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【幻影鏡界 ―Church of GHOST―】

26.ブレーンワールド

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 資料室は、実験室のちょうど反対側に位置していた。そのため俺たちはまた、長い廊下をひたすら歩く必要に迫られた。
 合鍵で扉を開くと、中には既視感のある光景が待っていた。黒影館の資料室とほぼ変わらない設え。

「……流石、ここも本だらけだな」 
「これでも、黒影館よりは小さいよ。ヒカゲ班の本部なんかとは比べものにならないし……」
「……本部?」
「ああ、いや。……そこも閉鎖済みだけどね」
「……そうなんですか」

 ヒカゲさんの失踪によってか、はたまたそれ以前の問題だったのか、とにかくGHOSTは鈴音町から撤退しているようだ。ならば何故ランは、とも思ったが、要するに彼女はヒカゲさんの置き土産を奪取するために単独行動しているのだろう。
 何となく組織という枠組みから逸脱する行為に見えるし、個人的な執着がそこにはある気がする。

「まあ、とりあえず片っ端から調べていきましょうか。何か重要なことが分かると期待して」
「そうだな……頑張ってみるか」

 如何に黒影館より狭いとはいえ、相当数の本があるのだし骨が折れるだろうが、それでもやるしかない。
 俺たちは三人で手分けしながら、有益な情報が眠っていないかを探し始める。

『記憶世界と呼ばれていたものは、魂魄が発するパルス信号によるものであるとの見解で一致しており、信号の強度によってその領域や精度にも差異が生じる。小規模ではあるが以前より投資を続けており、今後も魂魄関連の研究と平行し、既存の施設を利用しながら研究を行っていく方針は変わらない』

 記憶世界というのは初めて目にする単語だ。文章から類推するに、夢の中みたいなものだろうか。脳の処理がパルス信号というのは聞いたことがあるが、その根源に魂魄を持ってきた感じなのだろう。
 きっと残留思念というやつは、GHOSTに言わせればこの記憶世界なのに違いない。
 怪しげな資料は他にもちらほらあった。GHOSTの関与していない自然発生的な降霊術の事例や組織内で決定された専門用語の一例、人間が保有できる知識量の検証などなど。こんなものが書店にでも並んでいたらネタにされること間違いなしだが、恐ろしいことにこれは実際に研究、調査のなされたものなのだ……。

「……あれ」

 ふと、本の背表紙の中に見覚えのある羅列を発見する。
 それは、京極秀秋という名前だった。
 どうやら彼の著書が参考書籍として置かれているらしい。物理学の権威なので、研究を進める上で役立てることがあるのかもしれないが。

「……もしかして、この人もGHOSTの研究員だったりします?」
「いや、あの人はオカルト否定派だったからね、こんな世界は存在しないと今でも考えているはずだよ。僕は心苦しいと思いながらも、あの人の元を離れたんだ」
「現実と超現実。対立してしまったんですね……」

 だけど、とマキバさんは呟く。

「それでもヒカゲさんと京極さんは、どうしてか気があったんだ。多分、純粋に科学的な議論でも、ヒカゲさんが優れていたからだろうけど……」
「ヒカゲさんが?」
「うん。あの人は、京極さんとはオカルティックな話をしなかったから。京極さんも、ヒカゲさんのそういう面を見ずに関係を築いていたんじゃないかな」
「へえ……」

 ヒカゲさんと親交の深かった人、か。
 著書も複数ある著名人なわけだが、機会があれば一度会ってみたいものだ。

「鈴音学園にも今度、来るんだろう?」
「ああ……そう言えば」
「講演会、ですっけ」

 学校の掲示板に貼り出されていたお知らせ。
 一角荘への誘いが印象的過ぎたので忘れていたが、あの中に講演会についての掲示物もあったはずだ。
 鈴音学園創立者、京極秀秋氏の講演会が十一月に開かれるのだと。

「……あの学校の創設に関わったのも、きっと地元であることの他に、ヒカゲさんとの交友があったからかもしれないなあ」
「仲が良かったんですね」
「実は、僕は鏡ヶ原の実験から三か月経った頃、一度だけ京極さんに会ったんだ。そのとき京極さんが、ヒカゲさんに何かあったのかって僕に訊ねてきたんだよね……」

 黒影館の中で、俺たちはヒカゲさんの後悔を目にしてきた。特に『我が罪に』と刻まれた石碑と、それに連動していた暗号だ。
 京極さんと会ったその頃は、きっと大きな悔恨に囚われていた頃なのだろうが……。

「流石に詳しくは答えられなかったけど、仕事で失敗したんですって曖昧に話したら、ヒカゲに不思議な議論を吹っ掛けられたと……あんなのは初めてだと返されたよ」
「どんな議論だったんです?」
「……まあ、簡単に言ってしまえば『次元について』だったそうだ」
「じ……次元、ですか?」
「そう。二次元とか三次元とか言うときの次元さ」

 急にその単語が出てきただけでも、ヒカゲさんの話が不思議なものだったことは分かる。
 仕事の悩みを話していると思ったら次元の話になっていたとは、学者だったとしてもそうそう無いことだろう。

「二人は、ブレーンワールドという言葉を知ってるかい?」
「……超弦理論が関係してましたっけ」
「はは、もしかしたらヒカゲさんから聞いたかな。まあ、ブレーンワールドはその超弦理論によって存在が仮定された高次元の概念が前提となっていてね。直訳すると『膜の世界』というように、世界を、時空を一つの膜に見立てた説のことだ。そして高次元には、そうした世界、つまり膜が幾つも存在しているんじゃないか、と考えられたりもするんだよ」
「はあ……?」

 難解な用語ばかりの説明を理解出来ず、シグレが首を傾げる。それを見てマキバさんは苦笑しながら、

「分からなくても仕方ないさ。そうだなあ……例えば、二次元の世界に存在する人間を想像してみてくれるかな。平面世界にいるその人は立体の世界、三次元の概念を認識することができるだろうか?」
「……世界が平面でしかないのなら、三次元は行くことも、ましてや見ることもきっとできないでしょうね」
「うん。一つ上の次元は、低次元の存在とはまさに世界が違うんだ。だから高次元という存在を仮定するとき、同時に新たな世界を仮定しなくてはいけない。その中で、ブレーンワールドという『膜一枚超えた先の世界』が提唱されたのさ」
「この次元に生きる俺たちが知ることのできないはずの世界……」
「……あくまでも、量子力学上の仮説、ではあるんだけどね」

 分かったような分からないような。つまりブレーンワールドとは、膜のような何かが次元と次元の間にあって、低次元の存在は膜の向こう側を知ることができないと、そういう例え話みたいなものという認識でいいだろうか。

「でも、そう考えるとなんだか……僕らが今閉じ込められている霊空間みたいなものも、そんな感じがしますよね」
「ははあ、シグレくんも鋭いね。実のところ、僕もまさしくそんな印象を抱いてはいるんだけどね。まあ、残念ながらそれには何の証拠もないんだ」
「そうなんですか……」

 でも、とシグレはまた首を傾げる。

「どうしてヒカゲさんは、そんな仮説について議論してたんでしょう。突然されたら専門家でも面くらうような話を……」
「……それについては、京極さんもちゃんと聞けなかったらしいけど。ヒカゲさんはこう話していたそうなんだ。後悔していることがあるから……と」
「……やっぱり、鏡ヶ原の罪か」
「黒影館に残されていた通り……なんですね」
「でもまあ、それがどうして次元の話になったのかは結局分からないけれど」

 京極秀秋さんならば、何か思い至れていたのだろうか。
 もしも何らかの仮説が浮かんでいたならば。是非ともそれを教えてほしいところだ。
 会ってみたい。その思いは一層強くなる。
 京極さんに、彼の知るヒカゲさんの全てを教えて欲しかった。
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