72 / 86
Thirteenth Chapter...7/31
協力捜査
しおりを挟む
「で、ここへは何をしに?」
「ああ、ムーンスパローを触りに来たんだが。……すまん、これは素直にお前がいないと無理だわ」
「そうでしょそうでしょ」
頼られるのは純粋に嬉しいが、正直虎牙にムーンスパローを使うのは私も無理だと思う。
準備も大変な上、操作だって覚束ないのだ。おまけに細かい字も読めないだろうし。
「よしよし。んじゃ、私も手伝うとしますか」
「むしろ全部頼む」
「重労働はしなさい」
「ちぇっ」
すぐに楽しようとする虎牙にツッコミを入れ、二人でムーンスパローを組み上げていく。
指示を出せば早いもので、装置はものの五分ほどで準備できた。虎牙、いつから頑張ってたんだろうな。
「ムーンスパローを使うってことは、また通信傍受を?」
「とりあえずはな。ただ、メインの目的は履歴の削除だ。もしもここが見つかったらまずいと思ってよ」
「ああ……そう言えば、今まで履歴は消してないものね」
そもそも意図的な盗聴まがいのことなんて、あれが初めてだったのだし、履歴を消そうなどという発想には至るはずもない。
「二人も殺されて、焦った貴獅が頻繁に外部と連絡を取ってる可能性をちょっと期待してるが、まあそんなに甘くはないだろうな。しかし、スマホでのやり取りを極力避けてたのは正解だった。結局、スマホはあいつに盗られちまったし、そんときにチャットの履歴も全部見られてたっぽいな」
「虎牙も、もうスマホを持ってないのね。私も早乙女さんの事件のとき、いつの間にか盗られちゃってて」
私のスマホを持ち去ったのは、貴獅さんではなく殺人事件の犯人なのだろうが。
まあ、貴獅さんイコール事件の犯人という構図もゼロとは言い切れないとして。
「仕方ねえさ。龍美も大方、犯人に後ろから殴られたりしたんだろう。WAWプログラムの計画書も持ち去られたのはかなりの痛手だったが……一応は、少しずつでも正体に迫れてると思う」
レッドアイのプログラムが起動し、画面に幾つものグラフが表示される。前回の設定は保存されていなかったので、受信する周波数帯はデフォルトのままだ。虎牙に言われるより前に、私は前回と同じ802Mhzの設定をしておく。
「ところで龍美。お前は早乙女に襲われかけたとき、空が赤く見えたんだよな?」
「そうだけど……って、どうして虎牙がそれを知ってるのよ?」
「八木さんに聞いたんだよ。お前の寝顔を見に行ったからな」
「は?」
いやいや、ちょっと待て。
そんなこと、八木さんは一言も話していなかったのだが。
もしかしてこいつ、私がほぼ丸一日寝ていたあのとき、観測所を訪ねてきていたのか。
それだけじゃなく、私が寝ているところを見ていったと……。
「ぷ、プライバシーの侵害よ!」
「うるせ。心配して見に来たら、ぐーすか寝てやがるんだ。観賞して帰らせてもらうくらいいいだろ」
「あーもう、言い方!」
心配して来てくれたのは嬉しい。でもやっぱり、そんな無防備なところを見ていかれた上にそれを今になって不意打ちのように言われるのは、非常に恥ずかしかった。
「はー、八木さんも言ってくれれば良かったのに」
「俺が言わなくていいって止めといたんだよ。こっちからまた改めようと思ってたんだ」
「なのに私、虎牙のことが気になって病院に行ったりしちゃったのよねー」
「まさかあっさり人目につく場所に行くとは予想外だったぜ……」
虎牙は呆れたように溜め息を吐く。とは言え、こいつの方も私がそれだけ心配したというのをちゃんと察してくれているようだが。
「明日にでもまた、観測所には行くつもりだった。お前のこともあるけど、八木さんに頼みたいことがあったんだよ」
「八木さんに?」
「そう、一緒についてきてもらえないかと思ってよ。鬼封じの池に」
「鬼封じの池って……」
私たちが一週間ほど前に探検した、隠世のような幻想の地。
そこで私たちは、積み重なる歴史の闇中に忘れられた廃墟を見つけ、期待と不安を綯交ぜにしながら奥へ奥へと調べていき……一体の白骨と対峙することになったのだ。
謎深き場所。しかし、とは言っても今回の事件とは関わりのなさそうなあの廃墟を、虎牙は何故八木さんを伴って探索したいと思ったのだろう。
「情報は多い方がいいからよ。未だによく分かってない『八〇二』を最初に見つけたのもあそこだ。一応、博識な大人を連れて調べに行きたいってこった」
「まあそりゃ、虎牙は博識とは程遠いものね」
「うるせ。こういうことじゃ俺もお前も五十歩百歩だ」
虎牙のくせに諺を使ってくるとは。……などとふざけたことを考えるのはよして。
仮に八〇二の起源が判明し、それが事件の中で現れたものと共通性を見出せるものであれば。曖昧模糊とした構図に、僅かばかりでも光明が差す可能性はある。
「とりあえず、電波の受信は始めたわよ。後はしばらく待って傍受できるかどうかね。お昼時は過ぎちゃってるから、タイミングは良くないかもしれないけど」
「つっても、病院は今開店休業状態だからな。多分もうそろそろ、本当に閉めるんじゃねえか。年寄りたちのデモに悪戯騒ぎに、色々大変だしよ」
「蟹田さん……まだ目が覚めないのかしら」
「あいつのことは心配しなくても大丈夫だろ。命に別状無しってのは牛牧さんから聞いてるし」
虎牙が軽々しく大丈夫と口にするからには、きっと信頼に足る何かがあるのだろう。外見に反して彼は適当なことなんてそうそう口にしない。そういう性格なので、私も彼の言葉を信じることにした。
しかし、虎牙は蟹田さんのことをあいつ呼ばわりするくらいの仲のようだ。
「……赤目、か」
「虎牙、何か気付いたことでもあるの?」
「いや、ネットで調べて出てくる程度のことしか分かんねえよ。ただ、河野理魚のことが気になってるのは確かだ」
「あの子のことなら私も気になったわ。蟹田さんに危害を加えた張本人なわけだしね。だから今日、八木さんに頼んで河野家に行ってもらってるのよ」
「そうなのか? んじゃあ、明日八木さんに会ったら聞いとくか」
赤目の原因までが判明するわけではなさそうだが、理魚ちゃんの過去と現在を知ることが、何らかの手掛かりにはなるはずだ。
私もそれを取っ掛かりとして、推理を進めていければいいのだが。
「ああ……それともう一つ。もうだいぶ前なんだが、龍美の発案で道標の碑の数を調べたことがあったよな?」
「ん? そうね、私の部屋に当時書き込んだ地図はあるわ」
「そいつを使えねえかと思ってよ」
それは想定外の提案だったので、私は少し首を傾げつつ、
「必要なの?」
「大体は数え終えてたはずだよな。これは正直重要ってわけでもねえんだが、碑の数が幾つあるのかもハッキリさせておきてえんだ」
「……なるほど」
どうやら虎牙の思考は今、八〇二という数字が中心に据えられているようだ。
道標の碑が八〇二個あるのでは、という疑念は私も抱いていた。それが意味するところまでは分かる由もないが、虎牙が調べるというのならその答えを待とう。
……しかし、地図か。
「地図は私の部屋にしまったままだからねー……」
「バレるのが怖いってわけか。俺が取ってくるけどな」
「それは絶対やめて」
こいつ、乙女の部屋に入ることに抵抗はないのか。
目的があるとはいえ、そこは普通遠慮するでしょうが。
「虎牙が数えていくつもり?」
「まあな。あの頃はこっち側に立ち入ることなんてなかったし、山中の碑だけは一つも数えられてなかったんだっけか」
「そうだったはずよ。大半は街の中にあるって言っても、残りを数えるのは結構大変な感じがするわ」
虎牙は、廃墟の再調査を検討している。それがどれくらいの時間を要するものかは分からないが、碑を数える作業と両方を行うのは重労働だろう。
「私もしばらく大っぴらに街は歩けないし……どうせだったらこっちで調べておこうか?」
「お、マジか。もし数えてくれるなら助かるんだが」
精力的に捜査を行なっている虎牙よりは、まだ私の方が余裕はあるはず。
こういうときにこいつを支えてあげないと、女房役とは言えないだろう。
「オッケー。それじゃ、数えた後で地図と一緒に報告するわ。明日は難しいかもだから、明後日にまたここへ集まる?」
「……八月二日か。ギリギリだが、しゃあねえな。分かった、それで頼む」
「決まりね」
ギリギリというの恐らく、電波塔の稼働日と同じだからに違いない。私もそうだが、虎牙もその日がいわゆるエックスデーだと考えているのだ。
ただ、そのエックスデーに何が起きるのかまではまるで判然としないのだが。
調査の取り決めをしてから大体二十分ほど。私たちはモニタの動きを注視しながらぽつりぽつりと言葉を交わしたのだが、結局この日は波形に変化が現れることはなかった。貴獅さんが通信を行う時間なんてごく僅かだろうし、前回通信を傍受できたのが、やはり奇跡なくらいだったのだ。
収穫はなさそうだと見切りをつけ、私はムーンスパローの受信機能をオフにする。ノイズで微妙に上下へ触れていた線は、そこで一気に平坦になった。
「後は使用履歴を削除するだけだな」
「あ。そうだった」
いけない、いけない。虎牙との話に集中して、そちらのことを忘れていた。私はツールタブのオプションから、履歴の削除を選択してこれまでの履歴を全てクリアする。
「後で玄人が来たりしたら、ビックリするでしょうね」
「ある意味それで、俺らが無事だって理解してくれるかもしれねえな」
希望的観測ではあるけれど。そうなってくれたら、玄人の不安も少しは和らぐかもしれない。
「池に行くときに覗きに来てみっかな。それでちょうど玄人がいたら面白いが」
「ふふ、運命ってやつねー」
「それは気色悪い」
言いながら、虎牙は嫌そうに首を振った。まあ、本心でどう思っているかはさておき。
パソコンの電源も落とし、私たちは分担してムーンスパローを片付ける。ついでにこの前までの雨で倒れていた椅子や、枝葉の付いたテントを出来る限りで綺麗にしておいた。
「……さて、そんじゃやることもやったし。今日のところはこれで解散とするかね。俺はまた別の場所に行く予定だが、龍美は?」
「私は観測所に戻るわ。そろそろ八木さんも帰ってるかもしれないし」
河野家へ事情聴取に向かった八木さん。
あの子の家は確か街の南西にあったから、観測所からはかなり遠いところに位置しているけれど、首尾はどうだろう。
まあ、料理の準備を始めながら帰りを待つのも悪くはない。
……なんて虎牙に言ったら、こいつはちょっとくらい嫉妬してくれるのかしら。
「はいよ。八木さんに鬼封じの池の件、伝えといてくれよ。そんで答えは夜に電話でくれたらいい。通信妨害されてるみてえだが、街の内部なら繋がるっぽいしな」
「やっぱりあれ、妨害なんだ?」
「そうとしか考えられねえって話さ。あと、道標の碑が取りに行けそうにねえならそれも教えてくれ。俺が取りに行くからよ」
「それは絶対嫌ですー」
夜であれば私でもバレずに取りにいけるはずだ。
とにかく虎牙を部屋に上げることだけは阻止したかった。
「散らかってても気にしねえんだがな。ま、そう言うからには地図は頼んだぜ」
「はいはい。次会うまでにデリカシーを覚えておきなさい」
「はは、そりゃ無理だな」
全部察した上で言ってる気がするのがなお悪いところだ。本当、今後の付き合いが心配になる。
「そんじゃな」
「はーい。またね」
あえて別れの言葉は軽く。
またすぐ会えるはずだと、私たちは離れていく。
遠のいていく虎牙の後ろ姿を静かに見つめながら。
私も私にできることを精一杯やろうと、決意を新たにするのだった。
「ああ、ムーンスパローを触りに来たんだが。……すまん、これは素直にお前がいないと無理だわ」
「そうでしょそうでしょ」
頼られるのは純粋に嬉しいが、正直虎牙にムーンスパローを使うのは私も無理だと思う。
準備も大変な上、操作だって覚束ないのだ。おまけに細かい字も読めないだろうし。
「よしよし。んじゃ、私も手伝うとしますか」
「むしろ全部頼む」
「重労働はしなさい」
「ちぇっ」
すぐに楽しようとする虎牙にツッコミを入れ、二人でムーンスパローを組み上げていく。
指示を出せば早いもので、装置はものの五分ほどで準備できた。虎牙、いつから頑張ってたんだろうな。
「ムーンスパローを使うってことは、また通信傍受を?」
「とりあえずはな。ただ、メインの目的は履歴の削除だ。もしもここが見つかったらまずいと思ってよ」
「ああ……そう言えば、今まで履歴は消してないものね」
そもそも意図的な盗聴まがいのことなんて、あれが初めてだったのだし、履歴を消そうなどという発想には至るはずもない。
「二人も殺されて、焦った貴獅が頻繁に外部と連絡を取ってる可能性をちょっと期待してるが、まあそんなに甘くはないだろうな。しかし、スマホでのやり取りを極力避けてたのは正解だった。結局、スマホはあいつに盗られちまったし、そんときにチャットの履歴も全部見られてたっぽいな」
「虎牙も、もうスマホを持ってないのね。私も早乙女さんの事件のとき、いつの間にか盗られちゃってて」
私のスマホを持ち去ったのは、貴獅さんではなく殺人事件の犯人なのだろうが。
まあ、貴獅さんイコール事件の犯人という構図もゼロとは言い切れないとして。
「仕方ねえさ。龍美も大方、犯人に後ろから殴られたりしたんだろう。WAWプログラムの計画書も持ち去られたのはかなりの痛手だったが……一応は、少しずつでも正体に迫れてると思う」
レッドアイのプログラムが起動し、画面に幾つものグラフが表示される。前回の設定は保存されていなかったので、受信する周波数帯はデフォルトのままだ。虎牙に言われるより前に、私は前回と同じ802Mhzの設定をしておく。
「ところで龍美。お前は早乙女に襲われかけたとき、空が赤く見えたんだよな?」
「そうだけど……って、どうして虎牙がそれを知ってるのよ?」
「八木さんに聞いたんだよ。お前の寝顔を見に行ったからな」
「は?」
いやいや、ちょっと待て。
そんなこと、八木さんは一言も話していなかったのだが。
もしかしてこいつ、私がほぼ丸一日寝ていたあのとき、観測所を訪ねてきていたのか。
それだけじゃなく、私が寝ているところを見ていったと……。
「ぷ、プライバシーの侵害よ!」
「うるせ。心配して見に来たら、ぐーすか寝てやがるんだ。観賞して帰らせてもらうくらいいいだろ」
「あーもう、言い方!」
心配して来てくれたのは嬉しい。でもやっぱり、そんな無防備なところを見ていかれた上にそれを今になって不意打ちのように言われるのは、非常に恥ずかしかった。
「はー、八木さんも言ってくれれば良かったのに」
「俺が言わなくていいって止めといたんだよ。こっちからまた改めようと思ってたんだ」
「なのに私、虎牙のことが気になって病院に行ったりしちゃったのよねー」
「まさかあっさり人目につく場所に行くとは予想外だったぜ……」
虎牙は呆れたように溜め息を吐く。とは言え、こいつの方も私がそれだけ心配したというのをちゃんと察してくれているようだが。
「明日にでもまた、観測所には行くつもりだった。お前のこともあるけど、八木さんに頼みたいことがあったんだよ」
「八木さんに?」
「そう、一緒についてきてもらえないかと思ってよ。鬼封じの池に」
「鬼封じの池って……」
私たちが一週間ほど前に探検した、隠世のような幻想の地。
そこで私たちは、積み重なる歴史の闇中に忘れられた廃墟を見つけ、期待と不安を綯交ぜにしながら奥へ奥へと調べていき……一体の白骨と対峙することになったのだ。
謎深き場所。しかし、とは言っても今回の事件とは関わりのなさそうなあの廃墟を、虎牙は何故八木さんを伴って探索したいと思ったのだろう。
「情報は多い方がいいからよ。未だによく分かってない『八〇二』を最初に見つけたのもあそこだ。一応、博識な大人を連れて調べに行きたいってこった」
「まあそりゃ、虎牙は博識とは程遠いものね」
「うるせ。こういうことじゃ俺もお前も五十歩百歩だ」
虎牙のくせに諺を使ってくるとは。……などとふざけたことを考えるのはよして。
仮に八〇二の起源が判明し、それが事件の中で現れたものと共通性を見出せるものであれば。曖昧模糊とした構図に、僅かばかりでも光明が差す可能性はある。
「とりあえず、電波の受信は始めたわよ。後はしばらく待って傍受できるかどうかね。お昼時は過ぎちゃってるから、タイミングは良くないかもしれないけど」
「つっても、病院は今開店休業状態だからな。多分もうそろそろ、本当に閉めるんじゃねえか。年寄りたちのデモに悪戯騒ぎに、色々大変だしよ」
「蟹田さん……まだ目が覚めないのかしら」
「あいつのことは心配しなくても大丈夫だろ。命に別状無しってのは牛牧さんから聞いてるし」
虎牙が軽々しく大丈夫と口にするからには、きっと信頼に足る何かがあるのだろう。外見に反して彼は適当なことなんてそうそう口にしない。そういう性格なので、私も彼の言葉を信じることにした。
しかし、虎牙は蟹田さんのことをあいつ呼ばわりするくらいの仲のようだ。
「……赤目、か」
「虎牙、何か気付いたことでもあるの?」
「いや、ネットで調べて出てくる程度のことしか分かんねえよ。ただ、河野理魚のことが気になってるのは確かだ」
「あの子のことなら私も気になったわ。蟹田さんに危害を加えた張本人なわけだしね。だから今日、八木さんに頼んで河野家に行ってもらってるのよ」
「そうなのか? んじゃあ、明日八木さんに会ったら聞いとくか」
赤目の原因までが判明するわけではなさそうだが、理魚ちゃんの過去と現在を知ることが、何らかの手掛かりにはなるはずだ。
私もそれを取っ掛かりとして、推理を進めていければいいのだが。
「ああ……それともう一つ。もうだいぶ前なんだが、龍美の発案で道標の碑の数を調べたことがあったよな?」
「ん? そうね、私の部屋に当時書き込んだ地図はあるわ」
「そいつを使えねえかと思ってよ」
それは想定外の提案だったので、私は少し首を傾げつつ、
「必要なの?」
「大体は数え終えてたはずだよな。これは正直重要ってわけでもねえんだが、碑の数が幾つあるのかもハッキリさせておきてえんだ」
「……なるほど」
どうやら虎牙の思考は今、八〇二という数字が中心に据えられているようだ。
道標の碑が八〇二個あるのでは、という疑念は私も抱いていた。それが意味するところまでは分かる由もないが、虎牙が調べるというのならその答えを待とう。
……しかし、地図か。
「地図は私の部屋にしまったままだからねー……」
「バレるのが怖いってわけか。俺が取ってくるけどな」
「それは絶対やめて」
こいつ、乙女の部屋に入ることに抵抗はないのか。
目的があるとはいえ、そこは普通遠慮するでしょうが。
「虎牙が数えていくつもり?」
「まあな。あの頃はこっち側に立ち入ることなんてなかったし、山中の碑だけは一つも数えられてなかったんだっけか」
「そうだったはずよ。大半は街の中にあるって言っても、残りを数えるのは結構大変な感じがするわ」
虎牙は、廃墟の再調査を検討している。それがどれくらいの時間を要するものかは分からないが、碑を数える作業と両方を行うのは重労働だろう。
「私もしばらく大っぴらに街は歩けないし……どうせだったらこっちで調べておこうか?」
「お、マジか。もし数えてくれるなら助かるんだが」
精力的に捜査を行なっている虎牙よりは、まだ私の方が余裕はあるはず。
こういうときにこいつを支えてあげないと、女房役とは言えないだろう。
「オッケー。それじゃ、数えた後で地図と一緒に報告するわ。明日は難しいかもだから、明後日にまたここへ集まる?」
「……八月二日か。ギリギリだが、しゃあねえな。分かった、それで頼む」
「決まりね」
ギリギリというの恐らく、電波塔の稼働日と同じだからに違いない。私もそうだが、虎牙もその日がいわゆるエックスデーだと考えているのだ。
ただ、そのエックスデーに何が起きるのかまではまるで判然としないのだが。
調査の取り決めをしてから大体二十分ほど。私たちはモニタの動きを注視しながらぽつりぽつりと言葉を交わしたのだが、結局この日は波形に変化が現れることはなかった。貴獅さんが通信を行う時間なんてごく僅かだろうし、前回通信を傍受できたのが、やはり奇跡なくらいだったのだ。
収穫はなさそうだと見切りをつけ、私はムーンスパローの受信機能をオフにする。ノイズで微妙に上下へ触れていた線は、そこで一気に平坦になった。
「後は使用履歴を削除するだけだな」
「あ。そうだった」
いけない、いけない。虎牙との話に集中して、そちらのことを忘れていた。私はツールタブのオプションから、履歴の削除を選択してこれまでの履歴を全てクリアする。
「後で玄人が来たりしたら、ビックリするでしょうね」
「ある意味それで、俺らが無事だって理解してくれるかもしれねえな」
希望的観測ではあるけれど。そうなってくれたら、玄人の不安も少しは和らぐかもしれない。
「池に行くときに覗きに来てみっかな。それでちょうど玄人がいたら面白いが」
「ふふ、運命ってやつねー」
「それは気色悪い」
言いながら、虎牙は嫌そうに首を振った。まあ、本心でどう思っているかはさておき。
パソコンの電源も落とし、私たちは分担してムーンスパローを片付ける。ついでにこの前までの雨で倒れていた椅子や、枝葉の付いたテントを出来る限りで綺麗にしておいた。
「……さて、そんじゃやることもやったし。今日のところはこれで解散とするかね。俺はまた別の場所に行く予定だが、龍美は?」
「私は観測所に戻るわ。そろそろ八木さんも帰ってるかもしれないし」
河野家へ事情聴取に向かった八木さん。
あの子の家は確か街の南西にあったから、観測所からはかなり遠いところに位置しているけれど、首尾はどうだろう。
まあ、料理の準備を始めながら帰りを待つのも悪くはない。
……なんて虎牙に言ったら、こいつはちょっとくらい嫉妬してくれるのかしら。
「はいよ。八木さんに鬼封じの池の件、伝えといてくれよ。そんで答えは夜に電話でくれたらいい。通信妨害されてるみてえだが、街の内部なら繋がるっぽいしな」
「やっぱりあれ、妨害なんだ?」
「そうとしか考えられねえって話さ。あと、道標の碑が取りに行けそうにねえならそれも教えてくれ。俺が取りに行くからよ」
「それは絶対嫌ですー」
夜であれば私でもバレずに取りにいけるはずだ。
とにかく虎牙を部屋に上げることだけは阻止したかった。
「散らかってても気にしねえんだがな。ま、そう言うからには地図は頼んだぜ」
「はいはい。次会うまでにデリカシーを覚えておきなさい」
「はは、そりゃ無理だな」
全部察した上で言ってる気がするのがなお悪いところだ。本当、今後の付き合いが心配になる。
「そんじゃな」
「はーい。またね」
あえて別れの言葉は軽く。
またすぐ会えるはずだと、私たちは離れていく。
遠のいていく虎牙の後ろ姿を静かに見つめながら。
私も私にできることを精一杯やろうと、決意を新たにするのだった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。
二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。
彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。
信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。
歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。
幻想、幻影、エンケージ。
魂魄、領域、人類の進化。
802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。
さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。
私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
【恋愛ミステリ】エンケージ! ーChildren in the bird cageー
至堂文斗
ライト文芸
【完結済】
野生の鳥が多く生息する山奥の村、鴇村(ときむら)には、鳥に関する言い伝えがいくつか存在していた。
――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。
そんな恋愛を絡めた伝承は当たり前のように知られていて、村の少年少女たちは憧れを抱き。
――人は、死んだら鳥になる。
そんな死後の世界についての伝承もあり、鳥になって大空へ飛び立てるのだと信じる者も少なくなかった。
六月三日から始まる、この一週間の物語は。
そんな伝承に思いを馳せ、そして運命を狂わされていく、二組の少年少女たちと。
彼らの仲間たちや家族が紡ぎだす、甘く、優しく……そしてときには苦い。そんなお話。
※自作ADVの加筆修正版ノベライズとなります。
表紙は以下のフリー素材、フリーフォントをお借りしております。
http://sozai-natural.seesaa.net/category/10768587-1.html
http://www.fontna.com/blog/1706/
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
この満ち足りた匣庭の中で 三章―Ghost of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
幾度繰り返そうとも、匣庭は――。
『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。
その裏では、医療センターによる謎めいた計画『WAWプログラム』が粛々と進行し、そして避け得ぬ惨劇が街を襲った。
舞台は繰り返す。
三度、二週間の物語は幕を開け、定められた終焉へと砂時計の砂は落ちていく。
変わらない世界の中で、真実を知悉する者は誰か。この世界の意図とは何か。
科学研究所、GHOST、ゴーレム計画。
人工地震、マイクロチップ、レッドアウト。
信号領域、残留思念、ブレイン・マシン・インターフェース……。
鬼の祟りに隠れ、暗躍する機関の影。
手遅れの中にある私たちの日々がほら――また、始まった。
出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる