22 / 41
十章 ヒカル五日目
支配 ②'
しおりを挟む村の南から続く、手入れもされていない、細い道。
ふもとへと続くその道を歩いていた僕らは、ふと、視線の先に人影があることに気づいた。
「……ねえ、あれ……人じゃない?」
「た、多分……」
ここまで下りてくる村人はまずいない。黄地さんたちがふもとの村まで行くときだって、必ず車を使っている。徒歩でこの道を歩く人は、余程のことがないかぎりはいないはずだ。
では、一体道の先に立っている人物は誰なのだろうか。
それを確かめるため、進んでいくと。
その男が、黒いスーツを着ていることに気付いた。
そう、彼は四日前に、森の奥地へ向かう道で出会った男。
夕闇と、そして謎に包まれたスーツ姿の男だった。
「……あ」
「こ、この人……」
男は、ゆっくりと振り返りながら、僕らに向けてしゃべり始める。
「……また、会ったね。ヒカルくんに……クウちゃん」
「……え?」
「な、なんで私たちの名前……」
クウは、自分の名が初対面の怪しい男に呼ばれた驚きで、表情を凍らせる。しかし、男はその反応をどこか面白がるように、
「……そうだね。昔から知っているから、かな」
そう言って微笑した。
「……昔から……」
どういう意味だろう。鴇村に、彼のような人間はいないはずだ。村人だから知っている、ということではないだろう。
それに、年齢からしても、この人が村から出て行った佐渡一比十という人物であるはずはなさそうだが。
テレビで見る限り、カズヒトという人物の年齢は……。
「……あれ……」
そこまで考えて、目の前の男の容姿に、ある面影があることに気付く。
それは。
「……ヒカルのお父さんに、似てる?」
「……そう、だね……」
クウもすぐに気づいたようで、僕に囁きかけてくる。
そう。この人は、……僕の父さんに、似ているのだ。
もしかして、という思いが、脳裡をよぎった。
「……その昔、佐渡一比十という人が、村の外に出て行って、裏切り者と言われているらしいけれど。その裏で、本当は青野家からも逃亡者が出ていた……もし、そうだったとしたら……」
この人は、例えば父さんの兄妹とか、近親者なのだとすれば、容姿が青野家の者に似ていることも、説明がつく。
だが、それはつまり……。
「……そうすると、目の前の人物は、家からも村からも抹殺された人間、ということになるね」
「……」
この男は、村からすれば、闇に葬った人間ということになる。しかし、もしそうだとすれば、そんな男がどうして今更この村に。
……ひょっとすると。
この男は、本当に危険な人間かもしれない――。
「……はは、頭の良く回る子だね。少し羨ましいくらいだ。だけど、そうだな。……その想像は、違う」
そう言うと、男は悲しげな笑みを浮かべて、
「私にとっての村は、もうなくなってしまったんだ」
そんな、謎めいた言葉を発した。
「何言ってるのかしら、あの人」
やっぱり危ない人なんじゃないか、という感じにクウは囁いてくる。
けれど、僕は不思議と男の話をもっと聞きたくなっていた。
「……あと二日か。……やっぱり、君たちにも協力してもらわないといけないか」
「一体、何の話をしているんです?」
「いや……ちょっと、どころじゃないか。結構危ない話ではあるんだ。でも、いずれにしても避けては通れない話」
僕の問いかけに、彼はわざと曖昧な言い方で説明する。
「聞いてくれるのなら、今から私について来てくれないかな。この先の……そうだな、静かな場所で、話したい」
「……どうするの?」
クウはどちらかと言えば、やはり胡散臭そうにしている。回れ右をして帰りたい、という顔だ。
だけど、僕の答えは決まっていた。
「行きます」
「うん。そう言ってくれると思っていたよ。じゃあ、ついてきてくれ」
「はい」
普通ならば、目の前の男は不審者であり、易々とついていっていいような人間ではない。それは理解している。
けれど、心の奥底から、訴えかけるものがあった。
この邂逅には、意味があるのだということを。
「あの……すいません」
僕は、背を向けて歩き出す彼を追おうとして、あることを思い出し、声をかける。
「うん?」
「あなたの名前は……何ていうんですか?」
「…………」
男は、しばらく考えた後、
「おじさんと呼んでくれたら、それでいいさ。もし、名前がいいなら……コウとでも呼んでくれ」
「……分かりました、コウさん」
「分かったじゃないよー、もう!」
後ろから、クウがヤケを起こしたような声で言いながらも、ついてくる。
それを見つめながら笑う僕と、コウさんの笑顔が、どこか似通っていることに、僕は親近感を抱いた。
*
……そして。
コウさんに連れられるようにして、僕らは十五分ほど、道を下り。
その先に広がっていた、予想だにしなかった光景に、言葉を失うことになった。
僕らの過ごしてきた長い長い日々が、そこで築き上げたものが、根底から覆される。そう感じるに足る驚愕が、そこには確かにあったのだ。
「……え? ちょっと、待ってください……これって」
僕は、激しく打ち続ける心臓を押さえつけるよう、手を胸に当てたまま、やっとそれだけを口にする。
信じられるわけがない。冗談だという答えがほしい。
だって、そんなわけがないじゃないか。
だって、僕らが住むこの村は、山奥の村なのだから。
だけど、僕らの前に広がる、この青い景色は……。
「……こ、これって……海……?」
クウが、目を大きく見開きながら、掠れた声で呟いた。
その隣で、コウさんはただ静かに、頷く。
「そんな馬鹿な! ここは、村だよ? 山奥にある、小さな村のはずなんだよ? そんな、森を下ってすぐに、海があるなんて、そんなこと……」
そう、そんなはずはないのだ。ふもとには大きめの村があって、定期的に黄地家の人が食糧や日用品を買ってきたりしているのだから。
その村がないなんて、そんなことはあり得るはずがない。
でも……。
「……でも、これほど確かな光景はないよ」
「……」
僕は、絶句する。どんな否定の言葉を並べても、この光景が全てであり、事実であることは、疑いようもなくて。
「これは湖ではない。正真正銘の海だ。道はここで終わり、先には果てしない海だけが広がっているんだよ」
「でも、じゃあ、鴇村って、……」
「……村、と呼んでも正解ではあるけれど、そうだね」
コウさんは、眼前の青を見つめながら、告げる。
「言ってしまえば、ここは……鴇島と呼ぶべき場所なんだよ」
そのとき僕は、今まで信じてきたもの全てに裏切られたような、……そんな寂寥に包まれた。
*
パニックを起こしそうになっていたのが、少し収まったころ、コウさんはそろそろ大丈夫だろうと、説明を始めた。
「……ここは実際、鴇島と名のつけられた島でね。世間一般では、ここはトキを保護するための島だということになっている。山奥の村だというのは……要するに、設定なんだよ」
理解しがたい言葉に、僕はすぐさま疑問をぶつける。
「設定……って、誰が設定したものなんです」
「……いいところを聞いてくるね」
コウさんは苦笑し、
「だけど、こういうことは順序が大事だ」
そう言って、村へ続く道へ戻り始めた。
「悪いけど、その質問は後回しにさせてもらおう。まずは、別の協力者と合流しようと思う」
「……別の協力者って?」
クウがその背中に問いかけるのに、コウさんは振り向かずに答える。
そこで出た名前が、さらに僕らを驚かせた。
「タロウくんたちだ」
「タロウ……!? タロウも、コウさんに協力しているんですか?」
「ああ。何故なら、黄地家が村人の中では 一番外に近い者だからね。交易という名目で、船を使って本州と島を行き来していたわけだし。その息子たちが、村の秘密を知らないわけがない」
「……それは、なるほど」
確かに、ここが島ならば、今までふもとの村まで買出しに行っていた黄地家は、実際には島の外へ出ていたことになる。
鴇村……いや、鴇島と言えばいいのか、とにかくここの実情を一番理解していただろう。
タロウが疑問を抱き始めたのも無理ないことだったわけだ。
「だから、会いに行かなくてはね、タロウくんたちに。きっと今は、森の奥にある洞窟に隠れているはずだから」
「タロウくんかあ……大分会ってなかったけど、まさかそんなことになってるとは」
腕組みをして、クウは悩まし気な顔をして言う。しかし、それが急に崩れて、
「……って、ん? コウさん、変なこと言いませんでした?」
「……そうかい?」
確かに、コウさんはおかしなことを言った。
僕もそれに気づき、訊ねようとしていたところだった。
「だって、タロウくんたちって……」
クウは首を傾げながら聞く。コウさんはちらりと振り返り、そして微笑んだ。
「ああ、それで間違いないよ。何故かって、ジロウくんは生きているからさ」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
旦那様、愛人を作ってもいいですか?
ひろか
恋愛
私には前世の記憶があります。ニホンでの四六年という。
「君の役目は魔力を多く持つ子供を産むこと。その後で君も自由にすればいい」
これ、旦那様から、初夜での言葉です。
んん?美筋肉イケオジな愛人を持っても良いと?
’18/10/21…おまけ小話追加
桜の華 ― *艶やかに舞う* ―
設樂理沙
ライト文芸
水野俊と滝谷桃は社内恋愛で結婚。順風満帆なふたりの結婚生活が
桃の学生時代の友人、淡井恵子の出現で脅かされることになる。
学生時代に恋人に手酷く振られるという経験をした恵子は、友だちの
幸せが妬ましく許せないのだった。恵子は分かっていなかった。
お天道様はちゃんと見てらっしゃる、ということを。人を不幸にして
自分だけが幸せになれるとでも? そう、そのような痛いことを
仕出かしていても、恵子は幸せになれると思っていたのだった。
異動でやってきた新井賢一に好意を持つ恵子……の気持ちは
はたして―――彼に届くのだろうか?
そしてそんな恵子の様子を密かに、見ている2つの目があった。
夫の俊の裏切りで激しく心を傷付けられた妻の桃が、
夫を許せる日は来るのだろうか?
―――――――――――――――――――――――
2024.6.1~2024.6.5
ぽわんとどんなstoryにしようか、イメージ(30000字くらい)。
執筆開始
2024.6.7~2024.10.5 78400字 番外編2つ
❦イラストは、AI生成画像自作
sweet!!
仔犬
BL
バイトに趣味と毎日を楽しく過ごしすぎてる3人が超絶美形不良に溺愛されるお話です。
「バイトが楽しすぎる……」
「唯のせいで羞恥心がなくなっちゃって」
「……いや、俺が媚び売れるとでも思ってんの?」
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
家賃一万円、庭付き、駐車場付き、付喪神付き?!
雪那 由多
ライト文芸
恋人に振られて独立を決心!
尊敬する先輩から紹介された家は庭付き駐車場付きで家賃一万円!
庭は畑仕事もできるくらいに広くみかんや柿、林檎のなる果実園もある。
さらに言えばリフォームしたての古民家は新築同然のピッカピカ!
そんな至れり尽くせりの家の家賃が一万円なわけがない!
古めかしい残置物からの熱い視線、夜な夜なさざめく話し声。
見えてしまう特異体質の瞳で見たこの家の住人達に納得のこのお値段!
見知らぬ土地で友人も居ない新天地の家に置いて行かれた道具から生まれた付喪神達との共同生活が今スタート!
****************************************************************
第6回ほっこり・じんわり大賞で読者賞を頂きました!
沢山の方に読んでいただき、そして投票を頂きまして本当にありがとうございました!
****************************************************************
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる