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第六部 第四章 リーリエの願い
第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第四章 3
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どれくらい時間が経ったろうか。
たぶんほんの一〇秒ほどのことだったんだと思う。
光が収まったのを感じて、僕は目を開いた。
静まり返った広い屋上。
僕の側で微笑みを浮かべているのは、リーリエ。
白のソフトアーマーの上に空色のハードアーマーをつけた、身長一二〇センチのエリキシルドール。
空色のツインテールを屋上に吹く緩やかな風に揺らしている彼女に、目立った変化は見られない。
――願いが、叶ったのか?
もしリーリエの願いが人間になることだとしたら、何か変化があってもいいはずだ。
でも僕が見た限り、何も変わっていない。
元々エリキシルドールだから、顔とかはかなり人間に近くて見分けがつかないほどなんだけど、髪の色はともかく、ピクシードールの特徴である、人間に比べるとふた回りほど大きい手も、そのままだ。
僕にはリーリエが、願いを叶えたようには思えなかった。
「私の……、私のこれまでしてきたことが……。私の願いが……」
震える声を絞り出すようにして、両手を床に着いたモルガーナがつぶやいている。
これまで見てきた魔女らしい感じはなく、絶望に打ちひしがれた様子の彼女。
その様子から、正しく願いは叶えられ、エリクサーが消費されたのはわかる。
でも僕にはそれが何だったのか、わからなかった。
「――うん、そっか。だいたいわかった」
微笑みながら辺りを見回していたリーリエが、誰に言うでもなくそんなことをつぶやき、僕にニッコリと笑む。
――あれ?
いつも見てきたリーリエの笑みに、違和感を覚えた。
何が、ってことはないんだけど、アリシアの身体なんだし、違いはないはずなのに、僕の目の前にいるリーリエが、いままでの彼女と違って見えた。
「いったんここから逃げるよ、おにぃちゃん」
「え? いまならエイナを倒して、あいつのスフィアを奪えるだろう?」
「うぅん、たぶんもう無理」
言われて振り返ると、どうやら音波砲の影響を脱したらしいエイナは、ゆっくりとだけど立ち上がろうとしていた。
「シンシアを戻して回収して」
「わかった。……カームッ。どうするんだ?」
シンシアをエリキシルドールからピクシードールに戻して、切り取られた腕も含めてデイパックにとりあえず突っ込む。
同じく近くに転がっていた武器なんかを回収して僕のデイパックに放り込んだリーリエは、ニッコリと笑って言った。
「今度はこっちが使わせてもらうねっ」
微妙に脚の位置をズラしたリーリエ。
剣を構えてこちらに突撃を開始したエイナを囲むように、台座のようなものがせり上がってきた。
一斉に発射されたのは、ネット。
高速に動けると言っても、八方向から取り囲むように発射されたネットに、いくつかは斬り捨てることに成功するが、対応しきれずエイナは絡め取られて突進が止まる。
「ネット?」
「うん。魔女さんが確実に勝つために仕込んだ武器。ライフルとかショットガンとかは全部壊しちゃったから、残ってるのはこれくらい。じゃあ行くよ!」
言ってリーリエは、小さい身体で僕を横抱きにする。
何となく嫌な予感を覚えた僕は、デイパックをお腹に抱えて身体を硬くした。
「それ!」
走り始めたリーリエ。
かけ声とともにもがいているエイナを踏み台にして、一気に屋上の端まで飛ぶ。
――モルガーナ。
空中で、僕はモルガーナと目が合った。
驚愕と、絶望と、嘆き。
様々な感情の籠もった目で、僕とリーリエを睨みつけてくるモルガーナと、一瞬ですれ違う。
「――待て、待て!」
「口閉じてないと舌噛むよっ。ひゃっほーーーっ!!」
リーリエが着地したのは、屋上の低いフェンス。
僕に忠告した次の瞬間、彼女は僕を抱えたまま、フェンスから跳んだ。
屋上の、外へ。
「くっ、くおおおおおーーーーーーっ!!」
急速な落下の感触。完全なる自由落下。
四十階を超えるスフィアロボティクス総本社ビル。その高さは二〇〇メートル以上。
地上に叩きつけられれば、確実に死ぬ。
リーリエに抱きかかえられながら、僕は死を招く落下の感触と、暴力的な風にその身を包まれていた。
――死ぬ! 死ぬ! 死ぬ!
どうにか首を回して見た地上が、見る間に近づいてくる。死がそこにある。
――僕は、死んだ。
逃げられない死を覚悟したとき、リーリエが僕を抱える右腕だけを外して、開けっ放しのデイパックの中に手を突っ込んだ。
取り出してアライズさせたのは、シンシア用に持ってきた大剣。
それを、大きく振り被り、思い切り地面に投げつけた。
アライズの物理法則の無視具合はともかく、かなりの重量になる大剣を投げつけたことで、反作用によりほんの微かに落下の速度が低下したことを感じる。
でもそれは気休めに過ぎない。
さらにもう一本、同じ形の大剣をリーリエは地面に投げつけた。
――でもこれで終わりだっ!
閉じればいいのに目を見開いたまま、改めて両腕で僕を抱えるリーリエと、地面に叩きつけられる。
と思っていた。
二本の大剣の柄頭に器用に両脚をかけたリーリエ。
化粧パネルに覆われた固い地面に大剣の刀身を打ち込みながら、両脚と身体のバネを総動員して、――着地に成功した。
「生きてる……。僕は生きてる……」
大剣から降りたリーリエの腕から解放された僕は、しゃがみ込んで両手を地面に着いたまま、半ば放心してつぶやく。
かなりの衝撃はあったけれど、身体に痛いところもない。
でも立ち上がることはできない。
結果的に生きてるけど、すぐそこに感じた死に、僕は身体に力が入らなくなっていた。
「ほぉーっ、うまくいったぁ。よかった!」
「いくら逃げるためだからって、やり方があるだろ……」
大剣を元のサイズに戻して回収してるリーリエを、僕は力ない声で非難する。
「あははっ、ゴメンね。でもエレベータは止められるだろうし、階段も非常シャッター下ろされたら、閉じ込められて逃げられなくなるからね。飛び降りる以外の方法はなかったんだよー」
さっきまで悲壮な感じのあったリーリエはどこに行ったのか。
妙に高いテンションでニコニコと笑っている彼女に、僕はため息を吐く。
「エイナさんはすぐに追ってくるよ。早くここから逃げないとっ。スレイプニール、持ってきてるよね?」
「え? あぁ、入ってる」
「じゃあ、それ使うね」
言ってリーリエは地面に転がっていたデイパックからスレイプニールを取り出す。ついでに念のため持ってきていた、ネコミミのようなアクティブソナーつきヘルメットも。
デイパックの口を閉めて僕に押しつけたリーリエは、「アライズ」と唱えてヘルメットとスレイプニールを巨大化させた。
「乗って!」
「どこに行くつもりだ?」
「家までだよ? とりあえずいまここから逃げられれば、魔女さんはしばらくあたしたちに構ってる暇がなくなるだろうからねっ。ほら、スフィアが全部、使えなくなっちゃったんでしょ?」
「あぁ、そうか」
まだ頭に霞がかかったように思考が定まらない僕は、その言葉に納得して、スレイプニールにまたがったリーリエの後ろに座る。
「でも大丈夫なのか? 前に中野から家に帰るまで乗ったときは裏道通っていったからよかったけど、ここからだと人の多い通りもあるぞ」
「だぁいじょうぶ! フェアリーケープ!!」
リーリエがそう唱えると、僕たちの身体を、微かに光る粉のようなものが包み込んだ。たぶん、さっきの障壁とは別の、フェアリーリングの応用。
「たいしたことはできないけど、これくらいのことならできるよっ。みんなから見えなくなってるから、事故起こすと大変だけどねぇ。――さて、飛ばすよぉーっ。しっかりつかまっててね!」
中身を弄って第五世代対応にしてあるスレイプニールのハンドルを握り、ネコミミヘルメットを被ったリーリエは唇をつり上げて笑う。
屋上から飛び降りるときよりもマシだけど、それと同様のイヤな予感を覚えた瞬間、凄まじい加速が僕の身体にかかった。
「う、おっ!」
フォースステージになると、スフィアドールの性能は物理限界を超えられるという話だった。もしかしたら外部装備のスレイプニールも、同じように性能がアップするのかも知れない。
アッという間に配送トラックなんかが多い湾岸の国道に出た僕とリーリエ。
時速一〇〇キロなんて遥かに超えてるだろう速度で、トラックや乗用車の間を縫ってリーリエはスレイプニールを飛ばす。
「んーーーーっ! 気持ちいいぃーーっ!!」
やっぱりさっきとは人が変わったような気がするくらいのリーリエは、本当に気持ちよさそうな、嬉しそうな声を上げてさらに加速をかける。
もう声も出なくなってる僕は、振り落とされないようリーリエの小さな身体に必死にしがみついて、ただ歯を食いしばってることしかできなかった。
*
克樹たちが飛び降りていった屋上の端に、我に返ったモルガーナは駆け寄っていった。
そこからでは見ることのできない克樹たちのことを、フェンスを強くつかみ、見下ろそうとする。
フェンスをつかむ手を、そして全身を細かく震わせているモルガーナの顔は、怒りに赤く染まっていた。
そして、肌の赤さよりもさらに紅い瞳は、絶望と、屈辱と、悲しみに揺れている。
「もう……、残された時間はないというのに……」
イドゥンの封印は、そう遠くなく完全に解ける。
そうなれば、いまはモルガーナの支配下にあるスフィアはすべてイドゥンの元に戻り、エリクサーを得る方法がなくなってしまう。
それまでに充分な量のエリクサーを手に入れなければならないのに、出来損ないの精霊によって、大量に失われてしまった。
「何故……、何故こんなことにならなくてはならないの?! 私が、どれだけの時間をかけて、ここまで至ったと思っているのか!」
怒りに震えるモルガーナは、うつむき、奥歯を強く噛みしめる。
これほどの屈辱は、人生の終わりに味わったきりだった。
人々のために奔走してきたというのに、不確かな情報ですべての責任を押しつけられ、火あぶりに処されたあのとき以来の激しい屈辱。
そして、悲しみ。
怒りに震え、絶望に苛まれるモルガーナは、嘆きに涙を零す。
「絶対に、許しはしない。絶対に!」
そう言葉に出したモルガーナは、空を仰ぎ、雄叫びを上げる。
獣のように、高く、高く声を上げた。
*
ニュース番組では、すべてのスフィアが機能を失ったという報道を、怪現象として流していた。
久しぶりに帰った自宅でリビングのソファに座り、彰次は眼鏡型スマートギアに刻々と変わっていく情報を映しながら、壁に埋め込まれたテレビで情報を確認していた。
「いったい、何が起こったってんだ?」
顎をさすりながら、彰次はつぶやく。
ローテーブルを挟んだ向かいのソファでは、メイド服を着せた実験タイプのエルフドール、アヤノがぐったりとした感じで座り込んでいる。
突如スフィアの機能が停止したことで、アヤノも動かなくなっていた。
念のためと思ってエイナが使っていたというスフィアに交換もしてみたが、やはり動作しない。
フルオートシステムのAHSで稼働していたアヤノは、システムとのリンクがどうやっても確立できなくなっていた。
テレビの中ではいま、夜もずいぶん遅くなっているにも関わらず、スフィアロボティクスの開発部長だという人物が、原因不明で、現在調査中だという、これまでと同じ内容のことを繰り返している。
彰次の勤めるHPTでも、技術サポート部が徹夜で検証作業をしていると連絡が届いていたが、いまのところ原因が判明したという報告は届いていない。
ホビー用途が主のピクシードールやフェアリードールはともかく、実用用途が中心であるエルフドールは、いまのところ手頃な価格ではないため普及しているとは言い難い。
それでも家庭や、医療関係、介護関係では実用を開始しているところもあるし、何よりスフィアドール関連会社はもちろん、大学やサービス提供会社での実験が行われている。
夜に起こった事件であり、怪現象という形で報道されているため、それほど致命的な騒ぎになっているわけではないが、朝になればいまよりも大きな騒ぎになることだけは確かだった。
「魔女の奴の仕業、だよな……」
つぶやきながら、彰次はブランデーを注いだグラスを口元に寄せる。
スフィアロボティクスのように直撃ではないが、HPTにも突き上げがくることは確実だった。そのためにこの時間の時点で、広報や営業、サポート関係の部署はともかく、開発関係の部署については明日一杯自宅待機が言い渡されている。
まさに怪現象としか言いようのない事件であったが、彰次にはそれがモルガーナの起こしたことだとしか思えなかった。
「克樹と、リーリエが原因か」
フォースステージに昇ったリーリエ。
詳しいことはよくわからなかったが、そのフォースステージというのが、モルガーナにとって脅威になり得る段階だというのは理解している。
だとしたら、モルガーナがスフィアの機能を奪い取ったのは、克樹とリーリエ、もしかしたらリーリエ単独でちょっかいを出したか、出されたかだと推測していた。
克樹にはそのことについて電話も、メッセージも飛ばしているが、回答はいまのところ来ていない。もしかしたらいまも、モルガーナと戦っているのかも知れない。
もう一杯分、ボトルからブランデーをグラスに注ぎ、それを持って彰次はソファから立ち上がる。
遮光カーテンを少し開けて見たそちらには、都心のビル群が微かに見えるだけで、スフィアロボティクス総本社までが見えるわけではない。
ただ何かが起こっているとしたら、そちらの方であるように、彰次には思えていた。
「これは、貴女の想定していた事態ですか? 平泉夫人」
まだ事件が起こったばかりだから、動きは目立っていないが、HPTの海外支社には、すでにクリーブに対する問い合わせや購入希望の連絡が入ってきているという。
日本国内も、朝になれば営業部への問い合わせが殺到するのは必至だ。
平泉夫人の言っていた、すぐにでも必要になるという言葉が、これを意味していることなのかどうかはわからない。
けれど夫人は、今回の件ではないにしろ、モルガーナによってスフィアがいつでも停止できるということを、予感していたように思える。
発表の時点で風前の灯火のようだったクリーブは、明日からはHPTが総力を挙げて資金を注ぎ込む事業になるだろう。
平泉夫人はこうなることを、その言葉を発した時点で予感していたのだろうか。
「しかし本当に、この先、何がどうなるってんだ?」
あらゆる命の奇跡を叶えるというエリクサー。
エルフドールサイズに巨大化するピクシードール。
エリクサーをかけた戦い、エリキシルバトル。
エリキシルソーサラーとなった克樹たち。
そして、イドゥンという神様を示唆したリーリエ。
一連の事柄は、確実に今回のスフィア停止事件に通じ、そして克樹たちの戦いがいよいよ終わりに近づいていることを、彰次に感じさせていた。
「俺に、できることはあるのか?」
窓の外を眺めながらつぶやき、彰次はグラスを大きく仰いだ。
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