは、近くにあった丸椅子に腰かけ、蟹田さんの方を静かに見つめる。僕はとりあえず、入口近くの壁際に背中をもたせかけることにした。

「蟹田さんの様子は」
「彼なら心配いらないよ。彼のことは、儂が一番よく分かっている」
「……と言うのは?」
「真智田くんには話していなかったか。蟹田くんはね、儂が前の病院から連れてきた子なのだ」
「え、そうだったんですか?」

 それは初耳だった。てっきり、自ら移住してきたか、元からここに住んでいたかだと思っていたのだが。

「彼の病は、所謂不治の病でね。現在の医療技術では、治療法がないのだよ。以前の病院で、蟹田くんを担当していた儂は、こちらへやって来た後も彼のことが気にかかっていてね。どうせなら、満生総合医療センターへ移らないかと提案したんだ」
「蟹田さんは、その誘いに乗ってくれたんですね」
「そういうことだ」

 牛牧さんと蟹田さんの間には、古くからの繋がりがあったわけだ。なるほど、こうして蟹田さんを気にかけているのも頷ける。

「しかし、心配なのは理魚ちゃんの方だな。どうしてこんな真似をしたのか、はっきりした理由があるのかも分からない。精神疾患が酷くなってきたということなら、何とか治療にあたりたいものだが、その方面にはまだ特化出来ていないものなのでね……」
「牛牧さんにも、分かりませんか」
「どうにも、ね」

 可能性として挙げられるのはやはり、精神疾患による突発的なもの……くらいなのか。

「念のため、屋上の扉は施錠した。また、危険な行動をしなければいいのだが……」
「……ですね」

 しばらくは、注意深く様子を見ておく必要がありそうだ。

「蟹田さんは、牛牧さんがいるんだし、心配ないですね。……じゃあ、そろそろ行きます」
「ああ、ではまた。早く帰って、ご両親を安心させてあげなさい」
「はは……ありがとうございます」

 ご両親を安心をさせてあげなさい、か。少しだけ、胸がチクリと痛んだ。
 そのことは、もう乗り越えたはずなんだ。ここへ来て、きちんと整理できたはずなんだ。
 牛牧さんに別れを告げて、僕は次に、理魚ちゃんの病室へ向かった。二〇五号室なので、一つ下の階だ。
 階段で二階に下り、目的の部屋を目指す。今更ながら、ナースステーションには看護師が誰もおらず、廊下は閑散としていた。患者が大体帰ってしまって、人員がそれほど必要でなくなったのかもしれない。
 病室の前までやって来た僕は、さっきと同じように、室内に人の気配を感じて立ち止まった。……扉は開いていないけれど、確かに足音が聞こえる。

「…………」

 中は確かめようがない。ノックしてみてもいいけれど、もし理魚ちゃんのご両親だったりしたら、迷惑になりそうだ。
 双太さんにも、家族がいたら遠慮してあげてほしいと言われていたし、今のところは引き返した方がいいかもしれない。
 扉の前でしばらく悩んで、結局僕はお見舞いをせずに帰ることにした。
 また、時間を見つけて訪ねることにしよう。
 ……そう言えば、満雀ちゃんは大丈夫だろうか。貴獅さんに今の様子だけでも、聞ければいいのだけど。
 そんなことを思っていると、待合室まで来たあたりで、ちょうど貴獅さんの姿を発見した。何をしているのだろうと気になって、近づこうとしたのだが、彼の前には何人かの住民がいて、口々に非難の言葉をぶつけているのだった。
 剣呑な雰囲気に、僕は思わず身を隠してしまう。……最近、こんなことを繰り返している気がするな。

「あんた、このまま電波塔を予定通りに動かすつもりなんかい。そんなことをしたら、また祟りが起こるぞ」
「もう十分に懲りただろう。わしゃこれ以上、この街で恐ろしいことが起きるのは堪らんわ」
「貴獅さん。あんたも自分の命、家族の命は大事だろう。悪いことはいわん。あれはもう、解体しちまった方がいい」

 電波塔計画の反対派か。やはり、事件を契機に、だんだんと言動が過激になっているように思える。それほどに、鬼の祟りは恐ろしいものと認識されていっているわけだ。
 僕なら確実に怯えてしまいそうな、威圧的な台詞の数々だったが、貴獅さんは顔色一つ変えることなく、冷静に答えている。

「大切に決まっています。私は、家族を大切に思っている。だからこそ、満生塔を稼働させなくてはならないんですよ」
「何を言うとるんじゃ、あんたは」
「あの塔は、この街の『満ち足りた暮らし』に不可欠なんです。……祟りなどという幻想に、振り回されるわけには、いかない」
「幻想? 現に不吉なことばかり起きとるじゃないか」
「それが祟りというのが、幻想だと言っているんです。……もう、いいですか」
「……ふん、いけ好かん奴だのう」
「祟りが起きてからでは、遅いんじゃぞ」

 説得は無理だと判断したのか、老人たちは割合あっさりと引き下がって、まとまったまま帰っていった。その後ろ姿からすぐに目を逸らし、貴獅さんはつまらなさそうに、溜息を吐くのだった。

「……君か、真智田くん」

 不意打ちだったので、僕は心臓が止まりそうなほど驚いた。……貴獅さんは、僕が陰で見ていたことに気付いていたらしい。

「あの……すいません。取り込み中みたいだったんで」
「構わない。……大変だったな」
「いえ……ご迷惑おかけしました。もう良くなったんで、帰ろうと思います」
「そうか。気をつけて帰りなさい」

 全く、感情の読めない人だ。どんなことを考えながら、僕にそんな言葉を掛けているのだろうか。頭の中を覗いてみたい、なんて思ってしまう。

「貴獅さん。満雀ちゃんの体調は……どうです?」
「……夏だからな。暑さにやられているだけだよ、すぐに良くなる」
「それなら良かったです。早く元気になってまた遊ぼうって、伝えておいてくれませんか?」
「分かった。きっと満雀も喜ぶ」
「お見舞いは……駄目なんですよね?」
「ああ。ちょっとしたことでも、今のあの子には悪影響だ。良くなってからにしてほしい」
「……了解です」

 悪影響とまで言われてしまっては、これ以上我侭をいう訳にもいかないな。

「……ああ、そうだ。忘れてました。最後に、一つだけ」
「何だね」
「もうすぐ、道路は復旧しますか?」
「……」

 今度は、貴獅さんが驚く側のようだった。

「……ああ。すぐに業者が来る。天気も良くなったのだしな。もうしばらくの辛抱だ」

 少しだけ口元を手で覆った後に、彼はそう言う。しかし、その言葉が真実を語っているとは、僕には思えなかった。

「……そうですか。良かったです」

双太さんは、稼働式典を潰したくないがために、外部の人間を入れたくないのだろうと予想していた。本当に式典のためかは分からないが、確かに貴獅さんは、村に部外者を入れまいとしているようだ。

「すいません、お時間とらせてしまいました。……では」
「お大事に」

 平静を装いつつ、僕は貴獅さんから離れていく。彼はもう、僕を気にしてはいなかった。
 こうして僕は、一日以上を過ごすことになった病院を、ようやく抜け出したのだった。





 家に帰るなり、僕は両親から手厚いもてなしを受けることになった。父さんには、心配させるんじゃない、というお説教染みた安堵の言葉を貰い、母さんにはそっと抱き締められたのだった。普段は落ち着き払った二人の、そんな行動に、僕は思わず涙が出そうになってしまった。
 双太さんから簡単に経緯は説明されていたようだが、改めて僕の口から昨日の一部始終を話すことになり、僕はリビングでテーブル越しに両親と向かい合って、なるべく分かりやすくなるように努めながら語った。
 理魚ちゃんが最後に飛び降りたところが、妹の最期と重なったことも、迷った末、正直に話すことにした。それが気を失った原因というのを聞いて、両親は重い溜息を吐き、緩々と首を振るのだった。

「……大変だったな」
「ううん。もう、全然問題ないよ」
「なら、いいんだけど」

 母さんは、目を涙ぐませて言う。そんな顔をしてほしくなくて、僕は問題ないんだって、と念を押した。

「ここへ来て、気持ちも切り替えられたところだったんだが」
「そうだね。ここでのんびり過ごせるようになって、昔のことに胸を痛めたりはしなくなったよ。昨日のことは、ちょっとびっくりしたけど……大丈夫」
「……そうか」

 父さんは、一瞬だけ苦い表情になったが、すぐにそれを隠すように、顔を背けながら呟いた。

「……あの日、お前には一度言っておいたが……」
「……うん」
「お前は、真智田玄人。正真正銘、俺たちの息子だ。そこにどんな過程があろうと、今ある事実と、俺たちの気持ちは、決して変わらない」
「……うん」

 ありがとう。父さん、母さん。
 僕はこれからも、真智田玄人として、生きていくんだ。
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