愛恋の呪縛

サラ

文字の大きさ
上 下
47 / 269

第46話

しおりを挟む
 忌蛇は、言われた通り部屋の中に入った。
 外と同じくらい冷えている部屋の中、寒さが1番の毒だと言っていたのに、なぜ温めないのだろう。
 忌蛇はゆっくりと雪の元へと歩み寄ると、少し距離を取ったところで立ち止まる。



「雪、少し痩せた?」

「そうみたい。蛇さんは、肉付きがある方が好み?」

「別に。あろうとなかろうと、雪は雪だから」

「ふふっ、ありがとう」



 雪はいつものように笑ったが、そこには今までの明るさは無かった。
 力もなく、ただ静かに。
 違和感に気づいた忌蛇は、じっと雪を見つめた。
 すると、雪はゆっくりと上体を起こす。
 ふうっと息を吐くと、優しい眼差しで忌蛇を見上げた。



「今日、私の誕生日でしょう?だから……
 蛇さんから、贈り物を貰おうかな~って」

「……ん?贈り物?」



 忌蛇は、分からず首を傾げた。
 その反応に、雪はふふっと吹き出す。



「誰かが誕生日の時、その人に向けて贈り物を渡したりすることがあるの。だから、私も蛇さんから欲しいなって」

「っ、待って。僕そんなの、持ってない」 

「知ってる。だから私が欲しいものを、今ちょうだい。
 ふたつあるの」

「……今?ふたつも?」

「うん……」



 そう言うと、雪は目を細めた。
 どこか儚さを感じる笑顔を浮かべて、言葉を続けた。





「貴方の顔が、見たい……そして……
 貴方に、触れたい……」

「っ!!!」





 忌蛇は、息が詰まりそうだった。
 雪が欲しいものは、を意味するものだった。
 
 忌蛇は今まで、自分の顔を見せたことがない。
 雪が幼い頃にくれた鬼の面をずっと被っていたため、素顔だけは明かさなかった。
 そして、雪に1度も触れたことがない理由は……
 彼女も、わかっているはず。



「……なんで?顔は、とにかく……触れたい……?
 自分が何を言っているのか、分かってるの?」

「分かってる」

「いや、分かってないよ。だって、僕に触れたらっ」

「猛毒に犯されて、死んでしまう。でしょう?」

「っ……分かってて、どうしてっ……」



 忌蛇は、手が震えた。
 忌蛇の猛毒のことを、雪は忘れていない。
 それなのに、なぜ触れたいなどと。
 すると雪は、忌蛇から視線を外して目を伏せる。



「なんとなく、分かるんだ。体がもう限界だって。もう、長く生きることが出来ないって……でも、私は病気なんかで死にたくない……
 最期くらい、自分の死に方は自分で決めたくて」

「っ……」

「ずっと、貴方と一緒にいたのに……1度も貴方に触れられなかった……こんなに近くにいるのに、貴方に触れることすら出来ない……それが、悲しかった。
 どうせ死ぬなら、1度でいいから貴方に触れたかったの。貴方の、顔を見てみたい」

「どうしてっ……」



 その時、雪は顔を上げて微笑んだ。
 微かに、頬を赤らめながら。




「好きだから」

「……っ?」

「貴方のことが、ずっと大好きだったから。
 好きな人には、死ぬ前に1度くらい触れたい……」



 頭が困惑した。
 過去に、雪から恋愛ものの物語を読み聞かせてもらった時に、同じ言葉を聞いたことがある。
 愛し合っている2人が、互いに想いを伝える時に使っていた言葉。
 でも、当時の忌蛇は全く理解できなかった。
 好きという感情も、愛も、何一つ。



「好きって……僕がっ……?」

「うん」

「僕、妖魔だよ」

「知ってる」

「猛毒があって、人間の天敵っ……」

「うん、分かってる」

「っ…………」



 雪の瞳は、真っ直ぐに忌蛇に向けられていた。

 雪はずっと、忌蛇に恋心を抱いていた。
 何度も、自分は狂っていると感じたこともある。
 相手は妖魔で、両親を食い殺した妖魔たちと同じ。
 本来ならば、憎むべき相手だというのに。



「だって雪、そんなのっ……1度も言ってない……」

「恥ずかしくて言えなかった。そんなすぐに言えるほど、人間は上手く出来てないのよ」

「っ…………」



 雪はずっと、寂しかった。
 幼い頃に両親を亡くし、育ててくれた婆やも忙しくて相手をしてくれない。
 1人ぼっちで過ごす毎日は、彼女にとっては苦痛そのものだった。
 そんなある日、ずっと興味があったクスノキを見に行こうと、婆やたちには内緒で抜け出した時。
 草陰に誰かがいるのを見つけた。
 そこにいるのが人間ではないと、子どもの直感で気づいた。
 それでも、相手も1人ぼっちな気がしたから、どうしても放っておけなかった。
 その日から、雪の日々は変わった。



「私、私ね……忌蛇さんに会ってから、毎日が幸せだった。小さい頃から体が弱くて、自由もない。
 そんな日々だったのに、貴方と過ごした時間は楽しくて、ずっと続いて欲しいって思ってた。毎日、家に帰りたくないって思ってた……」



 家に帰れば、早く明日にならないだろうかと、毎日のように願っていた。
 春、夏、秋は会えるのに、冬は会えなかった。
 その冬の季節が、なによりも長く感じた。
 外に出ても大丈夫になれば、真っ先に忌蛇の元へ向かった。
 年月が過ぎて、少しずつ大人になっていった。
 そして気づいた、ずっと忌蛇に向けていた自分の想いを。



「何度も願ったわ、早く治って欲しいって。でも、体は言うことを聞いてくれなかった。余命まで言われちゃって、あははっ……
 ずっと……貴方といたい。そればかり思ってた」



 少しずつ、人間のことを知ってくれるのが嬉しかった。
 少しずつ、話してくれるようになったのが嬉しかった。
 嫌な顔せず、いつも遊んでくれるのが、幸せだった。
 忌蛇への想いが、日に日に募っていった……。
 それに比例してボロボロになる雪の体。



「蛇さん……ここに座って」



 雪は自分の隣をポンポンと叩くと、忌蛇にここに座るよう促す。
 忌蛇は言われるがまま、雪の隣に腰掛けた。
 今までの中で、1番近い距離。
 雪の近くに行けば、彼女から花のような香りがした。
 忌蛇はずっと、触れないようにと避けてきたせいで、雪をしっかりと見たことがなかった。
 改めて感じる、美しい雪の姿。



「なんだか、緊張するね」

「……分からない」

「ふふっ。ねぇ、蛇さん。これで最後だから」



 雪はそう言うと、忌蛇へと向き直る。
 痛くて苦しい体を我慢して、最後の力を振り絞った。





「私の全て、蛇さんにあげる。
 ずっと、そばに居てくれてありがとう。私は、あなたと過ごした日々が、なによりも幸せだったわ。
 いつかまた、どこかで会えたら……
 もう一度、私を……見つけてくれる?」

「っ……………………」





 雪の目には、覚悟が滲んでいた。
 これが最後、これで終わらせる。
 忌蛇は、多くの死を見届けてきた。
 望んで殺したことは無い、望んで自分から近づいたことは無い。
 自分がいるだけで、誰かが死んでしまうんだと。
 だから、雪にも近づかなかった。



「僕、はっ……」



 今年の春、頑張って生きると張り切っていた雪の姿が脳裏に蘇る。
 薄々、感じてはいた。
 弱くなっていく雪の体、元気も無くなっていた。
 だが、それが死ぬことに近づいているとは、考えられなかった。
 忌蛇は、死に際を経験したことがない。
 生命力も高いから、簡単には死ぬ事が出来ない。
 だから、死ぬなんて現実的に考えられなくて。



「蛇さん……」

「っ…………」



 生きると決意した、かつての雪の姿。
 でも今は、覚悟を決めた姿だった。



【最期くらい、自分の死に方は自分で決めたくて】


 
 最期、くらいは……………………。





















「っ!」



 雪が忌蛇の返事を待っていると、忌蛇は鬼の面を掴み、ゆっくりと外した。
 鬼の面を近くに置くと、あらわになった顔を雪へと向ける。
 初めて見る忌蛇の顔は、とても凛々しいものだった。
 人間に似ていて、でもどこか妖魔の雰囲気を感じる。
 それでも、怖くは無かった。
 雪が忌蛇の顔を見つめていると、忌蛇はふふっと小さく微笑んで、口を開いた。




「前に1回、言ったでしょ。
 雪が迷子になったら僕が見つければいいって。雪は好奇心旺盛ですぐどこかへ行きそうだから、僕がすぐに見つけてあげる。気長に待っててよ」

「っ!」

「それに……今まで雪のお願いを全部聞いてきた。
 最後まで、責任持って聞いてあげないとね……」



 そう言うと忌蛇は、両手をゆっくりと広げた。
 それがどういう意味を表しているのか、雪には伝わった。
 触れてしまえば、雪は猛毒で死んでしまう。
 だが今の忌蛇は、雪の願いを叶えてあげたい、ただそれだけだった。

 雪は様々な感情が入り乱れ、下唇を噛み締める。
 本当に、これで最後だ。
 溢れ出す想いを胸に閉じ込めて、覚悟を決めたように明るく笑った。





「ありがとうっ……」




 その言葉を合図に、雪は忌蛇へと飛びついた。
 直前、雪はあることを考えていた。



 (最後だから……いいよね)



 飛びついた雪は、忌蛇の首の後ろに腕を回すと、グイッと忌蛇を自分の方へと引き寄せる。
 忌蛇が引き寄せられたことに驚いていると、雪は忌蛇に顔を近づけた。
 最初で最後の、触れ合い。
 雪は目を閉じて、自分の唇を忌蛇の唇に重ねた。
 忌蛇はされるがままだったが、ずっと広げていた両腕を、雪の背中に回す。
 たった一瞬の出来事なのに、2人にとっては最大の幸せの時間だった。




 (ずっと、ずっと、愛してる……




 雪は、心の中でも、愛の言葉を伝えた。





┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈





 深夜0時。
 世界は、12月19日へと日を跨いだ。
 あれから、どれだけ時間が経っただろう。
 薄暗い部屋の中、忌蛇は1人考えていた。



「……あれ……」



 その時、忌蛇は困惑していた。
 静寂の中、自分に異変が起きていたのだ。



「なに、これ……」



 忌蛇の目から、何かが溢れていた。
 水のような、でも少しばかり温いような。
 意に反して零れ落ちてくるに、忌蛇は頭が混乱する。



「ははっ、変だなぁ……止まんない、なにこれ……」



 忌蛇は、何度も何度も拭う。
 だが、水は止まるどころか溢れ出てきた。
 同時に胸の辺りが、ギュッと苦しくなる。
 何が起きているのか、ひとつも理解できなかった。



「……ねぇ、雪……どうしよ、僕の体が変なんだ。
 この水は、何……?」



 溢れ出てくる水に混乱しながら、忌蛇は腕の中にいる雪に声をかけた。
 だが、雪は力なくぐったりとしている。
 体のあちこちには、紫の痣が広がっていた。
 いつの間にか、触れた瞬間に感じた温もりも、まるで嘘のように冷たくなっている。
 まるで、本物の雪のような冷たさだ。
 窓をずっと開けっ放しにしていたから、随分と体が冷え込んでしまったのだろうか。



「ねぇ、雪……教えて、これは何……?
 お願いだよ、いつもみたいに教えてよ……分からないんだっ、雪は分かるでしょう……?ねぇっ……」



 どれだけ声をかけても、雪はもう返事をしなかった。
 固く閉ざされた目は、決して開かない。
 時折赤らめていた頬も、今は白くなっている。
 初めは柔らかかった体も、石のように硬くなっていった。
 深い眠りについたように、雪は動かない。



「雪、雪っ……お願い、教えてっ……
 胸が苦しいんだっ、何でかなぁ……握りつぶされてるみたいな、そんな感じなんだっ……これは、人間ならなんて言うの……?ねぇ、雪っ……教えてよ……
 ねぇ、ねえってばっ……っ、雪ぃ!」



 (お願いっ……雪、お願いだからっ……)



「っ……1人に、しないでっ…………」



 何かが、プツンと切れた気がした。
 直後、忌蛇は大声を張り上げた。
 段々と冷たくなっていく雪の体を、これでもかという程に抱きしめて。
 目から溢れる水は、止まってくれなかった。


 その時、外は雪が降り始めた。
 凍てつく夜の中、儚い雰囲気を纏いながら落ちる雪は、静かに地面に落ちて消えていった。
 
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

職業寵妃の薬膳茶

なか
BL
大国のむちゃぶりは小国には断れない。 俺は帝国に求められ、人質として輿入れすることになる。

拾われた後は

なか
BL
気づいたら森の中にいました。 そして拾われました。 僕と狼の人のこと。 ※完結しました その後の番外編をアップ中です

完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

ある日、木から落ちたらしい。どういう状況だったのだろうか。

水鳴諒
BL
 目を覚ますとズキリと頭部が痛んだ俺は、自分が記憶喪失だと気づいた。そして風紀委員長に面倒を見てもらうことになった。(風紀委員長攻めです)

処理中です...