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Fifth Chapter...7/23

道標の碑

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「……ん?」

 教科書に手を伸ばそうとして、私はふと気付く。
 昨日の朝、ミムーを戻した棚の近く。
 そこに本ではなく、紙片が挟まっていることを。
 これは何だったっけと、私は紙片を抜き取ってみる。
 そのA4サイズの紙は、かつて私が描いた満生台の地図だった。

「うわ……懐かし」

 本当に懐かしかったので、つい声が漏れてしまう。
 これは、玄人が来るよりも前……一年以上前に作ったものだったからだ。
 当時、虎牙と満雀ちゃんで話題に上ったこと。
 その謎を解明するためにと自作したものだったのだが。

 ――確か、この丸よね。

 満生台の地図なら、簡易的なものが学校に掲示されてはいる。
 ただ、私たちの目的は自分たちの地図を作りたい、というものではなかった。
 この地図はあくまでも手段。私たち三人は、ここに一つの調査結果を残したかったのだ。
 それは、街中に点在する道標の碑の数だった。
 三鬼村時代から存在する不思議な碑。村人たちにとってまさしく道標になっていたからその名前がついたとされるその碑だが、意外にも住民全員があまり道標の碑に対して関心を持っていなかった。私たちはこの碑に興味を持ったのである。
 そう、別に鬼の伝承のような、恐ろしい意味合いが込められたものではない。当時の村人たちが道標にしていたから。とてもシンプルで、関心を持たないのも頷ける。
 けれど、その数がとても多いというのは一つ、私たちにとって気になる点だったのだ。
 だから私たちは、道標の碑が果たして幾つあるのかを、数えてみようという話になった。
 そして、この地図に発見した碑の場所を記していくことにしたのだ。
 ……まあ、結論から言えばその計画は頓挫したのだが。

「ひい……凄い数ねえ」

 また、思わず独り言が漏れる。
 大きめに地図を描いたはずなのだけれど、その地図にはびっしりと丸が記されていた。
 この丸全てが道標の碑。
 その数を数えるだけでも、かなりの時間がかかってしまいそうだ。
 そう、結局子どもの考えたことというか、私たちは調査を進めるにつれ、その数の多さに辟易し、投げ出してしまったのだ。
 そもそも、昨日鬼封じの池に行った際見たように、子どもが立ち入れなさそうな場所にさえ道標の碑があるのだから、全てを数え切れる自信など、すぐに無くなってしまった。
 最後に幾つまで書き記したかを思い出そうと試みる。しばらく時間はかかったが、虎牙と二人で七百を突破したのを確認した記憶に行き着いた。だからここには、実に七百以上の丸があることになる。
 本当、とんでもない自由研究だったな。

「……まさか、なあ」

 この碑が八〇二個存在するなら。
 七百個以上という情報から、私は何となくそんなことを考える。
 でも、実際それも有り得るのかもしれない。
 何故なら、廃墟があった鬼封じの池にも、結構な数の道標の碑が立てられていたのだから。
 
 ――道標の碑が、鬼を封じている結界みたいにも見えちゃうよ。

 探検のときの、玄人の言葉を思い出す。
 彼の発言に、私もなるほどなと感じたものだ。
 道標の碑が、仮に鬼を封じる結界の役割を果たしているのだとしたら。
 その碑が池だけでなく街全体に張り巡らされているのは、ひょっとして。
 ……三鬼村を、鬼の狂気から守るため。
 当時の住民たちは、そう考えて道標の碑を立てていったのだろうか――。

「……痛ッ」

 思考がそこまで達したとき、突如として私は頭痛に襲われた。
 ピリリと電気が走る程度の軽い痛みではあったものの、思わず顔をしかめる。
 そこで、はたと気付いた。
 これは多分、前兆なのだと。

 ――自動筆記。

 これまでの経験上、自動筆記が起きるのは必ず夜。そしてそれは、軽い頭痛を伴って発動される。
 今はまさしく条件的に合致した瞬間だった。
 私はすぐさまノートを引っ張り出し、目の前に空白のページを広げる。
 そして痛む頭から手を離し、その手でペンを握った。
 すると。

 ――あれ?

 これまでは、頭痛の後にすぐ自動筆記が始まっていたのだが、今回は違った。
 代わりに、奇妙な音が微かに聞こえてきたのだ。
 だが、音を発している物は近くになく、これは耳鳴りだろうかと疑問に思う。
 その音は、少しずつ低いものになっていった。

 ――ウゥ……ン。

 まるでそれは……鬼の息遣いのような。
 違う、ただの耳鳴りだ。
 そう自分に言い聞かせるように、私はぎゅっと目を閉じて机に伏した。
 けれども音は一向に静まらない。キーンというような音ではなく、ヴーンというような低い音がずっと続いている。
 早く治まれ。そう思っているうちに、別の異変が起こる。
 僅かな欠落。自分が気付かぬ間に、手の位置が変わっている不思議。
 酸素の欠乏を感じて、私は慌てて口呼吸をする。
 間違いなく、この感覚は自動筆記だ。
 発動と引き換えに、耳障りな音は消えていた。
 今のは新しい前兆だったのかもしれない。
 とにかく目を開ければそこには、四日前と同じように何らかの文字が記されているに違いない。
 私はゆっくりと目を開けた。
 そして――ノートに書かれた一文字を見て。
 一瞬で、血の気が引いた。

「……え……」

 思わず、ペンを取り落とす。
 そこに書かれた文字は、私の想像を絶するものだった。
 この文字を、自分の手が書き記したということに、私は驚愕する。
 戦慄する。
 ノートには、単にそう見えるというレベルではなく、ハッキリと一つの文字が記されていた。

「死……」

 死。ただ一文字だけで、人を恐怖へと陥れる言葉が。
 何で。
 どうしてどうしてどうして。
 あまりの恐ろしさに、私は冷や汗を流しながら立ち上がる。
 その拍子に椅子が倒れそうになり、慌てて止めた。
 手が、冷たい。いや、手だけではなく足もだ。
 痺れるような感覚。貧血で倒れてしまいそうだった。
 何かの間違いであってほしい。縋るような思いから、私はほとんど反射的に、スマホを手に取っていた。
 そして、グループチャットを開く。

『私たち、鬼に呪われたりしてないよね』

 なるべく冗談ぽく受け取られるように、軽い文面を意識してメッセージを送った。けれど、シンプル過ぎるのもかえって怖いかもしれない。
 修正しようかと思ったところで、既読が一つついてしまった。虎牙はすぐに見ないだろうから、これは恐らく玄人だ。
 予想に違わず、返事は玄人からだった。

『どうして?』

 そこで私は、カメラアプリを開いてノートのページを写真に撮る。それをチャットに貼り付け、震える指で送信ボタンを押した。
 馬鹿馬鹿しい。虎牙なら、バッサリ切り捨ててくれるだろう。玄人にもそれを期待していいかな。
 でもきっと、彼のことだから自分も怖くなってしまうんだろうな。
 自分が楽になるために、恐怖を共有しようと思ってしまったことに僅かな罪悪感を覚えつつ、私は返事を待った。
 玄人からの返事は、存外早くに来た。
 但しそれは、チャットではなく電話で。
 想定外の着信音に驚きながらも、私は通話のボタンを押してその電話に出た。

『もしもし?』

 意外にも落ち着き払った玄人の声。
 その声に私は助けられた。
 彼の方も動揺してはいたのだろうが、私を宥めなければと思ってくれたのだろう。
 普段の彼らしい、優しい言葉が次々と私にかけられた。

「……だから、また無意識なの。絶対に、自分で書いたんじゃなくてさ」
『うん。龍美が言うんだから疑ってなんかないよ。でも、そうだね……きっと偶然。そう思う方がいい』
「偶然……」

 偶然頭痛がして。偶然意識を失って。
 そして気付けば、無意識に動いた手が偶然『死』という文字を書いている。
 そんなこと、奇跡でもなければ有り得ないのだと、いっそ笑い出しそうにもなった。
 けれど……そうでも思っておかなければ、確かにこの恐怖は抑え込めない。
 玄人も、無理があることを承知で、思いつく限りを口にして私を宥めてくれているのだ。

「……ごめん、ありがと」

 彼の声に幾らか落ち着きを取り戻して。
 感謝を伝えると、私は急に恥ずかしくなってきた。
 こんなにしおらしい私は、らしくないな。
 虎牙になんか、絶対に見せられない。

「玄人が電話してきてくれて助かったわ。おかげでちゃんと眠れそう」
『あはは……それなら良かった』

 きっと、電話の向こうで苦笑しながら頭を掻いているのだろう。その姿は簡単にイメージできる。

「じゃあ……ごめん、また明日ね」
『ん、おやすみ』
「おやすみなさい」

 家族以外におやすみを言われたのは、相当久しぶりだな。そんなことを思いながら、私は通話を切る。
 ……胸に手を当てると、鼓動はまだ少し早かったけれど、もう大分落ち着いていた。
 悲観的に考えすぎだ。そう思うことにしておこう。
 悪いところがあるのなら、また双太さんに見てもらえばいいのだし。
 勉強をする気にはもうなれない。玄人の『おやすみ』をリフレインさせながら、私はさっさとベッドに入る。
 やっぱりしばらくは寝付けなかったけれど、時計の針が頂点を差すよりは前に、私は眠りの中へと落ちていくことができたのだった。
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