45 / 86
Eighth Chapter...7/26
立ち昇る黒煙
しおりを挟む
「……はは、少しばかり感傷的な台詞だったかな。龍美さんを気遣っていたつもりが、私の愚痴みたいになっていた。申し訳ない」
「い、いやいや。そんなの気にしないでくださいよ」
私の負担の方が、随分軽くしてもらったのだから、私も八木さんから、幾らかくらいは負担を取り除いてあげたい。
この程度で、八木さんの負担など減りはしないだろうけど。
「八木さん――」
ありがとうございます。私が感謝の気持ちを伝えようとした、そのとき。
ふと、視界の端におかしなものを捉えた気がした。
「……え……?」
縦長に嵌め込まれた窓ガラス。
外の景色はほとんど見えなくなっているのだが、僅かに見える向こう側。
木々と曇天の中に、細く昇っていく異常なもの。
それは……。
「八木さん、あれ煙じゃないですか!?」
「あ、ああ……私にもそう見える」
方角的には街の方。明確な位置までは掴めないが、黒煙が立ち昇っている。
そこから推測できるのは一つしかない――火事だ。
「見晴らしのいい場所ってあります……!?」
「そうだね、観測所の屋根に上れるようになっているから、そこからなら街がある程度は見下ろせる」
私たちは急いで観測所の方へ戻ると、メンテナンス用の梯子から天井のハッチを開いて、屋根に上った。
傘をするのを忘れていたが、そんなことを気にしている余裕もなかった。火事の火元は一体どこなのか――。
「……あそこだ」
八木さんが真っ直ぐに指を差す。その先にあったのは……永射邸。
「そんな……!」
主が水死体となって発見された、その翌日に。
主を失った邸宅は、どういうわけか火に包まれた……。
「あれはまずい。もうかなり勢いが強くなっている。全焼は免れないだろう」
「一体どうして。この雨だし、永射さんはもういないんだから、出火する原因が……」
そうだ、出火する原因などない。
自然には。
だとすれば、この火事は――。
「まさか、放火……!?」
「結論を急くのは良くないが、可能性は高そうだ。……すぐに牛牧さんへ連絡を入れよう」
言うが早いか、八木さんは梯子を軽快に下りていき、机に置かれていたスマホを手に取り牛牧さんへ電話をかけた。私が危なっかしく梯子を下りている間に何度かやり取りをして、そばまで寄っていったところで電話は切られた。
「ふう。……牛牧さんのところへは、もう住民から連絡があったらしい。ただ、街に消防設備はないし、雨が鎮火してくれるのを待つしかないようだ」
「そっか……街には消防車も何もないんですもんね……」
あんなに激しく燃えているのに、それを止めることができないなんて。
屋根の上から見ている間にも、野次馬の姿は十人以上窺えた。
誰もが燃え猛る火に見惚れながら、しかし何も手は出せず。
永射邸が失われていくのを、待っているしかないのだ……。
「……どうして……」
答えなんて、返ってこようはずもない。
私たちもまた、多くの野次馬たちと同じように、混乱の中沈黙するしかないのだった。
*
その後、雨の勢いも弱まることなく、私は結局数十分ほど滞在させてもらってから、観測所を離れた。
八木さんの、気を付けてねという言葉を背にして山を下りた私は、木々の生い茂る道を抜けたすぐ先で、燃え尽きた永射邸を目にした。
その頃にはもう、野次馬の数は二、三人ほどになっていたが、あれほど美しかった邸宅は見事に焼け、黒くなった骨組みが露出していた。労力をかけ、資金をかけて造られたものが、燃え散るときは一瞬なのだなと、炎の力にただ驚くばかりだった。
帰宅するや否や、両親からも永射邸の火事について伝えられた。私が現場を見てきたというと、両親は目を丸くして、今度はどんな状況だったか教えてほしいとせがまれた。仕方がないので私は、八木さんと観測所で黒煙を目にしたところから簡潔に、一部始終を語ってあげた。
人々に恐怖を与えた火事だったが、その原因についてはさっぱり分からないまま。最初のうちは前日から火の不始末があり、今になって火の手が上がったのではと言っていた人も、果たして本当にそんな時間差で火が起こるのだろうかと懐疑的になり、そこからは誰も仮定を披露する者は現れなかった。
ただ一人、違う意味での『原因』を訴える者はいたが。
……これもまた、鬼の祟り。
瓶井史さんは、説明会でも口にしたように、住民たちへそう語っていた。
連日の事件でショックを受けている住民たちに、その言葉はとても重く響いた。特に、犠牲となったのが電波塔計画を推し進めていた永射さんだ。話を聞いた人々が、これは本当に鬼の祟りかもしれないと囁き合うのに、さほど時間は要しなかった。
――鬼の祟り。
そんなものが、真実存在するというのだろうか。
それは、ある種都合の良い免罪符に似たものではないのか。
悪しき者――少なくともそう思われてしまった者――に対して、罰が下されたときの言い訳。
詮索しなくていいじゃないかという、目隠し。
ああ……私も八木さんのように。
こう願わずにはいられない。
鬼の祟りというものが、電磁波のように。
人々の心を蝕んで、狂信されたりしないことを、どうか。
そう、願っていた。
「い、いやいや。そんなの気にしないでくださいよ」
私の負担の方が、随分軽くしてもらったのだから、私も八木さんから、幾らかくらいは負担を取り除いてあげたい。
この程度で、八木さんの負担など減りはしないだろうけど。
「八木さん――」
ありがとうございます。私が感謝の気持ちを伝えようとした、そのとき。
ふと、視界の端におかしなものを捉えた気がした。
「……え……?」
縦長に嵌め込まれた窓ガラス。
外の景色はほとんど見えなくなっているのだが、僅かに見える向こう側。
木々と曇天の中に、細く昇っていく異常なもの。
それは……。
「八木さん、あれ煙じゃないですか!?」
「あ、ああ……私にもそう見える」
方角的には街の方。明確な位置までは掴めないが、黒煙が立ち昇っている。
そこから推測できるのは一つしかない――火事だ。
「見晴らしのいい場所ってあります……!?」
「そうだね、観測所の屋根に上れるようになっているから、そこからなら街がある程度は見下ろせる」
私たちは急いで観測所の方へ戻ると、メンテナンス用の梯子から天井のハッチを開いて、屋根に上った。
傘をするのを忘れていたが、そんなことを気にしている余裕もなかった。火事の火元は一体どこなのか――。
「……あそこだ」
八木さんが真っ直ぐに指を差す。その先にあったのは……永射邸。
「そんな……!」
主が水死体となって発見された、その翌日に。
主を失った邸宅は、どういうわけか火に包まれた……。
「あれはまずい。もうかなり勢いが強くなっている。全焼は免れないだろう」
「一体どうして。この雨だし、永射さんはもういないんだから、出火する原因が……」
そうだ、出火する原因などない。
自然には。
だとすれば、この火事は――。
「まさか、放火……!?」
「結論を急くのは良くないが、可能性は高そうだ。……すぐに牛牧さんへ連絡を入れよう」
言うが早いか、八木さんは梯子を軽快に下りていき、机に置かれていたスマホを手に取り牛牧さんへ電話をかけた。私が危なっかしく梯子を下りている間に何度かやり取りをして、そばまで寄っていったところで電話は切られた。
「ふう。……牛牧さんのところへは、もう住民から連絡があったらしい。ただ、街に消防設備はないし、雨が鎮火してくれるのを待つしかないようだ」
「そっか……街には消防車も何もないんですもんね……」
あんなに激しく燃えているのに、それを止めることができないなんて。
屋根の上から見ている間にも、野次馬の姿は十人以上窺えた。
誰もが燃え猛る火に見惚れながら、しかし何も手は出せず。
永射邸が失われていくのを、待っているしかないのだ……。
「……どうして……」
答えなんて、返ってこようはずもない。
私たちもまた、多くの野次馬たちと同じように、混乱の中沈黙するしかないのだった。
*
その後、雨の勢いも弱まることなく、私は結局数十分ほど滞在させてもらってから、観測所を離れた。
八木さんの、気を付けてねという言葉を背にして山を下りた私は、木々の生い茂る道を抜けたすぐ先で、燃え尽きた永射邸を目にした。
その頃にはもう、野次馬の数は二、三人ほどになっていたが、あれほど美しかった邸宅は見事に焼け、黒くなった骨組みが露出していた。労力をかけ、資金をかけて造られたものが、燃え散るときは一瞬なのだなと、炎の力にただ驚くばかりだった。
帰宅するや否や、両親からも永射邸の火事について伝えられた。私が現場を見てきたというと、両親は目を丸くして、今度はどんな状況だったか教えてほしいとせがまれた。仕方がないので私は、八木さんと観測所で黒煙を目にしたところから簡潔に、一部始終を語ってあげた。
人々に恐怖を与えた火事だったが、その原因についてはさっぱり分からないまま。最初のうちは前日から火の不始末があり、今になって火の手が上がったのではと言っていた人も、果たして本当にそんな時間差で火が起こるのだろうかと懐疑的になり、そこからは誰も仮定を披露する者は現れなかった。
ただ一人、違う意味での『原因』を訴える者はいたが。
……これもまた、鬼の祟り。
瓶井史さんは、説明会でも口にしたように、住民たちへそう語っていた。
連日の事件でショックを受けている住民たちに、その言葉はとても重く響いた。特に、犠牲となったのが電波塔計画を推し進めていた永射さんだ。話を聞いた人々が、これは本当に鬼の祟りかもしれないと囁き合うのに、さほど時間は要しなかった。
――鬼の祟り。
そんなものが、真実存在するというのだろうか。
それは、ある種都合の良い免罪符に似たものではないのか。
悪しき者――少なくともそう思われてしまった者――に対して、罰が下されたときの言い訳。
詮索しなくていいじゃないかという、目隠し。
ああ……私も八木さんのように。
こう願わずにはいられない。
鬼の祟りというものが、電磁波のように。
人々の心を蝕んで、狂信されたりしないことを、どうか。
そう、願っていた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
【連作ホラー】幻影回忌 ーTrilogy of GHOSTー
至堂文斗
ホラー
――其れは、人類の進化のため。
歴史の裏で暗躍する組織が、再び降霊術の物語を呼び覚ます。
魂魄の操作。悍ましき禁忌の実験は、崇高な目的の下に数多の犠牲を生み出し。
決して止まることなく、次なる生贄を求め続ける。
さあ、再び【魂魄】の物語を始めましょう。
たった一つの、望まれた終焉に向けて。
来場者の皆様、長らくお待たせいたしました。
これより幻影三部作、開幕いたします――。
【幻影綺館】
「ねえ、”まぼろしさん”って知ってる?」
鈴音町の外れに佇む、黒影館。そこに幽霊が出るという噂を聞きつけた鈴音学園ミステリ研究部の部長、安藤蘭は、メンバーを募り探検に向かおうと企画する。
その企画に巻き込まれる形で、彼女を含め七人が館に集まった。
疑いつつも、心のどこかで”まぼろしさん”の存在を願うメンバーに、悲劇は降りかからんとしていた――。
【幻影鏡界】
「――一角荘へ行ってみますか?」
黒影館で起きた凄惨な事件は、桜井令士や生き残った者たちに、大きな傷を残した。そしてレイジには、大切な目的も生まれた。
そんな事件より数週間後、束の間の平穏が終わりを告げる。鈴音学園の廊下にある掲示板に貼り出されていたポスター。
それは、かつてGHOSTによって悲劇がもたらされた因縁の地、鏡ヶ原への招待状だった。
【幻影回忌】
「私は、今度こそ創造主になってみせよう」
黒影館と鏡ヶ原、二つの場所で繰り広げられた凄惨な事件。
その黒幕である****は、恐ろしい計画を実行に移そうとしていた。
ゴーレム計画と名付けられたそれは、世界のルールをも蹂躙するものに相違なかった。
事件の生き残りである桜井令士と蒼木時雨は、***の父親に連れられ、***の過去を知らされる。
そして、悲劇の連鎖を断つために、最後の戦いに挑む決意を固めるのだった。
【連作ホラー】伍横町幻想 —Until the day we meet again—
至堂文斗
ホラー
――その幻想から、逃れられるか。
降霊術。それは死者を呼び出す禁忌の術式。
歴史を遡れば幾つも逸話はあれど、現実に死者を呼ぶことが出来たかは定かでない。
だがあるとき、長い実験の果てに、一人の男がその術式を生み出した。
降霊術は決して公に出ることはなかったものの、書物として世に残り続けた。
伍横町。そこは古くから気の流れが集まる場所と言われている小さな町。
そして、全ての始まりの町。
男が生み出した術式は、この町で幾つもの悲劇をもたらしていく。
運命を狂わされた者たちは、生と死の狭間で幾つもの涙を零す。
これは、四つの悲劇。
【魂】を巡る物語の始まりを飾る、四つの幻想曲――。
【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】
「――霧夏邸って知ってる?」
事故により最愛の娘を喪い、 降霊術に狂った男が住んでいた邸宅。
霊に会ってみたいと、邸内に忍び込んだ少年少女たちを待ち受けるものとは。
【三神院幻想 ―Dawn comes to the girl―】
「どうか、目を覚ましてはくれないだろうか」
眠りについたままの少女のために、 少年はただ祈り続ける。
その呼び声に呼応するかのように、 少女は記憶の世界に覚醒する。
【流刻園幻想 ―Omnia fert aetas―】
「……だから、違っていたんだ。沢山のことが」
七不思議の噂で有名な流刻園。夕暮れ時、教室には二人の少年少女がいた。
少年は、一通の便箋で呼び出され、少女と別れて屋上へと向かう。それが、悲劇の始まりであるとも知らずに。
【伍横町幻想 ―Until the day we meet again―】
「……ようやく、時が来た」
伍横町で降霊術の実験を繰り返してきた仮面の男。 最愛の女性のため、彼は最後の計画を始動する。
その計画を食い止めるべく、悲劇に巻き込まれた少年少女たちは苛酷な戦いに挑む。
伍横町の命運は、子どもたちの手に委ねられた。
暗闇の中の囁き
葉羽
ミステリー
名門の作家、黒崎一郎が自らの死を予感し、最後の作品『囁く影』を執筆する。その作品には、彼の過去や周囲の人間関係が暗号のように隠されている。彼の死後、古びた洋館で起きた不可解な殺人事件。被害者は、彼の作品の熱心なファンであり、館の中で自殺したかのように見せかけられていた。しかし、その背後には、作家の遺作に仕込まれた恐ろしいトリックと、館に潜む恐怖が待ち受けていた。探偵の名探偵、青木は、暗号を解読しながら事件の真相に迫っていくが、次第に彼自身も館の恐怖に飲み込まれていく。果たして、彼は真実を見つけ出し、恐怖から逃れることができるのか?
グリムの囁き
ふるは ゆう
ミステリー
7年前の児童惨殺事件から続く、猟奇殺人の真相を刑事たちが追う! そのグリムとは……。
7年前の児童惨殺事件での唯一の生き残りの女性が失踪した。当時、担当していた捜査一課の石川は新人の陣内と捜査を開始した矢先、事件は意外な結末を迎える。
この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。
二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。
彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。
信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。
歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。
幻想、幻影、エンケージ。
魂魄、領域、人類の進化。
802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。
さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。
私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。
幻影のアリア
葉羽
ミステリー
天才高校生探偵の神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、とある古時計のある屋敷を訪れる。その屋敷では、不可解な事件が頻発しており、葉羽は事件の真相を解き明かすべく、推理を開始する。しかし、屋敷には奇妙な力が渦巻いており、葉羽は次第に現実と幻想の境目が曖昧になっていく。果たして、葉羽は事件の謎を解き明かし、屋敷から無事に脱出できるのか?
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
闇の残火―近江に潜む闇―
渋川宙
ミステリー
美少女に導かれて迷い込んだ村は、秘密を抱える村だった!?
歴史大好き、民俗学大好きな大学生の古関文人。彼が夏休みを利用して出掛けたのは滋賀県だった。
そこで紀貫之のお墓にお参りしたところ不思議な少女と出会い、秘密の村に転がり落ちることに!?
さらにその村で不可解な殺人事件まで起こり――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる