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十章 ヒカル五日目

支配 ②'

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 村の南から続く、手入れもされていない、細い道。
 ふもとへと続くその道を歩いていた僕らは、ふと、視線の先に人影があることに気づいた。

「……ねえ、あれ……人じゃない?」
「た、多分……」

 ここまで下りてくる村人はまずいない。黄地さんたちがふもとの村まで行くときだって、必ず車を使っている。徒歩でこの道を歩く人は、余程のことがないかぎりはいないはずだ。
 では、一体道の先に立っている人物は誰なのだろうか。
 それを確かめるため、進んでいくと。
 その男が、黒いスーツを着ていることに気付いた。
 そう、彼は四日前に、森の奥地へ向かう道で出会った男。
 夕闇と、そして謎に包まれたスーツ姿の男だった。

「……あ」
「こ、この人……」

 男は、ゆっくりと振り返りながら、僕らに向けてしゃべり始める。

「……また、会ったね。ヒカルくんに……クウちゃん」
「……え?」
「な、なんで私たちの名前……」

 クウは、自分の名が初対面の怪しい男に呼ばれた驚きで、表情を凍らせる。しかし、男はその反応をどこか面白がるように、

「……そうだね。、かな」

 そう言って微笑した。

「……昔から……」

 どういう意味だろう。鴇村に、彼のような人間はいないはずだ。村人だから知っている、ということではないだろう。
 それに、年齢からしても、この人が村から出て行った佐渡一比十という人物であるはずはなさそうだが。
 テレビで見る限り、カズヒトという人物の年齢は……。

「……あれ……」

 そこまで考えて、目の前の男の容姿に、ある面影があることに気付く。
 それは。

「……ヒカルのお父さんに、似てる?」
「……そう、だね……」

 クウもすぐに気づいたようで、僕に囁きかけてくる。
 そう。この人は、……僕の父さんに、似ているのだ。
 もしかして、という思いが、脳裡をよぎった。

「……その昔、佐渡一比十という人が、村の外に出て行って、裏切り者と言われているらしいけれど。その裏で、本当は青野家からも逃亡者が出ていた……もし、そうだったとしたら……」
 この人は、例えば父さんの兄妹とか、近親者なのだとすれば、容姿が青野家の者に似ていることも、説明がつく。
 だが、それはつまり……。

「……そうすると、目の前の人物は、家からも村からも抹殺された人間、ということになるね」
「……」

 この男は、村からすれば、闇に葬った人間ということになる。しかし、もしそうだとすれば、そんな男がどうして今更この村に。
 ……ひょっとすると。
 この男は、本当に危険な人間かもしれない――。

「……はは、頭の良く回る子だね。少し羨ましいくらいだ。だけど、そうだな。……その想像は、違う」

 そう言うと、男は悲しげな笑みを浮かべて、

「私にとっての村は、もうなくなってしまったんだ」

 そんな、謎めいた言葉を発した。

「何言ってるのかしら、あの人」

 やっぱり危ない人なんじゃないか、という感じにクウは囁いてくる。
 けれど、僕は不思議と男の話をもっと聞きたくなっていた。

「……あと二日か。……やっぱり、君たちにも協力してもらわないといけないか」
「一体、何の話をしているんです?」
「いや……ちょっと、どころじゃないか。結構危ない話ではあるんだ。でも、いずれにしても避けては通れない話」

 僕の問いかけに、彼はわざと曖昧な言い方で説明する。

「聞いてくれるのなら、今から私について来てくれないかな。この先の……そうだな、静かな場所で、話したい」
「……どうするの?」

 クウはどちらかと言えば、やはり胡散臭そうにしている。回れ右をして帰りたい、という顔だ。
 だけど、僕の答えは決まっていた。

「行きます」
「うん。そう言ってくれると思っていたよ。じゃあ、ついてきてくれ」
「はい」

 普通ならば、目の前の男は不審者であり、易々とついていっていいような人間ではない。それは理解している。
 けれど、心の奥底から、訴えかけるものがあった。
 この邂逅には、意味があるのだということを。

「あの……すいません」

 僕は、背を向けて歩き出す彼を追おうとして、あることを思い出し、声をかける。

「うん?」
「あなたの名前は……何ていうんですか?」
「…………」

 男は、しばらく考えた後、

「おじさんと呼んでくれたら、それでいいさ。もし、名前がいいなら……とでも呼んでくれ」
「……分かりました、コウさん」
「分かったじゃないよー、もう!」

 後ろから、クウがヤケを起こしたような声で言いながらも、ついてくる。
 それを見つめながら笑う僕と、コウさんの笑顔が、どこか似通っていることに、僕は親近感を抱いた。





 ……そして。
 コウさんに連れられるようにして、僕らは十五分ほど、道を下り。
 その先に広がっていた、予想だにしなかった光景に、言葉を失うことになった。
 僕らの過ごしてきた長い長い日々が、そこで築き上げたものが、根底から覆される。そう感じるに足る驚愕が、そこには確かにあったのだ。

「……え? ちょっと、待ってください……これって」

 僕は、激しく打ち続ける心臓を押さえつけるよう、手を胸に当てたまま、やっとそれだけを口にする。
 信じられるわけがない。冗談だという答えがほしい。
 だって、そんなわけがないじゃないか。
 だって、僕らが住むこの村は、山奥の村なのだから。
 だけど、僕らの前に広がる、このは……。

「……こ、これって…………?」

 クウが、目を大きく見開きながら、掠れた声で呟いた。
 その隣で、コウさんはただ静かに、頷く。

「そんな馬鹿な! ここは、村だよ? 山奥にある、小さな村のはずなんだよ? そんな、森を下ってすぐに、海があるなんて、そんなこと……」

 そう、そんなはずはないのだ。ふもとには大きめの村があって、定期的に黄地家の人が食糧や日用品を買ってきたりしているのだから。
 その村がないなんて、そんなことはあり得るはずがない。
 でも……。

「……でも、これほど確かな光景はないよ」
「……」

 僕は、絶句する。どんな否定の言葉を並べても、この光景が全てであり、事実であることは、疑いようもなくて。

「これは湖ではない。正真正銘の海だ。道はここで終わり、先には果てしない海だけが広がっているんだよ」
「でも、じゃあ、鴇村って、……」
「……村、と呼んでも正解ではあるけれど、そうだね」

 コウさんは、眼前の青を見つめながら、告げる。

「言ってしまえば、ここは……と呼ぶべき場所なんだよ」

 そのとき僕は、今まで信じてきたもの全てに裏切られたような、……そんな寂寥に包まれた。





 パニックを起こしそうになっていたのが、少し収まったころ、コウさんはそろそろ大丈夫だろうと、説明を始めた。

「……ここは実際、鴇島と名のつけられた島でね。世間一般では、ここはトキを保護するための島だということになっている。山奥の村だというのは……要するに、なんだよ」

 理解しがたい言葉に、僕はすぐさま疑問をぶつける。

「設定……って、誰が設定したものなんです」
「……いいところを聞いてくるね」

 コウさんは苦笑し、

「だけど、こういうことは順序が大事だ」

 そう言って、村へ続く道へ戻り始めた。

「悪いけど、その質問は後回しにさせてもらおう。まずは、別の協力者と合流しようと思う」
「……別の協力者って?」

 クウがその背中に問いかけるのに、コウさんは振り向かずに答える。
 そこで出た名前が、さらに僕らを驚かせた。

「タロウくんたちだ」
「タロウ……!? タロウも、コウさんに協力しているんですか?」
「ああ。何故なら、黄地家が村人の中では 一番外に近い者だからね。交易という名目で、船を使って本州と島を行き来していたわけだし。その息子たちが、村の秘密を知らないわけがない」
「……それは、なるほど」

 確かに、ここが島ならば、今までふもとの村まで買出しに行っていた黄地家は、実際には島の外へ出ていたことになる。
 鴇村……いや、鴇島と言えばいいのか、とにかくここの実情を一番理解していただろう。
 タロウが疑問を抱き始めたのも無理ないことだったわけだ。

「だから、会いに行かなくてはね、タロウくんたちに。きっと今は、森の奥にある洞窟に隠れているはずだから」
「タロウくんかあ……大分会ってなかったけど、まさかそんなことになってるとは」

 腕組みをして、クウは悩まし気な顔をして言う。しかし、それが急に崩れて、

「……って、ん? コウさん、変なこと言いませんでした?」
「……そうかい?」

 確かに、コウさんはおかしなことを言った。
 僕もそれに気づき、訊ねようとしていたところだった。

「だって、タロウくんたちって……」

 クウは首を傾げながら聞く。コウさんはちらりと振り返り、そして微笑んだ。

「ああ、それで間違いないよ。何故かって、からさ」

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