神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第六部 第四章 リーリエの願い

第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第四章 1

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   第四章 リーリエの願い


          * 1 *


 ――あれ?
 訪れると思っていた痛みが、いつまでも来なかった。
 近藤に刺されたときのような熱さも、背中に感じることはない。
 恐る恐る背面カメラをオンにしてみると、ぎりぎりのところで、リーリエがエイナの剣を、短刀で受け止めていた。
 あのタイミングなら、絶対にリーリエの動作も間に合わないと思っていたのに、あと数センチのところで、僕の身体に刃は届いていなかった。
 正面視界に映るリーリエに、僕は小さく頷いて見せる。
 それに応えて頷くリーリエ。
 彼女が奥歯を強く噛みしめた瞬間、僕は身体をスライドさせるように動いて、ふたりの間から逃れた。
 無理な体勢からリーリエがエイナの身体を剣ごと押し返す。
 すぐさま剣を振り上げたエイナだったけど、片膝を着きながらリーリエが左手に握っていたのは、画鋲銃。
 いつの間に僕のデイパックから取り出したのか、エリキシルドールサイズにアライズさせた画鋲銃を、リーリエは容赦なくエイナに浴びせかける。
 銃口を見るのと同時に回避を始めたエイナには、連続して放たれる画鋲は一発も命中しない。けれど距離を取ることはできた。
「下がって、おにぃちゃん」
「わかった」
 身体の前に回したデイパックからもう一丁の画鋲銃と予備弾倉を投げ渡した僕は、リーリエの指示に従って自動ドアのところまで後退する。
 その僕をかばうように、両手に画鋲銃を構えたリーリエが立った。
 さすがにふたつの銃口に睨まれるエイナは、距離を取ってすり足で横に動くばかりで、近づいてはこない。
 その向こうでは、不快そうに、けれどどこか余裕のある表情を見せるモルガーナが、僕たちのことを見つめてきていた。
「……どうして? おにぃちゃん」
「いろいろと言いたいことはあるし、話したいこともあるけど、いまはそんな状況じゃないよな。だから……、ゴメン、リーリエ」
 すぐにも戦闘が再開されそうな状況だから、僕は細かいことはともかく、最初に言いたかったことだけを言う。
「僕はリーリエ、お前のことをちゃんと見てこなかった。お前だってひとりの女の子、人間なのに、それに気づいてなかった。人間なんだから、願いくらい持つ。エリキシルソーサラーになる資格があるのだって当然なのに、僕はそんなことも頭になかった……。僕は、莫迦だった」
 僕を守っている空色のハードアーマーの肩が、微かに揺れるのが見えた。
「あたしこそ、ゴメンね。どうしても話せなかった。おにぃちゃんに嫌われたくなかったから。黙ってて、ゴメンなさい……」
 空色のツインテールを揺らしながら、少し震える声で、リーリエがそう言ってくれた。
 こうやって話せばいいだけだったんだ。
 僕はそれから逃げていた。
 リーリエも、僕から逃げていた。
 いまやっと、僕とリーリエは、お互いのことを認識することができたんだと思う。僕は彼女に、追いつくことができたんだと思う。
 もう一本の長剣を取り出したエイナを見て、僕はリーリエに問う。
「あのエイナは、どうしたんだ? この前と違うよな」
「うん。モルガーナに意思を封じられてるの。モルガーナが全部のスフィアからエリクサーを抜き取って、エイナのスフィアに移しちゃった。あたしとエイナ以外のエリキシルソーサラーは、強制的にバトルの参加資格を失った……。無理矢理フォースステージに昇らされて、意思が消滅したわけじゃないけど、いまのエイナはエイナじゃなくなってる。モルガーナの指示に従うだけの人形になっちゃってる」
 スマートギアの視界でエイナのことを拡大してみると、彼女の顔には表情がなかった。瞳にも、感情の色は浮かんでいない。
 豊かだった表情が、エイナから消えてしまっている。
 エリキシルバトルが強制的に終了になったというのにも驚いたけど、いまはそのことを話してる余裕はない。
 エイナの様子の方が気がかりだった。
「どうにかできるのか?」
「……できるよ」
「僕にできることは?」
「シンシア、持ってきてるよね? 出して。アライズできるようにするから」
「わかった」
 デイパックに手を突っ込み、僕はドール用アタッシェケースからシンシアを取り出す。
 そんなことできるのか、なんて疑問は頭の隅に置いておく。リーリエができると言うんだから、できるんだ。
 タイミングを計っているらしいリーリエにもわかるように、左の髪の辺りにシンシアを持って行く。
「リーリエが生まれてから、ずっと僕と一緒にいてくれた。リーリエはずっと僕と一緒に戦ってきてくれた。相棒を信じられないなんて、ダメだよな……。お前の願いはわからないけど、一緒にいてくれたお前のことを、僕は信じる」
「……うん」
「帰ったらいっぱい話すことがある。だから一緒に戦おう。それから、一緒に帰ろう」
 大きく肩を揺らし、リーリエは一瞬沈黙する。
 けれども背中越しに、彼女は言ってくれた。
「おにぃちゃんが、もう一度あたしのことを信じてくれただけで、充分だよ。ありがとう、おにぃちゃん。――一緒に戦おう!」
 言い終えるのと同時に、左手の画鋲銃の引き金を絞ったリーリエ。
 弾倉が空になるのと同時に、右手の画鋲銃をエイナに向けて撃ち始めた。
 激しい動きで回避運動をするエイナを狙い続けながら、リーリエはシンシアの頭に画鋲銃を捨てた左手の指を添えた。
「これでシンシアはアライズできるよ。誠のスフィアを載せておいてくれてよかった」
「僕はどうすればいい?」
「少しの間……、二分、うぅん、一分だけ、エイナをお願い」
「――頑張ってみる。アライズ!」
 立ち上げたエリキシルバトルアプリにリーリエへの想いを込めて唱えると、シンシアは光に包まれ、ピクシードールからエリキシルドールへと変身した。
 弾倉を交換した画鋲銃を差し出され、シンシアに持たせて前に立たせる。
 それと交代で僕の後ろに下がるリーリエは、嬉しそうな、でもどこか悲しげな笑みを僕に見せた。
「本当にありがとう。あたしは、好きだよ……、克き――。おにぃちゃんのことが、大好きだよ」
「あぁ、僕もだ。僕もリーリエのことが大好きだよ」
「――うんっ!」
 久しぶりに満面の笑みを見せてくれたリーリエに、僕もできるだけの笑みを返す。
 僕の後ろに隠れるように立ったリーリエは、両手を胸の前で握り合わせ、祈るようにして目をつむる。
 ――勝てる気は、しないな。
 ここに来るまでのタクシーの中で、灯理とリーリエの戦いの動画をもらって、見ていた。
 動画の中で余裕を持って戦っていたリーリエだけど、その速さは以前エイナと戦っていたときより数段上だった。
 そのリーリエが倒しきれないエイナと、僕が戦って勝つことなんてまず無理だ。まともに戦えるかどうかすら怪しい。
 ――でも、一分だけ堪えれば、それで充分だ!
 エイナが接近のために床を蹴ろうとした瞬間、僕はシンシアを操って画鋲銃を発射した。


            *


 ――慎重さは、あれの性格かしらね。
 音山克樹の登場という、不測の事態に対応し切れないのか、彼を殺し損ねたエイナは後ろに引き、様子を見ている。
 迷いのない、自動機械のようなエイナの背中を眺めながら、モルガーナは眉根にシワを寄せていた。
 時間と労力をかけてエイナが組み上げたバトルアプリは、モルガーナから見ても高い完成度だったが、標準の設定が慎重さに偏りすぎている。状況判断が終わるまで、積極的な攻撃には出ない様子だった。
 負けることを恐れていた、エイナの性格がそのまま出ている。
 ――こういうところは、ただの人形だと面倒ね。でも、負ける可能性はないわ。
 リーリエと同じフォースステージに昇ったエイナ。
 意思を封じた彼女は妖精の能力を使うことはできないが、エリクサーを取り込ませるときに充分以上にハードスペックを上げている。
 それに拮抗してくるリーリエも強いのはわかるが、力が足りなければまだ使える能力はある。
 いまのエイナに、負ける要素などひとつもなかった。
 ――ついに、私の願いが叶うわ。
 いまのエイナとリーリエのエリクサーを合わせれば、必要な量には充分となる。
 勝利がほぼ確実ないま、モルガーナは紅い唇の端をつり上げて笑う。
「――なんですって?」
 無駄な足掻きを続けるらしい哀れなふたりを眺めていたとき、リーリエに代わり前に出てきた克樹が、緑色の髪をした三つ編みの、重装甲のドールをアライズさせた。
 ――想像以上に、あの出来損ないは力を使いこなしている?
 本当ならばリーリエのエリクサーも、あのとき奪い取るつもりだった。
 すでにモルガーナに接近する力を持つリーリエはそれを免れ、しかし他のほぼすべてのスフィアからはエリクサーを抜き取り、スフィアコアはただの石英の球となったはず。
 それなのにリーリエは、フォースステージの力を使い、克樹のドールを復活させた。
 ――そんなことまでできるなんて……。でもその程度で負けるエイナではないわ。
 腕を組んだまま推移を見ているモルガーナ。
 ふたり一緒に戦うのかと思ったら、克樹だけが前に進み出、エイナと対峙する。
 たとえエリキシルドールであっても、せいぜいセカンドステージ。フォースステージのエイナに一瞬で破壊されることだろう。
「しかし、あの出来損ないは何をするつもりかしら?」
 戦闘態勢を取るでもなく、後ろに下がったままのリーリエ。
 小柄なその姿は、克樹の後ろに居、屋上を照らすライトの光もあまり届かないためよく見えない。
 祈るかの言うに、胸の前で手を組んでいるのだけはかろうじて見えた。
 そのとき、リーリエが両手を前に差し出した。
 器のようにした両手には、何もない。
 けれどそこに力が集まっていくのを、モルガーナは感じ取った。
 リーリエがやろうとしていることに、気がついた。
「止めなさい! それだけは……、それだけはやめて!!」
 一歩前に出て、髪を振り乱しながらモルガーナは叫ぶ。
「そんなことをしたらどうなるのかわかっているの?! やめて……、やめて頂戴! お願いよっ、それをいますぐやめて!!」
 モルガーナの懇願の声は届いているはずなのに、両手を天に掲げたリーリエは、止める様子はない。
「くっ! エイナ!! いますぐその人形を叩き壊して、あの出来損ないを止めなさい!」
 指示に従って、エイナはふたりへの接近を開始する。
 ――いまならまだ間に合う!
 戦うつもりらしい克樹のドールなど、数秒とかからず破壊できる。
 そしてその後、すぐさまリーリエにトドメを刺せば、まだ間に合うはずだった。
 唇と、握りしめた両手を震わせ、モルガーナは刺すような瞳でリーリエのことを睨みつけていた。


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