上 下
141 / 141
【幻影回忌 ―Regression of GHOST―】

Epilogue.幻影”回帰”

しおりを挟む
「……やあ、レイジ」

 町の風景もやや秋めいてきた十月七日。
 鈴音学園ミステリ研究部には一人、アヤちゃんだけがポツンと座っていた。
 いつも通り、彼女の指定席であるパソコン前のイスに腰掛け、俺が入ってきたことに気づくと向きを変えて挨拶をしてきたのだった。

「おう……元気、ないな」
「はは。それはお互いさまだろう? 酷い顔をしている」
「まあ……な」

 ついこの間までは賑やかだったはずの部室。それが今や、すっかり様変わりしていた。
 もう二度と戻ることのない騒がしさ。懐かしくても、それは最早手の届かないものだ。
 ミス研の部長であり、騒がしさの元凶であったお天馬娘、安藤蘭は、二日前に帰らぬ人となった。強盗か通り魔か、とにかく詳細はまだ不明だが、彼女ともう一人、この学校の生徒が殺されているのが発見されたのだ。小さな町で起きた事件は、ニュース番組などで大きく報道されることもなく、情報はインターネットの真偽不確かな記事などで得るしかない状況だった。

「ずっと三人で好き勝手して、たまには友人も呼んで、尚更騒いで……なんて日々を、期待していたのだが。まだ、受け入れられないよ」
「……そだな」

 俯き加減に話すアヤちゃんに、俺は同調する。
 彼女の語るそれは、確かに幸福な夢模様だ。

「新しい情報はあるのかな。昼に見たときはまだなかったんだけど」
「ああ……少し待ってくれ」

 アヤちゃんはすぐさまインターネットを開いて検索をかけ、幾つかの情報サイトやSNSから情報を引っ張ってきた。

「……新着記事があるようだ」

 ××県鈴音町で、学生二名が殺害されているのが発見された事件で、警察は男子学生が女子学生を殺害し、その後自殺を図ったものと見て、捜査を続けている。凶器は付近に落ちていた刃渡り18センチの包丁とみられ……以降は、現場の状況についてそれなりに詳しい説明がなされていた。

「そんな……シグレが……?」
「……アヤちゃん、知ってるのか?」

 俺が訊ねると、アヤちゃんは沈痛な面持ちのまま頷く。

「ああ……あいつは、蒼木時雨は私の数少ない友人の一人だ。図書館で会って話すうちに仲良くなったのだが、どうしてあいつがランを……?」
「……俺たちの知らない何かがあったのかもな」
「シグレとランに、繋がりが……? 何か悩んでいたなら……話してくれれば良かったのに」
「悩んでいたから、言えないこともあったんじゃないかな。人って結構そういうものだし……だからランだって、あんな風に明るそうに見えて、辛そうな顔をしてるときもあった。……強がって生きている人は多いよ」
「……レイジ……」

 アヤちゃんは今にも泣きだしそうで。強くありたいと心に決めている彼女が、まさに今強がっていることも容易に分かった。
 だから、そっと彼女の肩に手を置く。

「……アヤちゃんもあんまり強がるなよ。俺も辛いし、アヤちゃんも辛いんだ。強くいようとか今は思わなくていいから……痛みはお互い分け合おう」
「……はあ。お前は強いよ、レイジ」

 顔を背けてから、俺に見えないよう涙を拭って、アヤちゃんは弱々しく微笑む。

「ありがとう」
「……ああ」

 お前がいてくれて――と、彼女は小声で呟いたのだが、それ以上は聞き取れなかった。
 少し顔が赤らんでいたのは、涙のせいだろうか。
 そんな顔をあまり見られたくもなかったようなので、俺は部室を去ることにした。
 見て回りたいところは他にもあったから。
 じゃあ、と一言だけ告げて、扉を開く。
 背中越しにアヤちゃんは、またなと声を掛けてくれた。





「……おう」

 部室を出て、渡り廊下に出ようとしたところで、ソウヘイに出くわした。
 彼の後ろにはもう一人、女の子の姿がある。……妹のモエカちゃんだ。

「ソウヘイ。わざわざこっちまで?」
「まあ、なんだ……やっぱり心配だからな。あ、アヤちゃんがだぞ? お前も相当疲れた顔してっけど」
「……はは、ありがとう」

 素直じゃないな、と内心思いつつ、俺は感謝の言葉を述べた。
 ありがたい親友だな、こいつは。

「モエカちゃんはもう大丈夫なのか?」
「え……えっと、うん。まだ体は重い感じだけど、生活は問題ないかなと」
「そりゃ良かった。ソウヘイも、随分心配してたからな」
「余計なこと言うなっての。全く、自分探しの旅に出た挙句、辺境の村で体壊して療養してたなんて、普通信じられねえぜ」
「……はあ」

 長い間行方不明だったモエカちゃんは、数日前にひょっこり西条家へ戻ってきたらしい。
 今しがたソウヘイが言ったような胡散臭い言い訳をして家族を困らせたそうだが、とりあえず戻ってきたことに今は安堵しているとのことだ。
 これから少しずつ問い質され、事情を打ち明けねばいけなくなるのだろう。……どこまで信じてもらえることやら。

「あの、レイジさん。元気出してくださいね。お兄ちゃん、こんなだけど……多分私のときより心配してるから」
「あのな。そんなワケ……って否定するとそれはそれで……ううん」

 俺を心配していたことを否定すると、妹の心配をしていたことになる。ツンデレなソウヘイはどちらも認めたくないようで、ジレンマに苦しんでいる様子だった。

「はいはい、兄妹コントはそこまで。ホントありがとな、二人とも」
「……ああ。早く元気になってくれよ」
「分かってるさ」

 アヤちゃんの様子も見てくるとソウヘイが言うので、俺はそのまま彼らと別れた。
 二人がもう二度と悪しき魔の手にかからないことを、ただ祈る。





 廊下でテンマくん、チホちゃんの二人とすれ違う。他の友人たちと会話をしていたので、二人は軽い会釈だけをしてくれた。俺も同じように返してから、屋上へと向かう。
 立入禁止にはなっていたが、鍵も掛かっていないので昼食を屋上でとる生徒も多い。当然ながら人気はないので、一人になるには最適な場所だった。
 ……ここまで来て、ようやく俺は肩の力を抜ける。

「……はぁ」

 小さく溜め息。ちょっとした演技でしかなかったのに、こうも疲れるものだとは。
 実のところ、もう少し上手くやれるものだと甘く見ていた。……そんなわけはないのだな。
 きっと、あいつだって……何度も繰り返し、上達していったのだ。
 ……こんなに色々変わったのに、世界は何も変わらない。
 何かが一つや二つ欠け落ちたところで、世界は何事もなく進んでいくのだ。
 元は無くならなかったはずのもの。或いは無くなっていたはずのもの。
 それらは誰の記憶にも残ることなく……いや、そもそも存在することなく、上書きされていく。

「……馬鹿野郎。あれだけのシナリオを作っておいて……忘れてたなんて言わせねえぞ。魂が消えたら一つに戻ることは、分かってたはずだろ」

 彼が辿った軌跡。
 彼が作った物語。
 それらが綺麗さっぱり無かったことにされたとしても……俺の魂には、何もかもが還元されている。
 だから。

「……絶対に、忘れたりしねえからな。お前は……俺の親友だ」

 ……シグレ。


 全ては回帰し、世界は穏やかに続いていく。
 その裏で置き去りにされた何かがあったとしても。
 だからただ一人、それを知っている俺だけは、忘れてはいけない。
 俺たちがどんな物語を作り上げたのか、それを忘れてはいけないのだ。

 この長い長いお話の最後にも、彼は一つのタイトルを付けた。
 それは、俺たちの物語を表すのに、本当に相応しいタイトルだった。
 この長い旅路を決して忘れずに。
 心の中に刻み続けるための、名前。

 遺された本には、こう記されていた。
 ――幻影回忌、と。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
それこそが、赤い満月へと至るのだろうか―― 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 更なる発展を掲げ、電波塔計画が進められ……そして二〇一二年の八月、地図から消えた街。 鬼の伝承に浸食されていく混沌の街で、再び二週間の物語は幕を開ける。 古くより伝えられてきた、赤い満月が昇るその夜まで。 オートマティスム、鬼封じの池、『八〇二』の数字。 ムーンスパロー、周波数帯、デリンジャー現象。 ブラッドムーン、潮汐力、盈虧院……。 ほら、また頭の中に響いてくる鬼の声。 逃れられない惨劇へ向けて、私たちはただ日々を重ねていく――。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

【連作ホラー】伍横町幻想 —Until the day we meet again—

至堂文斗
ホラー
――その幻想から、逃れられるか。 降霊術。それは死者を呼び出す禁忌の術式。 歴史を遡れば幾つも逸話はあれど、現実に死者を呼ぶことが出来たかは定かでない。 だがあるとき、長い実験の果てに、一人の男がその術式を生み出した。 降霊術は決して公に出ることはなかったものの、書物として世に残り続けた。 伍横町。そこは古くから気の流れが集まる場所と言われている小さな町。 そして、全ての始まりの町。 男が生み出した術式は、この町で幾つもの悲劇をもたらしていく。 運命を狂わされた者たちは、生と死の狭間で幾つもの涙を零す。 これは、四つの悲劇。 【魂】を巡る物語の始まりを飾る、四つの幻想曲――。 【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】 「――霧夏邸って知ってる?」 事故により最愛の娘を喪い、 降霊術に狂った男が住んでいた邸宅。 霊に会ってみたいと、邸内に忍び込んだ少年少女たちを待ち受けるものとは。 【三神院幻想 ―Dawn comes to the girl―】 「どうか、目を覚ましてはくれないだろうか」 眠りについたままの少女のために、 少年はただ祈り続ける。 その呼び声に呼応するかのように、 少女は記憶の世界に覚醒する。 【流刻園幻想 ―Omnia fert aetas―】 「……だから、違っていたんだ。沢山のことが」 七不思議の噂で有名な流刻園。夕暮れ時、教室には二人の少年少女がいた。 少年は、一通の便箋で呼び出され、少女と別れて屋上へと向かう。それが、悲劇の始まりであるとも知らずに。 【伍横町幻想 ―Until the day we meet again―】 「……ようやく、時が来た」 伍横町で降霊術の実験を繰り返してきた仮面の男。 最愛の女性のため、彼は最後の計画を始動する。 その計画を食い止めるべく、悲劇に巻き込まれた少年少女たちは苛酷な戦いに挑む。 伍横町の命運は、子どもたちの手に委ねられた。

この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
 幾度繰り返そうとも、匣庭は――。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。 舞台は繰り返す。 三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。 変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。 科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。 人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。 信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。 鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。 手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

JOLENEジョリーン・鬼屋は人を許さない 『こわい』です。気を緩めると巻き込まれます。

尾駮アスマ(オブチアスマ おぶちあすま)
ホラー
ホラー・ミステリー+ファンタジー作品です。残酷描写ありです。苦手な方は御注意ください。 完全フィクション作品です。 実在する個人・団体等とは一切関係ありません。 あらすじ 趣味で怪談を集めていた主人公は、ある取材で怪しい物件での出来事を知る。 そして、その建物について探り始める。 怪異と共にその物件は関係者を追ってくる。 物件は周囲の人間たちを巻き込み始め 街を揺らし、やがて大きな事件に発展していく・・・ 事態を解決すべく「祭師」の一族が怨霊悪魔と対決することになる。 読みやすいように、わざと行間を開けて執筆しています。 もしよければお気に入り登録・投票・感想など、よろしくお願いいたします。 大変励みになります。 ありがとうございます。

閲覧禁止

ホラー
”それ”を送られたら終わり。 呪われたそれにより次々と人間が殺されていく。それは何なのか、何のために――。 村木は知り合いの女子高生である相園が殺されたことから事件に巻き込まれる。彼女はある写真を送られたことで殺されたらしい。その事件を皮切りに、次々と写真を送られた人間が殺されることとなる。二人目の現場で写真を託された村木は、事件を解決することを決意する。

この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
――鬼の伝承に準えた、血も凍る連続殺人事件の謎を追え。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 巨大な医療センターの設立を機に人口は増加していき、世間からの注目も集まり始めていた。 更なる発展を目指し、電波塔建設の計画が進められていくが、一部の地元住民からは反対の声も上がる。 曰く、満生台には古くより三匹の鬼が住み、悪事を働いた者は祟られるという。 医療センターの闇、三鬼村の伝承、赤い眼の少女。 月面反射通信、電磁波問題、ゼロ磁場。 ストロベリームーン、バイオタイド理論、ルナティック……。 ささやかな箱庭は、少しずつ、けれど確実に壊れていく。 伝承にある満月の日は、もうすぐそこまで迫っていた――。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

処理中です...