上 下
77 / 86
Fourteenth Chapter...8/1

崩壊の兆し

しおりを挟む
「虎牙はさっき帰ってきたところだ」
「ですよね。私も頼まれてた用が終わったんで、報告に」
「ふむ。……すまないな」
「いえ、好きでやってることですから」

 果たしてその好きは、どっちの意味やら。自分でそう考えたのに、途端に恥ずかしくなってしまった。
 ええい、これは自分の疑いを晴らすために必要なことなのだ。
 佐曽利さんは私を、虎牙の部屋まで案内してくれる。思えばあいつの部屋に私だけで入ったことは初めてじゃないか。こんなタイミングで上がり込むことになろうとは、人生分からないものだ。

「虎牙。龍美ちゃんだ」
「龍美? ……ああ、入ってくれ」

 扉を開けると、窓付きの縦型エアコンに体を近付け、汗を拭っている虎牙の姿があった。それがあまりにも無防備なものだから、思わずこちらが目を逸らしてしまうほどだった。

「ちょっと、もー! やっぱりデリカシーないわね」
「って、急に来るんだからしゃーねえだろ。暑いんだよ」
「すまんな。何か飲み物を持ってくる」

 佐曽利さんなりに気を遣ってくれているようだ。仏頂面ながらそう言うと、彼は台所へ引っ込んでいった。
 涼しい部屋に冷たいジュース。一仕事終わった後の体には最高のご褒美だ。

「……さてと」

 オレンジジュースが運ばれてくるのを待ってから、私は虎牙と話を始める。
 虎牙もやっと汗がひいたようで、服をパタパタさせるのは止めていた。

「八木さんと外でちょっとだけ話したわ。成果はあったみたいね?」
「……まあ、な」

 虎牙にしては歯切れが悪い。八木さんは、三鬼村に眠っていた秘密を掴めたと評していたが、その秘密はやはりショッキングなことなのか。
 彼の表情を見る限りは、そんな風に思える。

「それより龍美、お前がこっちに来たってことは、道標の碑を数え終わったってことか?」
「あ、うん。ちゃんと全部数えてきたわよ」
「……結果は?」
「ご明察ってとこかしらね」

 そう言いながら、私は虎牙の前に一所懸命完成させた地図を差し出した。

「ほら、これが書き終わった地図よ」
「……ええと、何個あるんだ?」

 あ。言われてみれば、丸はいっぱい書き記したけれど、最後に合計を書き入れるのを忘れていた。
 画竜点睛ってやつだ。いけない、いけない。

「八百二。ずっと私たちを悩ませ続けてる数字と一緒よ」
「――なるほど」

 予想通り、という風に虎牙は頷いた。それから手で額を覆い、溜息を吐く。

「そういうことなんだな。……道標、ねえ」
「虎牙にはもう、あの碑がどういうものなのか分かったのね」
「こんな事件さえなけりゃ、知らずに済んだんだ」

 三鬼村の秘密。
 かつてこの街が、鬼の祟りを信じる閉鎖的な寒村だったころの、闇。
 ああ、それは口にするのも憚られるような忌まわしきものに違いないのだ。
 虎牙の一挙手一投足が、それを物語っている。

「ねえ、虎牙。それって――」

 一体、どんな秘密なの。
 私は躊躇いがちに、そう訊ねようとした。
 まさに、その瞬間だった。

「――あッ……!?」
「うおッ?」

 世界が、鳴動する。
 のた打ち回る生物のように、ぐわんぐわんと揺れ動く。
 耳朶はとてつもない轟音で満ち満ちて。
 突如襲い掛かったその恐怖に、私は情けない悲鳴を上げながら床に這いつくばるしかなかった。

 ――地震だ……!

「でかいな……!」

 虎牙も、近くの机に手をつきながら言う。初めはコップが倒れるのを止めようとしていたが、揺れがあまりに大きいので結局諦めて、自分の身を優先していた。だから、テーブルの上には飲みかけだったジュースがぶち撒けられている。
 縦揺れは、ともすれば永遠に続くかのようにも思われたが、実際には二十秒程度の時間だった。ただ、大地の震動するあの轟音は長い間耳に残り続けたし、実際どこか遠くで音も揺れも継続しているようでもあった。
 突然のことに、全てが収まっても私と虎牙はしばらく口を開けず。
 ただ、呆然と互いの驚いた顔を見つめていることしかできなかった。

「……もう、揺れてないわよね?」
「ああ……」

 一分ほどが経って、ようやく我に返った私たちは、まず慌てて溢れたジュースを拭き取る。後で雑巾を使わなければいけないだろうが、とりあえずこの場にあるティッシュでできる限りは綺麗にしておいた。
 他にも倒れているものが幾つかあったので、虎牙はさっさとそれらを元通りの位置へなおしていく。

「まさか、あんなでけえのがくるとはな」
「でも、千代さんの話じゃ周期的にそろそろ大地震がくるらしいし、怖いわね」
「土砂崩れだってあったしな……」

 ……土砂崩れ。
 虎牙の言葉を聞いて、私は胸騒ぎがするのを感じた。
 さっきの揺れは、大きな縦揺れが終わった後も僅かな震動と音が続いてはいなかっただろうか?
 それは、むしろ地震ではなく連動して起きた土砂崩れだったとは考えられないか……?

「二人とも、大丈夫か」

 そのとき、佐曽利さんが部屋に入ってきた。緊急事態なので仕方ないが、ノックもなくいきなり来たので少しだけ焦ってしまう。

「だ、大丈夫です」
「それより、何かあったのか?」

 恐らく、虎牙はただ地震が起きたくらいでは佐曽利さんがこうして様子を伺いにくることはないと了解しているのだろう。彼の予想通り、佐曽利さんは私たちに伝えることがあるようだった。

「外に出てくれ」

 言われるがまま、私たちは玄関から外へ出る。すると佐曽利さんは、山の東側をゆっくりと指差した。

「……あれはまずい」
「え……」

 一瞬、目の前の光景が理解できなかった。
 この目に映る景色を、頭が拒絶したような。
 でも、何度目を瞬いてもそれが変わることはなく。
 ただ佐曽利さんの指差す方角には、絶望があるばかりだった。

「土砂崩れじゃねえか……!」

 さっきの予想が当たってしまった。
 そしてそれは、私たちの予想以上に絶望的なものだった。

「あそこ、観測所が建ってたところよね!?」
「ああ、間違いねえ……」

 電波塔よりも東。
 私がさっきまでいた、今は八木さんが帰っているはずの観測所があった場所。
 まさにその真上にある土砂がごっそりと削れ……建物ごと崩れ落ちてしまっていた。
 それまで木々と建物の上部が僅かに見えていた場所は今、土の層が露出していて。
 あの場所に観測所があったことが、最早分からないまでになっていた。

「八木さんが!」

 頭が真っ白になって、私はただ名前を叫ぶ。虎牙も佐曽利さんも、観測所に八木さんが帰ったのは知っていたので、

「すぐ救助に向かおう」

 と提案してくれた。
 勿論、その提案を断るわけもない。私はすぐさま頷いて、三人で現場に急ぐことになった。
 まさか、観測所が土砂崩れに巻き込まれるなんて。
 そんな不運で悲劇的なことが、こんなタイミングで起こってしまうのか。
 あたかも全てが仕組まれた悪意のようにすら感じられて。
 夏の暑さの中、全力で走っているはずの私は、思わず身震いをしてしまった。

 ――無事でいてよ、八木さん。

 息苦しさを必死で堪え、私はただ一心に無事を祈りながら観測所へと走った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【恋愛ミステリ】エンケージ! ーChildren in the bird cageー

至堂文斗
ライト文芸
【完結済】  野生の鳥が多く生息する山奥の村、鴇村(ときむら)には、鳥に関する言い伝えがいくつか存在していた。  ――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。  そんな恋愛を絡めた伝承は当たり前のように知られていて、村の少年少女たちは憧れを抱き。  ――人は、死んだら鳥になる。  そんな死後の世界についての伝承もあり、鳥になって大空へ飛び立てるのだと信じる者も少なくなかった。  六月三日から始まる、この一週間の物語は。  そんな伝承に思いを馳せ、そして運命を狂わされていく、二組の少年少女たちと。  彼らの仲間たちや家族が紡ぎだす、甘く、優しく……そしてときには苦い。そんなお話。  ※自作ADVの加筆修正版ノベライズとなります。   表紙は以下のフリー素材、フリーフォントをお借りしております。   http://sozai-natural.seesaa.net/category/10768587-1.html   http://www.fontna.com/blog/1706/

リモート刑事 笹本翔

雨垂 一滴
ミステリー
 『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。  主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。  それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。  物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。  翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?  翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

友よ、お前は何故死んだのか?

河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」 幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。 だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。 それは洋壱の死の報せであった。 朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。 悲しみの最中、朝倉から提案をされる。 ──それは、捜査協力の要請。 ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。 ──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?

この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
 幾度繰り返そうとも、匣庭は――。 『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。 その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。 舞台は繰り返す。 三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。 変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。 科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。 人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。 信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。 鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。 手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。 出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io

母からの電話

naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。 母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。 最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。 母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。 それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。 彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか? 真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。 最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

処理中です...