この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden―

至堂文斗

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Seventh Chapter...7/25

戻らない日常

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 水死体。
 双太さんの言葉を、私はちゃんと受け止めることができなかった。
 何の冗談だろう? そう思ってしまったくらいだ。
 だって、昨日まではあんなに元気で、電波塔について滔々と語っていた永射さんが。
 今日になって水死体で発見されただなんて、信じられるはずがなかった。
 永射孝史郎さん。満生台のリーダー的存在である、謎多き人物。
 人伝に彼の死を聞いたところで、そこには何の実感もありはしなかった。
 電話口に人の死を聞くというのは、きっとこんな感じなのだろう……。

「どういうわけか、第一発見者は玄人くんらしい」

 私にとって、大きな衝撃があったのはむしろその台詞だった。
 玄人が、何故? それも、鬼封じの池で。
 次から次へと理解の範疇を超える出来事ばかりで、私の頭は混乱するばかりだ。
 貴獅さんからの情報によると、佐曽利さんから病院へ電話が入り、鬼封じの池で永射さんが死んでいるらしい、と伝えられたそうだ。その佐曽利さんも、池から逃げるように戻ってきた玄人から話を聞いたという。まるで伝言ゲームだ。
 電話を受け、貴獅さんと牛牧さんがすぐ現場へ直行したらしい。さっき双太さんに入った連絡は、貴獅さんが出発直前に状況を伝えておこうとかけてきたものだったわけだ。
 話を聞いてから、こうやって整理して。私はようやく、永射さんが死んだという事実を認識できてきたような気がする。
 そう……本当に、彼は亡くなったのだ。
 双太さんは今、傘を差し車外へ出て、土砂崩れの現場を詳しく確認している。私は相変わらず車内でぼーっとしたままだ。双太さんもある程度調査が済んだら、病院へ引き返して貴獅さんたちと情報共有する予定らしい。
 ……私も、情報共有はしておきたいな。

『永射さんが亡くなったってホント?』

 スマホを取り出し、私は玄人にメッセージを送った。
 彼がどうして第一発見者になったかは分からないが、その理由を聞ける状況かも不明だ。チャットに返信だけでもしてくれたら良い方だろう。
 予想よりも早く返事はきた。いつもながら、丁寧な文章だ。

『本当。詳しくは分からないけど、もうちょっと調べることになりそう』

 詳しくは分からない、か。まあ、玄人自身も永射さんが鬼封じの池に浮かんでいた理由なんて、さっぱり分からないのには違いない。文面的に、第一発見者としてこれから貴獅さんたちの聴取を受けるのだろう。

『大変ね。私は、双太さんと土砂崩れの現場にいるわ。その話は知ってる?』
『土砂崩れは知ってる。一緒にいるんだね』
『うん。変なことばっかりね』

 土砂崩れのことは恐らく、貴獅さんから聞いたのか。どうやら私が同行していることは、貴獅さんは知らないようだ。まあ、半ば強引に乗らせてもらったし、当然と言えば当然かもしれない。
 二つの現場。そこに私と玄人がいるとは、何とも奇妙な偶然というか。

「ごめん、お待たせ」

 玄人からもう少し情報を聞き出そうか迷っていたところで、双太さんが戻ってくる。土砂崩れの現場調査は終わったようだ。強い雨のせいで大きな傘もあまり役に立っておらず、袖の辺りは結構濡れてしまっている。私はハンカチをそっと差し出して、おかえりなさいと告げた。

「はは……ありがとう」
「いえいえ。……やっぱり酷い状況ですよね」
「ちょっと横の斜面を登って、先まで確認したけど……相当だね。隣町までは徒歩だと半日はかかるだろうし、まあ出る人はいないだろうけど、しばらくは街から出れないと思った方がよさそうだ」

 引っ越してきてから、街の外へ出たことは一度もない。要するに満生台は、帰省する場所がない限りはずっと暮らしていける街ではある。
 短期的には、特に問題はないとみていいのか。もしも工事が長引いた場合は心配だな。

「玄人くんに連絡を?」
「あ、バレてましたか。まあ、玄人も事情を聞かれるみたいなんで、ちょっとだけしか。……永射さん、本当に亡くなったんですね」
「僕も、嘘だと思いたいけどね」

 そう言いながら、双太さんはゆっくりと頷く。
 これは現実なのだと、自分に理解させるように。

「……とりあえず、そろそろ帰ろうか。長いこと付き合わせちゃって、嫌なことも聞かせちゃってごめんね」
「双太さんが謝ることじゃないですよ。一日で色々起きて……これから大変ですね」
「まあ、その辺は大人が頑張ることだ」

 その大人には、双太さんも含まれているのだが。私は自分の無力さを感じながら、彼に頑張ってくださいと、ただそれだけを伝えた。
 双太さんは優しく微笑んで、ありがとう、とまた言ってくれた。
 こうして私は、土砂崩れの現場を引き返し、家の前まで送ってもらって双太さんと別れた。
 雨には濡れずに済んだけれど、その代わりに、大変なことを聞いてしまった。
 事件はすぐさま街中に知れ渡るだろう。永射さんの死が街の人々に及ぼす影響を考え、私は憂鬱になった。
 ……鬼の祟りなんて、言われなければいいのだけれど。





 家に帰ってからの時間は早かった。両親にはありのままの出来事を説明し、永射さんの死がそのうち仁科家にも伝わってくるだろうと締め括った。二人とも、私の話にすっかり驚いた様子だったが、最初から最後まで真剣に聞いてくれて、こちらとしても話しやすかった。
 予想通り、永射さん死亡の情報は夕方ごろに回ってきた。ご近所さんとの井戸端会議というか、わざわざ奥様方を集めて伝えた人がいるらしい。満生台のような小さなコミュニティでは、隠し事などそうそう上手くいかないものだなと思わされる。よくもまあ、私たちの秘密基地はバレていないものだ。
 玄人とはチャットで何度かやりとりをしたものの、こちらの情報を伝えるのが大半で、彼自身の体験は上手く文章にできないので、明日学校で話すとのことだった。生殺しに近い状態だが、一日くらいならまあ待ってあげよう。
 残る問題は、虎牙のことだ。
 彼に対しても何度か、チャットでメッセージを送信してみたのだが、一向に既読が付くことはない。いつもなら、多少は遅れることもあるが返事くらいはしてくれる。軽薄そうに見えるのは表面だけで、彼の根はとても誠実だと私たちは知っている。
 そんな虎牙が、夜になってもまだ連絡を寄越さないというのは流石に奇妙だった。よほど酷い熱を出して寝込んでいる? いや、それでも一つメッセージを送るくらいならするはずだ。代わりに佐曽利さんが連絡をしてくれてもいい。とにかく一切の音信不通は、どこかおかしかった。

 ――明日までには、あいつのことも何か分かるかしら。

 目まぐるしい一日で、気分が沈んで。たった一日会えなかっただけだけど、酷く恋しくなる。
 その恋しさを意識して、私はやっぱりなと思うのだ。
 虎牙に、殊更好意を持っている自分に。

「……戻ってきたら覚悟しなさいよ、チクショウ」

 そう独り言ちて、私はベッドに潜り込む。
 結局この日も、寝つけたのは日付が変わった後のことだった。
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