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沈む箱舟
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夢を見たんだ。
そう彼女は上を向いて、いつも通り風を感じていた。訊いて欲しくてたまらない時はそうやって短く、曖昧にするのが彼女の癖だった。どんな夢?と訊くと、彼女は空と、過ぎ去っていく雲を見つめながら答えた。
まだ見たことのない、この島の外の場所の夢。
彼女は冒険が大好きだった。何度も危ないからよした方がいいと説明したにも関わらず、他のテリトリーに入って行って、あちこちに行っては、同胞たちや、私に、土産話を持って帰ってくるのが日課だった。島の端から端まで知り尽くしてしまった彼女にとって、まだ見ぬ海の向こうの世界は憧れの大賞だったのだろう。
彼女はその時、色々な話をしてくれた。夢の中では、草の臭いはこうで、地面を踏む感触はこうで、風の音はこんな感じで、と事細かに、思い描いた世界を説明し、私は、彼女たちもこんな明瞭な夢を見ることがあるのだ、と驚いたものだった。一通り話した彼女は、満足した、と丘に吹き渡る海風を感じるように目を閉じた後、静かにこちらを向いた。
あなたは、外の場所がどんな所か知ってるの?
何も伝えられなかった。決まりは決まりで、私の事情を知る者たちからは、決して伝えてはならない、と厳しく言われていた。外の世界に憧れを持たせてはならないと。結局何か適当なことを答えて、はぐらかしたのだろう。いつも通りのことだった。
そう経たないうちに、私は後悔することになった。こんなことになるのなら、規定を破ってでも、彼女に、ほんの少しでも教えてあげたかった。彼女は己の内側に生じた痛みに耐え、最期だと言うことを悟っていたからこそ訊いたのだ。なのに私は、彼女への慰めを送ることも、彼女を看取ることすらも、できなかった。
今日も私は、その後悔の念を払拭したくて、いや、耐えがたくなってあの丘に行く。逸出防止に張られた電気柵の前に行って、広大な太平洋を眺める。本土には帰る気がしなくなっていた。この島の人工土壌以外で生きてはいけないように調整された植物が生い茂る森を背に、崖の、セラミックスやカーボンで作られた擬岩の間を吹き抜ける風を感じる。
既にこの島に収容された、行き場の無くなった動物群は数百種を超えていた。野生復帰計画がなんとか進んでいる種もいるが、多くの種がもはや人工的な環境に頼らなければ個体数を維持できない状態だ。ついに絶滅した種も現れ、ボトルネック効果で多様性が維持できなくなってきている種も増えてきた。建設計画段階の問題で、収容された種同士が、分布域の重ならないもの同士でも容易に接触できてしまう現状では、本来の野生環境の再現もままならなかった。内陸にある植物専門の収容施設もそうらしいが、計画はもう遺伝子の凍結保存を主軸とする方向にシフトしつつあるらしい。
私個人としては、こうやって彼らに感傷的になってしまい、個体に肩入れしてしまうことも問題だった。こんな感情的な性格にも関わらず、何故こんなものを持って生まれてしまったのかはわからない。
半世紀前、遺伝的多様性保全を目的としたこのメガフロートの建設計画が持ち上がるのとちょうど同じ頃だったらしい。私は、脳内の比較的小さな分子が量子として働きやすいのだそうだ。だから他の個体、他の種の脳との間に量子もつれによる回路ができやすく、コミュニケーションが取れる。
ここのところの私は、彼女のことも相まって、この体質を呪わしく思ってしまっていた。
この島がどうなっていくのかはわからない。遠い未来だったら、この島に移入した動物群が、新しい動物相に変わっていくこともあるかもしれないが、少なくとも、今の私には、絶滅を少しでも長く食い止められるように足掻くしかない。
丘の上を、一段と強い風が吹いた。風に混じって、彼女の甲高い鳴き声が聞こえたような、そんな気がした。
そう彼女は上を向いて、いつも通り風を感じていた。訊いて欲しくてたまらない時はそうやって短く、曖昧にするのが彼女の癖だった。どんな夢?と訊くと、彼女は空と、過ぎ去っていく雲を見つめながら答えた。
まだ見たことのない、この島の外の場所の夢。
彼女は冒険が大好きだった。何度も危ないからよした方がいいと説明したにも関わらず、他のテリトリーに入って行って、あちこちに行っては、同胞たちや、私に、土産話を持って帰ってくるのが日課だった。島の端から端まで知り尽くしてしまった彼女にとって、まだ見ぬ海の向こうの世界は憧れの大賞だったのだろう。
彼女はその時、色々な話をしてくれた。夢の中では、草の臭いはこうで、地面を踏む感触はこうで、風の音はこんな感じで、と事細かに、思い描いた世界を説明し、私は、彼女たちもこんな明瞭な夢を見ることがあるのだ、と驚いたものだった。一通り話した彼女は、満足した、と丘に吹き渡る海風を感じるように目を閉じた後、静かにこちらを向いた。
あなたは、外の場所がどんな所か知ってるの?
何も伝えられなかった。決まりは決まりで、私の事情を知る者たちからは、決して伝えてはならない、と厳しく言われていた。外の世界に憧れを持たせてはならないと。結局何か適当なことを答えて、はぐらかしたのだろう。いつも通りのことだった。
そう経たないうちに、私は後悔することになった。こんなことになるのなら、規定を破ってでも、彼女に、ほんの少しでも教えてあげたかった。彼女は己の内側に生じた痛みに耐え、最期だと言うことを悟っていたからこそ訊いたのだ。なのに私は、彼女への慰めを送ることも、彼女を看取ることすらも、できなかった。
今日も私は、その後悔の念を払拭したくて、いや、耐えがたくなってあの丘に行く。逸出防止に張られた電気柵の前に行って、広大な太平洋を眺める。本土には帰る気がしなくなっていた。この島の人工土壌以外で生きてはいけないように調整された植物が生い茂る森を背に、崖の、セラミックスやカーボンで作られた擬岩の間を吹き抜ける風を感じる。
既にこの島に収容された、行き場の無くなった動物群は数百種を超えていた。野生復帰計画がなんとか進んでいる種もいるが、多くの種がもはや人工的な環境に頼らなければ個体数を維持できない状態だ。ついに絶滅した種も現れ、ボトルネック効果で多様性が維持できなくなってきている種も増えてきた。建設計画段階の問題で、収容された種同士が、分布域の重ならないもの同士でも容易に接触できてしまう現状では、本来の野生環境の再現もままならなかった。内陸にある植物専門の収容施設もそうらしいが、計画はもう遺伝子の凍結保存を主軸とする方向にシフトしつつあるらしい。
私個人としては、こうやって彼らに感傷的になってしまい、個体に肩入れしてしまうことも問題だった。こんな感情的な性格にも関わらず、何故こんなものを持って生まれてしまったのかはわからない。
半世紀前、遺伝的多様性保全を目的としたこのメガフロートの建設計画が持ち上がるのとちょうど同じ頃だったらしい。私は、脳内の比較的小さな分子が量子として働きやすいのだそうだ。だから他の個体、他の種の脳との間に量子もつれによる回路ができやすく、コミュニケーションが取れる。
ここのところの私は、彼女のことも相まって、この体質を呪わしく思ってしまっていた。
この島がどうなっていくのかはわからない。遠い未来だったら、この島に移入した動物群が、新しい動物相に変わっていくこともあるかもしれないが、少なくとも、今の私には、絶滅を少しでも長く食い止められるように足掻くしかない。
丘の上を、一段と強い風が吹いた。風に混じって、彼女の甲高い鳴き声が聞こえたような、そんな気がした。
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