この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗

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Fourteenth Chapter...8/1

託されたメッセージ

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 牛牧さんが簡易的な医療キットを手に帰ってきたのは夕方のことだった。怪しまれないよう、普段の業務は全てこなしてから来てくれたのだろう。
 テキパキと処置をしてくれる牛牧さんだったが、その表情はずっと翳りのあるままだった。
 なし崩し的に家に留まることになった私は、せめて自分に出来ることをと、危なっかしい手つきながら全員分の夕食を作った。結局八木さんは夜になっても目を覚まさなかったが。
 私もこの前はほぼ丸一日眠っていたし、最悪八木さんもそのくらいは意識を取り戻さないと思っていた方がいいだろうか。
 夜の八時。お風呂が沸いたところで、佐曽利さんの厚意もあり、私は一番に入らせてもらうことになった。それまで八木さんをつきっきりで見ていたので、気分転換のお風呂はとてもありがたかった。
 家を出るときの荷物はそのまま土砂に呑まれたし、着替えがないのは諦めるしかない。まあ、どうしてもというときはまた家へ取りに行こう。それに、そこまで長い逃亡生活にはならないはずだ。

「……はあ」

 お風呂の心地よさもあって、思わず情けない声が漏れた。
 本当に、色々なことが起きすぎて参っている。
 今の間だけは嫌なことを考えないように、と思った矢先、遠くの方から誰かが声を荒げるのが聞こえてきた。声の感じからして、あれは恐らく虎牙だ。

 ――どうしたんだろう?

 何か困ったことでも起きたのか。今までの展開が展開なので、私は気になって早めにお風呂から上がる。それから急いで体を拭き、服を着て、声のするリビングを覗きに行った。

「わっと」
「おわ、悪い」

 リビングの手前で、飛び出すように出てきた虎牙とぶつかりそうになる。慌てて左に躱すと、虎牙は謝りながらもするりと隣を通り過ぎ、自分の部屋へ戻っていった。
 やっぱり、さっきの声はあいつらしい。

「……おや、龍美ちゃん」

 リビングにいたのは牛牧さんだった。もうそろそろ帰ると話していたが、まだここにいたようだ。
 ということは、虎牙と話していたのは牛牧さんなのか。
 
「牛牧さん。今日はありがとうございました」
「いやいや、儂はほとんど何もしとらんよ。君たちこそ、危険も顧みずよく助け出せたものだ」
「あれは、考える余裕もなかっただけですけどね」

 後から振り返ってみると、連鎖的に土砂崩れが起きて巻き込まれていたら、全滅していたわけだ。他に選択肢はなかったとはいえ、確かに危険なことをしているな。

「それより、虎牙どうしたんです?」
「ああ、すまないね。私が少し配慮に欠けることを言ってしまっただけだ。虎牙くんも、流石に参ってるはずだから」
「はあ……」
「まあ、彼のことだ。明日には調子を取り戻しているだろう」
「だといいですけどね」

 あいつが一番事件の核心に迫っている人間のはずだ。だからこそ、抱えている負担も大きいに違いない。
 その重圧を、私が少しでも支えてあげられていたらいいのだけれど。

「……牛牧さんは私たちのこと、驚かないんですね」
「君たちの事情は、ある程度聞いていたからね」

 そう言えば、牛牧さんは蟹田さんや佐曽利さんと旧知の仲だ。事件について調べまわっている複数の人と繋がりがあるのだから、知っていてもおかしくはないか。
 満生総合医療センターの病院長でありながら、彼は病院の思惑とは遠いところにいる。
 言い換えるなら、病院長でありながら蚊帳の外なわけだ。

「久礼くんが、良からぬことを企んでいるのにも何となく感づいてはいる。だが、儂にも立場があるのでな……突っ込んで調べられないのは、心苦しいのだよ」
「蟹田さんは、牛牧さんに恩を返すって言ってました。直接は調べられなくても、味方してくれるだけでありがたいです」

 味方は多いだけで心強いものだ。身を隠さねばならなくなった今、それはひしひしと感じている。

「……そうだ、龍美ちゃん」
「はい?」
「八木くんの処置中に、こんなものを見つけてね」

 牛牧さんはそう言うと、ポケットから何かを取り出して私に手渡してきた。
 受け取った手を開くと、そこにあったのは小型のUSBメモリだった。

「ひょっとしたら肌身離さず持っているものなのかもしれないが……もしかしたら、念のためにと何かを残していたのかと思ってね。信頼されているきみに渡すのが一番だろう」
「八木さんがこれを……」

 牛牧さんの言うように、常時持ち歩いているというのもあり得るが、私は僅かでも希望の大きい方を信じたい。
 このUSBに、八木さんが伝えたいメッセージが何か、記録されている可能性……。

「ありがとうございます、牛牧さん。何とかして中を見てみます」
「佐曽利くんに頼めばいい。彼ならパソコンを持っているからね」
「あ、そうなんですか」

 それは意外だった。虎牙が持っているならまだしも、佐曽利さんのような――失礼かもしれないが――職人気質な壮年の男性がパソコンを使っているイメージがなかったのだ。
 持っているというのであれば、遠慮なく使わせてもらおう。佐曽利さんもきっと、快く承諾してくれるはずだ。

「では、儂はそろそろ帰るとするかな」
「もう暗いですし、お気をつけて」
「うむ。ありがとう」

 牛牧さんは軽く頭を下げると、リビングを出ていった。そこからすぐには戻らず、別の部屋に入っていったので、多分佐曽利さんにも挨拶しているのだろう。
 冷蔵庫からお茶を取り出して飲み干したところで、玄関の戸が開閉する音が聞こえ、その後佐曽利さんがリビングへとやって来た。

「牛牧さん、帰りました?」
「ああ。帰り際、きみにパソコンを貸すよう頼まれたんだが」
「あ、先に話してくれてたんですね」

 自分から言ったことなので、佐曽利さんにも話を通しておいてくれたのだろう。おかげですんなりパソコンを借りられる。

「少し待っていてくれ。ノートパソコンの方を持ってくる」
「方? デスクトップとかもあるんですか」
「作業場にな。……ただ、作業場は俺以外の人間が入るようなところじゃない」
「ふむ……」

 もしかしたら、案外作業場は散らかってたりするんだろうか。それなら、入るようなところじゃないというのも納得だが。
 まあ、パソコンを借りられるのならノートでもデスクトップでも問題ない。USBを見るくらいなら、大してスペックは関係ないのだから。

「私、もう少し八木さんの看病してますんで」
「分かった。後で持っていこう」

 ありがとうございます、と佐曽利さんに伝えると、佐曽利さんは表情を変えずに頷く。彼はそのまま作業場に引き返そうとしたが、ついでなので別れ際にドライヤーの場所も聞いておいた。
 洗面所に置いてあったドライヤーで髪を乾かして、私は和室へ向かう。
 眠っている八木さんの表情は、心なしかさっきよりも安らいで見えた。

「持ってきたぞ」

 座布団に座り込んだところで、佐曽利さんがパソコンを持ってきてくれた。私はまたお礼を言ってからそれを受け取り、上蓋を開いて電源を点ける。
 ワイヤレスのマウス以外に付いているものはなかったが、充電は満タンなので問題はなさそうだった。

「……八木さん」

 貴方の残したメッセージ、私がちゃんと受け取ります。
 心の中でそう呟きつつ、私はUSBを挿し込んでフォルダを開いた。

「――これは……」

 フォルダの中には、急いでこしらえたものらしいテキストファイルが一つだけ。
 タイトルは『満生台事件について』。
 そこまででもう、このUSBが無意味なものでないことは明らかだった。
 これは真実、八木さんが残したメッセージなのだ。
 震える手で、テキストファイルをダブルクリックする。
 生唾を飲み込んで、私は表示されたテキストに、視線を滑らせる。
 ……そのファイルに記されていたものは。
 八木さんが私に伝えようとした、この事件の全貌を説明する、一つの『仮説』なのだった。
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