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五章 ワタル三日目
葬送 ①
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その日は、曇り空だった。
リビングに向かうと、テーブルの上には二人分の食事が置かれていた。父さんの分は、ほんの少しだけ手をつけられた状態で、椅子も斜めになっていた。食べ始めてすぐに、何か用事が出来て出て行った、といった感じだ。
「……何だろう。鴇祭に関係してるのかな」
少し不気味な状況だったが、俺はとりあえず、置かれている朝食を一人、黙々と食べた。食べてから、いつものように鞄を手にし、日記を忘れていないかチェックして、家を出た。
村が静かな気がした。
ただの気のせいだろうと、俺は普段通りに歩き続けた。そして、普段通りの場所でツバサに出会えたとき、正直安堵した。
「おはよう、ツバサ」
「うん、おはよう、ワタルくん」
ツバサの笑顔。それだけで、心が救われるようだった。そうとも、これからいつも通りの一日が始まるのだ。だから、この不安はただの杞憂なのだと、そう思えた。
学校に辿り着き、教室の扉を開く。
「……あれ」
そこに、タロウの姿がないだけならば、まだ理解できた。
だが、教室にはヒカルとクウの姿もなかった。
「どうしたんだろ、二人とも……」
「あいつら、いつも俺たちより早いもんな?」
「うん。ほんとにたまーに、クウちゃんが寝坊して遅いけど」
今日がその、たまにの日なんだろうか。また一気に不安が押し寄せてきた俺は、それでも三十分の、チャイムが鳴る時間までは大人しく椅子に座り、ツバサと話こんでいた。
だが、チャイムが鳴っても、とうとう二人はやってこなかった。
「おかしいね……」
「ああ……」
ガラリと、前の扉が開く。そして、カナエ先生が入ってきた。
その表情は、俺の朝からの不安を、現実のものとするような、悲しげで、痛ましい表情だった。
彼女は、告げた。
「さっき、連絡があって……。タロウくんの弟さんが……ジロウくんが、亡くなったそうです」
全てが遠のいていくような、そんな瞬間だった。
*
ジロウくんは、今日未明四時ごろ、入院中の病院で亡くなったそうだ。本来ならば、今日すぐに手術を行う予定だったそうだが、それにも間に合わなかったということだった。眠ったままの状態で、特に苦悶する様子もなく、ただ機械だけが異常を示し、処置の甲斐もなく亡くなった。最後の表情が安らかなものだったことだけは、ただそれだけは、僅かな救いだったのだろうか。
救い。そんなわけ、ない。
病院に残っていたタロウは、ジロウくんの最期を見届けることができたらしい。両親は村に戻っていて見られなかったようだが、お兄ちゃんがいてくれたのは良かった、と言っていたそうだ。
良い。そんなわけも、ない。
俺たちが折った千羽鶴は、その祈りは、結局届くことはなかった。ジロウくんに、それを知られることすらなかった。折鶴は今、黄地家の中に置かれているらしい。俺はそれを、もう早く捨て去ってほしかった。役目を果たせなかったものなど、残されていても悔しいだけだった。きっと、みんなそう思っていることだろう。
学校は休校になった。そして、午後三時から通夜が行われることになった。この村では、通夜と告別式を同時に執り行うために、開始時間が昼からになることが多い。
村の外にいたタロウも、トラックに乗って帰ってくるらしい。弟への別れの言葉を、述べるのだろうか。聞きたくない。そんな思いに駆られてしまう。
ツバサと二言三言、何か喋ってから、俺は帰宅していた。帰ったときには父さんも家にいて、小さな声で、おかえりと声を掛けてくれた。後から何となく想像はついていたが、やはりジロウくんが亡くなったことで、お葬式の準備などの相談に呼ばれていたらしい。
「亡くなった人を送るのは……赤井家の役目だ」
父さんは俺に背を向けて、呟くようにそう言った。
時間は緩慢に過ぎていった。昼食の時間になったが、とても料理を作る気にもなれなかった。それを父さんは咎めることもなかった。父さんは一人、黙って昼食を作って食べていたようだった。
そして、二時半になる。薄暗い部屋の中で、何を考えるでもなく呆けていた俺を、ツバサが迎えに来てくれた。一昨日の夜、真白家を否定していた父さんも、今日は何も言わずに、ツバサちゃんが来たぞと、ただそれだけを俺に伝えた。
半ばツバサに連れられるようにして、俺は通夜の会場へと向かった。
*
空は、厚く、黒く雲を濃くしていた。
鴇祭の際、舞台として使われる神社。鴇を祀り、祈りを捧げる聖なる場所。
その場所は今、一人の少年に祈りを捧げるためにある。
昨日までの祈りとは違う。安息なる旅立ちができるようにという、祈り。
悲しみに包まれた、祈りだ。
「着いたね、ワタルくん」
ツバサが、声をかけてくれる。ここまでくる道すがら、ツバサはずっと俺に話しかけてくれていた。彼女だって辛く、苦しいはずなのに、俺を元気付けようと、精一杯に話してくれていたのだ。
「ああ、そうだな」
だから、俺も何とかそう返した。
神社は中が集会場のようになっており、葬式を行うときには、鯨幕が取り付けられて、立派な式場になる。そのときでも、奥に安置された鴇の像は特に移動させたりはしない。それは、『人は死んだら鳥になる』という言い伝えのように、鳥の仲間入りを果たせるようにするためなのかもしれなかった。
神社には既に人が集まっていた。ジロウくんのために、大勢の人が祈りに来ている。
だけど、本当はこんなことは、したくはなかったはずなのだ。
堂内には、パイプイスが幾つも並べられていた。参列者たちは、好きな場所に座って式が始まるのを待っていた。前方にはジロウくんが眠っている棺と、その隣に黄地家のための席があった。母親はじっと座っていて、父親は参列者たちに来てくれたことへのお礼を述べている。
しかし、タロウの姿はなかった。
「タロウくん、いないね」
「来たく、ないのかもな。……信じたく、ないのかもしれない」
「最後まで……こないつもりかなあ……」
「さあ……。でも、来なくても、責められないよ。ただの友達の俺でさえ、来るのが辛かった。認めるのが、辛かったから」
「……私もだよ……」
彼は、認められるのだろうか。弟にもう二度と、会うことが叶わないという現実を。
五分ほどが経ち、式場の椅子に空きがなくなった頃、父さんが堂内に入ってきた。法衣を身に着けたその姿は、この式場に相応しい貫禄を備えていた。
いつか父さんは、この仕事をお前も継ぐんだぞ、と口にしていた。だけど、それは俺にはどだい無理な話だろうと、思ってしまう。俺にはあんな風に振舞う強さなど、ない。気に入らない父親だけれど、それでもやはり、父さんはすごい人だった。
父さんは、用意された座布団の上に正座すると、お経を読み始めた。頭の中が侵されるような言葉の羅列。自然と涙が目元に溜まり、そして零れていく。
ふと、右手を握られているのに気付いて、隣を見てみると、ツバサもまた、静かに涙を流していた。ジロウくんの遺影を、じっと見つめながら。
向こうの席に、ヒカルとクウもいた。二人もまた、寄り添うようにして悲しみを共有しているようだった。そう、この悲しみはみんな、一緒だ。誰もがみな、ぽっかりと、穴の空いたような悲しみを共有している。
読経が終わると、家族たちから別れの言葉が読み上げられた。父親は、
「お前は元気がいっぱいで、いつもお兄ちゃんがしている遊びをやりたがったな。その度に、お父さんが一緒に遊んでやったよな。最近は、お兄ちゃんの友だちも、お前と遊んでくれるようになって、本当に毎日、楽しそうだったよな……」
楽しい思い出の数々。それらを一つ一つ思い出しては、語りかける。そうして全てを語り終え、母親に後を譲る。
「ジロウは優しくて、明るい子で……私が家事をしていると、いつだって手伝おうとしてくれたんですよ……でも、終わったら遊んでね、と言うのも忘れなくて……わんぱくなところもありました……自慢の次男でした……」
母親の話は、最後まで続けられなかった。ハンカチで目元を覆ったまますすり泣き、そのまま席に戻らざるを得なくなってしまった。いかに彼女の悲しみが深いものかが、よく分かる。分かりすぎて、苦しかった。
焼香の時間になった。親族から順番に並び、香を落として、ジロウくんのために祈る。繰り返される祈り。
俺とツバサの番になった。箱の中から香を摘んで、落とす。それを三回繰り返してから、祈った。
――どうか、安らかに。
――鳥のように、空へ羽ばたいていってくれ。
それもまた、伝承の一つ。
人は死んだら、鳥になるのだから――。
*
通夜が終わり、参列者たちは帰っていく。俺も帰ろうと思ったが、何となく、まだ残っていたいような気分にもなった。ツバサも帰りづらかったようで、ほんの少しだけ席に残り、二人で話し合った。
「……なあ、ツバサ。覚えてるか? ジロウくんが初めて俺たちと遊んだときのこと」
遺影に目を向けながら、囁くように聞くと、ツバサはうん、と頷く。
「覚えてるよ。初対面のときは、タロウくんの後ろに隠れていたのに、遊んでるうちに、すんなり打ち解けていってね。……日が暮れる頃には、もうすっかり私たちの仲間入り、してたんだよね」
「ああ……そうだった。それからは、タロウにせがんでまで、俺たちと一緒に遊びたいって言ってたらしいよな」
「あの子の無邪気な笑顔。なんか、それが今はすごい昔のものだったような気がする……」
いつからだろう。いつからあの笑顔は遠のいていったのだろう。
そして、帰れなくなったのだろう。
「……ねえ、ワタルくん」
「……うん」
「……ずっと、……隣で、笑っててね。……お願い……」
それは、とても悲痛で。
とても純粋な、願いだった。
「……そんなの当たり前だよ、ツバサ」
俺は優しく、彼女の頭を撫ぜる。
彼女はそれに身を任せたまま、ずっと俯き、震えているのだった。
*
俺たちが席を立ったとき、もう既に、他の参列者の姿はなくなっていた。どうやら、相当長く滞在していたようだ。
「……俺は一人で帰るよ」
入り口まではツバサと一緒に歩いていったのだが、先に帰ってもらうことにした。去り際、ツバサは悲しげに微笑んで、
「あんまり沈んじゃ、ジロウくんも困るからね」
そう言って、帰っていった。
その通りだった。
「分かってる、けどな……」
やはり、友人の死というものは、重い。
心を掻き乱されるほどに。
「……ん……」
神社の裏手から、何やら話し声が聞こえてきた。どうやら父さんの声らしい。誰かと話しているようだ。
何となくの流れで、俺は盗み聞きをしてしまう。
「……では、遺体は任せましたぞ」
「はい。天の家が間違いなく、送ります」
「ああ。そうしてやってくれ」
「……はい」
話し相手は、ヒカルのお祖父さんのようだ。村で一番偉い人物である。恐らく、ジロウくんの遺体を父さんが引き取り、これから然るべき処理をするのだろう。
思えば、俺はこの村が死者を火葬するのか土葬するのかも知らない。墓は森の中にあって、子どもは立ち入ることすら許されていない。墓石を見た事すらないし、きっとそれは、この村にいる殆どの人がそうなのではないだろうか。
そう、俺は母さんの墓参りにすら、行けたことはないのだ。
「……墓参りくらい、いつか行けるといいな」
そっと立ち去りながら、俺はそう呟いた。
リビングに向かうと、テーブルの上には二人分の食事が置かれていた。父さんの分は、ほんの少しだけ手をつけられた状態で、椅子も斜めになっていた。食べ始めてすぐに、何か用事が出来て出て行った、といった感じだ。
「……何だろう。鴇祭に関係してるのかな」
少し不気味な状況だったが、俺はとりあえず、置かれている朝食を一人、黙々と食べた。食べてから、いつものように鞄を手にし、日記を忘れていないかチェックして、家を出た。
村が静かな気がした。
ただの気のせいだろうと、俺は普段通りに歩き続けた。そして、普段通りの場所でツバサに出会えたとき、正直安堵した。
「おはよう、ツバサ」
「うん、おはよう、ワタルくん」
ツバサの笑顔。それだけで、心が救われるようだった。そうとも、これからいつも通りの一日が始まるのだ。だから、この不安はただの杞憂なのだと、そう思えた。
学校に辿り着き、教室の扉を開く。
「……あれ」
そこに、タロウの姿がないだけならば、まだ理解できた。
だが、教室にはヒカルとクウの姿もなかった。
「どうしたんだろ、二人とも……」
「あいつら、いつも俺たちより早いもんな?」
「うん。ほんとにたまーに、クウちゃんが寝坊して遅いけど」
今日がその、たまにの日なんだろうか。また一気に不安が押し寄せてきた俺は、それでも三十分の、チャイムが鳴る時間までは大人しく椅子に座り、ツバサと話こんでいた。
だが、チャイムが鳴っても、とうとう二人はやってこなかった。
「おかしいね……」
「ああ……」
ガラリと、前の扉が開く。そして、カナエ先生が入ってきた。
その表情は、俺の朝からの不安を、現実のものとするような、悲しげで、痛ましい表情だった。
彼女は、告げた。
「さっき、連絡があって……。タロウくんの弟さんが……ジロウくんが、亡くなったそうです」
全てが遠のいていくような、そんな瞬間だった。
*
ジロウくんは、今日未明四時ごろ、入院中の病院で亡くなったそうだ。本来ならば、今日すぐに手術を行う予定だったそうだが、それにも間に合わなかったということだった。眠ったままの状態で、特に苦悶する様子もなく、ただ機械だけが異常を示し、処置の甲斐もなく亡くなった。最後の表情が安らかなものだったことだけは、ただそれだけは、僅かな救いだったのだろうか。
救い。そんなわけ、ない。
病院に残っていたタロウは、ジロウくんの最期を見届けることができたらしい。両親は村に戻っていて見られなかったようだが、お兄ちゃんがいてくれたのは良かった、と言っていたそうだ。
良い。そんなわけも、ない。
俺たちが折った千羽鶴は、その祈りは、結局届くことはなかった。ジロウくんに、それを知られることすらなかった。折鶴は今、黄地家の中に置かれているらしい。俺はそれを、もう早く捨て去ってほしかった。役目を果たせなかったものなど、残されていても悔しいだけだった。きっと、みんなそう思っていることだろう。
学校は休校になった。そして、午後三時から通夜が行われることになった。この村では、通夜と告別式を同時に執り行うために、開始時間が昼からになることが多い。
村の外にいたタロウも、トラックに乗って帰ってくるらしい。弟への別れの言葉を、述べるのだろうか。聞きたくない。そんな思いに駆られてしまう。
ツバサと二言三言、何か喋ってから、俺は帰宅していた。帰ったときには父さんも家にいて、小さな声で、おかえりと声を掛けてくれた。後から何となく想像はついていたが、やはりジロウくんが亡くなったことで、お葬式の準備などの相談に呼ばれていたらしい。
「亡くなった人を送るのは……赤井家の役目だ」
父さんは俺に背を向けて、呟くようにそう言った。
時間は緩慢に過ぎていった。昼食の時間になったが、とても料理を作る気にもなれなかった。それを父さんは咎めることもなかった。父さんは一人、黙って昼食を作って食べていたようだった。
そして、二時半になる。薄暗い部屋の中で、何を考えるでもなく呆けていた俺を、ツバサが迎えに来てくれた。一昨日の夜、真白家を否定していた父さんも、今日は何も言わずに、ツバサちゃんが来たぞと、ただそれだけを俺に伝えた。
半ばツバサに連れられるようにして、俺は通夜の会場へと向かった。
*
空は、厚く、黒く雲を濃くしていた。
鴇祭の際、舞台として使われる神社。鴇を祀り、祈りを捧げる聖なる場所。
その場所は今、一人の少年に祈りを捧げるためにある。
昨日までの祈りとは違う。安息なる旅立ちができるようにという、祈り。
悲しみに包まれた、祈りだ。
「着いたね、ワタルくん」
ツバサが、声をかけてくれる。ここまでくる道すがら、ツバサはずっと俺に話しかけてくれていた。彼女だって辛く、苦しいはずなのに、俺を元気付けようと、精一杯に話してくれていたのだ。
「ああ、そうだな」
だから、俺も何とかそう返した。
神社は中が集会場のようになっており、葬式を行うときには、鯨幕が取り付けられて、立派な式場になる。そのときでも、奥に安置された鴇の像は特に移動させたりはしない。それは、『人は死んだら鳥になる』という言い伝えのように、鳥の仲間入りを果たせるようにするためなのかもしれなかった。
神社には既に人が集まっていた。ジロウくんのために、大勢の人が祈りに来ている。
だけど、本当はこんなことは、したくはなかったはずなのだ。
堂内には、パイプイスが幾つも並べられていた。参列者たちは、好きな場所に座って式が始まるのを待っていた。前方にはジロウくんが眠っている棺と、その隣に黄地家のための席があった。母親はじっと座っていて、父親は参列者たちに来てくれたことへのお礼を述べている。
しかし、タロウの姿はなかった。
「タロウくん、いないね」
「来たく、ないのかもな。……信じたく、ないのかもしれない」
「最後まで……こないつもりかなあ……」
「さあ……。でも、来なくても、責められないよ。ただの友達の俺でさえ、来るのが辛かった。認めるのが、辛かったから」
「……私もだよ……」
彼は、認められるのだろうか。弟にもう二度と、会うことが叶わないという現実を。
五分ほどが経ち、式場の椅子に空きがなくなった頃、父さんが堂内に入ってきた。法衣を身に着けたその姿は、この式場に相応しい貫禄を備えていた。
いつか父さんは、この仕事をお前も継ぐんだぞ、と口にしていた。だけど、それは俺にはどだい無理な話だろうと、思ってしまう。俺にはあんな風に振舞う強さなど、ない。気に入らない父親だけれど、それでもやはり、父さんはすごい人だった。
父さんは、用意された座布団の上に正座すると、お経を読み始めた。頭の中が侵されるような言葉の羅列。自然と涙が目元に溜まり、そして零れていく。
ふと、右手を握られているのに気付いて、隣を見てみると、ツバサもまた、静かに涙を流していた。ジロウくんの遺影を、じっと見つめながら。
向こうの席に、ヒカルとクウもいた。二人もまた、寄り添うようにして悲しみを共有しているようだった。そう、この悲しみはみんな、一緒だ。誰もがみな、ぽっかりと、穴の空いたような悲しみを共有している。
読経が終わると、家族たちから別れの言葉が読み上げられた。父親は、
「お前は元気がいっぱいで、いつもお兄ちゃんがしている遊びをやりたがったな。その度に、お父さんが一緒に遊んでやったよな。最近は、お兄ちゃんの友だちも、お前と遊んでくれるようになって、本当に毎日、楽しそうだったよな……」
楽しい思い出の数々。それらを一つ一つ思い出しては、語りかける。そうして全てを語り終え、母親に後を譲る。
「ジロウは優しくて、明るい子で……私が家事をしていると、いつだって手伝おうとしてくれたんですよ……でも、終わったら遊んでね、と言うのも忘れなくて……わんぱくなところもありました……自慢の次男でした……」
母親の話は、最後まで続けられなかった。ハンカチで目元を覆ったまますすり泣き、そのまま席に戻らざるを得なくなってしまった。いかに彼女の悲しみが深いものかが、よく分かる。分かりすぎて、苦しかった。
焼香の時間になった。親族から順番に並び、香を落として、ジロウくんのために祈る。繰り返される祈り。
俺とツバサの番になった。箱の中から香を摘んで、落とす。それを三回繰り返してから、祈った。
――どうか、安らかに。
――鳥のように、空へ羽ばたいていってくれ。
それもまた、伝承の一つ。
人は死んだら、鳥になるのだから――。
*
通夜が終わり、参列者たちは帰っていく。俺も帰ろうと思ったが、何となく、まだ残っていたいような気分にもなった。ツバサも帰りづらかったようで、ほんの少しだけ席に残り、二人で話し合った。
「……なあ、ツバサ。覚えてるか? ジロウくんが初めて俺たちと遊んだときのこと」
遺影に目を向けながら、囁くように聞くと、ツバサはうん、と頷く。
「覚えてるよ。初対面のときは、タロウくんの後ろに隠れていたのに、遊んでるうちに、すんなり打ち解けていってね。……日が暮れる頃には、もうすっかり私たちの仲間入り、してたんだよね」
「ああ……そうだった。それからは、タロウにせがんでまで、俺たちと一緒に遊びたいって言ってたらしいよな」
「あの子の無邪気な笑顔。なんか、それが今はすごい昔のものだったような気がする……」
いつからだろう。いつからあの笑顔は遠のいていったのだろう。
そして、帰れなくなったのだろう。
「……ねえ、ワタルくん」
「……うん」
「……ずっと、……隣で、笑っててね。……お願い……」
それは、とても悲痛で。
とても純粋な、願いだった。
「……そんなの当たり前だよ、ツバサ」
俺は優しく、彼女の頭を撫ぜる。
彼女はそれに身を任せたまま、ずっと俯き、震えているのだった。
*
俺たちが席を立ったとき、もう既に、他の参列者の姿はなくなっていた。どうやら、相当長く滞在していたようだ。
「……俺は一人で帰るよ」
入り口まではツバサと一緒に歩いていったのだが、先に帰ってもらうことにした。去り際、ツバサは悲しげに微笑んで、
「あんまり沈んじゃ、ジロウくんも困るからね」
そう言って、帰っていった。
その通りだった。
「分かってる、けどな……」
やはり、友人の死というものは、重い。
心を掻き乱されるほどに。
「……ん……」
神社の裏手から、何やら話し声が聞こえてきた。どうやら父さんの声らしい。誰かと話しているようだ。
何となくの流れで、俺は盗み聞きをしてしまう。
「……では、遺体は任せましたぞ」
「はい。天の家が間違いなく、送ります」
「ああ。そうしてやってくれ」
「……はい」
話し相手は、ヒカルのお祖父さんのようだ。村で一番偉い人物である。恐らく、ジロウくんの遺体を父さんが引き取り、これから然るべき処理をするのだろう。
思えば、俺はこの村が死者を火葬するのか土葬するのかも知らない。墓は森の中にあって、子どもは立ち入ることすら許されていない。墓石を見た事すらないし、きっとそれは、この村にいる殆どの人がそうなのではないだろうか。
そう、俺は母さんの墓参りにすら、行けたことはないのだ。
「……墓参りくらい、いつか行けるといいな」
そっと立ち去りながら、俺はそう呟いた。
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