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第七部 第四章 神水戦姫の妖精譚
第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第四章 5
しおりを挟む* 5 *
四門の砲口から発射される散弾状の光弾群を巧みに避け、百合乃は薄く光る球体の内壁を舐めるように飛ぶ。
球形の天頂、真ん中に居座るモルガーナの射界が限界に達したところで、急降下を開始した。
中央から滑るように後退しつつ、身体を上向かせて射角を取るモルガーナよりも一瞬早く、百合乃は針のように絞った光線を発射した。
――ダメかっ。
防御の隙間をかいくぐるはずだった攻撃を防がれて、僕は密かに舌打ちをする。
百合乃の光線は、わざわざ強い防御を張らなくても防御力の高い稼働盾にぎりぎりで阻まれ、モルガーナの身体には達しない。
反撃に放たれた光の散弾を広がりきる前に軌道を捻るだけで避け、さらにモルガーナに接近した百合乃。
全力後退を開始したモルガーナと軌道が交錯する一瞬、両腕の光剣で斬りつけた。
一本は身体の中心を、一本は意表を突いて六枚のスラスターのひとつに。
身体を狙った光剣は四枚の盾で防がれたが、防御が間に合わなかったスラスターの先端を斬り飛ばすことに成功した。
――いけるっ!
手応えを感じ、防御を担当する僕は、鼻にシワを寄せて怒るモルガーナが向けてきた砲口の攻撃範囲を表示し、稼働盾を動かす。
おそらく全力と思われる太い光線が四条、上空から浴びせかけられるが、音速を超える軌道速度をスラスターの出力で強引に曲げ、百合乃はボディにかすめることなく回避していた。
海を割ったのと同じくらいの砲撃すらも、内壁を貫通することなく、霧散していく。それは散らしたり吸収したりというより、消滅しているようだった。
フェアリーランド。
あの屋敷で僕たちを捕らえ、不思議な空間を創り出していたその魔法は、おそらく時空間そのものを操作するもの。いまこの薄黄色いシャボン玉に包まれたこの空間は、外の空間から隔離されている。
モルガーナが叫び、怨嗟を向けた天堂翔機。
おそらく近くに来ているだろう彼が、どうして僕たちに協力してくれるのか、――そもそもこのフェアリーランドが協力なのかどうかすらわからないけど、こんなものを張ったのかはわからない。
彼の想いは、僕にはわからない。
しかしながらこの隔離された空間なら、外への被害を気にせず全力で動き回り、戦闘を行えることは確かだった。
――でもやっぱり、厳しいな……。
戦場になっている海の上に一番近い、遊歩道に沿って設置されたフェンスを強くつかみ、僕は息を飲む。
いまの状況だけなら、戦況は百合乃が若干押している。
でも現実にはそう甘くない。
百合乃とモルガーナじゃ、持ってるエネルギーの総量が桁外れと言えるほどに違う。
観測できてるモルガーナのエネルギーは、フェアリーランドの内壁に当たって消えたさっきの全力砲撃でもほとんど減った様子がない。
百合乃の持つエネルギー量がバケツ一杯だとしたら、モルガーナはプール一杯くらいだろうと思えた。
でもその魔法によるものと思われるエネルギーを取り出して使えるのは、神意外装の出力性能分、お互いコップ一杯ずつだけだ。
神意外装という装備には、たぶんそこまで激しい戦闘での使用を考慮してなかったんだろう、最大出力はさほど大きく設計されていないようだった。
だからまだ、戦えてる。
神意外装を装備してる百合乃とモルガーナ同士だから、どうにかなってる。
もし僕と百合乃が負けて、モルガーナがあの神殿にあった神意外装すべてを人類滅亡に投入したとしたら、恐ろしい。
搭乗するのがモルガーナではない、フルオートのエリキシルドールだったとしても、おそらく現代兵器では破壊するのは困難で、核ミサイルといった巨大な威力の兵器でも一発では破壊できず、数発命中させてやっと一体破壊できるかどうか程度の防御力がある。
攻撃力については一発で高層ビルを丸ごと消滅させられるほどだ。
そんなものが一〇〇機も攻勢に出れば、人類は数日で滅ぼされてしまうだろう。
僕と百合乃で、モルガーナを倒すしかなかった。
『ゴメンッ、百合乃! 大丈夫か?』
『大丈夫だよっ。ボディまでは達してない!』
連射された散弾のひと粒が、百合乃の身体に命中していた。
どうにか防御力の上昇が間に合って、防ぎきることができた。
軌道も乱されて追撃を食らいそうだったけど、どうにか立て直した百合乃は反撃の光線でモルガーナを黙らせた。
たった一度のミスが、ヘタすると死に直結する。
短期的には優勢でも、長期的には劣勢な戦いを、僕と百合乃は続けていた。
いや、戦いが長引けば長引くほど、僕たちの勝ち目はなくなっていく。
――でも、勝機は必ず来る。
歯を剥き出しにしながら奥歯を噛みしめ、砲撃よりも威力がありそうな視線で百合乃を睨みつけているモルガーナ。
本来は凄まじく気が長いはずの彼女はしかし、一〇〇〇年近くかけて進めてきた計画を崩され、怒りを沸騰させている。
それがいつか、僕たちの勝機になる。
『まだまだいくよーーっ!!』
『あぁ! 必ず勝つぞ、百合乃!!』
『うんっ、おにぃちゃん!』
半ば虚勢でもある気合いを入れるために百合乃と声をかけ合い、僕は信じて戦い続ける。
*
バトルアプリのアシストに従って時間差をつけて放った四条の砲撃は、百合乃をかすめることなくフェアリーランドの内壁で消滅した。
反撃の細い光線は、稼働盾が自動的に動いて防御するが、一発が脚をかすめて微かなダメージを受けていた。
――何故、倒せない?
集束砲から散弾に切り換え、逃げ場がないよう進行方向を狙って隙間なく砲撃を加えるが、百合乃はそれがわかっていたかのように急旋回をして光弾の海を避けた。
「そろそろ、私に踏み潰されなさい!!」
百合乃の機敏な動きを目で追い奥歯を強く噛みしめていたモルガーナは、思わずそう吠えていた。
集束砲を胴体に一発命中させれば終わる戦いだった。
一発で仕留められなくても、動きが鈍れば畳み込めばいい。その程度で終わる戦いのはずだった。
アキナの組んだバトルアシストデータは充分優秀で、それは少ないながらも強敵との実戦経験から高く評価している。
それを使ってなお、百合乃を撃ち落とすには至らない。
そもそも持っているエネルギー量が天と地ほど違うのだ、負ける要素などひと欠片だってなかった。
しかしそれでも、羽虫を踏み潰せない。
神意外装を纏っての戦いなど想定していなかった。
元々の身体では振るうことができなかった、魔法を純粋な破壊に変換して放つ兵器こそが、神意外装。人類殲滅用の兵器であり、これは戦闘用のものではない。
克樹と百合乃が、この空中戦にあってもアキナのバトルアプリの予測を遥かに超える動きをし、対応してくることもあり得ないことだと思えた。
手を振ってはたき落とせばいいだけの羽虫が、いまは蜂のようにモルガーナをチクチクと刺しに来ていた。
――どうして、こうなったの?
アシストを無視して闇雲に撃ち込んだ散弾。
そのひとかたまりがかすめ、ふらついた百合乃はフェアリーランドの底に溜まった海水へと墜落する。
沈んだはずの百合乃の予測位置を狙って、モルガーナは全力の砲撃を連射した。
「やった、かしら?」
わずかに残った海水の大半が消滅し、砲撃の余波か大量の水煙が上がって底の辺りが見通せなくなる。
センサーの情報を頼りに撃破を確認しようとしたとき、頭の中にアラームが響き渡った。
斜め後方。急速接近反応。
スラスターの出力を上げて回避しようとしたときには遅い。
六本あるスラスターのひとつを、半ばから斬り落とされていた。
「くっ!!」
振り返って反撃を加えようとしたときには、百合乃は天頂へと至り回避運動に入っている。
使用不能になったスラスターと、バランスが悪くなった対の一本をパージした。
回避機動にはバーニアで充分。初期加速の出力は減るが、この狭い空間ではたいした違いはない。
たいしたダメージではない。
そう思っているのに、モルガーナは奥歯を砕けよとばかりに噛みしめ、噛みしめすぎて頬を震わせる。
――どうしてこうなっているの?
わからなかった。
魔女となってから一〇〇〇年近く、世界との同化という発想に至り、その方法を見出してから数百年、長い時間をかけて進めてきた計画は、多少の問題は発生しても、すべて予測の範囲内に納まってきた。
エリキシルバトルだって、起こり得る可能性をすべて予測し、変化していく状況に柔軟に対応してきた。
自らが構築した妖精の投入によって、決着が着くはずだったのだ。
それがいま、自分自身が魔女の身体を捨ててまで、戦場に立っている。
わかるはずのないことだった。
――イドゥンの意思?
人間の人生譚を食らい、エリクサーをにじませる女神イドゥン。
気づかぬうちに女神が介入し、状況が揺さぶられたのだろうと思った。
けれどこの状況は、それだけではないと思えた。
――克樹君の力?
それもおそらく大きい。
人間では参加できるはずもない妖精同士の戦いに協力し、アキナを追いつめるのに貢献した彼。
イドゥンによって特異点とされたからと言っても、彼の能力を測りきれなかったのは、人間の可能性を見誤ったのは、自分の落ち度。
――でも何より、あの出来損ないのせい!
克樹が人工個性を構築するよう誘導し、アキナの予備として存在していた、リーリエ。
死に行く脳から取り出したために脳情報の一部が破損していた出来損ないの精霊は、アキナが使えなかったときの予備以上の意味はなかった。
その出来損ないが、真っ先に願いを叶えた。
あれが分岐点。
あれが想定外の始まり。
――いえ、違う。違うわ。
接近してきた百合乃と両手の光剣で斬り結びながら、モルガーナは怒りで瞳を燃やし、考える。
湧き上がるひとつの疑問。
何故、出来損ないの精霊如きがエリクサーの使い方を知っていたのか。
太古の時代から連綿と続く巫女の血筋。
その中で編み出された秘術の数々。
それを応用したエリクサーの使い方。
一部を公式化し、アライズやフェアリーリングとしてエリキシルスフィアに組み込んだが、エリクサーの使用方法を出来損ないの精霊如きが、ほんの数年で身につけられるはずがなかった。
自力で願いを叶えるなど、精霊如きができるはずがなかった。
――すべては、女神の掌の上だったということ!!
その考えに至ったモルガーナは、近接距離から広範囲に広がる散弾を放ち、百合乃を退ける。
さらに追撃を加え、大きく距離を取った。
――私も、女神の手駒のひとつでしかなかったということね……。
手を緩めず攻撃を続けながら、モルガーナはつり上げていた目尻を下げ、悲しげに唇を歪ませる。
少し考えればわかることだった。
把握しきっていたはずの状況に変化をもたらし、想定外の自体を発生させ得るのは、自分よりも上位の力を持った存在であることなど。
目を逸らし、考えないようにしていただけだったのかも知れない。
――けれどっ。
瞳に力を取り戻し、モルガーナは奥歯を噛みしめ、叫ぶ。
「けれども我が女神は望んだ! この戦いを!! 神水戦姫(スフィアドール)の妖精譚(バトルログ)を!! しかし望まれたのは約束された勝利でも、決定された敗北でもないわ!」
女神が求めたのは、整えられ、冒頭から結末までが決められた脚本ではない。
それならば、自分にも勝ち目はある。
――私は、この戦いを、私の勝利をイドゥンに捧げる!
心に決めたモルガーナは、百合乃を直接狙わず、バラバラに砲口を向けた。
放たれたのは、散弾よりも小さな、無数の光の粒。
発射直後に拳ほどのサイズに膨らんだ粒は、百合乃には向かわず、ふわふわとゆっくりと動き、広がっていく。
シャボン玉状の光弾を放ち続け、フェアリーランドの上半分を埋め尽くすほどになったそれに囚われた百合乃。
一発一発はたいしたことはなくても、逃げ場のない中で押しつぶされるほどに食らえば大きなダメージとなる。
光剣と砲撃を使って居場所を確保し、どうにか泡の直撃を避けている百合乃は、それだけで手一杯で大きな移動が行えなくなっていた。
その様子を細めた目で見つめているモルガーナは、百合乃を撃ち落とすための攻撃を行わず、向きを変えた。
――ここまで状況がこじれた原因は、やはり貴方よ、克樹君。
海沿いの遊歩道に立っている克樹を見下ろし、モルガーナは唇の端をつり上げて笑む。
「あなたさえ倒してしまえば、私は望む結末が迎えられるのよ!」
そう声を上げた魔女は、克樹に向かって急降下を開始した。
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