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【幻影回忌 ―Regression of GHOST―】
32.さよなら
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「……僕が作ったお話だ」
長い沈黙の後、半ば独白のようにシグレは語り始めた。
自らの思いを。果てなき旅路を。
「長い時間をかけ、何度も試行錯誤を繰り返して。そして、作り上げたお話。誰もそうとは知らずに与えられた役割を演じ続ける、そんな風に仕組まれた、綺麗な物語だった。
何度も読んだ。それが幸せだった。僕がその物語にいられることが……蒼木時雨の役でいられることが、僕のただ一つの幸せだったんだ」
幸せ。
こんなにも苦しい物語の中で、それでも蒼木時雨を演じられることを幸せだと語る彼は。
「……なあ、シグレ。本当に、ただそれだけのために? 想像もつかないような苦労と苦痛を何度も繰り返して、それが……ただ、そんな目的のためだなんて」
「レイジは、善人だからそう思ってくれる。そういうことだよ。僕はね……悪人だから。二つに割かれた、悪い部分の魂だから。ただ求めるもののために……どこまでも、悪人になることができたんだ。幸せを感じていられたんだ」
善と悪。勿論魂魄ゲノムの種類が多岐に亘っていたように、人間の性質を二つに大別することは難しい。
けれど、少なくともアツカは、零号を魂魄分割する際、善悪の配分を偏らせたのだ。本人にとっては遊び心だったのかもしれないが……それは俺たちを、というよりシグレを苦しめた。地獄のような苦しみに苛まれていた……。
「お前が何度も時間を巻き戻し、この数週間を『完璧な物語』にしたのは……俺と一緒にいたかったから……」
「……ふふ、それが正解。良かった……ちゃんと言ってくれたね、レイジ」
ああ、本当に。
それだけが、彼にとっての。
「そう。僕は……君と、一緒にいたかった。君の近くで、君を見ていたかったんだ。もう一人の僕はとても眩しく、君といられるだけで、僕は足りない心を満たすことが出来たから……」
「……分割された魂魄は、互いが近づくほど元の魂魄に近くなる。お前は俺といるときにだけ、自分の中の悪を忘れられたんだな」
シグレはゆっくりと頷く。
理解してくれたことを、心から嬉しく思っているようだった。
彼は、自らの中で勝手に萌芽してゆく悪を。
俺といることによって、鎮めることができていたのだ。
翻って言えば、俺といないときの彼は悪に侵され続けていた……。
「そのためにどれだけの悪行を重ねたか、分からないほどだけれどね。悪を忘れるために、僕は悪の限りを尽くしたんだ……はは、僕に相応しいね?」
自虐的な、乾いた笑い声がホールに響く。一頻り笑ってから、シグレは片手で顔を覆った。
「だからこそ僕は。君が京極敦花の後ろにいる朗読者……つまり僕に気付いたそのときには、僕が重ね続けて来た罪の全てを認めて……償おうと決めていたんだ。そして、ようやくその時が来た。君に全てを暴かれ、悪役として物語を締め括るその時がね」
「初めから、そのつもりだったのか? それが相応しい終わりだと、思い続けて今日まで? そんなのってあるかよ……なんて、報われない」
その言葉には、彼は違うと首を振った。
「……報われていたさ。君は素敵な探偵で、僕はそれを隣で見守る助手でいられたんだから。そんな物語を作れたから……物語の中で生き続けられたから……僕は幸せだった。もう、十分だ」
「シグレ!」
伝う涙が見えて。
慌てて近づこうとして……足が進まないことに気付く。
手を伸ばそうとして……腕が上がらないことに気付く。
次第に、視界もぼやけていく。
ああ……この魂は。
こんなにも、脆く。
「僕もレイジも、もうすぐ消える魂なんだ。それが嫌で……僕はこの果てなき物語を始めた。君は……実は初めから、勝っていたんだよ。君は黒影館で、アツカを追い詰めていたんだ。ただ、嫌だった……僕がそれで終わらせたくなかった。だから、君と一番長くいられるように、僕はこの物語を作ったんだ。……ごめんね、レイジ」
謝るんじゃ、ねえよ。
口だけが、虚しく動く。
あんなに近くにいたのに。
もう、こんなにも遠い。
「何度もコンティニューしたゲームも、これで終わりだ。それが最初の約束。君は全てを忘れ、元通りの世界を生きる……それで物語はカーテンフォールだ」
ゆっくりと、ライトは消えていき。
全ての景色もまた、同じように、闇の底へと沈んでいく。
そんな、抗いようのない世界の終の中で、
最後の言葉だけが、
強く、
強く、響いたように思えた。
――さよなら。
長い沈黙の後、半ば独白のようにシグレは語り始めた。
自らの思いを。果てなき旅路を。
「長い時間をかけ、何度も試行錯誤を繰り返して。そして、作り上げたお話。誰もそうとは知らずに与えられた役割を演じ続ける、そんな風に仕組まれた、綺麗な物語だった。
何度も読んだ。それが幸せだった。僕がその物語にいられることが……蒼木時雨の役でいられることが、僕のただ一つの幸せだったんだ」
幸せ。
こんなにも苦しい物語の中で、それでも蒼木時雨を演じられることを幸せだと語る彼は。
「……なあ、シグレ。本当に、ただそれだけのために? 想像もつかないような苦労と苦痛を何度も繰り返して、それが……ただ、そんな目的のためだなんて」
「レイジは、善人だからそう思ってくれる。そういうことだよ。僕はね……悪人だから。二つに割かれた、悪い部分の魂だから。ただ求めるもののために……どこまでも、悪人になることができたんだ。幸せを感じていられたんだ」
善と悪。勿論魂魄ゲノムの種類が多岐に亘っていたように、人間の性質を二つに大別することは難しい。
けれど、少なくともアツカは、零号を魂魄分割する際、善悪の配分を偏らせたのだ。本人にとっては遊び心だったのかもしれないが……それは俺たちを、というよりシグレを苦しめた。地獄のような苦しみに苛まれていた……。
「お前が何度も時間を巻き戻し、この数週間を『完璧な物語』にしたのは……俺と一緒にいたかったから……」
「……ふふ、それが正解。良かった……ちゃんと言ってくれたね、レイジ」
ああ、本当に。
それだけが、彼にとっての。
「そう。僕は……君と、一緒にいたかった。君の近くで、君を見ていたかったんだ。もう一人の僕はとても眩しく、君といられるだけで、僕は足りない心を満たすことが出来たから……」
「……分割された魂魄は、互いが近づくほど元の魂魄に近くなる。お前は俺といるときにだけ、自分の中の悪を忘れられたんだな」
シグレはゆっくりと頷く。
理解してくれたことを、心から嬉しく思っているようだった。
彼は、自らの中で勝手に萌芽してゆく悪を。
俺といることによって、鎮めることができていたのだ。
翻って言えば、俺といないときの彼は悪に侵され続けていた……。
「そのためにどれだけの悪行を重ねたか、分からないほどだけれどね。悪を忘れるために、僕は悪の限りを尽くしたんだ……はは、僕に相応しいね?」
自虐的な、乾いた笑い声がホールに響く。一頻り笑ってから、シグレは片手で顔を覆った。
「だからこそ僕は。君が京極敦花の後ろにいる朗読者……つまり僕に気付いたそのときには、僕が重ね続けて来た罪の全てを認めて……償おうと決めていたんだ。そして、ようやくその時が来た。君に全てを暴かれ、悪役として物語を締め括るその時がね」
「初めから、そのつもりだったのか? それが相応しい終わりだと、思い続けて今日まで? そんなのってあるかよ……なんて、報われない」
その言葉には、彼は違うと首を振った。
「……報われていたさ。君は素敵な探偵で、僕はそれを隣で見守る助手でいられたんだから。そんな物語を作れたから……物語の中で生き続けられたから……僕は幸せだった。もう、十分だ」
「シグレ!」
伝う涙が見えて。
慌てて近づこうとして……足が進まないことに気付く。
手を伸ばそうとして……腕が上がらないことに気付く。
次第に、視界もぼやけていく。
ああ……この魂は。
こんなにも、脆く。
「僕もレイジも、もうすぐ消える魂なんだ。それが嫌で……僕はこの果てなき物語を始めた。君は……実は初めから、勝っていたんだよ。君は黒影館で、アツカを追い詰めていたんだ。ただ、嫌だった……僕がそれで終わらせたくなかった。だから、君と一番長くいられるように、僕はこの物語を作ったんだ。……ごめんね、レイジ」
謝るんじゃ、ねえよ。
口だけが、虚しく動く。
あんなに近くにいたのに。
もう、こんなにも遠い。
「何度もコンティニューしたゲームも、これで終わりだ。それが最初の約束。君は全てを忘れ、元通りの世界を生きる……それで物語はカーテンフォールだ」
ゆっくりと、ライトは消えていき。
全ての景色もまた、同じように、闇の底へと沈んでいく。
そんな、抗いようのない世界の終の中で、
最後の言葉だけが、
強く、
強く、響いたように思えた。
――さよなら。
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