神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第七部 第四章 神水戦姫の妖精譚

第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第四章 3

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          * 3 *


「私の意志をっ、神の意志を、いまこそ表して上げましょう!!」
 ゆらりと立ち上がったモルガーナがそう叫んだ。
 こちらを睨みつけてきた魔女に、僕の背中に恐怖が走る。
 ――いや、違う!
 そう感じた瞬間、僕はアキナを抱いたショージさんを突き飛ばしていた。
 ――マズい……。
 どことも知れない場所から湧き上がってくる恐怖に戦慄して動けなくなっていた僕を、百合乃がぶつかるようにして掬い上げ跳ぶ。
 光の柱。
 百合乃に抱えられて大きく移動した直後、一瞬前まで僕が立っていた場所に光の柱が立った。
 百合乃と一緒に地面に転がった僕が見たのは、天を突き雲を貫く円柱状の光。
 その柱からは、肌を焦がすほどの熱気が放射されていた。
 一瞬で消えた光の後に残ったのは、地面の穴。
 まるでマンホールの蓋が外れたような綺麗な真円の穴だけど、そこは一瞬前までただのアスファルトの地面だった。
 光によって新たに開けられた、人が余裕で入れるほどの太さの穴だ。
 変化はそれだけじゃなかった。
 覗き込んだ穴の奥底から、ゆっくりと何かが出てくる。
 折り畳んだ翼から黒い光を吐き出し、深淵の中からせり上がってくるのは、アーマーとフレームが組み合わさったような、外骨格に見える物体。
「神意外装……」
 スフィアロボティクス総本社ビルの地下深く、イドゥンと出会った神殿のような場所にあったはずの神意外装のひとつが、いま僕たちの目の前に浮かび上がってきていた。
 僕たちの頭上をしばし滞空した後、それは速度を上げ、モルガーナの元へと向かう。
「まったく、勘のいい子ね。いまの一撃で消滅してくれていれば良かったのに」
 見るとモルガーナは、いままさに神意外装を纏おうとしていた。
 黒い光を噴射する、細い六枚の翼。
 尾翼のように長く伸びたパーツの左右には、可動式と思われる各二本計四本のフィン。
 浮かび上がり、鞍のような部分の座るように合体したモルガーナの身体を守るように追加の装甲が施され、アームに取りつけられた盾がさらに彼女をガードする。
 モルガーナはいま、黒く禍々しい天使となった。
「もう何もいらない。すべてを焼き尽くすし、貴方たち全員殺して、エリクサーをもらうことにするわ」
 言いながら、モルガーナはゆっくりと地上を離れ、空へと浮かび上がる。
 彼女は駐車場からも見える、海を指さした。
「抵抗はするだけ無駄よ。神の意志を、貴方たちに見せてあげるわ」
 モルガーナの言葉に応え、背中から生えたフィンのひとつ、先端から見える拳大の穴が開いた砲門と思われるものが動き、光を放った。
 その光の幅は、まるで道路。
 僕が浴びせかけられそうだったものよりも太い、スフィアロボティクス総本社ビル前の四車線の道路よりも太いくらいの光は、砲門の動きに合わせて近くから遠くの方へ、暗い海を走る。
 沖合に停泊しているのが小さく見えるタンカーまで至ったのが見えた瞬間だった。
 海が、割れた。
 比喩ではなく、海水が消滅し、道ができたように海が割れていた。
 水蒸気すら立たず、光が通り抜けていった場所には何もなくなり、夜の闇に沈んでいてもはっきりとわかるほどに、海がふたつに割れていた。
 沖合のタンカーもまた船首近くでふたつに分断され、爆発が起こっているのが見えた。
 海が割れていたのもほんのひととき。
 空白となっていた場所に一気に海水が流れ込み、その余波で湾全体が大荒れになる。
 ――あれが、神意外装の力……。
 勝てる気がまったくしない。
 さっきまでのモルガーナにも勝ち目は薄いとしか感じられなかったけど、いまのあいつは攻撃力の桁が違いすぎて、戦いになるとも思えない。
 呆然と荒れ狂う海を見つめていた僕に、百合乃が声をかけてきた。
『神意外装って、あれは何?』
『あれは、地下の女神の神殿にあったんだ。イドゥンが神意外装って呼んでて――』
『そっか。わかった』
 僕に突き飛ばされて、アキナを横抱きにしたまま尻餅をついてるショージさんも、声をかけてきた百合乃も、微動だにしない。
 力に酔ってか、上空で高笑いを上げているモルガーナに動きを感知されれば、次の攻撃対象になる。
 そう思うと、半分身体を起こした状態の僕も動けなかった。
『横から失礼します。神意外装というのは、神殿にはまだあるのですか?』
 次にどうすればいいのかわからないでいたとき、通信に割り込んできたのはアキナだった。
『ある。百体くらいはあったはずだから』
『なるほど……。それであれば地下に行けばあれが手に入るのですね』
『何を考えてるの? ショージ叔父さんがつくったエルフドールでも、戦うのは無理じゃない?』
『わたしが戦うのは、おそらく無理です。奪ってきたエリクサーでどうにかサードステージになった程度のスフィアでは、勝ち目などありません。ですがこのドールのスフィアは、予備とは言えエリキシルスフィアです。最低限ですが魔法も使えます』
『なるほどぉ』
 僕が質問に答えた後、アキナと百合乃で進めている話に若干悪い予感を覚えるが、ふたりが何を考えているのかはだいたいわかった。
『じゃあ、そんな感じでよろしくぅー』
『はいっ』
 ふたりで相談が終了したらしく、そんなやりとりの後、アキナがメイド服の裾を翻しながら立ち上がった。
「何をするつもりかしら?」
 アキナが立ち上がったのに気づき、高度を落としてきたモルガーナが問うてくる。
「わたしが、守ります!」
「守る? 何を守ると言うの? 笑わせてくれるわ! これは神の意志。神の威力。世界の持つ純粋な力。それを表すための神意外装。貴方たちは、私の前にひれ伏し、死を待つ以外にできることはないのよ!」
 砲門を使わず、腕に装着された追加アーマーに生えた爪に黒い光を宿すモルガーナ。
 魔女が余裕の笑みを見せたとき、百合乃が動いた。
「アキナ!」
「ありがとう、百合乃さんっ。ショージ、わたしの後ろへ!」
「あ、あぁ」
「じゃあ、行ってきます!」
「ひっ!!」
 百合乃から装備をまとめたベルトを投げ渡されたアキナは、モルガーナの注意を引くようにショージさんの手を引いて総本社ビルの方に走った。
 視線が外れた瞬間に、ワイヤーメジャーのフックを近くの街灯に引っかけた百合乃は、神意外装の砲撃によって開いた穴に、僕を抱えて飛び込んだ。
「すぐにこちらを片付けて追いかけるから、待っていなさい!!」
「ひぃーーーーーっ!!」
 自由落下に近い速度で落ちていく僕たちを、モルガーナの声が追いかけてきたが、それよりも自分の悲鳴の方が大きかった。
 風景すら見えない息が詰まるような穴の中を、僕と百合乃はどこまでもどこまでも、落ちていった。


            *


 総本社ビルの屋上から飛び降りたのと同じか、それ以上の時間落ち続けて飛び出したのは、広い空間。
 イドゥンの神殿。
 天井から強い照明で照らされているのに、黒よりも暗い色に沈む巨大な円形のその場所に、最後の一〇メートルほどワイヤーが足りず、百合乃は僕と一緒に飛び降りた。
「飛び降りるのは、もう勘弁してほしい……」
「そんなこと言ってる場合じゃないよー、おにぃちゃんっ。急がないと!」
「あ、あぁ」
 両手両足を着いて、恐怖で縮み上がってるのに激しく脈打つ心鼓動を抑えようとしていた僕は、百合乃の叱咤に膝に手を着いて立ち上がった。
 広間の隅の方であるいまの場所から一番近い台座には、そこにあったと思われる神意外装がなかった。
 たぶんそこにあったものを、モルガーナが使ってるんだ。
「さて、僕たちでもちゃんと使えるといいんだけど……」
 すぐ隣の神意外装に駆け寄っていく百合乃を追いかけて、僕も走った。
「なぁに、問題ない。これは元々人形に使わせることを考えてつくってある。最低限にしろ、あの魔女と同じ力を振るえねば、動かすことはできないがな」
 背後から声をかけてきた可愛らしく、怨みすら覚える憎たらしい声の主は、振り向かないでもわかった。
「イドゥン……」
「やぁ、音山克樹。よくぞここまで至った。本当に楽しいな、お主らは」
 振り向き、僕は神々しくも禍々しい女神を見つめる。
 相変わらず、生きていた頃の百合乃の姿をし、僕の目線より少し高い位置に浮かんでいる女神は、気を抜くと跪いてしまいそうになる威容を放ちつつ、さも楽しそうな笑みを浮かべた。
「……趣味の悪い姿、ですね、女神様」
「ふふんっ。これは致し方ないのさ。本来神には姿などない。だから久々に人の前に姿を現すのに当たって、そのとき近くにいた音山克樹の記憶からもらったものだからな」
「それだけでは、ないのでしょう?」
「くくっ。察しの良い。だがいまは、そんな話をしているときではなかろう?」
「気にはしていません。あたしは一度死んだ時点で、その身体を失っていますから」
 眉を顰め、こっそりと僕のズボンをつかんでいる百合乃が、自分の生前の姿をしたイドゥンのことを気にしていないはずはない。
 でもいまはそんなことを話してるときでないのも確かだった。
 小柄な百合乃の肩を抱き寄せながら、僕は問う。
「いまの状況は、貴女の想定していたものなのか? イドゥン!」
「想定? まさかっ。より戦いが面白くなるよう、よりこじれるよう、事前にいろいろといじりはしたが、どうなるかなど想定はしていなかったさ」
 喉の奥でクツクツと嗤い、イドゥンは語る。
「最も早い結末は、魔女が自分の精霊を本格的に投入した段階で、すべての参加者を倒し伏すものだ。最も時間がかかるものでは、お主の盟友、槙島猛臣が五年かけて最高のドールを造り上げ、魔女に戦いを挑むものだった。――しかし、そのような結末ではつまらん」
 幼く可愛い百合乃の姿をしながら、しかし女神は狂的な笑みを浮かべる。
「確かに多くの種は撒いた。しかしながら戦いが始まった後は、いくつかの情報を提供した以外は介入などしておらぬよ。ここまで戦いをこじらせ、魔女をも引っ張り出すに至ったのは音山克樹、お主の力に他ならぬ」
「……僕は、お前を怨むっ」
「それは構わぬが、わらわを恨むことは世界を恨むことに等しい。世界とは常に無機質なもので、人間味などないもの。世界を恨むなど詮無きことぞ」
 どう考えも人間味溢れる嫌みったらしい笑みを浮かべるイドゥンに、僕は舌打ちも出なかった。
「おにぃちゃんっ、急がないと!」
「……そうだな」
 これ以上イドゥンに構っていても仕方ない。
 それよりもいまは、上で頑張ってくれているアキナの元に駆けつけないといけない。
「女神様。おにぃちゃんはあぁ言っていますが、わたしは貴女に感謝しています。あたしがおにぃちゃんにもう一度会えたのは、貴女のおかげですから」
 振り向いた百合乃はそう言うが、悲しみが溢れそうになっている瞳は、言わない言葉がたっぷり含まれているのが、僕には見えていた。
「ふふんっ。それには鍵の類いはない。あの魔女が造った最終兵器だ。他人に使われることなど想定すらしておらん。必要な情報も合体すれば得られるはずだ。それと――」
 楽しそうに言うイドゥンは、一度言葉を切って僕たちのすぐ側の神意外装に手をかざす。
 黒一色だったそれが、空色と白の鮮やかなものに塗りかえられる。
「サービス、という奴だ。カラスのような色では味気なかろう?」
「……ありがとう」
「ん、このボディに、ちょうどいい色だね」
 僕はイドゥンに礼を述べ、ぴょこんと頭を下げた百合乃は笑みを浮かべた。
 それから百合乃は台座に飛び乗り、神意外装の鞍に腰を落ち着ける。
 背中の充電ポイントを兼ねた外部端子での接続が確認され、内蔵されたソフトウェアが僕の携帯端末にダウンロードされる。
『いける?』
『大丈夫……、だと思う。ちょっと待っててくれ。すぐに追加機能のプロパティを設定する』
 第五世代スフィアドール規格で追加された外部機器と同一の仕様となっている神意外装は、初期設定さえしてしまえば使えることがわかった。
 イドゥンの言っていた通りロックなどはなく、近接や射撃武器、複数のスラスターにかなりの数のバーニア、可動式の盾や各機能に関連するものなど、プロパティもパラメーターも盛り沢山だけど、割と単純だ。
 たぶんだけど、モルガーナは世界中のスフィアを停止させた後、機能を残しておいた手元のドールに神意外装を纏わせ、フルオートで使わせるつもりだったんだろう。
 ――余った時間でつくったフライトコントロールアプリが役に立つなんてね。
 モルガーナとの戦いを準備しているとき、使う可能性のあったアプリをいろいろと準備していた。画鋲銃用の火器管制ソフトもそうだけど、半分冗談で水中行動用とか、飛行制御用アプリなんかもつくっておいた。
 神意外装にも飛行制御用アプリは内蔵されてるけど、単純すぎて細かな制御はできず、これからモルガーナと戦うには使えそうにない。使用の可否を問われてキャンセルを選択し、いくつかの制御アプリを百合乃に送信して準備は整った。
『行けるな? 百合乃』
『大丈夫だよ、おにぃちゃん』
 応えた百合乃は、六枚のスラスターから白い光を弱く噴射し、台座から分離して僕の元まで移動してくる。
 可動式の盾を腕代わりに僕を抱き上げる。
「では、最高の戦いを期待しているぞ、音山克樹」
「……あぁ。女神様に見たこともない戦いを見せつけて、僕たちが勝ってみせる! いくぞ、百合乃!!」
「うんっ!」
 本当に楽しそうに、でも狂気染みた笑みを浮かべるイドゥンに一瞥した後、僕たちは地上に向けて飛び立った。



 速度落とすことなく小さな穴に突入し、克樹たちの姿が見えなくなった。
「戦え……、戦え……、わらわの愛しき妖精たちよ!」
 克樹たちが消えた穴に両手をかざしながら、イドゥンは狂ったように声を上げる。
「最高で、最期の神水戦姫の妖精譚を、わらわに捧げよ!!」
 恍惚とした表情で笑み、イドゥンは広間に響き渡るほどの声で嗤い続けた。


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