神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第七部 第四章 神水戦姫の妖精譚

第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第四章 6

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          * 6 *


 ――これは、ヤバい!
 上空を埋め尽くすほどの光の泡に包まれて、百合乃は身動きができなくなっていた。
 幸いまだボディに命中したりはしてないし、どうにか光剣を使って脱出を試みているけど、この状況でモルガーナから攻撃でも食らったら回避が難しい。
 そう思ってスマートギアの視界でモルガーナに注意を向けたとき、僕の背筋に悪寒が走った。
 僕のことを見下ろしてる、魔女。
 燃えるように紅い瞳は、様々な感情が湛えられているのが見える。
 怒り。
 嫉み。
 怨み。
 憎しみ。
 そして、悲しみ。
 僕のことを見下ろしてきている彼女に、僕はその真意に悟る。
 ――来る!
 思った瞬間に急降下を開始したモルガーナは、砲のひとつを僕に向け、放った。
 全力ではなかったろう破壊の光によって、僕の回りの道路は抉られるように消滅し、百合乃が張ってくれたフェアリーケープも耐えきれず消滅した。
 もう一撃砲撃を加えれば、僕は死ぬ。
 でもモルガーナはそれをせず、さらに降下を続ける。
 確実に僕のことを殺すつもりだろうモルガーナ。
 あいつの性格を考えれば、砲撃なんて手段ではなく、直接自分の手を僕の血で染めない限り、気が収まらないだろう。
 光剣を伸ばせるはずの爪を跳ね上げ、直接自分の手に光を宿し、僕の命をその手で奪うために接近してくる魔女。
「――そう来ると、思っていたよ」
 聞こえないほどの小さな声でつぶやき、僕は片手を背中に回した。
 常に冷静で、何百年も時間をかけて忍耐強く計画を進めてきたモルガーナ。
 けれども同時に、あいつは短気で激情家だ。
 怨み深い魔女は、自分以外を信用していない。
 長期戦になれば僕と百合乃に勝ち目がないとわかっていても、自分の手で決着を下さないといられない。
 ――それがお前の限界だっ。お前が神でも、魔女でもなく、人間である証拠だ!
 心の中で叫んだ僕は、デイパックのサイドポケットから取り出せるようにしておいたものを、モルガーナに向けて突き出した。
 シンシア。
 スマートギアの視界に表示されたエリキシルバトルアプリに、僕はいまの想いを込めて、唱えた。
「アライズ!!」
 近藤に託されたエリキシルスフィアを搭載し、前回の戦いでリーリエが回復してくれた機能は、健在だ。
 光に包まれ、二〇センチのピクシードールから一二〇センチのエリキシルドールとなったシンシア。
「これがリーリエが残してくれた、僕とリーリエの絆だ!」
 鮮やかな緑の三つ編みを大きく揺らし、背中から両手剣を抜き放った重装甲を纏った緑の女騎士。
 魔女はそれを見、驚愕に目を見開いた。
 切っ先が届いたのは、シンシアの両手剣が先。
 手が輝きで見えなくなるほどの強い力を発現していたために防御が張れなかったのだろう。
 攻撃から防御の切り替えも間に合わず、急降下の速度を落とせていなかったモルガーナの胸の真ん中に、両手剣が突き刺さっていく。
 大きく口を開け、声も出せず絶叫する黒き魔女。
 胸に深く剣を突き立てられてなお、僕の首めがけて手を伸ばそうとしていたモルガーナの顔が、凍りついた。
 タングステンの指先を持つ手刀。
 魔女の首を貫いて現れたアリシアの手刀が、エリキシルドールのメインフレームを切断した。
 泡の檻から脱出して駆けつけてきてくれていた百合乃は、そのまま手を振り、モルガーナの首は身体から離れ、地面に転がる。
 噴射が止まり、力をなくした魔女の身体は、神意外装ごと削り取られた遊歩道の斜面を滑り落ち、海中へと没していく。
 地面に転がった魔女の首は、大きく目と口を開いたまま、動きを止めていた。
 それを確認した僕は、「カーム」と唱えてシンシアをピクシードールに戻して回収し、目の前で滞空している百合乃と見つめ合った。
「……終わった?」
「……うん。終わったよ。――勝ったよ、おにぃちゃん。あたしたち、勝ったんだよ」
「勝った?」
「うん……、うん!」
 百合乃の頷きを見て、僕は身体から力が抜けて、その場に座り込む。
 勝利の喜びよりも先に、僕はただ、呆然としてしまっていた。


            *


「見事だった! 音山克樹っ」
 背後からかけられた声に振り返ると、いつの間に現れたのか、宙に浮いているイドゥンがいた。
 さも嬉しそうに頬を上気させている女神を、僕は睨みつける。
「よくぞここまで戦い、勝利した! お前がエリキシルバトルの勝者だ! 誉めてつかわそうっ」
 興奮冷めやらぬといった様子で身を乗り出してきて、僕を誉めてくるイドゥン。
 近くに神意外装を着地させて分離した百合乃が、まだ力の入らない僕の身体を支えて立たせてくれる。
「イドゥン! あぁ、我が女神よ! 愛しき我が女神よっ! 私は……、私はっ」
 それまで表情を凍りつかせて足下に転がっていたモルガーナの首が、突然そんな甘く切ない声を吐き出し始めた。
 見ると、首だけになって横倒しに転がっているにも関わらず、死んだり機能停止しているわけではないらしい。恍惚とした視線をイドゥンに向けていた。
「ふふふっ。魔女よ、お前もよく戦った。そしてなにより、この戦いを催してくれた。お前のおかげでわらわは望外の楽しみが得られたぞ」
 労いの言葉を贈りながらモルガーナの首に近づいて行ったイドゥンは、それを左手で鷲づかみにする。
「私は、負けてしまいました……」
「勝利も、敗北も些細なことでしかないわ。お前たちの戦いにこそ意味がある。わらわにその楽しみを供してくれたのお主だ、魔女よ」
「あぁ……、我が女神よ……」
 悲しみに暮れた目をしていたモルガーナは、イドゥンの言葉でまるで少女のような、あどけないと言えそうな笑みを浮かべた。
 そんなモルガーナの額に、イドゥンは右手の人差し指と親指を押し当てる。
「敗れたお主と同化してやることはできぬが、お主の生きてきた時間、お主の記憶、その人生譚(バトルログ)は、わらわの相が完全に消え去るまで、わらわとともに在ろう」
「あぁ、イドゥンッ。私は、私は嬉し――」
 モルガーナの額から離されたイドゥンの指の間にあったのは、絶望を感じさせる黒と、地獄を思わせる紅が混じり合った球体。
 スフィアコア。
 それを取り出されたモルガーナの顔は再び硬直し、動くことも声を発することもなくなる。
 首を無造作に放り捨てたイドゥンは、スフィアコアを自分の唇に近づけていく。
 喰った。
 口に含み、喉を鳴らして、女神は魔女を飲み下した。
 姿は人、百合乃そのものであるのに、目の前にいるのがやはり僕とは違う存在であることを、僕は改めて認識していた。
 ニヤリと笑みを浮かべ、僕たちの方を見つめてくる、生と死を司る女神。
「さて、そこな妖精。お前はわらわと一緒に来てもらうぞ」
「……イドゥン」
 僕の呼び声に視線すら動かさず、イドゥンは百合乃を見つめている。
「お主ほど力をつけた妖精は、人間の世界には置いておけぬさ。わらわに寄り添い、相を失うそのときまで子守歌でも歌っていてもらおうか」
「止めろ! イドゥンッ。百合乃を連れて――」
「待って、女神様!」
 僕の声なんて聞く気もないらしいイドゥンの伸ばした手を取らず、厳しい顔をした百合乃が言った。
「おにぃちゃんは、エリキシルバトルの勝者になったよ。バトルの勝者は願いを叶えられる。そうだったでしょう?」
「何のことかと思えば。それは魔女の撒いたエサであろうに。わらわには――」
「おにぃちゃんはバトルの勝者で、女神様の言葉を借りるなら、魔女さんと一緒に妖精譚を編み続けてきたひとり。それくらいの報償、あってもいいんじゃないですか?!」
「百合乃……」
 身体を支えてくれていた百合乃が離れ、イドゥンと並んで僕のことを見つめてくる。
 嬉しそうに、でも悲しそうに笑む百合乃をちらりと見、イドゥンは顎に人差し指を当てて考え込む。
「ふむ……。お主の言い分には一理あるな。よかろう。音山克樹、お主の願いを叶えてやろう。ただ、お主の最初の願いはすでに叶えられるものではなくなっている。だから新たな願いを述べることを許す」
「願いを、叶える?」
 突然そんなことを言われても、何も思いつかない。
 唇の端をつり上げて笑むイドゥンと、僕を信頼するように真っ直ぐな目を向けてくる百合乃に見つめられる僕は、願いなんて思いつけなかった。
「少し時間を――」
「それは無理だな。封印の間に穴が開き均衡が崩れた時点で、わらわの封印は完全に解けている。すぐにでもここを去る。それと、願いに使えるエリクサーはこの妖精が持っている分と、お主が勝った魔女が持っていた分のみだ」
 いますぐ願いを言えと言われても、やっぱり困る。
 僕の復讐の相手であり、願いの対象であった火傷の男は、結局名前もわからないままで死んでいる。
 困って何も言えなくなってる僕を楽しそうに見つめているイドゥンを、見つめ返すことしかできない。
「ふふふふっ。思いつかぬか。ならばいくつかの選択肢をやろう。ひとつは……、そうさな、お主以外の参加者の、人間を復活させるほどではない小さな願いを叶える、ということはできるな。願いの大きさによっては完全にというわけにはいかぬが、概ね全員の望むものは得られるであろう。それからもうひとつは――」
 言葉を切り、笑みを深くしたイドゥン。
「お主の精霊の復活、だ」
「……リーリエの、復活?!」
「あぁ、その通りさ。精霊は形こそ持たぬが、わらわが認めた生命。わらわのエリクサーは生命にまつわる事象を、世界そのものを歪めて実現する権限。精霊の復活如きできぬはずもないさ。ただし、お主が使えるエリクサーでは、妖精にも人間にもできぬ。お主の言葉で言うならば、人工個性としての復活がせいぜいだ」
 心が揺れる。
 リーリエとまた会える。
 心に残ってるトゲのような想いを、言えなかった言葉を、伝えることができる。
 僕は思わず、それを願おうと口を開いていた。
「僕は――」
「さらにもうひとつ」
「ん?」
 僕の言葉を遮って、さらに深い笑みを、嫌らしい笑みを浮かべたイドゥンが、最後の選択肢を告げた。
「この妖精、中途半端に復活しているこやつの、完全なる復活」
「百合乃の完全な復活……」
「そう。いまの量ならば、この妖精を人間にできるぞ、音山克樹」
「百合乃!」
 空色のツインテールを指で弄んでるイドゥンから、百合乃に目を向けた。
 百合乃が人間として復活できる。
 彼女を生き返らせることは、それを口にしたことはなかったけど、ずっと願っていたことだ。
 たぶん百合乃は自分から復活を望むことはないだろうってわかっていたから、僕はエリキシルバトルの願いに、復讐を選んだ。
 でもいまは、いまならば百合乃の意思を確認することができる。
 ――いや、だけど……。
 百合乃の復活を選べば、リーリエの復活を諦めなくちゃならない。リーリエを選べば、百合乃を。
 どちらも選べない僕に、百合乃は優しげな笑みを向けてきていた。
「ね? おにぃちゃん」
「百合乃……」
 優しげで、彼女が人間としての死を迎えたときと同じ幼さを残し、しかし瞳の奥にリーリエの母親としての強さを、――それだけじゃない、強さを持った何かを、揺るぎない何かを浮かべて、僕に微笑んでいる百合乃。
 それを見た瞬間、リーリエの浮かべていた表情を思い出した。
 僕の妹で、リーリエのママだった百合乃。
 僕と百合乃の娘と言えて、ひとりの女の子だったリーリエ。
 ふたりが浮かべていた表情を、僕に告げていった言葉を、思い出した。
「どうする? おにぃちゃん」
 問われて、僕は叶えるべき願いを心に決める。
 百合乃に近づき、両手を伸ばして、伸ばされた彼女の手を取った。
 そして僕は身体を寄せ、百合乃の耳に願いをささやいた。
 目を丸くして驚いた後、すぐにニッコリと笑ってくれた百合乃。
 イドゥンの方を見ると、女神はどこか呆れたような笑みをし、頷いた。
 僕のことを瞳に映す百合乃と見つめ合い、頷きあった後、ふたりで一緒に唱えた。
「アライズ!」「アライズ!」


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