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第四部 第一章 アマテラス
第四部 鋼灰色(スティールグレイ)の嘲り 第一章 1
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第一章 アマテラス
* 1 *
「三年振りだな」
「そうだね。あのとき君はまだ中学生で、僕も高校生だった。時が経つのは早いものだね」
猛臣(たけおみ)の声に穏やかな表情と声で応えたのは、ひとりの青年。
高畑伸吾(たかはたしんご)。
仕事の関係でメールでのやりとりはあったし、電話で話すこともあったが、最後に直接顔を合わせたのはいまから三年前、スフィアカップのフルコントロール部門、その決勝戦だった。
そのときは激戦の末、猛臣はかろうじて高畑を下し、優勝をつかみ取った。
それから三年、年齢の他にも多くのことが変わってしまったことを、久しぶりに対峙した高畑を見て猛臣は思う。
高校を卒業し、大学に入ってすぐに仲間とともにソフトウェア会社を立ち上げた高畑は、学生をしつつスフィアドールのコントロール系ソフトで大きな成果を上げている。
スフィアドール業界で天才と呼ばれている人物は、いま現在ふたりいる。
ひとりはソフトウェアとハードウェアの両方の面で、さらに営業的にも経営的な意味でもスフィアドールを世界に普及させた、引退こそしているが、いまなお業界への影響力の大きいスフィアロボティクス創立者である天堂翔機(てんどうしょうき)。
もうひとりは、本人が表に出たがらないため業界の誰もが知っているというわけではないが、第四世代スフィアドールの頃よりエルフからピクシーまで、多くのドールパーツの設計や製品化を手がけ、まるで人のように振る舞うフルコントロールシステム「AHS(アドバンスドヒューマニティシステム)」をほぼ独力でくみ上げた、克樹の叔父である音山彰次(おとやまあきつぐ)。
高畑はまだ会社を立ち上げて間がないため有名になるほどの成果は出せていないが、ソフトウェアに関しては天堂翔機や音山彰次をも超える潜在能力を持っていると噂されている。
専門は人工筋やドール用フレームなどのハードウェア方面だが、セミオートシステムを自分の手でつくり出すなどソフトウェアにも精通している猛臣が認めるほどの才能を、彼は持っている。
広い芝生の庭から少し離れたところにある、母屋の掃出し窓から険しい顔で高畑のことを見つめている女性は、風の噂によると二歳年上の幼馴染みで、先日籍を入れたばかりの奥さんだったはずだ。
才能にも、仕事にも、伴侶にも恵まれている高畑だが、猛臣の前で彼は車椅子に座っている。
三年前はまだ自分の足で立っていた彼がスマートギアを自分の頭に被せようとしている手は、細い。
治療法の確立されていない難病により、彼の身体は日に日に衰え、命はあと五年、薬が効いて保ったとしても十年はないと医者から言われていると、話には聞いていた。
――当然だろうな。
他の人が欲するほとんどのものを持ちながら、高畑は唯一、未来を持つことができていない。
彼がエリクサーを求めるのは、当然のことだった。
「どうしたんだい? 猛臣君。いまさら僕と戦いたくないとでも言うのかい?」
「戦うさ」
「そうだよね。君は君の、僕には僕の、叶えたい願いがある。それならば戦うしかない。でも、三年前のときのようにはいかないよ」
ヘッドギアタイプのスマートギアのディスプレイの下、唇にぎこちない笑みを浮かべた高畑は、膝の上に立たせた白いソフトアーマー、淡い青と黄色に塗り分けられたハードアーマーを纏った比較的シンプルな形のドール、アマテラスを操り、芝生の上に立たせた。
ヘルメットタイプの黒いスマートギアを被った猛臣も、手にしていた金色のセミロングの髪と金色のハードアーマーのイシュタルを地面に立たせた。
高畑との戦いは、猛臣にとってあまり気が進まなかった。
三年前の強さをさらに極めてきているだろうこともそうだが、身近と言うほどでないにしろ、見知った人間の願いを砕くか、逆に砕かれるかの戦いにはためらいが出る。
同時に、おそらく彼は知らないであろう、魔女の存在と、克樹が匂わせていた魔女の企みが、猛臣の心を鈍らせる。
「何をためらうのかわからないが、君だって願っているのだろう? 穂波さんの復活を」
「――なんで、それを!」
笑みを唇に貼りつけたままの高畑の言葉に、猛臣はためらっていた気持ちを投げ捨て、怒りを身体に満たした。
「僕だって少しくらい調べるさ。戦うべき相手が誰で、どんな人物かくらいはね。さすがに、この身体では自分から出向くのは難しかったけれど」
克樹のように戦う気がほとんどないならともかく、願いを叶えることに積極的になるなら、戦う相手のことを調べるなど当たり前だ。猛臣もそうして様々な方法で調査をして、相手のところに出向いて行ったのだから。
「さぁ。お互い、全力で戦おう。願いを叶えたいというのもあるけれど、僕はいま全力の君と戦いたくてうずうずしているのさ。日本最強の君と、ね。……アライズ!」
「ソーサラーとしてなら、俺は最強なんかじゃないがな。――アライズ!」
高畑のアマテラスに続き、猛臣もイシュタルをアライズさせた。
シンプルな形状のアマテラスと、各所に牙を生やしたイシュタルが、一二〇センチのエリキシルドールとなって向かい合う。
――もう、迷ってるときじゃない。
深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた猛臣は、長刀を剣道の中段に似た構えを取るアマテラスに、両手に剣を抜かせたイシュタルを突撃させた。
――やっぱり強ぇな!
左に振り被った右手の剣の横薙ぎに、一瞬遅れて左手の剣を突き出す。
イシュタルのカメラアイに、スマートギアの外部カメラを組み合わせて補完した広い視野で、猛臣は高畑の操るアマテラスの動作に注目した。
右手の横薙ぎを長刀の背を沿わせるようにして逸らし、左手の突きを柄尻で叩き飛ばす。
次の瞬間、地を這うような位置から天を突く斬撃が襲いかかってきた。
剣を振るったばかりで体勢が前に傾いているイシュタルだが、猛臣は高畑のその攻撃を読んでいた。
残していた右足の余力で地を蹴り、イシュタルをアマテラスの横に着ける。
しかしそこに天から雷鳴のような閃きが降ってくる。
かろうじて両手の剣を交差させ、イシュタルはアマテラスの攻撃を凌ぐことに成功した。
「ちっ。やっぱこいつじゃ辛ぇか」
イシュタルを自分の近くまで飛び退かせ、猛臣は持たせてた二本の剣の状態を確認した。
スタンダードな太さと長さの剣は、その両方ともが先ほどのアマテラスの長刀を受け止めたことで、大きな亀裂が入っていた。
それ以外にも、まだ開始から二分と経っていないのに、剣には欠けやヒビが各所に入っている。
高畑のドール遣いは平泉夫人や夏姫のそれに近い。
自分から攻撃を仕掛けてくることも少なくないが、最小限の範囲の細やかな動きで戦うバトルスタイルだ。
ただしふたりと大きく違う点がある。
バランスタイプの闘妃、スピードタイプの戦妃を好む平泉夫人、バランス寄りのスピードタイプのブリュンヒルデを使いこなす夏姫と違い、高畑のアマテラスはバリバリのパワータイプということ。
パワーを重視した人工筋は、電圧がかかってから収縮までの反応が一般的には鈍い。
バトル用の人工筋はパワー重視でも収縮反応が高速なものを選んでいると思うが、それでもスピード寄りのバランスタイプのイシュタルを相手に、人間の動きを超えるスピードで行われるエリキシルバトルでは致命的な遅れとなり得る。
しかし病が発症する前、武術をやってかなりの成績を残している高畑は、常人離れした反射神経と先読みにより、スピードタイプやバランスタイプにも負けない動きを、パワータイプのドールで実現している。
スフィアカップのときは高畑の先読みを上回る速度のイシュタルで勝ちを得ることができたが、あれから三年近い時間が経過している。猛臣とイシュタルも変わったが、高畑とアマテラスもまた大きく変わっていることを感じていた。
「相変わらずのパワーだな、アマテラスは」
「そう言う槙島君もよく反応したね。君でなければいまので終わっていただろうに」
そんな声をかけ合いながら、猛臣はイシュタルに先ほどの剣より幅も厚みもあり、長さが短めの幅広剣を二本、抜かせる。
折れてこそいないものの、自らの攻撃によってヒビが入ってしまった長刀を地面に突き刺し、アマテラスも予備の長刀を背中から抜き放った。
「行くぜ。ライトニングドライブ!」
声とともにスマートギアの表示に配置したボタンをポインタで押し、全身の人工筋のリミッターを外すリミットオーバーセット、ライトニングドライブを発動させ、離れていたアマテラスとの距離を一気に詰める。
――出し惜しみはなしだ!
スフィアカップのときより明らかに反応速度もパワーも上がっている高畑とアマテラスを相手に、猛臣は必殺技を出し惜しんでいる余裕はないと判断した。
一気に決着をつけるために、ライトニングドライブを発動させたイシュタルでアマテラスに攻撃を開始する。
斬り、突き、払い、薙ぐイシュタルの攻撃を、振り回すには不利なはずの長刀を操り、アマテラスはことごとく防ぐ。
その機敏さから、高畑もまたリミットオーバーセットを使っていることを意識する猛臣は、自分の不利を悟っていた。
人工筋に高い電圧をかけるリミットオーバーセットは、電力消費が大きい。
とくに克樹とリーリエのアリシアと同様に、動き回って戦うスタイルのイシュタルは、ほぼ同じ場所で姿勢と向きを変えるだけで戦っているアマテラスに比べ、大きなエネルギーを消費している。
長期戦になれば克樹と戦ったときのように、こちらが先にエネルギー切れでアライズを解除されてしまうことは確実だった。
――だが、俺様は勝つ!
心の中で気合いを入れた猛臣は、アマテラスからの鋭い反撃を凌いで、イシュタルを大きく引かせた。
収めた幅広剣の代わりに両手に取ったのは、鞭。
「またイロモノ武器を」
余裕の笑みを口元に浮かべる高畑は、唸りを上げて迫る鞭の一本を長刀で絡め取る。
もう一本を、新たに抜いた短刀に絡ませ、思い切り引っ張った。
「ちっ」
パワー勝負では相手にならない。
猛臣はあっさりと鞭を手放し、剣を抜かせずにイシュタルの手を背中に伸ばさせた。
投擲。
右手から三本、左手から三本、追撃の右手と、アマテラスに向けてナイフを投げつけた。
通常のピクシーバトルにおいてナイフなどダメージにならないどころか、小さすぎて正確に飛ばすことすら困難な武器であるが、サイズが六倍となるエリキシルバトルにおいてはダメージを与えうる攻撃となることを、先日の中里灯理との戦いで感じた猛臣は、それを早速取り入れていた。
「こしゃくなことを」
言いながらアマテラスの短刀で最初の三本をはたき落とした高畑は、続く六本を左腕から伸びてきた布地で絡め取った。
腕に巻きつけてあった布地は、おそらくアクティブアーマー。
猛臣のもう一体のドールであるウカノミタマノカミにもマントのようにして装備してる、電圧をかけることで硬化するアクティブアーマーは、ナイフ程度の投擲武器なら完全に防げることは灯理戦で実証済みだ。
「今度はこちらから行かせてもらうよ」
言っておもむろにアマテラスを前進させた高畑は、イシュタルが幅広剣を抜くよりも先に攻撃を仕掛けてきた。
身体を傾けさせて避けたが、右肩を貫いた突き。
フレームや人工筋にダメージを受けることはなかったが、セミオートで敵に襲いかかるはずの牙が砕かれていた。
「くっ!」
「まだまだ」
動作は決して速くなく、動作予測アプリにより完全に補足できているのに、イシュタルを動かして弾こうとする瞬間に精密に軌道をズラして襲いかかってくる攻撃に、猛臣は奥歯を噛みしめる。
しかも一撃一撃が重いその攻撃は、確実にイシュタルのアーマーに傷を増やしていた。
「ライトニングシフト!」
押し込まれかねない攻撃の圧力に、猛臣はイシュタルの傷が増えるのを厭わず必殺技を発動させた。
移動と突進のために使うライトニングシフトを近接距離で使ったイシュタルは、左肩をぶつけてアマテラスの身体ごと移動を行う。
必殺技の停止と同時に足で急ブレーキをかけ、アマテラスを押し飛ばした。
――正念場だな。
片方は半分に斬り落とされ、片方は傷だらけでただの金属の棒と化している幅広剣を捨てさせ、猛臣はイシュタルに手刀を構えさせる。
短剣程度の武器はまだ持っているが、主要な武器は使い切っていた。
飛ばされても倒れることなく体勢を立て直したアマテラスは、イシュタル同様にぼろぼろになった長刀を捨て、それより短い太刀を腰から抜いた。
指先にタングステン芯を仕込んだイシュタルの抜き手は、金属製のエリキシルドールのアーマーを貫くほどに強力だ。
しかし、長刀ほどの長さではないとは言え、太刀の間合いの内側に入らねば攻撃は届かない。そして高畑の操るアマテラスは正確で、精密な攻撃をし、彼の先読みは猛臣自身とアプリを組み合わせた予測を上回る。
自分の不利を、猛臣は自覚していた。
――だが、俺様は負けない。
静かに、構えを取り合うイシュタルとアマテラス。
言葉を交わすことなく、唇を引き結んだ猛臣と、薄く唇に笑みを浮かべる高畑。
離れた場所から見つめている女性を立会人に、ふたりと二体が見つめ合う。
夏らしい強い陽射しが照りつける下、三人の呼吸の音が微かにするだけの、沈黙。
先に動いたのは、高畑のアマテラスだった。
無造作にぶら下げた太刀を手に、イシュタルへと大きく踏み出すアマテラス。
しかし――。
「何?!」
一歩目を踏み出したアマテラスは、二歩目を踏み出すことなくうつぶせに倒れた。
ほぼ同時にイシュタルを踏み出させていた猛臣は、右足で鞭を踏ませたまま、左足でもう一本の鞭を踏ませる。
生き物のように蠢いた鞭は、アマテラスの右腕に絡みつき、関節の自由を奪う。コントロールウィップ。
使い所がほとんどないと言えるほどピクシーバトルでは使えず、扱いも難しいコントロールウィップは第五世代規格の代表的な武器のひとつであるにも関わらず、注目されることは少ない。
通常は手に持ち、手のひらに設置した接続端子によって制御されるものであるが、猛臣はまだ余裕のあったデータラインを使い、手のひらだけでなく足の裏にも接続端子を増設していた。
再びアマテラスが地に伏すのを見る前に、猛臣はイシュタルに地を蹴らせ、その背中に着地させる。
アマテラスが動いて逃げようとするより先に、データラインが集中し、スフィアドールの急所となっている首のフレームを、イシュタルのタングステンの手刀が切断した。
ビクリと痙攣するかのように身体を震わせた後、アマテラスの動きが停止する。
「……また、ずいぶんと姑息な手を使うようになったものだね」
行動不能となったアマテラスのアライズが解け、一二〇センチのエリキシルドールから二〇センチのピクシードールに戻った後、片手で顔を覆いうつむく高畑が、喉から絞り出すような声で言った。
猛臣の視点からでは見えないが、背の低いイシュタルの視点からは、うつむいた彼が奥歯を噛みしめ、唇を震わせているのが見えていた。
「当然だ。これは命懸けの戦いなんだからな」
流れ落ちる涙を隠しもしない高畑の奥さんが駆け寄ってきて、首を切断されたアマテラスを拾い上げた。それを胸に抱き、愛する者の元へと持っていく。
小さく「カーム」と呟きイシュタルのアライズを解除した猛臣は、言葉を続ける。
「貴方にとっては貴方自身の命を懸けた戦いだったろう。俺に取っては俺の命は懸かっていないが、俺にとって大切な人の命が懸かってるんだ。他の奴らも命だったり、命にも等しいものを懸けて戦ってるんだ。命の奇跡を起こせるエリクサーを得るためには、命懸けで、スフィアカップみたいなルールに縛られずどんな手段でも使って、勝つことが必要だ」
「……確かに、そうだな」
猛臣は、高畑がスフィアカップのときのような行儀の良い戦いをしてくるだろうと予想していた。
彼は充分に強く、礼儀正しく、プライド高い人物だからだ。
そうした部分は自分にもあることは感じていたが、猛臣は克樹たちと戦い、平泉夫人に敗れ、エリキシルバトルを勝ち抜くために必要なのは戦闘能力だけでなく、粘り強さや、公式ルールに依存しない戦法であることを、充分以上に感じていた。
もし高畑がそうした苦い戦いを経験していれば負けていたのは自分だと思っていたが、身体の自由が利かず、対戦相手を自宅に招くしかない彼は、そこまでの戦いを経験していないと調査が済んでいた。
「僕の負けだ、猛臣君。僕が集めたエリキシルスフィアはこれで全部だ」
「ありがとう」
奥さんからアマテラスを受け取り、スフィアを取り出した高畑は、これまでの戦いで得たものだろう、合計四個のスフィアを車椅子を転がして近寄り、猛臣の手に握らせた。
――勝てたな。
イシュタルを拾い上げ、ドール用ケースに仕舞い込む猛臣は、感慨深くそう思っていた。
克樹や夏姫のようなノーマークの相手が強敵だったのは例外として、高畑はエリキシルソーサラーである可能性が高く、そして一番の強敵だと予想していた人物だ。
まだ勝てていない克樹たちを除けば、もうエリキシルバトルに障害はないと思えるほどの相手だった。
それと同時に、猛臣は思う。
今回の勝利で穂波復活の道を繋げることができた。
それから、猛臣は高畑とっての、殺人者となった。
決して直接の原因ではない。けれどその想いは、もう数回目だというのに、シャツをつかみ胸を押さえても、慣れるものではない。
「そろそろ、バトルは終盤戦なのだろう?」
芝生に跪き、高畑の膝に顔を埋めて肩を震わせている奥さんの髪を撫でながら、意外にも落ち着いた口調と表情で問うてくる彼。
「たぶんな」
「なら、エリキシルバトルの結末を、僕に教えてくれないか?」
「できる限り、としか答えられないな。俺が最後まで勝ち残れるとは限らない」
「そうなのかい?」
「あぁ。負けはしなかったが、勝てなかった奴もいるし、参加者じゃないが、当分勝てそうにない奴もいる。俺が最後まで勝ち残れるかどうかはわからない」
「それほどなのか、エリキシルバトルは」
驚いたように目を見開いた後、片手で奥さんの髪を撫でつけつつ、片手を顎に当て、彼はしばし考え込む。
口元に微かに笑みが浮かび、瞳に楽しそうな色が浮かんでいる彼は、願いが叶わなくなったことを、自分の命がそう遠くなく尽きることが決まってしまったことを、絶望しているようには見えなかった。
「ピクシーバトルは面白い。そしてエリキシルバトルも、たいした回数はできなかったが、やはり面白かったよ。僕にとって一番残念なことは、願いが叶わなかったことよりも、当事者として、エリキシルバトルの結末を見届けられないことの方だな」
そんなことを言う高畑に、奥さんは涙に濡れた顔を上げ、悲しそうに笑う。
それに応えて優しく笑い返した高畑は、視線を上げてオモチャを見つけた子供のような目で猛臣を真っ直ぐに見つめ、言う。
「だったら、君にわかる範囲で構わない。このバトルのこれからを教えてほしい」
「……もし、俺が途中退場になるとしても、可能な限り最後まで見届けるつもりだ。すべてが終わった後で良ければ、報告にくるさ」
猛臣が使った「途中退場」という言葉に、高畑は微かに眉をつり上げたが、何も言わなかった。
おそらく調べてはいないのだろう。
しかしここまで勝ち残っている者ならば、エリキシルバトルが奇跡の水を得るだけのものではなく、その裏に蠢いているものに感づいていてもおかしくはない。
モルガーナと面識があり、彼女がバトルの主催者であることに気づいていた猛臣も、克樹と戦い、話すことで、彼女の目的がエリクサーの配布だけでないことに、もう気づいている。
エリキシルバトルの勝利者にエリクサーが手渡されるかどうかは、モルガーナの思いひとつで変わってくるだろうことにも。
「あぁ、それで構わない。楽しみにしているよ」
高畑はにっこりと笑い、立ち上がった奥さんも、涙の跡はそのままに、小さく笑って猛臣に礼をしてきた。
「じゃあまたな」
そう言い残して、猛臣は荷物をまとめ踵を返す。
――いったい、これからバトルはどうなっていくんだか。
調査をしてきた結果を見るに、灯理のようにスフィアカップに参加していない者が多く参戦していない限り、エリキシルソーサラーの数はもうそれほど多くはない。終盤戦はまもなくのはずだ。
しかしいまだに見えないモルガーナの目的が、猛臣の胸に引っかかる。
駐車場に駐めておいた愛車に乗り込み、ひとつため息を吐き出した猛臣は、胸ポケットから携帯端末を取り出した。
「ん?」
何通か入っていた新着メッセージやメールのひとつの差出人を見、疑問の声を上げていた。
そのメールを開き、内容を見た猛臣は顔を歪める。
「本当に、これからどうなるってんだ」
返信の文面を打ち込みながら、猛臣はそう呟かずにはいられなかった。
* 1 *
「三年振りだな」
「そうだね。あのとき君はまだ中学生で、僕も高校生だった。時が経つのは早いものだね」
猛臣(たけおみ)の声に穏やかな表情と声で応えたのは、ひとりの青年。
高畑伸吾(たかはたしんご)。
仕事の関係でメールでのやりとりはあったし、電話で話すこともあったが、最後に直接顔を合わせたのはいまから三年前、スフィアカップのフルコントロール部門、その決勝戦だった。
そのときは激戦の末、猛臣はかろうじて高畑を下し、優勝をつかみ取った。
それから三年、年齢の他にも多くのことが変わってしまったことを、久しぶりに対峙した高畑を見て猛臣は思う。
高校を卒業し、大学に入ってすぐに仲間とともにソフトウェア会社を立ち上げた高畑は、学生をしつつスフィアドールのコントロール系ソフトで大きな成果を上げている。
スフィアドール業界で天才と呼ばれている人物は、いま現在ふたりいる。
ひとりはソフトウェアとハードウェアの両方の面で、さらに営業的にも経営的な意味でもスフィアドールを世界に普及させた、引退こそしているが、いまなお業界への影響力の大きいスフィアロボティクス創立者である天堂翔機(てんどうしょうき)。
もうひとりは、本人が表に出たがらないため業界の誰もが知っているというわけではないが、第四世代スフィアドールの頃よりエルフからピクシーまで、多くのドールパーツの設計や製品化を手がけ、まるで人のように振る舞うフルコントロールシステム「AHS(アドバンスドヒューマニティシステム)」をほぼ独力でくみ上げた、克樹の叔父である音山彰次(おとやまあきつぐ)。
高畑はまだ会社を立ち上げて間がないため有名になるほどの成果は出せていないが、ソフトウェアに関しては天堂翔機や音山彰次をも超える潜在能力を持っていると噂されている。
専門は人工筋やドール用フレームなどのハードウェア方面だが、セミオートシステムを自分の手でつくり出すなどソフトウェアにも精通している猛臣が認めるほどの才能を、彼は持っている。
広い芝生の庭から少し離れたところにある、母屋の掃出し窓から険しい顔で高畑のことを見つめている女性は、風の噂によると二歳年上の幼馴染みで、先日籍を入れたばかりの奥さんだったはずだ。
才能にも、仕事にも、伴侶にも恵まれている高畑だが、猛臣の前で彼は車椅子に座っている。
三年前はまだ自分の足で立っていた彼がスマートギアを自分の頭に被せようとしている手は、細い。
治療法の確立されていない難病により、彼の身体は日に日に衰え、命はあと五年、薬が効いて保ったとしても十年はないと医者から言われていると、話には聞いていた。
――当然だろうな。
他の人が欲するほとんどのものを持ちながら、高畑は唯一、未来を持つことができていない。
彼がエリクサーを求めるのは、当然のことだった。
「どうしたんだい? 猛臣君。いまさら僕と戦いたくないとでも言うのかい?」
「戦うさ」
「そうだよね。君は君の、僕には僕の、叶えたい願いがある。それならば戦うしかない。でも、三年前のときのようにはいかないよ」
ヘッドギアタイプのスマートギアのディスプレイの下、唇にぎこちない笑みを浮かべた高畑は、膝の上に立たせた白いソフトアーマー、淡い青と黄色に塗り分けられたハードアーマーを纏った比較的シンプルな形のドール、アマテラスを操り、芝生の上に立たせた。
ヘルメットタイプの黒いスマートギアを被った猛臣も、手にしていた金色のセミロングの髪と金色のハードアーマーのイシュタルを地面に立たせた。
高畑との戦いは、猛臣にとってあまり気が進まなかった。
三年前の強さをさらに極めてきているだろうこともそうだが、身近と言うほどでないにしろ、見知った人間の願いを砕くか、逆に砕かれるかの戦いにはためらいが出る。
同時に、おそらく彼は知らないであろう、魔女の存在と、克樹が匂わせていた魔女の企みが、猛臣の心を鈍らせる。
「何をためらうのかわからないが、君だって願っているのだろう? 穂波さんの復活を」
「――なんで、それを!」
笑みを唇に貼りつけたままの高畑の言葉に、猛臣はためらっていた気持ちを投げ捨て、怒りを身体に満たした。
「僕だって少しくらい調べるさ。戦うべき相手が誰で、どんな人物かくらいはね。さすがに、この身体では自分から出向くのは難しかったけれど」
克樹のように戦う気がほとんどないならともかく、願いを叶えることに積極的になるなら、戦う相手のことを調べるなど当たり前だ。猛臣もそうして様々な方法で調査をして、相手のところに出向いて行ったのだから。
「さぁ。お互い、全力で戦おう。願いを叶えたいというのもあるけれど、僕はいま全力の君と戦いたくてうずうずしているのさ。日本最強の君と、ね。……アライズ!」
「ソーサラーとしてなら、俺は最強なんかじゃないがな。――アライズ!」
高畑のアマテラスに続き、猛臣もイシュタルをアライズさせた。
シンプルな形状のアマテラスと、各所に牙を生やしたイシュタルが、一二〇センチのエリキシルドールとなって向かい合う。
――もう、迷ってるときじゃない。
深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた猛臣は、長刀を剣道の中段に似た構えを取るアマテラスに、両手に剣を抜かせたイシュタルを突撃させた。
――やっぱり強ぇな!
左に振り被った右手の剣の横薙ぎに、一瞬遅れて左手の剣を突き出す。
イシュタルのカメラアイに、スマートギアの外部カメラを組み合わせて補完した広い視野で、猛臣は高畑の操るアマテラスの動作に注目した。
右手の横薙ぎを長刀の背を沿わせるようにして逸らし、左手の突きを柄尻で叩き飛ばす。
次の瞬間、地を這うような位置から天を突く斬撃が襲いかかってきた。
剣を振るったばかりで体勢が前に傾いているイシュタルだが、猛臣は高畑のその攻撃を読んでいた。
残していた右足の余力で地を蹴り、イシュタルをアマテラスの横に着ける。
しかしそこに天から雷鳴のような閃きが降ってくる。
かろうじて両手の剣を交差させ、イシュタルはアマテラスの攻撃を凌ぐことに成功した。
「ちっ。やっぱこいつじゃ辛ぇか」
イシュタルを自分の近くまで飛び退かせ、猛臣は持たせてた二本の剣の状態を確認した。
スタンダードな太さと長さの剣は、その両方ともが先ほどのアマテラスの長刀を受け止めたことで、大きな亀裂が入っていた。
それ以外にも、まだ開始から二分と経っていないのに、剣には欠けやヒビが各所に入っている。
高畑のドール遣いは平泉夫人や夏姫のそれに近い。
自分から攻撃を仕掛けてくることも少なくないが、最小限の範囲の細やかな動きで戦うバトルスタイルだ。
ただしふたりと大きく違う点がある。
バランスタイプの闘妃、スピードタイプの戦妃を好む平泉夫人、バランス寄りのスピードタイプのブリュンヒルデを使いこなす夏姫と違い、高畑のアマテラスはバリバリのパワータイプということ。
パワーを重視した人工筋は、電圧がかかってから収縮までの反応が一般的には鈍い。
バトル用の人工筋はパワー重視でも収縮反応が高速なものを選んでいると思うが、それでもスピード寄りのバランスタイプのイシュタルを相手に、人間の動きを超えるスピードで行われるエリキシルバトルでは致命的な遅れとなり得る。
しかし病が発症する前、武術をやってかなりの成績を残している高畑は、常人離れした反射神経と先読みにより、スピードタイプやバランスタイプにも負けない動きを、パワータイプのドールで実現している。
スフィアカップのときは高畑の先読みを上回る速度のイシュタルで勝ちを得ることができたが、あれから三年近い時間が経過している。猛臣とイシュタルも変わったが、高畑とアマテラスもまた大きく変わっていることを感じていた。
「相変わらずのパワーだな、アマテラスは」
「そう言う槙島君もよく反応したね。君でなければいまので終わっていただろうに」
そんな声をかけ合いながら、猛臣はイシュタルに先ほどの剣より幅も厚みもあり、長さが短めの幅広剣を二本、抜かせる。
折れてこそいないものの、自らの攻撃によってヒビが入ってしまった長刀を地面に突き刺し、アマテラスも予備の長刀を背中から抜き放った。
「行くぜ。ライトニングドライブ!」
声とともにスマートギアの表示に配置したボタンをポインタで押し、全身の人工筋のリミッターを外すリミットオーバーセット、ライトニングドライブを発動させ、離れていたアマテラスとの距離を一気に詰める。
――出し惜しみはなしだ!
スフィアカップのときより明らかに反応速度もパワーも上がっている高畑とアマテラスを相手に、猛臣は必殺技を出し惜しんでいる余裕はないと判断した。
一気に決着をつけるために、ライトニングドライブを発動させたイシュタルでアマテラスに攻撃を開始する。
斬り、突き、払い、薙ぐイシュタルの攻撃を、振り回すには不利なはずの長刀を操り、アマテラスはことごとく防ぐ。
その機敏さから、高畑もまたリミットオーバーセットを使っていることを意識する猛臣は、自分の不利を悟っていた。
人工筋に高い電圧をかけるリミットオーバーセットは、電力消費が大きい。
とくに克樹とリーリエのアリシアと同様に、動き回って戦うスタイルのイシュタルは、ほぼ同じ場所で姿勢と向きを変えるだけで戦っているアマテラスに比べ、大きなエネルギーを消費している。
長期戦になれば克樹と戦ったときのように、こちらが先にエネルギー切れでアライズを解除されてしまうことは確実だった。
――だが、俺様は勝つ!
心の中で気合いを入れた猛臣は、アマテラスからの鋭い反撃を凌いで、イシュタルを大きく引かせた。
収めた幅広剣の代わりに両手に取ったのは、鞭。
「またイロモノ武器を」
余裕の笑みを口元に浮かべる高畑は、唸りを上げて迫る鞭の一本を長刀で絡め取る。
もう一本を、新たに抜いた短刀に絡ませ、思い切り引っ張った。
「ちっ」
パワー勝負では相手にならない。
猛臣はあっさりと鞭を手放し、剣を抜かせずにイシュタルの手を背中に伸ばさせた。
投擲。
右手から三本、左手から三本、追撃の右手と、アマテラスに向けてナイフを投げつけた。
通常のピクシーバトルにおいてナイフなどダメージにならないどころか、小さすぎて正確に飛ばすことすら困難な武器であるが、サイズが六倍となるエリキシルバトルにおいてはダメージを与えうる攻撃となることを、先日の中里灯理との戦いで感じた猛臣は、それを早速取り入れていた。
「こしゃくなことを」
言いながらアマテラスの短刀で最初の三本をはたき落とした高畑は、続く六本を左腕から伸びてきた布地で絡め取った。
腕に巻きつけてあった布地は、おそらくアクティブアーマー。
猛臣のもう一体のドールであるウカノミタマノカミにもマントのようにして装備してる、電圧をかけることで硬化するアクティブアーマーは、ナイフ程度の投擲武器なら完全に防げることは灯理戦で実証済みだ。
「今度はこちらから行かせてもらうよ」
言っておもむろにアマテラスを前進させた高畑は、イシュタルが幅広剣を抜くよりも先に攻撃を仕掛けてきた。
身体を傾けさせて避けたが、右肩を貫いた突き。
フレームや人工筋にダメージを受けることはなかったが、セミオートで敵に襲いかかるはずの牙が砕かれていた。
「くっ!」
「まだまだ」
動作は決して速くなく、動作予測アプリにより完全に補足できているのに、イシュタルを動かして弾こうとする瞬間に精密に軌道をズラして襲いかかってくる攻撃に、猛臣は奥歯を噛みしめる。
しかも一撃一撃が重いその攻撃は、確実にイシュタルのアーマーに傷を増やしていた。
「ライトニングシフト!」
押し込まれかねない攻撃の圧力に、猛臣はイシュタルの傷が増えるのを厭わず必殺技を発動させた。
移動と突進のために使うライトニングシフトを近接距離で使ったイシュタルは、左肩をぶつけてアマテラスの身体ごと移動を行う。
必殺技の停止と同時に足で急ブレーキをかけ、アマテラスを押し飛ばした。
――正念場だな。
片方は半分に斬り落とされ、片方は傷だらけでただの金属の棒と化している幅広剣を捨てさせ、猛臣はイシュタルに手刀を構えさせる。
短剣程度の武器はまだ持っているが、主要な武器は使い切っていた。
飛ばされても倒れることなく体勢を立て直したアマテラスは、イシュタル同様にぼろぼろになった長刀を捨て、それより短い太刀を腰から抜いた。
指先にタングステン芯を仕込んだイシュタルの抜き手は、金属製のエリキシルドールのアーマーを貫くほどに強力だ。
しかし、長刀ほどの長さではないとは言え、太刀の間合いの内側に入らねば攻撃は届かない。そして高畑の操るアマテラスは正確で、精密な攻撃をし、彼の先読みは猛臣自身とアプリを組み合わせた予測を上回る。
自分の不利を、猛臣は自覚していた。
――だが、俺様は負けない。
静かに、構えを取り合うイシュタルとアマテラス。
言葉を交わすことなく、唇を引き結んだ猛臣と、薄く唇に笑みを浮かべる高畑。
離れた場所から見つめている女性を立会人に、ふたりと二体が見つめ合う。
夏らしい強い陽射しが照りつける下、三人の呼吸の音が微かにするだけの、沈黙。
先に動いたのは、高畑のアマテラスだった。
無造作にぶら下げた太刀を手に、イシュタルへと大きく踏み出すアマテラス。
しかし――。
「何?!」
一歩目を踏み出したアマテラスは、二歩目を踏み出すことなくうつぶせに倒れた。
ほぼ同時にイシュタルを踏み出させていた猛臣は、右足で鞭を踏ませたまま、左足でもう一本の鞭を踏ませる。
生き物のように蠢いた鞭は、アマテラスの右腕に絡みつき、関節の自由を奪う。コントロールウィップ。
使い所がほとんどないと言えるほどピクシーバトルでは使えず、扱いも難しいコントロールウィップは第五世代規格の代表的な武器のひとつであるにも関わらず、注目されることは少ない。
通常は手に持ち、手のひらに設置した接続端子によって制御されるものであるが、猛臣はまだ余裕のあったデータラインを使い、手のひらだけでなく足の裏にも接続端子を増設していた。
再びアマテラスが地に伏すのを見る前に、猛臣はイシュタルに地を蹴らせ、その背中に着地させる。
アマテラスが動いて逃げようとするより先に、データラインが集中し、スフィアドールの急所となっている首のフレームを、イシュタルのタングステンの手刀が切断した。
ビクリと痙攣するかのように身体を震わせた後、アマテラスの動きが停止する。
「……また、ずいぶんと姑息な手を使うようになったものだね」
行動不能となったアマテラスのアライズが解け、一二〇センチのエリキシルドールから二〇センチのピクシードールに戻った後、片手で顔を覆いうつむく高畑が、喉から絞り出すような声で言った。
猛臣の視点からでは見えないが、背の低いイシュタルの視点からは、うつむいた彼が奥歯を噛みしめ、唇を震わせているのが見えていた。
「当然だ。これは命懸けの戦いなんだからな」
流れ落ちる涙を隠しもしない高畑の奥さんが駆け寄ってきて、首を切断されたアマテラスを拾い上げた。それを胸に抱き、愛する者の元へと持っていく。
小さく「カーム」と呟きイシュタルのアライズを解除した猛臣は、言葉を続ける。
「貴方にとっては貴方自身の命を懸けた戦いだったろう。俺に取っては俺の命は懸かっていないが、俺にとって大切な人の命が懸かってるんだ。他の奴らも命だったり、命にも等しいものを懸けて戦ってるんだ。命の奇跡を起こせるエリクサーを得るためには、命懸けで、スフィアカップみたいなルールに縛られずどんな手段でも使って、勝つことが必要だ」
「……確かに、そうだな」
猛臣は、高畑がスフィアカップのときのような行儀の良い戦いをしてくるだろうと予想していた。
彼は充分に強く、礼儀正しく、プライド高い人物だからだ。
そうした部分は自分にもあることは感じていたが、猛臣は克樹たちと戦い、平泉夫人に敗れ、エリキシルバトルを勝ち抜くために必要なのは戦闘能力だけでなく、粘り強さや、公式ルールに依存しない戦法であることを、充分以上に感じていた。
もし高畑がそうした苦い戦いを経験していれば負けていたのは自分だと思っていたが、身体の自由が利かず、対戦相手を自宅に招くしかない彼は、そこまでの戦いを経験していないと調査が済んでいた。
「僕の負けだ、猛臣君。僕が集めたエリキシルスフィアはこれで全部だ」
「ありがとう」
奥さんからアマテラスを受け取り、スフィアを取り出した高畑は、これまでの戦いで得たものだろう、合計四個のスフィアを車椅子を転がして近寄り、猛臣の手に握らせた。
――勝てたな。
イシュタルを拾い上げ、ドール用ケースに仕舞い込む猛臣は、感慨深くそう思っていた。
克樹や夏姫のようなノーマークの相手が強敵だったのは例外として、高畑はエリキシルソーサラーである可能性が高く、そして一番の強敵だと予想していた人物だ。
まだ勝てていない克樹たちを除けば、もうエリキシルバトルに障害はないと思えるほどの相手だった。
それと同時に、猛臣は思う。
今回の勝利で穂波復活の道を繋げることができた。
それから、猛臣は高畑とっての、殺人者となった。
決して直接の原因ではない。けれどその想いは、もう数回目だというのに、シャツをつかみ胸を押さえても、慣れるものではない。
「そろそろ、バトルは終盤戦なのだろう?」
芝生に跪き、高畑の膝に顔を埋めて肩を震わせている奥さんの髪を撫でながら、意外にも落ち着いた口調と表情で問うてくる彼。
「たぶんな」
「なら、エリキシルバトルの結末を、僕に教えてくれないか?」
「できる限り、としか答えられないな。俺が最後まで勝ち残れるとは限らない」
「そうなのかい?」
「あぁ。負けはしなかったが、勝てなかった奴もいるし、参加者じゃないが、当分勝てそうにない奴もいる。俺が最後まで勝ち残れるかどうかはわからない」
「それほどなのか、エリキシルバトルは」
驚いたように目を見開いた後、片手で奥さんの髪を撫でつけつつ、片手を顎に当て、彼はしばし考え込む。
口元に微かに笑みが浮かび、瞳に楽しそうな色が浮かんでいる彼は、願いが叶わなくなったことを、自分の命がそう遠くなく尽きることが決まってしまったことを、絶望しているようには見えなかった。
「ピクシーバトルは面白い。そしてエリキシルバトルも、たいした回数はできなかったが、やはり面白かったよ。僕にとって一番残念なことは、願いが叶わなかったことよりも、当事者として、エリキシルバトルの結末を見届けられないことの方だな」
そんなことを言う高畑に、奥さんは涙に濡れた顔を上げ、悲しそうに笑う。
それに応えて優しく笑い返した高畑は、視線を上げてオモチャを見つけた子供のような目で猛臣を真っ直ぐに見つめ、言う。
「だったら、君にわかる範囲で構わない。このバトルのこれからを教えてほしい」
「……もし、俺が途中退場になるとしても、可能な限り最後まで見届けるつもりだ。すべてが終わった後で良ければ、報告にくるさ」
猛臣が使った「途中退場」という言葉に、高畑は微かに眉をつり上げたが、何も言わなかった。
おそらく調べてはいないのだろう。
しかしここまで勝ち残っている者ならば、エリキシルバトルが奇跡の水を得るだけのものではなく、その裏に蠢いているものに感づいていてもおかしくはない。
モルガーナと面識があり、彼女がバトルの主催者であることに気づいていた猛臣も、克樹と戦い、話すことで、彼女の目的がエリクサーの配布だけでないことに、もう気づいている。
エリキシルバトルの勝利者にエリクサーが手渡されるかどうかは、モルガーナの思いひとつで変わってくるだろうことにも。
「あぁ、それで構わない。楽しみにしているよ」
高畑はにっこりと笑い、立ち上がった奥さんも、涙の跡はそのままに、小さく笑って猛臣に礼をしてきた。
「じゃあまたな」
そう言い残して、猛臣は荷物をまとめ踵を返す。
――いったい、これからバトルはどうなっていくんだか。
調査をしてきた結果を見るに、灯理のようにスフィアカップに参加していない者が多く参戦していない限り、エリキシルソーサラーの数はもうそれほど多くはない。終盤戦はまもなくのはずだ。
しかしいまだに見えないモルガーナの目的が、猛臣の胸に引っかかる。
駐車場に駐めておいた愛車に乗り込み、ひとつため息を吐き出した猛臣は、胸ポケットから携帯端末を取り出した。
「ん?」
何通か入っていた新着メッセージやメールのひとつの差出人を見、疑問の声を上げていた。
そのメールを開き、内容を見た猛臣は顔を歪める。
「本当に、これからどうなるってんだ」
返信の文面を打ち込みながら、猛臣はそう呟かずにはいられなかった。
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