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Eighth Chapter...7/26

鬼の歴史

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「鬼の伝承がいつからあったのかは、正直言えば私にも定かじゃない。どうやら百年以上は前に遡るようだが、どうもその時代には、はっきりとしたカタチがなかったようなんだ。村には三匹の鬼がいて、信心を忘れた者を懲らしめる、という曖昧なものだったんだよ。それが、具体的な話になって村中に知られるようになったのは、私がまだほんの小さなころだった、昭和二十五、六年くらいか。こう見えても、私はまだ七十二歳だ。君のような子からしたら、年寄りは皆同じに見えるかもしらんがね。
 君はもう高校生だから、第二次世界大戦は分かると思うけれど、三鬼村のような辺境の地でも、赤紙や金属類の回収といった苦しみは変わらなくてね。日に日に少なくなっていく若者達、そして食料、生活必需品……節約に節約を重ねた暮らしでさえ、とてもじゃないが耐えきれないような、恐ろしい日々が続いたものだ。おまけに、この場所が何かに利用出来ないかと、兵隊さんが入り浸っていた時期もあった。全く、こんな小さな、ささやかな村くらい、放っておいてくれればよかったものを。戦争の魔の手は、誰一人として逃がしてはくれなかったんだ。酷い話さ。
 長い戦争は、昭和二十年にようやく終わった。だが、苦しい生活はまだまだ終わることがなかった。当たり前だね、食べ物も資材も、全てを戦争に費やした国が負けたんだから、それがすぐ、元に戻ることなんてなかったんだ。必死に働こうとしても、若い者は殆どが戦死してしまって、農作物も満足に育てられない。生きていくだけ、たったそれだけのことすら困難な極貧生活に、村人たちは苦しみ続けた。ついには、村人同士の諍いが、奪い合いが起きてしまう始末だった」
「奪い合い……」

 戦争など、若い僕らには想像もつかない話だ。ただ生きることすら難しい日々なんて、今の日本とは別世界過ぎる。村人同士で争うなど、狂気の沙汰だと思ってしまいそうだが、それもきっとどうしようもないことだったのだ。世界そのものが、狂気の渦中にあったのだから。

「村人たちは、醜く争った。生き抜くためには仕方なしとは言え、その様はもう、とても村とは言えなかった。そして……そんなときだった。村に、大きな災いが降りかかったのは。
 鬼封じの池……永射さんが見つかった池があるだろう。昔はあの池から、更に村まで川が流れていた。それが何日も続いた激しい雨によって、氾濫した。大雨だけでもその当時は大変だったのに、川まで氾濫してしまったのだから、その被害は甚大だった。水害によって、農作物はほぼ全滅、蓄えなんかも当然ない。他に頼るあてすらない村人たちは、絶望のどん底に叩き落されることになったのさ。
 村人たちは、一人、また一人と、食糧難によって餓死していった。それだけじゃない、たとえ辛うじて生活できたとしても、その命を繋いでいくこともまた困難だった。……不健康な親が子供を産むことで、未熟児が増えてしまったんだ。体のどこかしらに異常のある赤ん坊たち。そんな子たちばかりが生まれてしまう悲劇が、起きてしまった。村は、壊滅といってもおかしくはなかったよ。私が生き延びられたことが、奇跡なくらいさ。
 そんなとき……誰かが言い始めた。村がこんなにも不幸に襲われるのは、我々が信心を忘れたからなのだと。村が一つの共同体であることを忘れ、争いあい、貶め合った。それがこの地の鬼を怒らせたのだとね。三匹の鬼がそれぞれに、この村に罰を与えた。だから我々はこんな目にあっているのだと、一人の村人が口にした言葉が次第に、村中に浸透していったんだ。
 村の者達は、こうして鬼の祟りをすっかり怖れることになって、怒りを鎮めるため、祈願の碑を幾つも立てた。碑と言えば、ピンときただろうけれど、それが道標の碑なんだね。鬼封じの池に行った君なら分かるだろうが、村全体であの場所が最も碑の密集している場所なんだ。鬼封じ、つまり鬼の怒り、祟りを封じるために、あそこに碑が沢山立てられたんだよ」
「……道標の碑は、本来は鎮めの石だったんですね」
「本来は、というよりも、今も、だけれどね。鬼の伝承が忘れられていくうち、村中の道端にあるその碑を、道標になっているのではと言い出したのが広まって、いつのまにか上書きされてしまっただけさ。昔話よりも、もっと現実味のある話が広まる。それは自然なことなのかもしれないが、寂しいものだよ。
 とにかく、村の人間は碑を立て、鬼の怒りを鎮めようとした。そのおかげか、翌年からは農作物も豊作で、食料も行き渡り、飢える者も未熟なまま生まれる赤ん坊もいなくなった。そんな出来事があって、三匹の鬼の祟りはすっかり、村人たちにとっての常識となったんだよ。信心を忘れ、諍いが起きては、鬼が怒って村に災いをもたらすのだと……」

 長い話を語り終え、瓶井さんはほう、と息を吐くと、ぬるくなったお茶を一口、優雅な所作で口に含んだ。

「……ありがとうございました。なるほど、鬼の祟りには、そこまで具体的なエピソードがあったんですね。というよりも、曖昧だった伝承が、村を襲った悲劇によって具体的になった……というのが正しいんでしょうか」
「そうだね。だが、きっと鬼の祟りとは、そういうものだったのだと私は思う。諍いが起きたとき、村人たちはそれをハッキリと思い知らされたのさ。もう二度と、忘れないようにとね。……今また、それが忘れられようとしているわけだけれど」
「ですね……」

 だから、また刻み込ませるために。
 祟りが、村に降りかかろうとしている……。

「瓶井さんは、永射さんが亡くなっていたあの池で、水鬼の祟りがどうとかって言ってましたよね。要するに、今話してくれた災いの一つ一つに、三匹の鬼がそれぞれ関わっていたということですか」
「ふん、中々賢いね。そう、三匹の鬼にはきちんと名前がつけられている。その鬼たちが一匹ずつ村を祟り、三つの災いが襲ったということさ。最初の鬼は、水鬼。……水と書く通り、その鬼が水害をもたらしたんだね。次に、二匹目の鬼が、餓鬼。餓えをもたらす鬼が、村を食糧難に陥れた。そして……最後の鬼が、邪鬼だ。邪な鬼……その鬼が、ヒトを狂わせ、壊してしまった」
「水鬼と、餓鬼と、邪鬼……ですか」

 それが、三匹の鬼の正体。それぞれが大きな力を持ち、水害を、飢餓を、そして狂気をもたらす……。

「鬼は、順番に罰を与えるとされている。即ち、水害の後に人々が飢餓で苦しみ、その果てに心や身体が蝕まれる……ということだ。だから、最後の鬼が祟る前に、その怒りを鎮めねば、村は狂い果てて、取り返しのつかないことになってしまうのだよ」
「邪鬼が、祟る前に」
「そうだ」

 瓶井さんは、力強く頷いた。

「邪鬼の祟りは、感染していく。というよりも、人々が邪鬼になっていくのだと言われていた。その最たる者が、未熟なまま生まれる赤ん坊さ。心身のどこかに異常があった赤ん坊は……邪鬼に憑かれていると怖れられ、そして」
「…………」

 最後まで言わずとも、その赤ん坊がどのような運命を辿るのかは、容易に想像がついた。
 それは、あまりに惨い、運命だった。

「私が、あのとき水鬼の祟りと言った理由も、これで理解は出来たかね。永射さんはきっと、水鬼に罰を与えられてしまったんだよ。電波塔計画は、鬼の怒りに触れるものだった。だからその旗手だった彼は、水鬼の祟りによって、溺れ死んでしまったんだ……」

 水害を司る鬼によって、永射さんは溺れ死ぬことになった。……確かに、鬼の伝承を信じる人間なら、そう思いたくなる気持ちは理解出来た。僕のように、どちらかと言えば現実主義な者にとっては、偶然の一致と片付けてしまうだろうが、それが必然だったのだと、瓶井さんは確信しているのだ。

「では……瓶井さんは、このまま電波塔が稼働してしまうと、もっと悪いことが起きるのだと……そう思っているんですね?」
「そうさ。きっと、餓鬼が祟る。そして、邪鬼も祟る。そうなったとき、この街はどうなるのだろうね。『満ち足りた暮らし』を掲げてきたこの街は、果たしてそれを掲げ続けていけるのだろうかね……」

 淡々と、そう話す瓶井さんに、僕は一度だけ身震いした。信じているわけではない。だけど、祟りがもしも……もしも本当で、まだ続いてしまうとしたら。僕らはいつか、かつての村人達と同じように、狂気に堕ちてしまうというのだろうか。

「出来ることなら、この伝承をまた、村中に信じてもらいたい。それで、鬼の怒りを鎮めてもらいたいものなんだがね。今や、昔話を信じるような人は少ない。そもそも、純粋な三鬼村の人間自体がもう、殆どいやしないんだ。私はもう、このまま村は祟られて、終わってしまうのだろうと半ば諦めている。この年だし、それをどうにかしようという強い気持ちはもう、湧いてこないんだよ」
「瓶井さん……」

 彼女には彼女なりに、信じるものがあって。村を不幸にはしたくないという気持ちもあって。
 けれどもう、彼女にそれを変えられるほどの力は無く。諦めることに、決めてしまった……。

「真智田くん。君は、私の話をこうして聞きに訪れてくれた。半信半疑だったとしても、その行動が私は嬉しい。……たとえ、この村に災いが起きてしまうにしても、君のように、しっかりと向き合えるような人は、無事でいてほしいものだね」
「……僕は」

 僕は、どちらなのだろう。
 そう、半信半疑だ。肯定も出来ないし、否定も出来ない。
 限りなく、現実主義者に近いと、自分では思っているけれど。
 何が真実なのか。
 僕にはまだ、決められない。

「気をつけるんだよ、真智田くん」

 瓶井さんが、目を細めてこちらを見つめる。

「かつて、三匹の鬼が現れたとき。夜空に、赤い満月が昇ったと言われている。また、赤い満月が昇るなら、そのときには……この満生台は、全ての鬼に祟られ、狂い果ててしまうのだろうからね」
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