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第46話
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忌蛇は、言われた通り部屋の中に入った。
外と同じくらい冷えている部屋の中、寒さが1番の毒だと言っていたのに、なぜ温めないのだろう。
忌蛇はゆっくりと雪の元へと歩み寄ると、少し距離を取ったところで立ち止まる。
「雪、少し痩せた?」
「そうみたい。蛇さんは、肉付きがある方が好み?」
「別に。あろうとなかろうと、雪は雪だから」
「ふふっ、ありがとう」
雪はいつものように笑ったが、そこには今までの明るさは無かった。
力もなく、ただ静かに。
違和感に気づいた忌蛇は、じっと雪を見つめた。
すると、雪はゆっくりと上体を起こす。
ふうっと息を吐くと、優しい眼差しで忌蛇を見上げた。
「今日、私の誕生日でしょう?だから……
蛇さんから、贈り物を貰おうかな~って」
「……ん?贈り物?」
忌蛇は、分からず首を傾げた。
その反応に、雪はふふっと吹き出す。
「誰かが誕生日の時、その人に向けて贈り物を渡したりすることがあるの。だから、私も蛇さんから欲しいなって」
「っ、待って。僕そんなの、持ってない」
「知ってる。だから私が欲しいものを、今ちょうだい。
ふたつあるの」
「……今?ふたつも?」
「うん……」
そう言うと、雪は目を細めた。
どこか儚さを感じる笑顔を浮かべて、言葉を続けた。
「貴方の顔が、見たい……そして……
貴方に、触れたい……」
「っ!!!」
忌蛇は、息が詰まりそうだった。
雪が欲しいものは、死を意味するものだった。
忌蛇は今まで、自分の顔を見せたことがない。
雪が幼い頃にくれた鬼の面をずっと被っていたため、素顔だけは明かさなかった。
そして、雪に1度も触れたことがない理由は……
彼女も、わかっているはず。
「……なんで?顔は、とにかく……触れたい……?
自分が何を言っているのか、分かってるの?」
「分かってる」
「いや、分かってないよ。だって、僕に触れたらっ」
「猛毒に犯されて、死んでしまう。でしょう?」
「っ……分かってて、どうしてっ……」
忌蛇は、手が震えた。
忌蛇の猛毒のことを、雪は忘れていない。
それなのに、なぜ触れたいなどと。
すると雪は、忌蛇から視線を外して目を伏せる。
「なんとなく、分かるんだ。体がもう限界だって。もう、長く生きることが出来ないって……でも、私は病気なんかで死にたくない……
最期くらい、自分の死に方は自分で決めたくて」
「っ……」
「ずっと、貴方と一緒にいたのに……1度も貴方に触れられなかった……こんなに近くにいるのに、貴方に触れることすら出来ない……それが、悲しかった。
どうせ死ぬなら、1度でいいから貴方に触れたかったの。貴方の、顔を見てみたい」
「どうしてっ……」
その時、雪は顔を上げて微笑んだ。
微かに、頬を赤らめながら。
「好きだから」
「……っ?」
「貴方のことが、ずっと大好きだったから。
好きな人には、死ぬ前に1度くらい触れたい……」
頭が困惑した。
過去に、雪から恋愛ものの物語を読み聞かせてもらった時に、同じ言葉を聞いたことがある。
愛し合っている2人が、互いに想いを伝える時に使っていた言葉。
でも、当時の忌蛇は全く理解できなかった。
好きという感情も、愛も、何一つ。
「好きって……僕がっ……?」
「うん」
「僕、妖魔だよ」
「知ってる」
「猛毒があって、人間の天敵っ……」
「うん、分かってる」
「っ…………」
雪の瞳は、真っ直ぐに忌蛇に向けられていた。
雪はずっと、忌蛇に恋心を抱いていた。
何度も、自分は狂っていると感じたこともある。
相手は妖魔で、両親を食い殺した妖魔たちと同じ。
本来ならば、憎むべき相手だというのに。
「だって雪、そんなのっ……1度も言ってない……」
「恥ずかしくて言えなかった。そんなすぐに言えるほど、人間は上手く出来てないのよ」
「っ…………」
雪はずっと、寂しかった。
幼い頃に両親を亡くし、育ててくれた婆やも忙しくて相手をしてくれない。
1人ぼっちで過ごす毎日は、彼女にとっては苦痛そのものだった。
そんなある日、ずっと興味があったクスノキを見に行こうと、婆やたちには内緒で抜け出した時。
草陰に誰かがいるのを見つけた。
そこにいるのが人間ではないと、子どもの直感で気づいた。
それでも、相手も1人ぼっちな気がしたから、どうしても放っておけなかった。
その日から、雪の日々は変わった。
「私、私ね……忌蛇さんに会ってから、毎日が幸せだった。小さい頃から体が弱くて、自由もない。
そんな日々だったのに、貴方と過ごした時間は楽しくて、ずっと続いて欲しいって思ってた。毎日、家に帰りたくないって思ってた……」
家に帰れば、早く明日にならないだろうかと、毎日のように願っていた。
春、夏、秋は会えるのに、冬は会えなかった。
その冬の季節が、なによりも長く感じた。
外に出ても大丈夫になれば、真っ先に忌蛇の元へ向かった。
年月が過ぎて、少しずつ大人になっていった。
そして気づいた、ずっと忌蛇に向けていた自分の想いを。
「何度も願ったわ、早く治って欲しいって。でも、体は言うことを聞いてくれなかった。余命まで言われちゃって、あははっ……
ずっと……貴方といたい。そればかり思ってた」
少しずつ、人間のことを知ってくれるのが嬉しかった。
少しずつ、話してくれるようになったのが嬉しかった。
嫌な顔せず、いつも遊んでくれるのが、幸せだった。
忌蛇への想いが、日に日に募っていった……。
それに比例してボロボロになる雪の体。
「蛇さん……ここに座って」
雪は自分の隣をポンポンと叩くと、忌蛇にここに座るよう促す。
忌蛇は言われるがまま、雪の隣に腰掛けた。
今までの中で、1番近い距離。
雪の近くに行けば、彼女から花のような香りがした。
忌蛇はずっと、触れないようにと避けてきたせいで、雪をしっかりと見たことがなかった。
改めて感じる、美しい雪の姿。
「なんだか、緊張するね」
「……分からない」
「ふふっ。ねぇ、蛇さん。これで最後だから」
雪はそう言うと、忌蛇へと向き直る。
痛くて苦しい体を我慢して、最後の力を振り絞った。
「私の全て、蛇さんにあげる。
ずっと、そばに居てくれてありがとう。私は、あなたと過ごした日々が、なによりも幸せだったわ。
いつかまた、どこかで会えたら……
もう一度、私を……見つけてくれる?」
「っ……………………」
雪の目には、覚悟が滲んでいた。
これが最後、これで終わらせる。
忌蛇は、多くの死を見届けてきた。
望んで殺したことは無い、望んで自分から近づいたことは無い。
自分がいるだけで、誰かが死んでしまうんだと。
だから、雪にも近づかなかった。
「僕、はっ……」
今年の春、頑張って生きると張り切っていた雪の姿が脳裏に蘇る。
薄々、感じてはいた。
弱くなっていく雪の体、元気も無くなっていた。
だが、それが死ぬことに近づいているとは、考えられなかった。
忌蛇は、死に際を経験したことがない。
生命力も高いから、簡単には死ぬ事が出来ない。
だから、死ぬなんて現実的に考えられなくて。
「蛇さん……」
「っ…………」
生きると決意した、かつての雪の姿。
でも今は、覚悟を決めた姿だった。
【最期くらい、自分の死に方は自分で決めたくて】
最期、くらいは……………………。
「っ!」
雪が忌蛇の返事を待っていると、忌蛇は鬼の面を掴み、ゆっくりと外した。
鬼の面を近くに置くと、あらわになった顔を雪へと向ける。
初めて見る忌蛇の顔は、とても凛々しいものだった。
人間に似ていて、でもどこか妖魔の雰囲気を感じる。
それでも、怖くは無かった。
雪が忌蛇の顔を見つめていると、忌蛇はふふっと小さく微笑んで、口を開いた。
「前に1回、言ったでしょ。
雪が迷子になったら僕が見つければいいって。雪は好奇心旺盛ですぐどこかへ行きそうだから、僕がすぐに見つけてあげる。気長に待っててよ」
「っ!」
「それに……今まで雪のお願いを全部聞いてきた。
最後まで、責任持って聞いてあげないとね……」
そう言うと忌蛇は、両手をゆっくりと広げた。
それがどういう意味を表しているのか、雪には伝わった。
触れてしまえば、雪は猛毒で死んでしまう。
だが今の忌蛇は、雪の願いを叶えてあげたい、ただそれだけだった。
雪は様々な感情が入り乱れ、下唇を噛み締める。
本当に、これで最後だ。
溢れ出す想いを胸に閉じ込めて、覚悟を決めたように明るく笑った。
「ありがとうっ……」
その言葉を合図に、雪は忌蛇へと飛びついた。
直前、雪はあることを考えていた。
(最後だから……いいよね)
飛びついた雪は、忌蛇の首の後ろに腕を回すと、グイッと忌蛇を自分の方へと引き寄せる。
忌蛇が引き寄せられたことに驚いていると、雪は忌蛇に顔を近づけた。
最初で最後の、触れ合い。
雪は目を閉じて、自分の唇を忌蛇の唇に重ねた。
忌蛇はされるがままだったが、ずっと広げていた両腕を、雪の背中に回す。
たった一瞬の出来事なのに、2人にとっては最大の幸せの時間だった。
(ずっと、ずっと、愛してる……忌蛇さん)
雪は、心の中でも、愛の言葉を伝えた。
┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈
深夜0時。
世界は、12月19日へと日を跨いだ。
あれから、どれだけ時間が経っただろう。
薄暗い部屋の中、忌蛇は1人考えていた。
「……あれ……」
その時、忌蛇は困惑していた。
静寂の中、自分に異変が起きていたのだ。
「なに、これ……」
忌蛇の目から、何かが溢れていた。
水のような、でも少しばかり温いような。
意に反して零れ落ちてくる水に、忌蛇は頭が混乱する。
「ははっ、変だなぁ……止まんない、なにこれ……」
忌蛇は、何度も何度も拭う。
だが、水は止まるどころか溢れ出てきた。
同時に胸の辺りが、ギュッと苦しくなる。
何が起きているのか、ひとつも理解できなかった。
「……ねぇ、雪……どうしよ、僕の体が変なんだ。
この水は、何……?」
溢れ出てくる水に混乱しながら、忌蛇は腕の中にいる雪に声をかけた。
だが、雪は力なくぐったりとしている。
体のあちこちには、紫の痣が広がっていた。
いつの間にか、触れた瞬間に感じた温もりも、まるで嘘のように冷たくなっている。
まるで、本物の雪のような冷たさだ。
窓をずっと開けっ放しにしていたから、随分と体が冷え込んでしまったのだろうか。
「ねぇ、雪……教えて、これは何……?
お願いだよ、いつもみたいに教えてよ……分からないんだっ、雪は分かるでしょう……?ねぇっ……」
どれだけ声をかけても、雪はもう返事をしなかった。
固く閉ざされた目は、決して開かない。
時折赤らめていた頬も、今は白くなっている。
初めは柔らかかった体も、石のように硬くなっていった。
深い眠りについたように、雪は動かない。
「雪、雪っ……お願い、教えてっ……
胸が苦しいんだっ、何でかなぁ……握りつぶされてるみたいな、そんな感じなんだっ……これは、人間ならなんて言うの……?ねぇ、雪っ……教えてよ……
ねぇ、ねえってばっ……っ、雪ぃ!」
(お願いっ……雪、お願いだからっ……)
「っ……1人に、しないでっ…………」
何かが、プツンと切れた気がした。
直後、忌蛇は大声を張り上げた。
段々と冷たくなっていく雪の体を、これでもかという程に抱きしめて。
目から溢れる水は、止まってくれなかった。
その時、外は雪が降り始めた。
凍てつく夜の中、儚い雰囲気を纏いながら落ちる雪は、静かに地面に落ちて消えていった。
外と同じくらい冷えている部屋の中、寒さが1番の毒だと言っていたのに、なぜ温めないのだろう。
忌蛇はゆっくりと雪の元へと歩み寄ると、少し距離を取ったところで立ち止まる。
「雪、少し痩せた?」
「そうみたい。蛇さんは、肉付きがある方が好み?」
「別に。あろうとなかろうと、雪は雪だから」
「ふふっ、ありがとう」
雪はいつものように笑ったが、そこには今までの明るさは無かった。
力もなく、ただ静かに。
違和感に気づいた忌蛇は、じっと雪を見つめた。
すると、雪はゆっくりと上体を起こす。
ふうっと息を吐くと、優しい眼差しで忌蛇を見上げた。
「今日、私の誕生日でしょう?だから……
蛇さんから、贈り物を貰おうかな~って」
「……ん?贈り物?」
忌蛇は、分からず首を傾げた。
その反応に、雪はふふっと吹き出す。
「誰かが誕生日の時、その人に向けて贈り物を渡したりすることがあるの。だから、私も蛇さんから欲しいなって」
「っ、待って。僕そんなの、持ってない」
「知ってる。だから私が欲しいものを、今ちょうだい。
ふたつあるの」
「……今?ふたつも?」
「うん……」
そう言うと、雪は目を細めた。
どこか儚さを感じる笑顔を浮かべて、言葉を続けた。
「貴方の顔が、見たい……そして……
貴方に、触れたい……」
「っ!!!」
忌蛇は、息が詰まりそうだった。
雪が欲しいものは、死を意味するものだった。
忌蛇は今まで、自分の顔を見せたことがない。
雪が幼い頃にくれた鬼の面をずっと被っていたため、素顔だけは明かさなかった。
そして、雪に1度も触れたことがない理由は……
彼女も、わかっているはず。
「……なんで?顔は、とにかく……触れたい……?
自分が何を言っているのか、分かってるの?」
「分かってる」
「いや、分かってないよ。だって、僕に触れたらっ」
「猛毒に犯されて、死んでしまう。でしょう?」
「っ……分かってて、どうしてっ……」
忌蛇は、手が震えた。
忌蛇の猛毒のことを、雪は忘れていない。
それなのに、なぜ触れたいなどと。
すると雪は、忌蛇から視線を外して目を伏せる。
「なんとなく、分かるんだ。体がもう限界だって。もう、長く生きることが出来ないって……でも、私は病気なんかで死にたくない……
最期くらい、自分の死に方は自分で決めたくて」
「っ……」
「ずっと、貴方と一緒にいたのに……1度も貴方に触れられなかった……こんなに近くにいるのに、貴方に触れることすら出来ない……それが、悲しかった。
どうせ死ぬなら、1度でいいから貴方に触れたかったの。貴方の、顔を見てみたい」
「どうしてっ……」
その時、雪は顔を上げて微笑んだ。
微かに、頬を赤らめながら。
「好きだから」
「……っ?」
「貴方のことが、ずっと大好きだったから。
好きな人には、死ぬ前に1度くらい触れたい……」
頭が困惑した。
過去に、雪から恋愛ものの物語を読み聞かせてもらった時に、同じ言葉を聞いたことがある。
愛し合っている2人が、互いに想いを伝える時に使っていた言葉。
でも、当時の忌蛇は全く理解できなかった。
好きという感情も、愛も、何一つ。
「好きって……僕がっ……?」
「うん」
「僕、妖魔だよ」
「知ってる」
「猛毒があって、人間の天敵っ……」
「うん、分かってる」
「っ…………」
雪の瞳は、真っ直ぐに忌蛇に向けられていた。
雪はずっと、忌蛇に恋心を抱いていた。
何度も、自分は狂っていると感じたこともある。
相手は妖魔で、両親を食い殺した妖魔たちと同じ。
本来ならば、憎むべき相手だというのに。
「だって雪、そんなのっ……1度も言ってない……」
「恥ずかしくて言えなかった。そんなすぐに言えるほど、人間は上手く出来てないのよ」
「っ…………」
雪はずっと、寂しかった。
幼い頃に両親を亡くし、育ててくれた婆やも忙しくて相手をしてくれない。
1人ぼっちで過ごす毎日は、彼女にとっては苦痛そのものだった。
そんなある日、ずっと興味があったクスノキを見に行こうと、婆やたちには内緒で抜け出した時。
草陰に誰かがいるのを見つけた。
そこにいるのが人間ではないと、子どもの直感で気づいた。
それでも、相手も1人ぼっちな気がしたから、どうしても放っておけなかった。
その日から、雪の日々は変わった。
「私、私ね……忌蛇さんに会ってから、毎日が幸せだった。小さい頃から体が弱くて、自由もない。
そんな日々だったのに、貴方と過ごした時間は楽しくて、ずっと続いて欲しいって思ってた。毎日、家に帰りたくないって思ってた……」
家に帰れば、早く明日にならないだろうかと、毎日のように願っていた。
春、夏、秋は会えるのに、冬は会えなかった。
その冬の季節が、なによりも長く感じた。
外に出ても大丈夫になれば、真っ先に忌蛇の元へ向かった。
年月が過ぎて、少しずつ大人になっていった。
そして気づいた、ずっと忌蛇に向けていた自分の想いを。
「何度も願ったわ、早く治って欲しいって。でも、体は言うことを聞いてくれなかった。余命まで言われちゃって、あははっ……
ずっと……貴方といたい。そればかり思ってた」
少しずつ、人間のことを知ってくれるのが嬉しかった。
少しずつ、話してくれるようになったのが嬉しかった。
嫌な顔せず、いつも遊んでくれるのが、幸せだった。
忌蛇への想いが、日に日に募っていった……。
それに比例してボロボロになる雪の体。
「蛇さん……ここに座って」
雪は自分の隣をポンポンと叩くと、忌蛇にここに座るよう促す。
忌蛇は言われるがまま、雪の隣に腰掛けた。
今までの中で、1番近い距離。
雪の近くに行けば、彼女から花のような香りがした。
忌蛇はずっと、触れないようにと避けてきたせいで、雪をしっかりと見たことがなかった。
改めて感じる、美しい雪の姿。
「なんだか、緊張するね」
「……分からない」
「ふふっ。ねぇ、蛇さん。これで最後だから」
雪はそう言うと、忌蛇へと向き直る。
痛くて苦しい体を我慢して、最後の力を振り絞った。
「私の全て、蛇さんにあげる。
ずっと、そばに居てくれてありがとう。私は、あなたと過ごした日々が、なによりも幸せだったわ。
いつかまた、どこかで会えたら……
もう一度、私を……見つけてくれる?」
「っ……………………」
雪の目には、覚悟が滲んでいた。
これが最後、これで終わらせる。
忌蛇は、多くの死を見届けてきた。
望んで殺したことは無い、望んで自分から近づいたことは無い。
自分がいるだけで、誰かが死んでしまうんだと。
だから、雪にも近づかなかった。
「僕、はっ……」
今年の春、頑張って生きると張り切っていた雪の姿が脳裏に蘇る。
薄々、感じてはいた。
弱くなっていく雪の体、元気も無くなっていた。
だが、それが死ぬことに近づいているとは、考えられなかった。
忌蛇は、死に際を経験したことがない。
生命力も高いから、簡単には死ぬ事が出来ない。
だから、死ぬなんて現実的に考えられなくて。
「蛇さん……」
「っ…………」
生きると決意した、かつての雪の姿。
でも今は、覚悟を決めた姿だった。
【最期くらい、自分の死に方は自分で決めたくて】
最期、くらいは……………………。
「っ!」
雪が忌蛇の返事を待っていると、忌蛇は鬼の面を掴み、ゆっくりと外した。
鬼の面を近くに置くと、あらわになった顔を雪へと向ける。
初めて見る忌蛇の顔は、とても凛々しいものだった。
人間に似ていて、でもどこか妖魔の雰囲気を感じる。
それでも、怖くは無かった。
雪が忌蛇の顔を見つめていると、忌蛇はふふっと小さく微笑んで、口を開いた。
「前に1回、言ったでしょ。
雪が迷子になったら僕が見つければいいって。雪は好奇心旺盛ですぐどこかへ行きそうだから、僕がすぐに見つけてあげる。気長に待っててよ」
「っ!」
「それに……今まで雪のお願いを全部聞いてきた。
最後まで、責任持って聞いてあげないとね……」
そう言うと忌蛇は、両手をゆっくりと広げた。
それがどういう意味を表しているのか、雪には伝わった。
触れてしまえば、雪は猛毒で死んでしまう。
だが今の忌蛇は、雪の願いを叶えてあげたい、ただそれだけだった。
雪は様々な感情が入り乱れ、下唇を噛み締める。
本当に、これで最後だ。
溢れ出す想いを胸に閉じ込めて、覚悟を決めたように明るく笑った。
「ありがとうっ……」
その言葉を合図に、雪は忌蛇へと飛びついた。
直前、雪はあることを考えていた。
(最後だから……いいよね)
飛びついた雪は、忌蛇の首の後ろに腕を回すと、グイッと忌蛇を自分の方へと引き寄せる。
忌蛇が引き寄せられたことに驚いていると、雪は忌蛇に顔を近づけた。
最初で最後の、触れ合い。
雪は目を閉じて、自分の唇を忌蛇の唇に重ねた。
忌蛇はされるがままだったが、ずっと広げていた両腕を、雪の背中に回す。
たった一瞬の出来事なのに、2人にとっては最大の幸せの時間だった。
(ずっと、ずっと、愛してる……忌蛇さん)
雪は、心の中でも、愛の言葉を伝えた。
┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈
深夜0時。
世界は、12月19日へと日を跨いだ。
あれから、どれだけ時間が経っただろう。
薄暗い部屋の中、忌蛇は1人考えていた。
「……あれ……」
その時、忌蛇は困惑していた。
静寂の中、自分に異変が起きていたのだ。
「なに、これ……」
忌蛇の目から、何かが溢れていた。
水のような、でも少しばかり温いような。
意に反して零れ落ちてくる水に、忌蛇は頭が混乱する。
「ははっ、変だなぁ……止まんない、なにこれ……」
忌蛇は、何度も何度も拭う。
だが、水は止まるどころか溢れ出てきた。
同時に胸の辺りが、ギュッと苦しくなる。
何が起きているのか、ひとつも理解できなかった。
「……ねぇ、雪……どうしよ、僕の体が変なんだ。
この水は、何……?」
溢れ出てくる水に混乱しながら、忌蛇は腕の中にいる雪に声をかけた。
だが、雪は力なくぐったりとしている。
体のあちこちには、紫の痣が広がっていた。
いつの間にか、触れた瞬間に感じた温もりも、まるで嘘のように冷たくなっている。
まるで、本物の雪のような冷たさだ。
窓をずっと開けっ放しにしていたから、随分と体が冷え込んでしまったのだろうか。
「ねぇ、雪……教えて、これは何……?
お願いだよ、いつもみたいに教えてよ……分からないんだっ、雪は分かるでしょう……?ねぇっ……」
どれだけ声をかけても、雪はもう返事をしなかった。
固く閉ざされた目は、決して開かない。
時折赤らめていた頬も、今は白くなっている。
初めは柔らかかった体も、石のように硬くなっていった。
深い眠りについたように、雪は動かない。
「雪、雪っ……お願い、教えてっ……
胸が苦しいんだっ、何でかなぁ……握りつぶされてるみたいな、そんな感じなんだっ……これは、人間ならなんて言うの……?ねぇ、雪っ……教えてよ……
ねぇ、ねえってばっ……っ、雪ぃ!」
(お願いっ……雪、お願いだからっ……)
「っ……1人に、しないでっ…………」
何かが、プツンと切れた気がした。
直後、忌蛇は大声を張り上げた。
段々と冷たくなっていく雪の体を、これでもかという程に抱きしめて。
目から溢れる水は、止まってくれなかった。
その時、外は雪が降り始めた。
凍てつく夜の中、儚い雰囲気を纏いながら落ちる雪は、静かに地面に落ちて消えていった。
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