上 下
83 / 86
Fifteenth Chapter...8/2

家族を守ること

しおりを挟む
 さっきは見かけなかった住民たちを、ちらほらと見かけるようになった。
 その人たちは皆、私と同じ場所を目指している。
 ばれないように遠くを歩いているのだが、離れたところからでも目の色は分かる。
 半ば生気を失ったように歩く彼らの目は、赤く充血していた。
 集会場に辿り着いたときには、ちょうど二人ほどお年寄りが中へ入っていくところだった。
 後続がいないことを確認し、私はひっそりと侵入する。
 真ん中にある広いホールへ繋がる扉は複数あるので、とりあえずトイレかどこかへ隠れ、会が始まったところで様子を見れば危険は少ないはずだ。
 壁に掛けられた時計をちらと見たが、時刻は一時。会が始まるのは一時半だったか。定刻になったとき、果たしてどうなるのやら。ただ穏やかに話し合うだけならいいのだけれど……。
 端の方に荷物置き場のようなスペースがあったので、身を隠しつつ人の行き来を注視する。精神の削られる時間ではあったが、ニ十分ほどで新しい人は来なくなった。
 もうそろそろ、始まる頃か。

 ――よし。

 正面からなるべく離れた扉を少し開け、中の様子を伺うことに決めた私は、荷物置き場から移動を始めようとした。
 しかし、そのタイミングでふらりと、一人の人物が集会場に入ってくるのが見えた。
 隠れないと、と一瞬慌てたのだが、その人物は私のよく知る女性であり、他のお年寄りたちとは明らかに違う存在だった。

「羊子さん……?」

 やって来たのは、満雀ちゃんのお母さんだったのだ。
 羊子さんは私に気付かず、ふらふらと進んで会場の中へ入っていく。少しの間だけ開いた扉の向こうからは、どよめきが聞こえてきた。
 私は混乱しつつも、とにかく事態がどう進むのかと別の扉を細く開き、中を覗く。
 羊子さんは沢山の人々に囲まれる中、何かを話していた。

「……この集会の目的を教えてください。どうして貴方たちは、そこまで病院を目の敵にするんですか?」

 病院への不信感から、入院していた人たちが自宅療養に切り替え始め、遂には病院が閉鎖に追い込まれたというのは聞いている。羊子さんはその抗議、というか真意を聞きたくて乗り込んできたのか。
 ただ、それだけでは動機として弱い気がするけれど。
 住民たちも、集会の場にいきなり病院側の人間が来たものだから、困惑しながらも至極全うな受け答えをしていた。電波塔計画は当初より反対であり、その計画を病院が引き継いだことが許せないのだと。そもそも病院の運営自体にも、牛牧さんから貴獅さんへ権限の委譲が進んでいって、怪しさが増していったのだと。
 彼らの言い分は理解できる。そして彼らが感じる怪しさは、事実無根ではないのだ。
 羊子さんも正直なところ、自らの夫に対して不信感は抱いているのではないだろうか。
 その不信が日に日に増してきて、とうとう耐え切れなくなり、このような行動に至ったのかもしれない。

「皆さんは、祟りを畏れているんでしょう。私もそのことは分かります、科学的に根拠がなくても、そういう話は地方のいろんな場所でありますから」
「祟りも怖いしのう、瓶井さんが話してたように、電波が体に悪影響ってのも気になっとるんじゃよ」

 今更ながら、瓶井さんはこの集会に参加していないんだな、と気付く。あの人は、こういう集まりに参加するのには否定的なタイプに思えるし、やるなら勝手にどうぞと今は一人、家で過ごしていそうだ。

「貴方がたの中で、先日夫に暴言を浴びせた人がいるんじゃないですか。そのとき、家族の命が大事だろうというような、脅しともとれる言葉を言いませんでしたか」
「良く分からんが、それは言葉の捉え方じゃないのかね。その人は祟りや電波の問題が自分の身にも降ってくることになるかもしれんぞと言いたかったんだろう」
「では……貴方がたの中で私たち家族に危害を加えようなどと思っている人は?」
「そんなもん、おりゃしませんよ」

 目は赤く、声はどことなく荒立っている。けれども洋子さんの危惧しているようなことはないと、住民たちは頷き合う。
 そこで羊子さんは、耳を疑うようなことを口にした。

「じゃあ……満雀に何かをしようと企んでいる者は」
「……お前さん、何を言っとるのかね?」

 流石のご老人たちも、今の発言には首を傾げるしかないようだった。
 私も同じだ。なぜ、満雀ちゃんに特定してそんなことを言うのだろう……?

「じゃあ……満雀は……」

 羊子さんは、消え入りそうな声でそこまで言うと、力なくくずおれてしまう。
 お年寄りたちは苛立ちながらも、大丈夫かと声を掛け近づいていった。

「近づかないでくださいッ!」

 まるで悲鳴のように叫び、羊子さんは後退る。彼女自身は、住民たちが危害を加えると本気で怯えている様子だ。
 私も初めは心配していたが……今はむしろ、羊子さんの精神状態の方が気にかかった。
 彼女は赤目ではないのだけれど。
 何にせよ、このままではいけない。私は諦めをつけて、ホールの中へ滑るように入っていった。

「……おや、誰かね」
「あんた、もしかして……」

 ご老人方にはすぐ姿を見られてしまったが、構わず羊子さんの元へ駆けつける。そして彼女に肩を貸し――というかほとんど担ぐようにして、一緒にホールを出ていった。

「ま、待ちなさい!」

 そんな声も飛んできたが、律儀に待つわけもない。今はとにかく、この状態の羊子さんを放ってはおけなかった。
 正面扉から集会場を出て、落ち着けそうな場所を探す。ここから離れて、羊子さんを落ち着けなければ。
 ……候補があるとすれば、それは永射邸跡だ。一応あそこなら、まだ骨組みや外壁の一部は残っているし、身を隠せるだけの遮蔽物は存在していた。
 歩くこともままならない羊子さんを支え、私は永射邸跡まで何とかやってくる。早乙女さんの事件の痕跡があるため、出来る限りそれが見えない位置で羊子さんを座らせた。

「……大丈夫ですか?」
「……ええ。ごめんなさい、龍美ちゃん」

 俯いたままながら、羊子さんは私に謝罪をくれる。

「でも、どうして龍美ちゃんが……」
「それは私の台詞です。どうして羊子さん、揉めると分かっててあんな所に乗り込んだんですか」

 私が逆に訊ねると、羊子さんは更に顔を下向けて、

「……最近、何もかもがおかしいの。夫もそうだし、街の人たちも皆。私、それが本当に怖くて」
「分かりますよ。電波塔問題に、殺人事件まで起きて、街全体がピリピリしてる。貴獅さんが計画を引き継いだせいで、お年寄りたちは病院に怒りの矛先を変えてますしね」
「その怒りの言葉が、私には脅迫としか思えなかったのよ」

 羊子さんの目には、薄っすらと涙すら浮かんでいた。

「でも、本当に怖いのは家族のこと。こんなに色々ある中で、一番分からないのは夫のことなの」
「貴獅さんの……」

 恐らく、羊子さんは何も聞かされていないのだろう。電波塔計画の詳細も、その裏にある狂気の実験も。
 夫である貴獅さんを、彼女は信頼できなくなったのだ。パートナーとして信じたいのに、何一つ語ってはくれないのだから。

「夫は、私たちの未来の為でもあるのだと言い続けながら、永射さんと一緒になって良く分からない計画を進めていたわ。電波塔に関するものだったのかもしれないけれど、不可解なこともあって……本当に大丈夫なのかって、ずっと心配していたの」
「その永射さんは、水死体で発見されましたもんね」
「ええ……。私は我慢ならなくなって、夫に強く問い詰めたわ。でも、家族の為だとその一点張りだった。それからなのよ。私は……満雀に会えなくなった」
「……満雀ちゃんに?」

 私は、逃亡生活を始めてからというもの満雀ちゃんには会っていない。せめて彼女や玄人だけでも安全に過ごせていたらと思っていたのだが、母親である羊子さんが満雀ちゃんに会えないとはどういうことだろう。しかも、羊子さんの口振りからすれば、そこには貴獅さんの思惑があるように感じられる。

「夫は、満雀を守るためだとあの子をどこかへやってしまった。少し前から私は、あの子と話をすることもできなくなってしまったのよ」
「え? じゃあ、家に満雀ちゃんがいないんですか?」
「いない……のだと思うわ。どこを探しても見つからないんだもの。せめて話をさせてと言っても、取り合ってくれなくて。私もう、どうしたらいいのか……」

 満雀ちゃんが、貴獅さんによって隔離された。……いや、最早連れ去られたと言った方がいいのか?
 守るためという言葉が真実であればいいものの、WAWプログラムなどという恐ろしい実験を進める彼を信じることは、私にも難しい。
 彼はどうして満雀ちゃんを連れ去ったのだろう。もしかすると、彼には何らかの予感、予測があるのだろうか。次に命を狙われるのが満雀ちゃんだという、何かが。

「羊子さんは、あの場であえて家族の話を出すことで、満雀ちゃんの行方を知ってる人がいないかを確認しようとしたんですね」
「……そう。でも、誰も知らないみたいだった。もしかしたら、誰かに誘拐されたことを隠すために夫は嘘を吐いてるんじゃとも考えたけど、多分そうじゃないんでしょう」
「或いは、これから何かをしようとしてる人はいたかもしれませんけどね……」

 ただ、それらしい反応はなかったとして。

「満雀ちゃん、か」

 話を聞いてしまうと、その安否が気掛かりになる。
 全てを知悉しているのは、貴獅さんだけ、ということなのか。
 もどかしさに耐え切れず、拳をぐっと握り込む。
 そのとき、音が聞こえた。

「あッ――」

 音は一瞬で拡大され、とてつもない轟音となる。
 大地がうねる。立っていられないほどの大きな震動。
 昨日起きた地震と同じクラスの揺れが、私たちを襲って。
 遠くの方からは山肌が崩れ落ちる、ガラガラという別の音まで聞こえてきた。

「羊子さん……!」

 私は青褪めた顔の羊子さんに、手を差し伸べようとして。
 ぐらりと一際大きな揺れに、足を滑らせる。
 そのまま仰いだ天井に、致命的な亀裂が走り。

 ――ゴオオォン……。

 最後に聞こえたのは、そんな無機質の音だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【恋愛ミステリ】エンケージ! ーChildren in the bird cageー

至堂文斗
ライト文芸
【完結済】  野生の鳥が多く生息する山奥の村、鴇村(ときむら)には、鳥に関する言い伝えがいくつか存在していた。  ――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。  そんな恋愛を絡めた伝承は当たり前のように知られていて、村の少年少女たちは憧れを抱き。  ――人は、死んだら鳥になる。  そんな死後の世界についての伝承もあり、鳥になって大空へ飛び立てるのだと信じる者も少なくなかった。  六月三日から始まる、この一週間の物語は。  そんな伝承に思いを馳せ、そして運命を狂わされていく、二組の少年少女たちと。  彼らの仲間たちや家族が紡ぎだす、甘く、優しく……そしてときには苦い。そんなお話。  ※自作ADVの加筆修正版ノベライズとなります。   表紙は以下のフリー素材、フリーフォントをお借りしております。   http://sozai-natural.seesaa.net/category/10768587-1.html   http://www.fontna.com/blog/1706/

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

友よ、お前は何故死んだのか?

河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」 幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。 だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。 それは洋壱の死の報せであった。 朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。 悲しみの最中、朝倉から提案をされる。 ──それは、捜査協力の要請。 ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。 ──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?

この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
 幾度繰り返そうとも、匣庭は――。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。 舞台は繰り返す。 三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。 変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。 科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。 人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。 信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。 鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。 手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

母からの電話

naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。 母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。 最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。 母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。 それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。 彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか? 真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。 最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

処理中です...