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First Chapter...7/19
健診が終わって
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「……ふう」
しばらくの間、パソコンに向かってかなりの速度でキーボードを叩いていた双太さんが、背を反らせて伸びをした。どうやら私のカルテを打ち終わったらしい。この病院は電子カルテを導入していて、紙媒体は極端に少ないようだった。
「そのカルテを、どこかへ送ったりすることはあるんですか?」
「今のところはないけど、こうした形態が普及していけば、患者情報の共有は珍しいことじゃなくなっていくだろうと僕は思ってるよ。今回の電波塔設置も、理由の一つには病院の将来を見据えた動きだというのがあるからね」
「なるほどー」
通信技術の発達は、割と様々な分野に効用をもたらすんだなあ、と私は感心した。
「現状でも、街には無線が通ってますよね」
「そこまで強度はないけれどね。永射さん主導で、その方面の開発が進んできたから」
「『満ち足りた暮らし』のためですね」
「うん。病院側も行政側も、一応協力しあって頑張っているよ」
一応、というところに双太さんの苦労が垣間見えた。掲げるものは同じでも、やはりその計画策定で、衝突することも間々あるのだろう。
「レッドアイが使われ始めたのは永射さんの進言によるしね」
「通信プログラムですよね?」
「うん。全国的に普及しているプログラムではあるけれど、この病院に通う人にとっても大事なものになった」
「活躍してるんですなあ」
「実を言えば、僕も生まれつき耳が悪いからね。あのプログラムのおかげで助かったと思っているよ」
「そうなんですか? 知らなかった……」
健康そうに見える双太さんにも、そんなハンディキャップがあったのだなあ。聞かれなければ答えたくないことだろうが、今日までそのことを知らなかったという事実がちょっと嫌だった。
「今日の健診はこれで終わりだ。お疲れ様。もう龍美ちゃんもここへ来て二年だし、健診ももっと間隔を開けてよさそうかな」
「えー、楽しみにしてるのに」
「はは……嬉しいけど、雑談しに来てもらってるんじゃないからね」
「雑談しにきてるんですよ?」
「もう、龍美ちゃんったら」
二人で笑い合う。これがもし貴獅さんだったなら、それはそれは怖い目で睨まれることだろう。いつも双太さんが担当してくれて良かったなあと思う。
「そういえば、満雀ちゃんは?」
「えっと、治療の件で色々とあるからね。あんまり出歩けなくなったんだ」
「そうなんだ……いつにも増して、寂しいでしょうね」
「だね……」
満雀ちゃんというのは、私のクラスメイトで親友の、久礼満雀ちゃんのことだ。彼女はこの病院で副院長を務めている、久礼貴獅さんの一人娘だ。実は、久礼家の住まいはここ、満生総合医療センターの中にあり、一階の端の方が居住スペースになっている。いつでも患者対応ができるようにとのことらしいが、そこまでするだろうか。なんか怪しいなと私は勝手に訝しんでいたり。
そんな事情もあり、満雀ちゃんは病院内で生活しているので、私や知り合いが健診に来たときは、診察室まで顔を見せに来てくれることも多いのだ。それが今回なかったので、気になって双太さんに尋ねた次第だった。
満雀ちゃんも、生まれつき体が強くない。そのために、激しい運動は出来ず、常に誰かが付き添っていないといけない状態だった。双太さんは、そんな満雀ちゃんの主治医兼お世話係として、常日頃から彼女のそばについてあげていた。双太さんを知るほとんどの人は、彼が同じ仕事をしている早乙女優亜さんと仲睦まじくしていると言うけれど、私はそれよりも、満雀ちゃんとの時間の方が長いんじゃないかなと推理している。それは勝手な妄想だけど。
「学校にはちゃんと行くよ、心配しないで」
「なら良かったです。元気付けてあげなきゃ」
「うん、よろしく頼むよ」
そう言った双太さんの笑顔を見たら、やっぱり勘繰ってしまうじゃないですか。これでも女の子だし。
「じゃあ、これで失礼しますねー」
「はいはい、龍美ちゃんも元気に学校、来てね」
「もちろんですとも!」
憂いの晴れたような一番の笑みを浮かべて、私は双太さんに別れを告げ、診察室を出た。
待合室には、もう誰の姿もない。そろそろ晩御飯かという時間だし、今日はこれ以上診察には来なさそうだ。夕暮れの、切なくなりそうな赤色が、ガラス越しに院内へ射し込んできている。
ふと、廊下の方に目をやると、車椅子が一台、隅に放置されていた。よく使うものなのに、こんなところに置いてあっていいんだろうか。
そういえば、この車椅子って誰が使っていたっけ。急に気になって考えてみたのだが、どうしても思い出せなかった。
諦めて帰ろうとしたとき、入口の自動ドアが開閉する音が聞こえてきた。患者さんかな、と視線をそちらに向けると、貴獅さんと早乙女さんの姿が目に入った。外から戻ってきたらしい。
「……プログラムに今の所大きな障害はないが……」
「満雀ちゃんも、分かってくれてるみたいですしね……」
どうやら満雀ちゃんについて話しているようだ。顔つきは真剣そのもので、プライベートなことではなく、彼女の病状について話し合っているように思える。
二人は、私が待合室にいることに遅れて気付いて、話を打ち切り軽く会釈をしてくる。私も頭をちょこんと下げて二人の隣を通り抜け、病院を後にした。
「…………」
駐車場で立ち止まって、私はさっきの会話を思い返してみる。……プログラムと貴獅さんは口にしていたが、それは満雀ちゃんの病気を治すための治療計画なんだろうか。そんな計画が立てられるほどなら、私が思っている以上に、彼女の病状は深刻なのかもしれない。
満雀ちゃんを元気付けてあげなくちゃ。使命感のような思いが湧き上がって来る。
ここで得た大事なものを、ずっと守っていきたいのだ。私は今度こそ、一人ぼっちにはならない。
しばらくの間、パソコンに向かってかなりの速度でキーボードを叩いていた双太さんが、背を反らせて伸びをした。どうやら私のカルテを打ち終わったらしい。この病院は電子カルテを導入していて、紙媒体は極端に少ないようだった。
「そのカルテを、どこかへ送ったりすることはあるんですか?」
「今のところはないけど、こうした形態が普及していけば、患者情報の共有は珍しいことじゃなくなっていくだろうと僕は思ってるよ。今回の電波塔設置も、理由の一つには病院の将来を見据えた動きだというのがあるからね」
「なるほどー」
通信技術の発達は、割と様々な分野に効用をもたらすんだなあ、と私は感心した。
「現状でも、街には無線が通ってますよね」
「そこまで強度はないけれどね。永射さん主導で、その方面の開発が進んできたから」
「『満ち足りた暮らし』のためですね」
「うん。病院側も行政側も、一応協力しあって頑張っているよ」
一応、というところに双太さんの苦労が垣間見えた。掲げるものは同じでも、やはりその計画策定で、衝突することも間々あるのだろう。
「レッドアイが使われ始めたのは永射さんの進言によるしね」
「通信プログラムですよね?」
「うん。全国的に普及しているプログラムではあるけれど、この病院に通う人にとっても大事なものになった」
「活躍してるんですなあ」
「実を言えば、僕も生まれつき耳が悪いからね。あのプログラムのおかげで助かったと思っているよ」
「そうなんですか? 知らなかった……」
健康そうに見える双太さんにも、そんなハンディキャップがあったのだなあ。聞かれなければ答えたくないことだろうが、今日までそのことを知らなかったという事実がちょっと嫌だった。
「今日の健診はこれで終わりだ。お疲れ様。もう龍美ちゃんもここへ来て二年だし、健診ももっと間隔を開けてよさそうかな」
「えー、楽しみにしてるのに」
「はは……嬉しいけど、雑談しに来てもらってるんじゃないからね」
「雑談しにきてるんですよ?」
「もう、龍美ちゃんったら」
二人で笑い合う。これがもし貴獅さんだったなら、それはそれは怖い目で睨まれることだろう。いつも双太さんが担当してくれて良かったなあと思う。
「そういえば、満雀ちゃんは?」
「えっと、治療の件で色々とあるからね。あんまり出歩けなくなったんだ」
「そうなんだ……いつにも増して、寂しいでしょうね」
「だね……」
満雀ちゃんというのは、私のクラスメイトで親友の、久礼満雀ちゃんのことだ。彼女はこの病院で副院長を務めている、久礼貴獅さんの一人娘だ。実は、久礼家の住まいはここ、満生総合医療センターの中にあり、一階の端の方が居住スペースになっている。いつでも患者対応ができるようにとのことらしいが、そこまでするだろうか。なんか怪しいなと私は勝手に訝しんでいたり。
そんな事情もあり、満雀ちゃんは病院内で生活しているので、私や知り合いが健診に来たときは、診察室まで顔を見せに来てくれることも多いのだ。それが今回なかったので、気になって双太さんに尋ねた次第だった。
満雀ちゃんも、生まれつき体が強くない。そのために、激しい運動は出来ず、常に誰かが付き添っていないといけない状態だった。双太さんは、そんな満雀ちゃんの主治医兼お世話係として、常日頃から彼女のそばについてあげていた。双太さんを知るほとんどの人は、彼が同じ仕事をしている早乙女優亜さんと仲睦まじくしていると言うけれど、私はそれよりも、満雀ちゃんとの時間の方が長いんじゃないかなと推理している。それは勝手な妄想だけど。
「学校にはちゃんと行くよ、心配しないで」
「なら良かったです。元気付けてあげなきゃ」
「うん、よろしく頼むよ」
そう言った双太さんの笑顔を見たら、やっぱり勘繰ってしまうじゃないですか。これでも女の子だし。
「じゃあ、これで失礼しますねー」
「はいはい、龍美ちゃんも元気に学校、来てね」
「もちろんですとも!」
憂いの晴れたような一番の笑みを浮かべて、私は双太さんに別れを告げ、診察室を出た。
待合室には、もう誰の姿もない。そろそろ晩御飯かという時間だし、今日はこれ以上診察には来なさそうだ。夕暮れの、切なくなりそうな赤色が、ガラス越しに院内へ射し込んできている。
ふと、廊下の方に目をやると、車椅子が一台、隅に放置されていた。よく使うものなのに、こんなところに置いてあっていいんだろうか。
そういえば、この車椅子って誰が使っていたっけ。急に気になって考えてみたのだが、どうしても思い出せなかった。
諦めて帰ろうとしたとき、入口の自動ドアが開閉する音が聞こえてきた。患者さんかな、と視線をそちらに向けると、貴獅さんと早乙女さんの姿が目に入った。外から戻ってきたらしい。
「……プログラムに今の所大きな障害はないが……」
「満雀ちゃんも、分かってくれてるみたいですしね……」
どうやら満雀ちゃんについて話しているようだ。顔つきは真剣そのもので、プライベートなことではなく、彼女の病状について話し合っているように思える。
二人は、私が待合室にいることに遅れて気付いて、話を打ち切り軽く会釈をしてくる。私も頭をちょこんと下げて二人の隣を通り抜け、病院を後にした。
「…………」
駐車場で立ち止まって、私はさっきの会話を思い返してみる。……プログラムと貴獅さんは口にしていたが、それは満雀ちゃんの病気を治すための治療計画なんだろうか。そんな計画が立てられるほどなら、私が思っている以上に、彼女の病状は深刻なのかもしれない。
満雀ちゃんを元気付けてあげなくちゃ。使命感のような思いが湧き上がって来る。
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