この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗

文字の大きさ
上 下
63 / 86
Eleventh Chapter...7/29

蛇見静香②

しおりを挟む
 二泊三日の合宿は、あっという間に過ぎた。
 帰りのバスに乗り込むときは、少し名残惜しかったほどだ。
 私と静香は、帰りもまた隣同士の座席で。
 外の風景が見慣れた街並みに戻っていくのを、ぼうっと待っていた。
 合宿中は晴れていた空は、その日の朝から怪しい雲行きになっていた。
 バスが走り始めてすぐ、窓には雨粒が落ち始めた。
 やがて雨はザアザアと本降りになり。
 流石に子守唄とするには大きすぎる音を、車内に響かせるようになった。
 眠たいけれど、中々寝付けない。
 そんなもどかしい時間がだらだらと過ぎていく中。

 ――突然、世界が真っ白な光に埋め尽くされた。

「きゃああぁああッ!」

 仲間たちの悲鳴で、バスは満たされ。
 同時に、世界全てが隆起するような、とてつもない衝撃が襲った。
 音は、遅れて聞こえてきた――ように思う。
 まるで巨大な爆弾が炸裂するような、とんでもない爆音。
 しかし、それが耳に入った瞬間にはもう。
 私の意識は光とともに、吹き飛ばされてしまったのだった。

 落雷だった。
 私たち空手部を乗せて走るバス目掛け、雷が落ちたのだ。
 更に悪いことには、バスはちょうど山間部を通っていて。
 落雷の衝撃と運転手の気絶により、ガードレールを突き破って谷底へと転落したのである。
 私たちは、一人残らず。
 数十メートルもある崖から、無数の岩塊とともに落下していった……。

 雨が頬を叩く感覚に、目が覚めて。

「……う、う……」

 私は短くない時間をかけ、自分たちが恐ろしい悲劇に見舞われたことを理解した。
 全身の痛み。酷いところでは、最早感覚もなく。
 俯せに倒れていた私は、周りの状況をよく確認することもできなかった。
 みんな、どこまで飛ばされただろう。
 無事でいるだろうか。
 何とか首を動かして、近くの様子を確かめる。
 ……そこにあったもの。
 どうしようもなく絶望的な、終末の光景。

「……あ、……ああぁ……」

 血。血。血。
 物言わぬ肉塊と成り果てた、何人もの仲間たち。
 散乱するのは、彼女らのパーツ。
 腕が、脚が、落石により千切れ飛んで。
 無残にも、周囲に散らばっていたのだ――。

「い……嫌……」

 泣き叫びたかった。
 嘘だと喚き散らしたかった。
 だけど、私にはそんな体力すらも最早なく。
 熱量を奪っていく雨に弄られるまま。
 ただ、この地獄絵図に嗚咽を漏らすことしかできなかった。

「……たつ、み」

 どこかから、声が聞こえてきた。
 静香の声だ。
 他のみんなはもう、誰一人として生きていなかったけれど。
 彼女だけはまだ、生きていてくれた……。

「静香――」

 私は、声のする方へ力を振り絞って首を動かした。
 無事でよかったと、声をかけたくて。
 そして、振り向いて目にした光景は。

「――あ……」

 私に芽生えかけた僅かな希望を、容赦なく刈り取る凄惨なものだった。

「静香ぁッ!」

 消え入るような声を、それでも死力を尽くして出したのだろう。
 声を出すことだけでも、彼女にとってはもう……困難なことだった。
 彼女の胸から下、その全てが、落ちてきた岩の下敷きになって。
 血塗れになったその岩の下がどうなっているかは、見ただけで明らかだった。

「はは……こんなことも、あるもの、なんだな」
「喋らないで……今助けるから!」

 私は上手く力の入らない体を強引に動かそうとする。
 しかし、やっぱり起き上がれない。
 おかしい、おかしいんだ。
 だって、どういうわけか腕が上がらないんだよ――。

「龍美……無茶しないで、くれ。君だけは……どうか」
「嫌よ! 静香だってまだ生きてるじゃないッ!」

 そうだ。ここで私がすぐに助けを呼べたら。
 静香の体を圧し潰す岩を除けることができたら。
 その命を救うことだって、できるかもしれない。
 可能性はまだ、消えてはいないんだ。
 どうして。
 ああ本当に、どうして、どうしてこんなことに!
 楽しく賑やかな日々の最後が。
 なぜこんな悲劇で幕を閉じなければならないというのか――。

「無理だよ……龍美」
「そんなことないッ!」
「だって……君の、腕は」

 私の腕は?
 ……顔を、腕の方へ向けると。

「……あぁ、あ……」

 私の腕は、静香の体と同じように……落石の下敷きになって、潰れていた。

「ああぁああ――ッ」

 嘘だ。嘘だ嘘だ。
 こんなことに、なるわけがない。
 こんなの、全部悪い夢なんだ。
 合宿が楽しくて、疲れちゃって。
 だから私は帰りのバスの中で、悪い夢を見てしまっているだけに決まってる。
 こんなの……こんなのって……。

「なあ……龍美……?」
「どうしたの、静香……!」
「……楽し、かったな?」
「……ええ、楽しかったわ!」

 だから、これから先もずっと。
 楽しい日々を、過ごしたいじゃないか。
 私たちは、灰色の日々を乗り越えてさ。
 いつか、あなたの家で遊ぶんでしょ?
 ああ、邪魔だ。
 この岩が、邪魔だ。
 これさえ何とかなってくれたら。
 私は今すぐに静香の元へ駆けつけて、助けてあげられるのに。
 腕が、動かない。
 もう感覚はないのに、それでも動いてくれない。
 千切れもしない。
 邪魔だ、この岩が。この腕が。
 私は何も守れない。
 この手で何一つ――。

「……たつ、み……どうか……」

 ――幸せに。

 吹き荒ぶ風の中で。
 最後にそんな声がしたようで。
 私がもう一度振り返ったときには。
 彼女の目は、虚ろに濁ったまま止まっていた。

「……やだ……そんなの、やだよ……」

 置いて行かないで。
 私だけ生きて、幸せになるなんて……そんなの嫌なんだ。
 動いてよ。
 ねえ。
 せめて、あの子の。
 静香のそばに、行かせてよ。
 なんで、この腕は。
 こんなに大事なところで、役に立たないんだ。
 私は、なんのために強くなったんだ。
 私は。

 雨が、ただ強く降り注いでいた。
 世界は、死んだように灰色だった。
 私は起きているのか、生きているのかも分からないまま。
 散乱する死体の中でたった一人、取り残されていた――。

 救助が来たのは、半日ほどが経過してからだった。
 時間通りにバスが戻ってこないのを心配した学校がバス会社に連絡し、そこから警察にも連絡がいって、事故現場が発見されたのだ。
 後から聞いた話では、私の命も相当危険だったらしく。
 ただ一人でも生き残ったことは奇跡だと、色んな人から口々にそう言われた。
 でも、私は奇跡だなんて言われたくはなかった。
 奇跡が起こるなら、誰一人として死んでほしくなかった。
 あんなにも多くの仲間たちが死んだ時点で。
 それはもう、奇跡でもなんでもなかった。
 あれは、ただの悲劇だったのだ。
 日常を一瞬で消し去っていった、地獄のような出来事だったのだ……。

 この事故により後遺症を負った私は、精神的なショックも引き摺っていたため、しばらくの間まともな生活を送ることすら困難になった。
 食事は毎回親に食べさせてもらうことになったが、たとえ食べてもすぐに吐いてしまい……まるで体が生きることを拒絶しているかのような状態になってしまっていた。
 だけど私は、いなくなってしまった親友の、最期の言葉だけは胸に刻み込んでいて。
 ああ、死ぬわけにはいかないんだなと、どうにか生命活動を続けることはできた。

 ――どうか、幸せに。

 それはある意味、呪いのようなものでもあったけれど。
 あの地獄を、誰一人として救えずに生き残ってしまった私は、責務を果たさなくてはならないと。
 いつもそばで、仲間達が見ているのだと思い込んで。
 だから幸せを掴まなくちゃならないと、思い込んだ。

 そのすぐ後。
 仁科家は、満生台と呼ばれる医療に特化したニュータウンの存在を知る。
 両親の決断は早く。
 私の体と心の治療のため、仁科家は満生台へと移り住んだ。

 これが、私の過去だ。
 誰も救えず、一緒に死ぬこともできずに生き残った私の、傷跡。
 今もなお悪夢が苛む、重たい十字架。
 この先も背負い続けなければならないもの。

 だけど、満生台で再び信頼できる仲間たちと出会い。
 私はその十字架と、上手く付き合っていけるかなと思えるようになった。
 静香が遺した願いを、ちゃんと叶えられたらと、思えるように。
 だから、私は。
 乗り越えたいのだ。
 あの日救えなかった命に誓って。
 降りかかる絶望を振り払い、幸せな明日を目指して生きていきたいんだ。

 ――生きて、いきたかったんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

夜の動物園の異変 ~見えない来園者~

メイナ
ミステリー
夜の動物園で起こる不可解な事件。 飼育員・えまは「動物の声を聞く力」を持っていた。 ある夜、動物たちが一斉に怯え、こう囁いた—— 「そこに、"何か"がいる……。」 科学者・水原透子と共に、"見えざる来園者"の正体を探る。 これは幽霊なのか、それとも——?

【恋愛ミステリ】エンケージ! ーChildren in the bird cageー

至堂文斗
ライト文芸
【完結済】  野生の鳥が多く生息する山奥の村、鴇村(ときむら)には、鳥に関する言い伝えがいくつか存在していた。  ――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。  そんな恋愛を絡めた伝承は当たり前のように知られていて、村の少年少女たちは憧れを抱き。  ――人は、死んだら鳥になる。  そんな死後の世界についての伝承もあり、鳥になって大空へ飛び立てるのだと信じる者も少なくなかった。  六月三日から始まる、この一週間の物語は。  そんな伝承に思いを馳せ、そして運命を狂わされていく、二組の少年少女たちと。  彼らの仲間たちや家族が紡ぎだす、甘く、優しく……そしてときには苦い。そんなお話。  ※自作ADVの加筆修正版ノベライズとなります。   表紙は以下のフリー素材、フリーフォントをお借りしております。   http://sozai-natural.seesaa.net/category/10768587-1.html   http://www.fontna.com/blog/1706/

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

泉田高校放課後事件禄

野村だんだら
ミステリー
連作短編形式の長編小説。人の死なないミステリです。 田舎にある泉田高校を舞台に、ちょっとした事件や謎を主人公の稲富くんが解き明かしていきます。 【第32回前期ファンタジア大賞一次選考通過作品を手直しした物になります】

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

処理中です...