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九章 ワタル五日目

支配 ②

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 カナエさんが挨拶をして、今日も学校での一日が終わる。
 来週から、元気にまた遊ぼうとクウに約束しておいてから、俺はツバサのもとに向かう。

「ツバサ。お願いがあるんだけど」
「うん?」
「今日、ツバサの家に行ってもいいかな?」
「えっ、……ええと。……うん、いいけど」

 そう答えたときの、ツバサの頬が明らかに赤らんでいたので、俺は慌てて、

「あー、……まあ、変な意味でじゃなくてだな。カエデさんに、俺から話をしてみたいってのがあってさ」
「あ、……ああ、うん」

 合点がいったのか、彼女は一つ頷いて、

「話せるような感じじゃないかもしれないけど……そうだね。ワタルくんからも、聞いてみてもいいかもしれないね」
「無理なら、それはそれでいいんだ。俺だって、話すのが嫌なことくらいはあるし。そういう話を強引に聞くわけにもいかないからな」

 もし聞けなければ、そのときは他に方法を見つけるまでだ。どこかにヒントくらいは転がっているだろう。
 タロウの思いに応えるためにも、俺はそれを見つけ出し、辿っていかなくてはいけないのだ。
 学校を出て左に曲がり、いつもツバサと合流する丁字路で、もう一度左に曲がる。あとは真っ直ぐ進めばすぐ、ツバサの家が、庭が見えてくる。
 何度も遊びに来ている家だとは言っても、女の子の家だと意識すると、やはりどんな場面であっても、多少は胸が高鳴ってしまうようだった。
 玄関の開き戸をガラガラと開け、ツバサが先に中へ入る。ただいま、という声の後に、俺が続き、

「……おじゃまします」

 奥にまでは届かないだろうが、とりあえずそう呟いた。

「……お母さん、あんまり歩けないから、和室で休んでると思う。行こっか」
「あ、ああ」

 やや上ずった声で返事をし、俺はツバサの後ろについて進んだ。
 和室への扉を開くと、ちゃぶ台の向こう側で座っているカエデさんがいた。以前会ってからどれくらいになるだろうか。家からほとんど出ることのないカエデさんとは、冗談でなく、二年くらいは会っていなかったような気がする。その頃のカエデさんと今のカエデさんを比べると、やはり病弱さが増しているように感じられた。

「こんにちは、カエデさん。お久しぶりです」
「……ワタルくんね。久しぶりだわ」

 カエデさんの笑みはとても弱々しく、声も少ししわがれている。話を続けてもいいのかと、気にしてしまうほどだった。
 しかし、聞くだけは聞いておきたい。そのためにここに来ているのだから。

「ごめんね、お母さん。ワタルくんが来てくれたのは、昨日のことがあったからなの。私、昨日ウチの仕事について聞いたよね。それは、ワタルくんが知りたいって言ったからなんだ」
「……そうなの」
「話しにくいことだというのは聞きました。その上で、押しかけてきたのは申し訳ないです。でも……知りたい理由ができてしまった。知らないままで、この村で過ごし続けるのは嫌だと、思ってしまったんですよ。……ウチの仕事のことを、知ったせいで」
「……ええ。いつか、来ると思ってたの」

 カエデさんは、ポツリとこぼす。

「いつか赤井家の仕事が受け継がれるときに、また、こんな日がくるんだろうとは……」
「……お母さん?」

 様子がおかしいことをすぐに感じ取り、ツバサは母の顔を覗き込む。けれど、カエデさんは彼女の声も動きも気にせずに、

「……地の檻のことを、聞いたの?」
「……いえ、見ました。この目で直接。詳しいことはまだ何も知らない。ただ、それがそこにあるということを知っただけです」

 俺はそこで一度、言葉を切り、

「だから……知りたくなったんです」

 カエデさんの淀んだ瞳を見つめながら、そう告げた。

「……聞かないでと言えば、それでワタルくんは帰ってくれるのかしら? 良いことなんて一つもない、あの場所のことを。聞かずに帰ってくれる……?」

 言いながら、カエデさんは顔を伏せるように俯く。見えなくなったその表情は、きっと悲しみか、苦しみの表情なのだろうと思えた。

「……やっぱり、嫌なことですよね」

 自然と、俺は苦笑している。

「いいんです。カエデさんから必ず聞き出そうとまでは、思ってなかったんで。どこかで知ることができればいいと、そんな風に思ってるんで」

 他のどこで知ることができるのかは、さっぱり分からないけれど。

「だから――」
「……私は、謝ることしかできないのよ……」

 俺の言葉を遮るように言った、カエデさんの一言に、俺はドキリとする。

「……謝る?」

 隣を見ると、ツバサも呆気にとられたような顔で、

「どういうことなのかな、お母さん……」
「それが……地の家の仕事……憎まれるしかない仕事だった……」

 また、ツバサの声を無視して、カエデさんは続けた。

「……あの人がいなくなって、……残された私には到底担えるはずがない仕事だったのよ……」

 カエデさんの言葉は、だんだんと独白めいてくる。
 それを、俺とツバサは、不安げに見つめることしかできない。

「……ごめんね……ワタルくん……」

 絞り出すような声で、俺にそう謝ると、カエデさんは突然咳き込み始めた。

「お、お母さん!」

 苦しそうなカエデさんのそばに寄り、ツバサは背中を優しく擦った。
 そんな介抱を受けながら、なおもカエデさんは謝り続ける。

「……ごめんなさい、……あの日……あんな、ことになるはずじゃ……」
「どういうことなんです……カエデさん」

 カエデさんは、体を震わせる。
 そして。

「……私が……私が、のよ……!」

 カエデさんは叫ぶようにそう言って、ツバサの腕の中から崩れ落ちた。





 ツバサの部屋に引っ込んだ俺たちは、ただじっと、黙り込んだままでしばらく過ごした。
 カエデさんはあれから、苦しそうに胸を押さえて倒れこんでしまったので、もう話は聞けそうになかった。ツバサが布団を敷き、カエデさんを寝かせて、二人でこちらに引っ込んだという経緯だ。

「……ごめんな。やっぱり、聞きに来るんじゃなかったんだな。ツバサにも話してくれなかったこと、なんだもんな……」
「……ううん、それはいいんだけど」

 ツバサは緩々と首を横に振ると、

「むしろ、私よりワタルくんにこそ関係のありそうなことを、言おうとしてたよね……」

 そう。カエデさんは恐らく、俺の母さんのことを言おうとしていた。
 それも、あまりにも衝撃的なことを。

「あの人っていうのは、俺の母さんのこと……だよな……」
「……わかんない、けど……」
「どういうことなんだろう。あの人を殺したって。カエデさんが、そんなことを言うなんて……」

 言葉通りに受け取っていいのか。そこから既に、判断できなかった。

「何かの、間違いなんじゃないかな。記憶も、ちょっと抜け落ちてるみたいだからさ……」
「記憶?」

 うん、とツバサは頷き、

「記憶障害が出始めてるみたいで。……結構忘れっぽくなってるんだ、色々」
「そう、なのか……」

 どうなんだろう。それが何らかの間違いに繋がっているのだろうか。
 殺したというのは、何かのマチガイなのだろうか。

「でも……」

 その言葉を言わしめた理由というのは、彼女の頭の中にあるはずなのだから。
 それは、一体何なのかと、気になった。
 何故だろう。何故、カエデさんは俺の母さんを殺したと思い込んでいるのだろう。何か、心当たりがないかと、俺は記憶を辿ってみる。
 母さんが死んだのは、病気のせいだ。少なくとも、俺はそう聞いているし、村でもそう認識されている。
 だから、病死なのは間違いないと思うのだけど。
 ……病死と真白家を繋ぐ何か。そんなものがあるのだとしたら。
 ……何だろう。奇妙なことに、比較的最近その何かを耳にしたような気がして……。

「……あ……」

 突然、あのときのクウの言葉が、脳裡をよぎった。
 ――隔離者。
 隔離者は、どうなるって言ってたんだっけ……?
 確か。
 確か……。
 真白家と、連携する。
 ……
 たった一つだけ、全てが説明できる可能性が、俺の頭に浮かぶ。けれど、まさか。

「それが……」

 ――それが、答えだと、いうのか。
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