神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第六部 第四章 リーリエの願い

第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第四章 2

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          * 2 *


 動き出したエイナを目で追うことを、僕は諦めた。
 何発か発射した画鋲銃を投げ捨て、背中につり下げていた大型の盾と大剣を取りだし、シンシアに構えさせる。
 そして光学、聴覚、振動、温度などのすべてのパッシブセンサーを全開にした。
 ――やっぱり厳しいっ。
 センサーから入力された情報は、何本かを束ねたモバイル回線を経由して僕の家のサーバで処理される。ほぼリアルタイムのセンサーからの情報では、エイナの動きは捕らえられているけど、目で見て対応できる速度じゃない。
 ――来る!
 エイナが襲いかかってくるのを感じた僕は、シンシアに左の方向に盾を向けさせた。
 狙い通りに、エイナが振るった剣を防ぐことに成功した。
 でも――。
「クソッ!」
 盾をすり抜けるように接近してくる無表情のエイナを、右の大剣で斬りつける。
 もちろん当たるはずもなく避けられるが、エイナは後退していった。
 目で追える速度ではなく、センサーの情報から勘で動くことで、かろうじて対応はできる。
 でもいつまでも対応できるはずもなく、初撃は防げたけど、次は厳しい。エイナのバトルアプリにだって学習機能は搭載されているだろうし。
 それを悟った僕は、大剣を床に突き立てさせ、腰の後ろに提げていた新しい画鋲銃をシンシアに取らせた。
 さっきリーリエから受け取ったのよりも大型のそれは、これまで使っていた対害虫用ではなく、エリキシルバトルのためにつくった、戦闘用の画鋲銃だ。
 その特徴は、単射でなく、連射が可能なこと。
 突き立てた大剣と盾の間から銃口を出し、エイナの予測軌道に向けて画鋲を放った。
「ははっ……。当たらない」
 威力も増して、重装甲のシンシアにもダメージを与えられるほどになってる連射画鋲銃に気づいてか、エイナは複雑な回避運動を取る。
 大容量弾倉にあった一〇〇発の画鋲をアッという間に撃ち尽くし、シンシアに大剣を持つようスマートギアから指示を出したとき、エイナの反撃が始まった。
 右側から襲ってくると感知したときには、大剣を構えきれていないシンシアの右腕が、肘から切り落とされた。
 ――マズいっ。
 シンシアを下がらせて盾を右に向けたけど、一歩遅い。
 一瞬で左に現れたエイナ。
 盾を持つ左腕が、肩のアーマーごと宙を舞った。
 シンシアを大きく飛び退かせて三撃目を食らうのは回避したけど、連射画鋲銃を撃ち尽くしてから二秒足らずで両腕を失った。
 シンシアはもう、武器を持つことはできない。
 ――まだ、三〇秒。
 リーリエの言った一分まではあと半分。
 シンシアが距離を取ったことで、エイナの方も離れていったけど、モルガーナからも急ぐよう指示を受けてるんだ、すぐに攻撃を仕掛けてくるだろう。
 もう少し、僕はエイナを引きつけておかなくちゃならなかった。
 ――来たっ。
 長剣の一本を捨て、残り一本を両手で構えたエイナ。
 身体を前に傾けたと思ったらピンクの軌跡を引いて接近してくる彼女の攻撃には、フェイントも遊びもない。
 その向こうでは、勝利を確信したモルガーナの暗い笑みが見える。
 真っ直ぐに、確実にシンシアの機能を停止させる、速度を威力に乗せる軌道で、エイナは突撃してきた。
 長剣の切っ先は、エイナの緑色の装甲に覆われた胸元に――。
「そう来ると思ってたよ!」
 次の瞬間、ヘリポートに転がることになったのは、エイナ。
 長剣を取り落として頭を抱え、苦しむように転げ回るエイナに、僕はシンシアの顔を向けさせた。
 大きく口を開けたシンシア。
 それから僕は、二発目のそれを放つよう指示を出す。
 防護機能のあるスマートギアのヘッドホン越しでも、キーンという耳鳴りがするそれは、シンシアに内蔵されたアクティブソナーの余波。
 ピクシードールのときでさえ一〇〇メートル以上を探知できたシンシアのソナーは、エリキシルドールとなって増強されたいま、攻撃力を持った音波砲となっていた。
 直撃すれば窓ガラスくらいなら粉々に砕くだろうシンシアの音波砲は、細く絞って放てば聴覚だけじゃなく人間の感覚を麻痺させるだろうし、たとえエリキシルドールでもほとんどのセンサーが一時的に使えなくなるか破壊され、身体の内側を揺すぶられて、倒すには至らないまでも少しの間は行動不能になるはずだ。
 少し前に試しに使ってみたら、余りパーツで組み立ててデュオアライズでエリキシルドールにした標的のサブフレームが、一撃で実用不能になるほどのダメージになった。
 ――躱された!
 二撃目の集束音波砲は、どうにか床を蹴ったエイナに躱されていた。
 直撃したヘリポートに、小さな円形の細かなヒビが入る。
 モルガーナの側に着地したエイナはしかし、立っていられず膝を着く。
 先ほどの余裕を失っているモルガーナは、震える唇を強く噛みながら、僕のことを睨みつけてきていた。
 それに余裕の笑みを返しながら、僕は思う。
 ――どうにか上手くいった……。
 意思を封じられたエイナが、バトルアプリに従った、比較的単純な行動パターンを踏むというのは、リーリエから送られてきたメッセージで教えてもらっていた。
 エイナは確実にシンシアを倒すために、胸部に内蔵されたバッテリ、もしくはスフィアが納まっている頭部を真正面から狙ってくるだろうという読みが当たった。
 ――問題はこれからだ。
 人間のように頭を振ってピンク色の髪を乱し、立ち上がったエイナ。
 シンシアに攻撃手段があることは明かしたし、それが音波砲であることもバレてる。
 次の攻撃くらいは凌がないと、充分な時間にならない。
 そう思ってる間に、エイナは再度突撃を開始した。
 エイナの動きを追って集束音波砲を放つけど、さっきよりも速く複雑な動きに、床にヒビを入れるばかりだ。
 弧を描くように右から接近してきたエイナは、瞬時に左に移動している。
 センサーで捕らえられいたその動きに、シンシアの首を回す。
 しかし、口の中に設置した音波砲の真正面に捕らえることができない。
 下からすくい上げるような、刃の閃き。
「甘いよ」
 剣がシンシアの顔を斬り裂く一瞬前、エイナは仰け反り、飛び退いていった。
 拡散音波砲。
 集束したものに比べて大きく威力は落ちるけど、効果は充分。
 長剣を取り落とし、両膝をついたエイナに、僕はシンシアに指示を出してさらに拡散音波砲を浴びせかける。
 ダメ押しで倒れ込んだエイナに、集束音波砲も食らわせる。
 エイナが身体をビクつかせ、動かなくなったとき、背後から声をかけられた。
「もう大丈夫だよ、おにぃちゃん」
 振り向くと、リーリエの穏やかな笑顔が見えた。
 彼女が掲げている両手には、手のひらから少し浮かび上がってる、水の球があった。
 ――エリクサー。
 僕はその透明な水の球を見た瞬間、それを確信した。


            *


「や、止めなさい……」
 想像以上の克樹の活躍により動けなくなっているエイナの脇を通って、モルガーナはよろよろとした足取りで進み出てくる。
「それだけは……、それだけはやめて頂戴!!」
 先ほどまではあれほどこちらを見下した視線を向けてきていたというのに、いまの彼女は泣きそうなほど顔を歪めていた。
 強いライトに照らされたモルガーナの顔は、元からの白さを通り越して、青いほどになっている。
 克樹に優しく笑いかけてから、リーリエはそんなモルガーナのことを睨みつける。
「あたしだってさっき、やめてって言ったよ。でも貴女はやめなかった。あたしのお願いを聞いてくれなかったのに、貴女の願いを聞くと思ってるの? モルガーナ」
「そんなこと……」
「貴女はあたしとエイナの戦いを邪魔した。エリキシルバトルを妨害して、無理矢理終わらせちゃった。エイナから心も奪っちゃった貴女の言葉なんて、もう聞いてあげない。あたしは、あたしのできることを全部やる」
「あぁ、あああああああーーーーーっ!!」
 絶叫して駆け寄ってきたモルガーナを、リーリエは容赦なく蹴飛ばした。
 ヘリポートの上を滑るように転がっていったモルガーナは、それでも立ち上がろうとしているが、蹴られた腹を押さえて苦悶の表情を浮かべ、動くことができない。
「エイナ? エイナ!!」
 身体を小さく丸め、うずくまるようにして身体を痙攣させているエイナは、リーリエの声に反応しなかった。
 身体の機能はそろそろ部分的に回復してきているはずであるが、音波砲などという、ピクシーバトルではあり得なかった攻撃に、おそらくバトルアプリが対応しきれず、次の行動を阻害している。
 意思があれば判断できることも、いまのエイナにはできない。
「何を、するつもりだ? リーリエ」
 眉根にシワを寄せてそう問うてくるのは、克樹。
 不安と、心配と、他にもいろんな気持ちを瞳に浮かべている彼に、リーリエは微笑みかける。
「ゴメンね。モルガーナは強制的にエリクサーをエイナに集めて、充分な量を集めちゃったんだ。あとあたしの持ってるのがあれば、あの人の願いは叶うくらいになってたの」
「モルガーナの願いが、叶う?」
「もう大丈夫だよ。あたしが、それを止めるから。止める方法は、これしか思いつかなかったんだけど」
 不穏なものを感じたらしい克樹が一歩近づいてくるのに、リーリエは一歩下がって、自分の周りに障壁を張った。
 フェアリーリングの応用。
 物理的な侵入を防ぐ魔法。
 足下に現れた黄色い円から伸びる、薄黄色の障壁の中で、リーリエは目をつむり、両手のエリクサーを高く掲げる。
 ――ゴメンね、おにぃちゃん。
 集中し、エリクサーを使って、世界に接続する。
 ――あたしは、ママみたいに、おにぃちゃんの良い妹になれなかったね。
 やり方はフォースステージに昇った段階でわかった。
 おそらく、エリキシルスフィアに最初から、イドゥンがマニュアルを仕込んでいた。フォースステージに達することで、それが閲覧できるようになる。
 ――あたしも頑張ったんだよ、おにぃちゃんの妹になれるように、あたしなりに頑張ったんだ。
 準備が完了し、静かに瞼を開くと、克樹が見つめてきていた。
 怖いくらい怒った顔をしていて、いままでで一番心配してくれている瞳の彼は、いつも穏やかな克樹とは違うのに、その顔を見ているだけで安心できた。落ち着くことができた。
 ――やっぱりダメだね、あたしは。
 リーリエにも望みがあった。想いがあった。
 けれどそれは叶えてはいけないものだと気づいたのは、いつだったろうか。
 その想いを抱くこと自体がいけないこと。自分の罪。
 そうであることを、リーリエは知っていた。
 ――だから、あたしはこのエリクサーで、全部を精算するね。ぜんぜん足りてないけど、いまのあたしにはこれしかできないから、あたしはあたしの願いを、叶えるね。
 声には出さず、ただ微笑み、リーリエは克樹に語りかける。
 エリクサーが黄金に輝き、光があふれ出す。
 帯状の光がリーリエの身体の周りを舞う。
 準備が、整っていく。



 ――リーリエは、願いを叶えるつもりだ。
 彼女の手のひらの上の、野球ボールほどの量のエリクサー。
 黄金に輝き、光をあふれさせるそれが、願いを叶えるのに充分な量なのか、そうでないのかはわからない。
 すべてのスフィアの機能を停止することで、大量のエリクサーを集めたモルガーナ。
 リーリエの分と合わせれば、モルガーナの不滅の願い、世界との同化は叶う。
 それを止めるために、リーリエは自分の願いを叶えることにしたんだ。
 願いを叶えればエリクサーは失われる。モルガーナの願いを、計画を挫くことができる。
 ――だけど僕は、リーリエの願いを知らない。
 ここに来る前に話していたように、彼女の願いは人間になることかも知れない。
 それとももっと別の、個人的なものかも知れない。
 たとえどんな願いだったとしても、いまの僕はリーリエのことを信じることができた。
 リーリエは僕のことを、彼女の願いが僕のことを、裏切ることはないと思えるから。
 だから僕は、微笑んでるリーリエに笑みを返し、言う。
「頼んだぞ、リーリエ」
「――うん」
 途端に泣きそうに顔を歪めるリーリエ。
 それでも口元に笑みを浮かべて、頷いてくれる。
「いくよ」
 そう言ったリーリエが天高く両手をかざすと、水の球だったエリクサーが光の帯とともに膜となり、彼女の身体を包み込む。
「いますぐにやめなさい!」
 いつの間にか近づいてきたモルガーナが、光の水の膜に手を伸ばす。
 けれどフェアリーリングに似ていて、何かの障壁と思われる黄色い壁に阻まれ、魔女の伸ばした手はリーリエには届かない。
 それでも諦めないモルガーナの手に、エリクサーが吸い寄せられるように近づいていく。
「リーリエ!」
 僕が声をかけるまでもなく、モルガーナに視線を向けているリーリエ。
 その目が鋭く細められた瞬間、魔女の身体は何かに弾かれたように吹き飛んでいった。
 たぶん、いまのモルガーナよりもリーリエの方の力が勝っていたんだろう。
 ヘリポートの端まで吹き飛び、魔女が動かなくなったのを確認して、僕はリーリエの方に振り向いた。
「――ありがとう、おにぃちゃん」
 夏姫からも、百合乃からも向けられたことのない、強く、けれど優しい想いが込められた笑み。
 それを見せるリーリエに、僕は笑みを返せなかった。
「リーリ――」
「アライズ」
 彼女の名を呼ぶ前に唱えられた、解放の言葉。
 舞うように浮かんでいた光と水が、リーリエの身体に吸い込まれていく。
 光がその身体から放たれる。
 爆発するかのように膨らんだ光。
 何も見えなくなりそうなその中で、目を細めた僕が見たもの。
 それは、涙を流しながら微笑むリーリエ。
 それから、声のない彼女の、唇の動き。
 ――え?
 唇だけでははっきりとはわからない。
 リーリエの言葉を僕は理解しない。
 だからどうにか薄目を開けて、僕は彼女に手を伸ばす。
「リーリエ!」
 熱はないのに、圧力を感じるほど強く発せられる光に包まれ、僕は何も見えず、何も考えられなくなった。


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