神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第四部 第三章 鋼灰色(スティールグレイ)の戯れ

第四部 鋼灰色(スティールグレイ)の嘲り 第三章 1

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第三章 鋼灰色(スティールグレイ)の戯れ


       * 1 *


 門を入ってすぐの小さな広場の向こうは、迷路だった。
「いきなりこれか……」
 昔、貴族が住む屋敷の庭園なんかにあったという生け垣を使った迷路なんてものじゃない。
 外壁よりも少し低いくらいの白いコンクリートの壁が僕たちの行く手を阻み、乗り越えようにもそれを防ぐように鋭い金属製の針が上部に取りつけられている。
「本気で遊ぶつもりだぜ、あのジジイ……」
 手で顔を覆ってため息を吐き脱力している猛臣に、僕も同意したい気持ちだ。この時点でもう帰りたくなってる。
『おにぃちゃん、……ここ、おかしいよ!』
「どうした? リーリエ」
 スマートギアのスピーカーを通して、リーリエが緊張した声を発する。
 スマートギアによって映像と音声は送信されているが、リーリエの本体である人工個性のシステムは僕の自宅だ。見回す限りいきなり迷路なんて頭おかしい状況はともかく、不自然なところは見当たらない。
『なんていうか、フェアリーリングの中にいるときに似てるの』
「フェアリーリングの中?」
 どうしてそんなことがリーリエにわかるのかはわからない。
 バトルのときに張ることがあるフェアリーリングは、その内側でやっているバトルを、側を通る人にすら気づかせなくする魔法のような効果がある。
 出入りはとくに制限されてるわけではなく、バトルの参加者だろうと無関係な人だろうと入ることも出ることも可能。バトルの参加者であっても外にいると中の様子を見ることはできず、一度中に入った後だと何故か中の様子を認識できるようになるという、不思議な効果がある。
 レーダーを監視してもらうためにリーリエはすでにアリシアとリンクしてるから、それで感知できてるのかも知れない、と思うけど、夏姫たちを見てもよくわからないらしいことを、リーリエが感知できてる理由はやっぱり理解できない。
「あ! まずい!」
 そう叫んだ近藤が門に向かって走り出す。
 振り向いてみると、開くときには音がしていた門が、いままさに閉まるところだった。
 扉に取りついた瞬間完全に閉じてしまった扉は、近藤が動かそうとしてもビクともしない。外壁の上にも侵入防止なのか逃走防止なのか、びっしりと針が据えられていて、乗り越えるのは壁登りの道具でもないと厳しい。
「……先に進むしかないようですね、克樹さん」
「うん、そうみたい。行こ、天堂さんのところに」
 真っ先に現実を受け入れた女子ふたり、夏姫と灯理の声に、僕はため息を漏らした。
「それだけじゃねぇよ。クソッ。そういう空間かよ」
 悪態を吐いた猛臣が指さす方向。
 屋敷が見えていたはずのそっちには、山の稜線と空しか見えなかった。
 門ところまで下がって見ても同じ。この角度なら屋敷の屋根くらい見えてもおかしくないのに、欠片も見えない。それどころか、レーダーで距離が確認できていた天堂翔機のエリキシルスフィアの反応が消えている。
「空間が広がってる?」
『うん、たぶんそうだと思うよ。すごいね! おにぃちゃんっ』
 リーリエははしゃいでいるが、こっちはそうもいかない。
 ただでさえ直線距離で百メートルはあったんだ、どれくらい空間が拡張されたか次第で、迷路の脱出までの時間も変わる。
 ルールに時間制限はないわけだけど、ホテルで持たされた簡単な弁当と、非常用の食料というかお菓子くらいしか食料の手持ちはない。脱出に二日以上かかるとなると、空腹が問題になるのは確実だ。
 それより僕が思うこと。
 ――やっぱり、天堂翔機はモルガーナに近い人物なんだ。
 僕たちが使うフェアリーリングには空間を拡張する機能なんてない。
 リーリエが似ているだけと言ってたけど、フェアリーリングも魔法だとしたら、ここの空間も魔法による効果だろう。
 天堂翔機はモルガーナの力なのか、彼女から教えられたものなのかわからないけど、魔法が使える。魔女の僕(しもべ)か、それに近い存在なんだ。
「壁の厚さはどれくらい?」
「ちょっと待ってろ」
 近藤にそう声をかけると、たぶん今日のために用意してきたんだろう、クッション材が入ってそうな、金属が表面を覆ってる手袋を填め、コンクリートの壁を殴りつける。
「五センチ、ってところかな。鉄板なんかは入ってないと思う。厚くはないが、オレが崩して進むのは無理だろう。どうする? 克樹。どれくらい広さがあるのかわからないんじゃ、一日で脱出できるとも限らないぞ」
「あのジジイの目的だろうな、これが。俺様たちにアライズを使わせるための」
「そうだろうね」
 迷路自体はむやみに進まず、広くてもルールに沿って進めばいつかは脱出できる。
 ただやっぱり広さがネックだし、魔法で拡張された空間なんだったら、いつまでも同じ構造とも限らない。
「どうするの? 克樹。進まないとどうしようもないけど」
 さすがに不安と困惑の表情を浮かべる夏姫。
 他のみんなも似たような表情だ。
「近藤、僕の荷物を」
「何かあるのか?」
「これを想定して持ってきたわけじゃないんだけどね」
 近藤に持たせていたスポーツバッグから、僕はひとつのケースを取り出す。
 中に入っていたのは四つのローターを持つ小型のヘリコプター。ドローンという奴だ。
「リーリエ、頼む」
『うんっ』
 ドローンの電源を入れてやると、早速リンクしたリーリエが空に飛ばした。
 リーリエがリンクして動かせるのは、何もスフィアドールに限らない。いまでこそ改造してドールから動かせるようにしてるけど、ピクシードール用の機動ユニットであるスレイプニルも、最初は外部機器としてではなく、アリシアと同時にリーリエがリンクして動かしていたんだ。
 ドローンを遠隔操作することくらい、リーリエには朝飯前のことだ。
 スマートギアにドローンから送られてくる映像を表示しつつ、リーリエが測定した情報も重ねる。
「これであればそう時間はかからず脱出できますね、克樹さん」
「いや、念には念を入れよう。みんな、スマートギアの外部音声をミュートにして、耳を塞いでくれ」
「何するつもり? 克樹」
「口で説明するよりやった方が早い」
 言いながら僕は、自分が背負ってきたデイパックからケースをひとつ引っ張りだし、中からピクシードールを一体取り出す。
 アリシアではなく、シンシアを。
「リーリエ、やることはわかってるな?」
『うん、大丈夫だよ』
 シンシアとのリンクを確認して、土が剥き出しの地面に立たせた僕は、できるだけ壁まで下がって、ヘッドホンの上からさらに手を当てて耳を塞いだ。
 みんなも同じようにたった二〇センチしかないシンシアから離れて、耳を塞ぐ。
 緑色の三つ編みを背中に垂らし、眼鏡型視覚センサーをかけたドレスのような鎧のようなハードアーマーのシンシアは、目を閉じて大きく口を開けた。
「きゃっ!!」
「んんんっ!」
 演出に過ぎないシンシアの動きの直後、耳には聞こえない音が僕の鼓膜を強く刺激した。
 夏姫と灯理が悲鳴を上げ、近藤が膝を着き、猛臣が強く目をつむっていた。
「……な、に、しやがった、てめぇ!」
「待って、槙島さん」
 つかみかかってきそうな猛臣を抑えてくれたのは夏姫。
「リーリエ、どこまで走査できた?」
『んー。全体はさすがに無理だねぇ。シンシアをアライズさせてればもっと広い範囲まで見えると思うけど、これ以上はおにぃちゃんたちの近くで音量上げるわけにはいかないもんね。ちょっと待ってね、もうすぐ処理終わるから』
 リーリエの方で処理した情報が徐々に送られてきて、スマートギアの視界に新たに開いたウィンドウにそれを表示する。
 概ね終わった処理済みデータと、ドローンの方から送られてきてる映像を解析したものを、ここにいる全員に共有するよう設定した。
「こいつは……、ドローンの映像だけじゃなく、三次元データ? もしかして――」
「そっ。シンシアはパワー型のバトルドールだけど、いろんなセンサーも積んでるからね、パッシブも、アクティブも。超音波ソナー使って映像との誤差がないか確認したんだ」
「さすがだね、リーリエ。アリシアにもそんなのあったよね? シンシアはそれの凄い奴なんだ」
『へっへーっ。凄いでしょーっ。でも本当に凄いのは、こういうことできるようにしてたおにぃちゃんなんだけどね!』
 以前、夏姫が近藤と戦うとき、彼女の元に急いで駆けつけるのにアリシアにアクティブソナーつきのヘルメットを被せていたけど、シンシアに内蔵してるのはそれの強化版だ。
 たった二〇センチしかないピクシードールにできる限り高出力のアクティブソナーを搭載してるから、複雑な構造な迷路でも数百メートルの範囲までは把握することができる。超音波の反響で得られたデータをリーリエの方で処理すれば、迷路の立体的な構造を得ることもできる。
 さすがにあんまり遠くなると詳細の把握は難しくなるけど、近距離であれば待ち伏せだろうと障害物だろうと、もしあれば出くわす前に丸見えだった。
 出力が大きい分、バッテリの消耗が飛んでもないけど、本当かどうかはともかく、ひとり一回しか使えないアライズを使って壁を崩して進むより効率的だ。
 やっと状況がわかったらしい猛臣は、黒いヘルメット型のスマートギアを被り、顎をさすりながら構造を確認してるようだった。
 夏姫は得意げに胸を反らしてる、リーリエが操るシンシアの前に屈んで笑っている。
「マップデータは手に入ったと思っていいのか? 克樹」
「どうだろうね。ここから屋敷までは直線距離で一キロ近くあるみたいだし、理屈はともかく空間が拡張されたのは確かだ。迷路の構造も変わらないとも限らない。たまにドローンとシンシアで確認しながら進む必要があるね」
 そんなに長時間飛び続けていられるわけじゃないドローンを着地させ、ケースごと荷物と一緒に近藤に押しつける。
 シンシアが夏姫の伸ばした手の上に座っているのを見た僕は、微笑みを向けてくる灯理と、不満そうな表情を浮かべながらも顎で先を促す猛臣に頷きを返した。
「天堂翔機はたぶん、ここで誰かひとりアライズを使わせるつもりだったんだと思う。仕掛けがいくつあるかわからないし、できるだけアライズを使わずに進もう。簡単には進ませてくれないだろうけどね」
「うん、わかった」
「ちっ、わかったよ」
「はい」
「あぁ」
『うんっ』
 全員の返事を聞いて、僕はリーリエに解析してもらった順路を進み始める。
 ――この先は、アライズを使わずに、ってのは難しいと思うけどね。
 最初から迷路なんていう時間のかかる、そして面倒臭い障害を用意していた天堂翔機。
 詳しい性格はわからないけど、こういうことを楽しむ性格なことだけは確かだ。
 そういう人がこの先もアライズを使わずに進ませてくれるとは、僕には思えなかった。


          *


「まさかあんな装備を用意してるとはな。人数が多いというのは、いつもとは違う趣向が楽しめるものだな」
 ベッドに横になる老人は、スマートギアの視界に映し出された克樹たちの様子を見、クツクツと笑う。
「しかしお前の言う通りだ、音山克樹。この先はそう簡単にはいかないぞ」
 薄い掛け布団から腕を出したのを見、控えていたメイド服のエルフドールが察して身体を起こすのを助ける。
「今回はワシのところまでたどり着く者がいるやも知れないな。あれを準備しておこう」
 老人は言いながら、メイドドールにスマートギアで詳しい指示を与える。
「期待を裏切ってくれるなよ」
 老人の低い笑い声が、ベッドとサイドテーブルくらいしかなく、メイドドールも指示を受けて出て行き、ひとりになった殺風景な部屋に響いていた。


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