神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第六部 第二章 ハードハート・ブレイク

第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第二章 1

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   第二章 ハードハート・ブレイク


          * 1 *


 週末、芳野さんに先導されて夏姫と一緒にダンスホールに入ると、もう待っている人がいた。
 車椅子に乗って微笑みを投げかけてくれているのは、平泉夫人。
 灯理と近藤も先に着いていて、夫人からちょっと離れたところに置かれたワゴンに準備されたティーカップに手を伸ばしている。
 それから、ショージさん。
 ショージさんは夫人とも個人的に繋がっているし、エイナを通してエリキシルバトルにも関係している。この場に呼ばれるのは当然だろう。
 でも何故か、平泉夫人の座る車椅子の後ろに控えた芳野さんの側に立つ。ある意味で平泉夫人寄りの立場だからそれは不思議ではないんだけど、芳野さんとの距離が近いように見えるのは、何でなんだろうか。
 そしてリーリエ。
 ホールの真ん中辺りに置かれた丸テーブルには、僕が家から持ち出さなかったスマートギアとともに、ピクシードールのアリシアが立っている。
 丈の長いコートを脱いで、白いセーターと赤いミニスカート、ストッキングに包まれた長い脚を晒した夏姫が、心配そうな視線とともに袖をつかんでくるけど、僕はそれを振り切ってリーリエに近づいていった。
「全部話してもらうぞ、リーリエ」
「止めなさい、克樹君」
 アリシアを、リーリエを見た瞬間、頭に血が上って詰め寄ってしまったけど、平泉夫人の声で我に返る。
 夏姫に腕を引っ張られ、芳野さんに車椅子を押してもらって近づいてきた平泉夫人の優しさの籠もった、でも睨むような視線に、深呼吸をして気持ちを調えた。
 ――僕は今日、怒るために来たわけじゃない。
 平泉夫人と話してから今日まで、リーリエのことをずっと考えてきた。
 アリシアを見た途端にあの日のことを思い出してしまったけれど、しっかりとリーリエと話すために来たんだ。怒るとしても、話を聞いてからでいい。
 落ち着きを取り戻してからリーリエのことを見ると、彼女は微笑んでいた。
 ピクシードールのメカニカルアイなのに、その瞳に悲しげな色があるような気がするのは、微妙な表情のためだろうか。
『大丈夫だよ、おにぃちゃん。ちゃんと話すよ。あたしもわからないことは多いし、話せないこともあるけど、でもちゃんと説明するから』
「……うん。頼む」
 久しぶりに聞いたリーリエの、少し舌っ足らずな声に、僕は笑みを見せることができた。
 そんな僕に、リーリエは頷きを返してくれる。
「これで全員ですか? 集まってるなら話を始めましょう」
「いいえ、まだよ。あとひとり来ていないわ。もうそろそろ来ると思うのだけど」
 僕の声に平泉夫人がそう答える。
 直接の関係者は他に誰がいるだろう。もう全員集まってるように思えた。
 ――いや、もうひとりいるか。
 思い至ったところで、屋敷の外から微かなエンジン音が聞こえてきた。芳野さんが小走りにホールから出て行く。
「済まねぇ。待たせたな。面倒な手配と工作で、ぎりぎりまでかかっちまったぜ」
 程なくして現れたのは、猛臣。
 イシュタルが入ってるだろう鞄の他に、もうひとつけっこう大きなバッグを持っている彼は、僕をひと睨みした後、真っ直ぐにアリシアに――リーリエに近づいていった。
「注文の品だ。どうにか間に合わせたぜ。ついでに使うかどうかはわかんねぇが、おまけもしておいた」
『ありがとぅ、猛臣!』
 バッグごとテーブルの上に置いた猛臣に、訳がわかんなくて僕は眉を顰める。
「リーリエちゃんがここに転送してきた荷物も、届いているわよ。工作室の方に回してあるわ」
『ありがとうございます、敦子さん』
 平泉夫人までがそんなことを言って、リーリエに笑いかけている。
『おにぃちゃん』
 どういうことなのかと考えているとき、笑みとともにリーリエに声をかけられた。
『話を始める前にね、お願いがあるんだ』
「お願い?」
『うんっ。スマートギアを被って、ネットに繋いでもらえる?』
 ピクシードールのままの、小さなリーリエに懇願の目を向けられて、僕は周りからの視線の圧力もあって、スマートギアに手を伸ばす。
 ショージさんのだろう、携帯端末に接続されていたケーブルを自分のに差し替えて、いままで切断していたネット接続をオンにする。
 ディスプレイを下ろした途端に着信したファイルは、リーリエからのもの。
 スマートギア越しの視界で不安そうにしてるリーリエを見つつ、ファイルを開いてみると、それはピクシードール用のパーツリスト、部品配置図、仕様などだった。
「これは……、新しいアリシアの?」
『うん。あたしがパーツを選んで、手配した、新しいアリシアだよ』
 リーリエの言葉にじっくりと部品配置図を見ると、やっぱりアリシアであることがわかる。
 フレームや人工筋と言った標準的なパーツだけだとわからないけど、身体の各部に取りつけられるセンサーとその接続図、組み立て後のバランス調整なんかが、僕が組み立ててきたアリシアそのままだった。
 リーリエが考えたものであっても、僕はこれがアリシアだと、はっきりそう言うことができる。
「……PCWの、新規アーマーに、ピクシーボイススピーカー? センサーもほとんど新型だし……。これ、どうやって買ったんだ?」
『そんなの簡単だよ。おにぃちゃんからもらってたお金を、こつこつ貯めてたんだぁ。親父さんには安くしてもらえたしね!』
「この人工筋とか、市販のパーツじゃないよな? この性能は」
「それは俺様が提供したもんだ。詳しくは言えねぇが、釣りがくるほどの情報をもらっちまったからな」
 鼻を鳴らして不満そうにしながらも、口元には笑みが浮かんでいる猛臣。
『これはね、おにぃちゃん。過去最高のパーツを集めた、過去最強のアリシアなんだ』
 ピクシードール越しに僕を見つめてくるリーリエの言葉に、嘘はない。
 計算後の性能だけでなく、各パーツのパラメーター情報を開いて軽く暗算してみても、過去最強のアリシアが完成することは疑いもない。
 標準スペックでも、スフィアロボティクスのリファレンスパーツを多く使ってる夏姫のブリュンヒルデはもちろん、夏に戦った時点の猛臣のイシュタルも大きく上回りそうだ。
 必殺技を使ったときの性能は、ちゃんとシミュレートしてみないとわからないけど、たぶんこの前戦ったエイナに匹敵する。
 このタイミングで新しいアリシアのことを言い始めたリーリエの真意が知りたくて、僕はスマートギアのディスプレイを跳ね上げ、テーブルの上の彼女のことを見る。
『あのね、おにぃちゃん』
 腕を後ろで組んでもじもじと脚を動かし、うつむくリーリエは、顔を上げて言った。
『このアリシアを、おにぃちゃんに組み立ててほしいの!』
「……そういう、ことか」
 何故いま、という真意についてはわからなかったが、このタイミングでパーツをここに集めた理由はわかった。
「どうするの? 克樹君」
 平泉夫人に問いかけられるまでもなかった。
 アリシアは僕の、そしてリーリエのピクシードールだ。
「わかった。組み立てる」
『――うんっ! お願い、おにぃちゃん!!』
 緊張した面持ちだったリーリエの顔に、笑みが零れる。
 それを見た僕も、口元に笑みが漏れるのを止められなかった。


            *


 三枚の液晶モニタには、アリシアの検証データが映し出されていた。
 シンシアほど特化はしていないものの、リアルタイムでの敵の分析、解析を行えるようにしているアリシアは、通常のバトルピクシーではあり得ないほどの検査項目がある。
 大きな作業テーブルの上の、メンテナンスベッドに横たわらせているアリシアを見ながら、僕は組み立てが終わったそれの調整を進めていた。
 新型アリシアの組み立てを受けて、屋敷にある機械工作用の部屋を借りての作業は、一時間ほどで終わった。一からの組み立てはプラモデルより難易度が数段高いが、作業工具が充実しまくっているここではさほどの時間はかからなかった。
 ――凄いな、今度のアリシアは。
 メインフレームは旧型で使っているHPT社製試作品のままだけど、サブフレームと人工筋はほぼ製品そのままの、未発表のスフィアロボティクス社製Gラインパーツ。
 各種センサーも厳選され、配置も過去のアリシアから得た情報を使って最適化されている。PCWの親父がつくったハードアーマーは、素晴らしいを超えて、神業の域に達してる。
 猛臣がサービスしてくれたタングステン合金を要所に使ったマニピュレーターハンドは、武器戦闘も得意だけど、格闘戦主体のアリシアには最適な一品だ。
 このアリシアは、僕が考えてパーツを選んだわけではないけど、やっぱり僕のアリシアと言えるほど、リーリエによってしっかり練り込まれたドールになっていた。
『ねぇ、おにぃちゃん』
 バトルに使えるよう、細かなパラメーターを調整したり、バトルアプリで不都合なく動かせるようデータを取ってたとき、これまで助言以外で無言だったリーリエが声をかけてきた。
 いまはアリシアが動かせないから、声だけがスマートギアのヘッドホンを通して聞こえてくる。
「……なんだ? リーリエ」
 少し緊張して、ぎこちなくなりながらも、僕は応える。
『あたしと最初に会ったときのこと、憶えてる?』
「もちろん、憶えてるよ」
『うん……』
 リーリエと最初に会ったとき、人工個性システムの初起動のときのことは、いまでも鮮明に思い出せる。
 モルガーナから受け取った脳情報を、平泉夫人の援助とショージさんのツテで手に入れた、人工個性専用のシステムに組み込んだ。
 百合乃の脳情報は、死に行く脳から取り出したためか、欠損が結構な割合で発生していた。欠損している部分は五パーセント程度だったけど、その分は僕の脳から情報を取って補完した。
 あのときの僕の願い。
 それは百合乃の復活。
 けれどシステムが起動し、仮想の脳が構築され、最初に発せられたのは、予想外の言葉だった。
「『初めまして、おにぃちゃん』、だったな、リーリエが最初に言ったのは」
『うん』
 あの瞬間に、僕は百合乃の復活が叶わなかったことを知った。
 絶望した。
 でも同時に、予想をしていた自分がいるのも知った。
 別れの言葉を交わした百合乃には、もう二度と会えないんだと、受け入れている自分がいることを知った。
『おにぃちゃんの返事は、「初めまして。お前の名前は……、リーリエだ』だったね」
「そうだったな」
 身体を持たないリーリエは、僕の耳に声が聞こえてくるだけ。
 いまはリーリエと接続されていないアリシアが動くことはなく、調節をしながらも工具の片付けを始めたテーブルの上に、彼女の姿があることはない。
 初めましてと言われて、僕はとっさにリーリエに名前をつけた。
 百合乃と、リーリエを、区別した。
 百合乃の復活を期待していた僕にできた、精一杯のことだった。
 あのときの胸を抉られるような気持ちは、いまでも思い出すだけで苦しくなる。
『でもね、おにぃちゃん。あたしにとっておにぃちゃんは、本当は初めましてじゃなかったんだよ』
「どういうことだ?」
『まだ最初の言葉を発する前、たぶん仮想の脳が構築されてる最中かな? そのときに、あたしは見たんだ』
「……何を?」
 口調はいつもの、百合乃に似て舌っ足らずなのに、僕なんかよりもよっぽど大人染みて感じるいまのリーリエ。
 彼女の言葉に問い、答えを待つ。
『記憶。うぅん、思考、かな? あたしの元になった脳情報が、おにぃちゃんのことをどう想って、考えて、どんな風に見てきたのか、ほんの少しだけど、見えたんだ』
「百合乃の、思考?」
『うん。あっ、でも、どんなだったかは言えないよ? おにぃちゃんに言ってなかったことは、あたしの口からも言えないんだからねっ』
「……わかってる」
 問おうと思ったことを先んじて禁止されて、僕はそう答えるしかなかった。
 百合乃にとって僕はどんな兄だったのか、それは気になる。でもあいつが言わなかったんなら、よほどの理由がない限りリーリエの口からも聞くべきじゃないだろう。
『うんとね、それを見たとき、あたしは思ったんだ。遠いな、って。小説とか、映画とかを見てる感じに近いかな? あたしの脳にあるものだけど、あたしのじゃないな、って。あたしが積み重ねてきた時間じゃないんだな、って』
 その感覚は僕にはわからない。人工個性のリーリエだからこその感覚だ。
 そしてそれこそが、百合乃の脳情報を持ちながら、リーリエという別の個性を生み出すことになった分岐点だったんだろう。そのときもし自分の記憶だと捉えていたのなら、百合乃は復活していたのかも知れない。
 ――それは、考えても仕方ないことだな。
 過去に戻れるわけじゃない。もういない百合乃のから脳情報を取り直すこともできない。
 それに僕はこの数年、リーリエと過ごしてきたんだ。そのことをなかったことにしたいとは思っていない。
 そんなことを考えながら、僕はアリシアの調整を終える。
 慎重に行った調整は、再チェックしてみても、完璧と言えるものだった。
 アリシアの起動準備が整った。
「おにぃちゃんのことは、最初の言葉の前に知ってたけど、でもそれはあたしにとってのおにぃちゃんじゃなかったから、あたしはあのとき、『初めまして』って言ったんだ」
 接続権限を与えると、早速アリシアをメンテナンスベッドから立ち上がらせて、新しく取りつけたピクシードール用ボイススピーカーから言葉を発するリーリエ。
「それからはずっと、たった三年と少しだけど、あたしが――、リーリエと名づけてもらったあたしが、おにぃちゃんと過ごしてきた時間だよ」
 こんな話をリーリエとするのは初めてだった。
 ひとつの個性であると知りながら、僕が彼女の事をそう認めてこなかった証拠だ。
 彼女は彼女の想いを持ち、彼女の考えで動いてる。
 リーリエという、ひとりの女の子だ。
 まだわだかまりがないと言ったら嘘になる。エリキシルソーサラーであり、エイナと通じていたことは、いまでも引っかかってる。
 けれども、僕はこれから、これまでと違う形で、リーリエを見て、接していけそうだと、そう思えていた。
「好きだよ」
 テーブルの上に置いた僕の右手の指にアリシアの手を添え、唐突に言うリーリエ。
「あたしは、――おにぃちゃんが、好き」
 ピクシードールのアリシアから発せられる、リーリエの言葉。
 告白のようなその言葉に、僕は驚いてどう反応していいのかわからない。
 小さな身体で、リーリエは真剣な目をして、僕のことをじっと見つめてくる。
「信じてくれなくてもいいよ。でも、でもね? あたしは生まれたときからずっと、おにぃちゃん……、おにぃちゃんのことが大好きな、あたしだったよ」
「……」
 言葉が見つからない。
 ピクシードールの小さなヒューマニティフェイスで、リーリエは僕に微笑みかけてきてくれる。
 彼女の言葉は、どんな意味を持って発せられたものなのか、わからない。
 だから僕は、リーリエが向けてくる笑みに、何も言えずにいた。
「リーリエ――」
「そろそろ戻ろ? みんなを待たせちゃってる」
「あ……、うん」
 やっと出てきた言葉を遮って、リーリエは腕を駆け登らせてアリシアを僕の肩に座らせる。
「最後に、あたしの身体をおにぃちゃんにいじってもらってよかった」
「最後って……。それから僕がいじったのはアリシアで、リーリエの身体じゃないだろ」
「ん……。さっさと行こ」
 何だか悩んでるのが莫迦らしくなってくるくらい、リーリエは僕の知ってるリーリエだった。
 工具や空き箱を軽く片付けた僕は、促されるまま工作室を出た。


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