神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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神水戦姫の妖精譚 最終章 クリアスカイ

神水戦姫の妖精譚 最終章 クリアスカイ

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   最終章 クリアスカイ


            *


『皆様、お待たせいたしました!!』
 円形のイベント会場を埋め尽くす人々のざわめきが、スピーカーから場内に響き渡った落ち着いた、でも熱の籠もった女性の声で一気に静まり返る。
 サッカーや野球も行えるドームの、天井からつり下げられた三面の超巨大モニターに映し出されたのは、ふたりの女性。
 長い黒髪で落ち着いたロングスカートの女性と、ショートの金髪で活発そうなホットパンツの女の子は、アイドルと見紛うばかりの魅力を放っているけれど、人間ではない。
 仮想の人格、エレメンタロイドで、そのアイドルのような姿はふたりのアバターだ。
 スフィアロボティクスからHPT社の傘下に移り、新型のAHSで稼働するエレメンタロイドアイドルのふたりだった。
『これから始まるのはお待ちかね!』
『第一回クリーブドール杯ノンレギュレーション部門、決勝戦となります!』
 沸き起こる歓声。
 挟まれた休憩時間の間、待たされていた観客たちは、これから始まる戦いに期待を込めて声を上げている。
 すべてのスフィアが停止し、その後を受け継ぐ形で普及したHPT社のロボット用汎用制御コア、クリーブ。
 多くの企業や団体の支援を受け、クリーブテクノロジー社として独立した会社でクリーブは進化を続けた。
 最初は低かった性能は充分に上がり、ボディであるドールも新たな規格となり、一斉停止事件から三年が経ったいま、第一回目のクリーブドール杯が開催されることになった。
 これから行われようとしているのは、メインイベントであるピクシードール同士のバトルトーナメントの中でも、ノンレギュレーション部門の決勝戦。
『ですが正直なところ、意外でしたね』
『そうなんだよね。このノンレギュレーション部門は、メインマッチのフルコントロール、セミコントロール、フルオートの世界大会への出場権を賭けた各部門と違って日本限定の、いわばエキシビションマッチ』
『参加するクリーブドールも全国の予選大会を勝ち抜いてきた本戦参加者と違い、我こそはと応募してきた方々の中から選ばれた、メインマッチのレギュレーションには納まらないものばかり』
『ガンマンくらいはまだ普通だったけど、ヘビ型とかケンタウロス型とか、腕も脚もない車とか、人間型してない凄いドールもいたよねぇ』
『えぇ。応募されてきたキワモノドールの中から、とくに特殊なドールを集めたと主催者の方々が仰っていたほどでしたね』
『ネタバトルでみんなで笑って終わるってのがスタッフの中での下馬評だったのにねー』
『それがなんと、メインマッチ以上の熱い戦いになるとは本当に予想外でした!』
『そしてそのノンレギュレーション部門も、ついに決勝戦!』
 スクリーンの中で絶妙なかけ合いを続け、観客の期待をさらに膨らませているエレメンタロイドアイドルのふたり。
 そして、決勝戦参加ドールがコールされた。
『決勝戦出場ドール一体目は、エカテリーナ!!』
『という名前で呼んでも、おそらく観客の皆様にはもう馴染みがないでしょう。やはりこのドールは、この名前で呼ぶのがふさわしい。強化外骨格――』
『グランカイゼル!!』『グランカイゼル!!』
 名を呼ばれ、会場の中央、グラウンドの真ん中に設置された、メインマッチのものよりふた回りほど大きいピクシーバトル用リングに自走して近づいて行くのは、金属の塊のような物体。
 ひしゃげた饅頭のような頭部までの全高は八〇センチ近く、標準的には二〇センチ程度のピクシードールの四倍、大型のフェアリードールほどのサイズ。
 ピクシードールのボディよりも太い両腕と、短いがガッシリとした四輪ローラーつきの脚部。
 バッテリや様々な武器のドライブ部を内蔵したずんぐりとした胴体。
 こればかりは規定により覆い隠せない、半ば金属の塊に埋め込まれているように、本体であるエカテリーナが、どこか悲しげにも見える表情を浮かべ、胴体の中央に据え付けられていた。
 その姿は、まるで捕らえた姫をその身に取り込もうとしている、黒い巨人のようだった。
 強化外骨格など、当然通常のピクシーバトルであるメインマッチには出場できず、比較的レギュレーションの緩いローカルバトルでも、これほどの巨体は参加を拒否されるだろう。
 まさにこのノンレギュレーション部門のために造られたピクシードール、それがエカテリーナと強化外骨格グランカイゼルだった。
 射撃武器も許可されているため、猛獣でも破壊して抜け出すことは無理だろう、分厚いアクリルで四方を覆われたリング。
 専用の開閉口からグランカイゼルが入り、観客の歓声を受けてリングに立つのを待ってから、司会のふたりは進行を再開する。
『さて、もう一体の出場ドールは、場内アンケートでは二回戦敗退確定とまで言われていました!』
『それが意外や意外。キワモノ揃いとは言え、戦闘力溢れまくる競合たちをばったばったと打ち倒し、ついには決勝戦へと進出っ』
『見た目にはただのピクシードール』
『しかれどもその実体は、出場ドールの中でも最も特異っ』
『ソーサラーである音山克樹君だけでなく、私たちと同じエレメンタロイドによるコントロールも行われているっ』
『前代未聞のダブルソーサラーによって戦うそのドールは――』
『パトリシア!!』『パトリシア!!』
 名前を呼ばれた僕は、選手出場口から歩き出す。
 肩の上で脚をばたつかせているのは、スピード寄りのバランスタイプに設計してあるピクシードール、パトリシア。
 腰まである金色の髪を揺らし、ボディの各所に取りつけた各種センサーが散りばめた宝石のように見えている、黄色を基調にしたハードアーマーを纏うそのピクシードールは、アリシアとシンシアをさらに進化させた、僕の持つ技術を余すことなく投入した最新型。
 アクリルの開閉口のところでパトリシアを下ろし、スマートギアのディスプレイを下ろして僕は問う。
『行けるか?』
『もっちろんっ、おにぃちゃん!』
 小さな顔でニヤリと、唇の端をつり上げて笑い、パトリシアはあるのかないのかわからないほど透明度の高いアクリルの向こう、グランカイゼルが待つリングへと向かっていった。
 ソーサラー用のずいぶん高級な椅子に座った僕は、目を閉じてリュンクスを起動した。
 一気に広がる視界。
 オートスクリプトが客席の中に見知った顔を発見するけど、いまは気にしていられない。
 高まる歓声は、グランカイゼルとパトリシアが構えを取った途端、ピタリと止んだ。
『さっさと終わらせちゃうよぉー』
『そう甘くないと思うけどな』
『だぁって戦うの面倒臭いんだもんっ。早く終わらせたいんだよぉー』
『まったく……。だったら最初から全力でいくからな』
『おっけーだよぉ』
 そのとき、試合開始を告げるゴングが鳴り響いた。
『行っくよぉーーーっ!!』
『あぁ。行くぞ、リリエラ!!』
 動き出したリリエラ――リーリエが遺した脳情報に、僕の脳情報を加えた、僕とリーリエの娘と言える人工個性――の動きに合わせ、僕は風林火山を開始した。


            *


 ゴングと同時に両腕を上げたグランカイゼルは、そこに装備された電動ガンからチタン弾を発射した。
 丸い金属弾がキャンバスに命中するときには、リリエラはその場所にいない。
 円を描くように素早く動いたリリエラを追って銃口を振るグランカイゼルだが、ピクシーバトルに参加するにはサイズも重量も桁違いの金属塊は、それほど機敏ではない。
 腕の可動範囲外である斜め後ろまで回ったリリエラは腰の長剣を一本抜き、グランカイゼルへと襲いかかる。
 それを予測していたんだろう、その場で急旋回して巨大と言える腕が振り下ろしてきたのは、ツルハシのように尖った先端を持つウォーハンマー。
 ハードアーマーを貫くどころか、一撃で産業廃棄物を生み出す攻撃は、金色の髪をかすめることすらない。
 狙いはエカテリーナ。
 強化外骨格であるグランカイゼルの真ん中、囚われの姫のように埋め込まれたエカテリーナの首を狙い、リリエラが剣を振るう。
 甲高い金属音が響いた。
 かろうじて間に合ったグランカイゼルの左腕が、リリエラの斬撃を受け止めている。
 反撃に巨人が突き出してきたのは、電動ガンとともに右腕に取りつけられた、真っ赤に赤熱したヒートエッジ。
 悠々と躱すリリエラだけど、かなり高温のそれは、一瞬近づけられただけで一部の人工筋の温度を上昇させた。
『あぁーん、もう! 面倒臭いっ』
『自分の弱点なんてあっちも把握してるんだし、こっちの狙いもすぐにバレるよ。あの装甲相手じゃ、まともにやり合っても勝てるわけがないしな』
『そんなことわかってるよーっ、だ! ちゃっちゃと終わらせたかっただけだもんっ』
 結構な戦闘狂だったリーリエや百合乃と違い、リリエラはあんまりピクシーバトルが好きじゃない。
 ポテンシャル的には充分ふたりに追いつけるはずだけど、リリエラは家で使ってるエルフドールを操って料理をしたり、勉強をしたりといったことの方が好きらしい。
 ――育った環境の違いかなぁ。
 そんなことを考えながらも、僕はグランカイゼルへの注意を怠らない。
 巨人の周囲を回るように動いたり、近接して攻撃を仕掛けたり、遠ざかって電動ガンを避けたりと、めまぐるしく動くリリエラ。
 こっちの斬撃は装甲に弾かれ、投げつけた短剣もピクシードールサイズでは有効打になることはない。
 亜音速で動きまくるバトルを経験した僕にとっては、二体の動きはゆっくりとしたものに見える。
 エリキシルドールほどの性能は、グランカイゼルはもちろん、パトリシアにもないのだから当然だけど。
 ドールの性能だけ見れば、装甲の塊で、すべての攻撃がほぼ一撃必殺のグランカイゼルの方が、パトリシアよりも遥かに上だ。
 ――でも、僕とリリエラの方が強い!
『おにぃちゃん。そろそろデータ充分だよね?』
 いまの戦況に笑みを浮かべた僕に、リリエラが声をかけてくる。
 マルチ視界のうちのひとつ、グランカイゼルの動きを解析した結果に注目してみると、もう充分と言えるデータが集まっていた。
 立ち止まり、リングに立つリリエラが向けてきた視線に僕は頷き、彼女も頷きを返してくる。
 アリシアとシンシアのいいとこ取りをしたような設計のパトリシアには、相当な数のセンサーが取りつけられ、僕が持ち込んでるサーバで収集したデータを解析できるようにしてある。
 いまはもう、グランカイゼルの長所も短所も、すべて露わになっている。
「さぁ、そろそろ本気でいくよーーーっ!!」
 わざわざ内蔵スピーカーで声を上げたリリエラに、観客たちから応援の声と、罵声が集まる。
 ダッシュローラーでバックし、距離を取ったグランカイゼル。
 強化外骨格の両腕から発射されたチタン弾を、リリエラは左右のステップと姿勢の動きだけで躱し、ほぼ直進する動きで接近する。
 左腕から振り下ろされたウォーハンマーを、うつぶせに身体を投げ出すようにして避けたリリエラ。
 振り下ろされた腕に両足を絡みつかせて取りつき、肘関節の内側に剣を突き立てた。
 丸太のように腕を振り、グランカイゼルはリリエラを放り捨てる。
 しかし巨人の左腕は、突き立てられた剣によって関節が破壊され、伸びたまま曲がらなくなっていた。
 ひと際大きな声が、観客たちから上がった。
 ここまでの戦いで、グランカイゼルはその巨体と分厚い装甲、そして強力な武器で圧勝してきた。
 それがボディだけなら普通のピクシードールでしかないパトリシアが有効打を与えたんだ、興奮くらいするというもの。
 残った右腕を上げて電動ガンを発射しようとしたグランカイゼルだが、諦める。
 銃口にはリリエラが投げつけた短剣がはまり込み、発射不能となっていた。
 逆上したかのように甲高いモーター音を響かせ、グランカイゼルが突撃を開始する。
 対するリリエラは、立ち止まったままゆっくりとした動作で長剣を抜き放つだけだ。
 グランカイゼルの右腕のヒートエッジを突き出そうと構えた、そのときだった。
 つんのめった巨人。
 高速で接近してきていた巨体が突然停止し、慣性の法則に従い上体を浮き上がらせる。
 よく見ないとわからないが、グランカイゼルがつんのめった場所のキャンバスには、投擲に使って転がってる短剣に交じって、ローラーに引っかかるようナイフが突き立てられている。
 高速移動中だったために姿勢を安定させることができず、倒れ込んでこようとする黒い巨人。
 すり足で半歩接近したリリエラは、光の筋にしか見えないほどの斬撃を放った。
 リリエラの脚をかすめるように、グランカイゼルはキャンバスに沈んだ。
 それとは別に、少し離れた場所に落下した丸いもの。
 エカテリーナの、首。
『しょ、勝者、パトリシア!』
『そして音山彰次、アーンド、リリエラ!!』
『グランカイゼルは、エカテリーナのメインフレーム切断により敗退ですっ』
『魔神のような巨体を、小さな妖精が打ち倒しました!!』
 明らかにグランカイゼルを悪役にしてる、さすがにどうかと思う司会の決着宣言。
 それに応えて、リリエラは長剣を天にかざした。
 広い会場が割れるかと思うほどの人々の賞賛が、リリエラと僕に降り注いだ。


            *


 鳴り止まない歓声を浴びながら、パトリシアを回収した僕はリングに背を向け、選手出場口へと向かった。
 司会がこれからのスケジュールを告げる中、疲れを感じていた僕はスマートギアのディスプレイを跳ね上げて脱ぎ、解析サーバを放り込んだ鞄の中に突っ込んで、少しうつむき加減で歩いていた。
「優勝おめでとう、克樹。まぁ、そうなるだろうとは思っていたがな」
 出場口に入ってすぐのところでそんな声をかけてきたのは、ショージさん。
 久しぶりに会うショージさんは、どこかいままでよりも渋みを増したように見え、でも同時に少し疲れた印象があった。
「こんなところで参加者に賛辞を送ってていいの? 一応主催者側の人でしょ」
「別に構いやしねぇよ。俺はこういうイベントごとは苦手だからな、主催者会議にも出席してない身だしな」
「またそんな言い訳を……。って、そうだった。今回はこんな大会に参加させていただき、ありがとうございます、――平泉の若旦那」
「……うっせぇよ。まだそうじゃねぇよ。茶化すのは止めろ、克樹」
 壁に背を預けていたショージさんは、本気でイヤそうな顔をして大きくため息を吐き、僕の行く手を遮るように立った。
 平泉夫人が完全に復帰して少し経った頃、芳野さんが夫人の養子となって、芳野綾から平泉綾となった。
 後継者としての意味もあるらしいが、年齢的には母娘というほど歳が離れていないふたりは、協力し合う補完関係の立場ってことらしい。
 それと同時に発表されたのが、芳野さん――いまでは綾さんと呼んでるけど――とショージさんの婚約。
 僕以外はほとんどの人が気づいていたらしいけど、ショージさんと綾さんはそういう関係になっていたんだそうだ。
 クリーブの製造とライセンス業務を行い、このクリーブドール杯の主催企業でもあるクリーブテクノロジーの社長に就任したショージさんは、急成長企業の社長と、ロボット業界を牽引する投資家の後継者の夫という立場を手に入れることになった。
「でも、結婚するんでしょ?」
「そりゃあ……、当然だろ。綾以外選ぶ気はないしな。だがまだ来年の話だ」
「もう式の日取り、決まったんだ?」
「うっ……。そのうち招待状送りつけてやるから待っとけ。ってかそれについてはお前も同じだろうが。――克樹、お前は良かったのか?」
「ん……。まぁ、いいよ。僕は、僕だしね」
 恥ずかしそうに頭を掻いていたショージさんは、目を細めて心配するように僕のことを見つめてくる。
 僕の方も僕で変化があった。
 家に帰ってくることなく、両親がふたりとも海外に転勤して半分定住することに決まったのが、高校三年になった頃の話。
 それじゃダメだということで、僕はショージさんの養子に入ることになった。百合乃以外興味がなかった両親は、あっさりその話を受け入れ、僕はいま叔父だったショージさんの子供ということになってる。
 そして来年綾さんと結婚するショージさんは、平泉姓を名乗ることで決着がついていて、僕は血のつながりはないが、平泉夫人の孫という関係になる。
 でも僕は、ショージさんが平泉彰次になっても、音山の姓を名乗ることにしている。とくに大きな意味はないんだけど、何となくそのままでいたかった。
 姓を変えることで繋がる関係もあると思う。
 けれど変えることで切れてしまう繋がりもある気がして、そうすると決めた。
「ま、お前が決めたことだ。俺がとやかく言うことでもないがな」
「うん。あ、ちなみに今日はアキナはどうしてるの? 着いてきてないよね?」
「あー。あいつはなんか、締め切りあるとかでこっちには来なかったな。中継でお前の戦いは見てたと思うが」
 モルガーナとの最終決戦のときに連れ帰ったアキナは、イドゥンに連れて行かれることもなく、いろいろあったようだけど、結局ショージさんと一緒に暮らすようになっていた。
 僕がいまも持ってるリーリエの遺産であるエリキシルスフィアと、アキナが妖精として定着した、たったふたつの機能を保ったスフィア。
 今後どうなるかは誰にもわからないけれど、妖精としての力を一部残し、精霊――人工個性としての性質も併せ持つアキナは、ショージさんと暮らしつつネットの世界で活動するようになった。
 最近増え始めてる、正体を明かさずに主にネット上で活動してるネットクリエイターのひとりとして活動するアキナは、平泉夫人の後援も受けてシンガーソングライターでインディーズの世界ではけっこうメジャーになってきている。
 実体そのものが妖精で、自宅ではエルフドールを身体としている彼女は、ソーサラーでもあるって触れ込みで、ネットクリエイターでは珍しくクリーブドールを使っての現実への出演もこなしてる。
 今日はたぶん、もうすぐリリース予定だと聞いてるアルバムの制作で忙しいんだろう。
 そんな創作活動をする一方で、平泉夫人やショージさんの手伝いもやっていて、人工個性の特性を余すことなく使い、平泉夫人に悪い笑みを浮かべさせるほどになってると言う。
 ショージさんに対して抱いていた複雑な想いについては、いまではある程度折り合いがついたと、本人から聞いていた。
 その辺の気持ちが決着がついたからか、前にショージさんの家に訪れたときに、アキナと綾さんが激しい言い合いをしていたのには驚いた。アキナもそうだけど、綾さんの変わりようが凄いという意味で。
 ショージさんが言うには、アキナは綾さんを唯一激昂させる存在らしい。
 でもそれはそれで、なんだか打ち解けて、微妙なところもあってもけっこう仲がいいということだから、僕には不思議に思える。
「また今度家に寄るよ」
「水臭いこと言わなくていい。お前の家でもあるんだからな」
「……そうだね。なんかさすがに、あんまりそういう印象はないけど」
 少し呆れた、でも優しげなショージさんの笑みに、僕も笑みを返していた。
「話は終わったか? ったく長ぇよ。俺様を待たせるんじゃねぇ。ともあれ、ノンレギュレーション部門優勝、おめでとう。克樹」
 ショージさんの奥で待っていてくれたのは、猛臣。
 以前の不良っぽい雰囲気のあった彼は、大学生になって研究に明け暮れる毎日になったからか、少し落ち着いた感じになっていた。
 大学の計らいもあって、海外の大学への留学も決まっているらしい。
「というかそっちもだったよな。フルコントロール部門優勝と、世界大会出場決定おめでとう、猛臣。――じゃなくて、天堂家のお坊ちゃま」
「皮肉を言いにクリーブ杯に参加したのか? お前は」
 ショージさんの隣で、猛臣は呆れたような表情で大きなため息を吐いていた。
 二〇歳を機に、猛臣は槙島家を出た。
 単純に独り暮らしを始めたとかではなく、家族関係を断ち切る形での絶縁。その後の落ち着き先として、いまも存命である天堂翔機の子供になったと言う。
 ロボット業界に籍を置いている会社や大投資家に比べれば凄くはないが、個人としては相当な資産を持っている天堂家に跡継ぎができたことは、当時ニュースにもなったくらい大きなことだった。
 どういう思惑があって猛臣が槙島家を出て、天堂翔機の家に入ったのかは詳しく聞いてない。いろいろ彼なりに思うところがあったんだろう。
「まぁいい。表彰式までは時間があるんだ。控え室にでも行こうぜ」
「そうだね」
 そう声をかけ合って歩き出そうとしたときだった。
「克樹さんっ!!」
 走る足音が聞こえたと思ったら、胸に飛び込んでくるものがあった。
 膝裏まである長い栗色の髪をふんわりとなびかせて抱きついてきたのは、灯理。
「優勝おめでとうございますっ」
「あ、ありがとう……。でもちょっと、苦しい……」
 全力で灯理に抱きつかれて、僕はさすがに声を上げてしまう。
 というより、恥ずかしい。
 顔をぐりぐりと胸に押しつけてくる灯理は、三年が経ち背はさほど伸びなかったけれど、胸の柔らかさは高校生だったとき以上だ。
 思いっきりそれを押しつけられると、恥ずかしさを感じずにはいられない。
「イヤなんですか? ワタシにこうされるのは」
「いや、そうじゃないんだけど……」
「だったら好きですか?!」
「え? う、うん」
「じゃあワタシと結婚してくれますか?!」
 僕の胸から顔を上げ、ニッコリとした笑みを見せてくれる灯理。
 彼女の、イタズラな色を浮かべている、濃い茶色の瞳。
 僕のことを見て、僕のことを映している灯理の瞳は、明らかに楽しんでいる。
 僕が叶えた願い。
 それはリーリエの復活ではない。
 百合乃の完全復活でもなかった。
 みんなの、エリキシルバトルに参加したみんなの小さな願いを叶えること。
 それがあのとき、僕が百合乃と一緒に叶えた願いだった。
 リーリエを復活させたいと思っていた。
 百合乃に人間として生きてほしいと、リーリエの願いを完全な形で叶えたくもあった。
 でも僕は百合乃と一度別れている。
 リーリエもまた、僕に別れを告げていた。
 たくさんの人が巻き込まれたあの戦いで、願いを失った僕が叶えるべき願いはそれだと、あのときは思ったんだ。
 いまでもふと、リーリエの復活や、百合乃を人間にしてやれば、と思うことはある。
 けれどいま、僕のことをしっかり映している灯理の瞳を見つめると、その想いは霧散していく。
 ――これで良かったんだろう。
 いまはそう思える。
「えぇっと……、そ、それよりも、日本に帰ってたんだ? 灯理」
「もうっ! それくらい答えてくれてもいいじゃないですかっ。ワタシと克樹さんの間柄なんですから!!。えぇ、帰ってきましたよ。また明後日にはフランスに行かなければなりませんが!」
 肩を竦めているショージさんと猛臣のことなどものともせず、頬を膨らませながら答える灯理。
 僕の願いによって目が治った彼女は、すぐに画家としての道をまた歩き始めた。
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 芸術の世界は広く深いものだそうで、それでも灯理は少しずつその才能を認められ、いろんなところから評価されるようになっていた。
「よぉ。近藤も来てくれたんだな」
「優勝おめでとう。……いや、オレは空港から直接ここに来る中里の荷物持ちに呼ばれただけみたいだがな」
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 でも同時に、たくさんのものを得た。
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 大学を出た後の夏姫の進路は、まだ聞いたことがない。僕はある程度決めているけど、どうなるかはわからない。
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 ――もし、いまの僕をリーリエが、百合乃が見たら、どんなことを言ってくれるだろうか。
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 握っていた手に力を込められ、夏姫に目を向ける。
 どこか悲しげに、でも優しい笑みを向けてきてくれている彼女。
 頷きを返した僕は、真っ直ぐに前を見て、見えてきた通路の端に向かって、強い光を放っている場所に向かって、一歩一歩、歩いていく。
 僕は夏姫と一緒に歩く。
 この先へ。
 この先の未来へ。


                    「神水戦姫の妖精譚」 完
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