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サイドストーリー2 海人(アクアマリン)の祈り
サイドストーリー2 海人(アクアマリン)の祈り4
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青葉に教えてもらった温泉で風呂に浸かり、海鮮料理を堪能した俺は、案内された宿の部屋の、窓際に置かれたリクライニングチェアに身体を預けた。
おそらく釣り客のための宿なのだろう。場末の民宿のように隣の部屋との境が障子だけなんてことはなく、最低ランクのビジネスホテル程度の独立性はあったが、六畳の畳の部屋と窓際の板張りのスペースに、古びた家具や家電があるだけのここは、干物を食べた店と同じく薄汚れて貧相なつくりだった。
窓の外に見える西の海にはまだしつこく茜色の光が残っていたが、上空ではもう星が瞬き始めている。
「少し食べ過ぎたか」
干物はもちろん刺身などの夕食は家庭料理みたいなもので、盛りつけも飾ったものではなかったが、どれも美味しかった。
エリキシルスフィアを求めていろんなところに出かけているが、たいていは日帰りで、泊まりになるときも用事を済ませたらさっさと帰るのが普通だった。
どうせ遠くに行くなら、今回のように少し観光のようなことをしても良いかもしれない、なんてことを考えるようになっていた。
「さてと……」
テーブルの上に置いたスレート端末を手に取り、俺は調査を再開する。
青葉がバトルのときに呼んでいた西条という名前と、車のナンバー、そしてグランカイゼルというドール名から、ある程度のことは調べることができた。
名前は西条満長、二七歳。
理系の大学を卒業後、臨時や非常勤の高校教師として近畿や中部方面を中心に仕事をして生計を立てている。専門はおそらく機械工学かロボット工学。スフィアカップでは全国大会二回戦敗退。ローカルバトルへの出場経験は少数。
そうした表向きの顔の他に、西条には裏の顔があることが、アングラ系の情報サイトから確認することができた。そしてそちらの方では、かなりの有名人だ。
ピクシーバトルにはスフィアカップ、ローカルバトルなどのスフィアロボティクスが関係するものの他にも、公式戦に準拠したりそれを基本とした小規模な大会などがある。リング上での戦いの他にも、市街地戦を想定したような、主にレーザーポインタを銃に見立てた銃撃戦などもある。
そうした表向きのバトルの他に、アンダーグラウンドなバトルも盛んだった。
さすがに俺は参加したことはないが、西条はレギュレーションも何もありはしない、たいていは賭の対象となるアングラバトルで、ここ最近はほぼ無敗の成績を誇るソーサラーとして名が通っている。
「さすがにこれは反則だな」
アングラサイトから拾ってきた、今日のものとは若干形の違うグランカイゼルの画像を表示する。
ひと回り近くボリュームが小さいが、やはりグランカイゼルの姿は頭の潰れた機械ゴリラだ。
第五世代スフィアドール規格から可能になった外部機器扱いのパワードスーツは発想としては面白いが、ピクシーバトルに持ち込むにはフェアリードールに近い全高四十センチ余りある機械の塊のそれは、いくらアングラバトルだからって反則以外の何ものでもない。
「まぁ、そんな反則が許されるのが、アングラではあるんだがなぁ」
本体のピクシードールがオブジェのように露出しているのは、いくら自由度の高い外部機器とは言え、現在のところドールの全身を覆うようなものをスフィアで認識できないというのもあるだろうが、西条のこだわりのデザインでもあるようだ。
西条はアニメや小説好み、とくにロボットものを嗜好していることが、本人のネットの書き込みからも見て取れる。
グランカイゼルのデザインはそうしたアニメの影響が強く出ているものだったし、行く行くは自分が乗り込んで操縦できる巨大ロボットを造りたいと考えているらしいことが推測できた。
「そんな夢はともかく、エリキシルバトルからは、早々に撤退してもらうがな」
巨大ロボットを造りたい西条が、エリクサーでどんな願いを叶えたいのかはわからない。しかし、俺にとっては奴の願いなど関係ない。
アングラバトルで本業よりも稼いでいる西条に買収は効かないだろうから、力でねじ伏せるしかないだろう。
グランカイゼルはさすがに厄介な相手だが、どうせ倒さなければならない相手なのだ、あちらが手段を選ばないならば、こちらも手段を選ぶ必要はなかった。
奴とどう戦うかを考えてるとき、扉をノックする音が聞こえた。
「お茶を持ってきたよ」
「おう」
青葉の声にそう返事をすると、ポットを片手にぶら下げ、湯飲みを乗せたお盆を抱える青葉が入ってきた。
部屋の真ん中にある卓袱台の上にポットを置き、お茶を湯飲みに注いでわざわざ俺のところまで持ってきてくれる。
「どうぞ」
「ありがとよ」
お茶をひと口すすってみるが、用事が終わったはずの青葉は立ち去る様子がない。
何か深刻そうな表情をして、側に立ったままだ。
「……夕食は、どうだった?」
「美味かったぞ」
「うん、そっか。よかった」
何だか言いづらそうにしている青葉に、仕方なく俺はこっちから問うてやることにした。
「昼間の男と、何かあったのか?」
「うん……、ちょっとね」
「誰なんだ? あいつは」
西条のことはもうだいたいわかっていたが、そのことは言わずにスレート端末をテーブルに伏せて置き、顔を歪めてる青葉に問う。
「――学校の先生。産休で休みに入った先生の代わりに、ボクのクラスの担任になったんだ」
「それだけじゃあないんだろ?」
「うん……。エ――、ボクのマーメイディアをよこせって言われてて、でないとボクの内申書を悪く書くって……。戦って、勝てれば良いんだけど、たぶんいまのボクじゃ無理だから……」
うつむいて泣きそうな顔で言う青葉の言葉は、それだけ聞くと支離滅裂だ。
エリキシルソーサラーだからわかるし、青葉の悩みも理解できる。
――エリキシルスフィアを要求するのに、脅しってのは気に入らないな。
俺がやってるスフィアの買い取りだって決して全員から賛同されるものでないことはわかってる。だが要求に対する対価は支払ってるつもりだ。対価が見合わないと思うならば、本来の指示であるバトルによって決着をつけることだってしてる。
立場でもって押さえ込み、状況をマイナスにしない代わりに要求をするるってのは、フェアな取引じゃない。
「それで、どうしたいんだ?」
そう問うと、顔を上げた青葉は俺を真っ直ぐに見、決意を込めた瞳で言った。
「ボクのことを強くしてほしいんだ。もちろん、ソーサラーとして」
「そうすることで、俺に何かメリットがあるか?」
「それは、その……」
「あの男の捨て台詞は聞こえたが、またすぐに来るんだろ? 俺様も明日までしかここにはいない予定だし、ひと晩じゃ強くはなれないぞ」
「そう、だよね……」
決意の瞳が揺らぎ、またうつむいてしまった青葉。
理不尽な怒りをぶつけられつつも、青葉は父親を尊敬しているらしい。調べられた限りでは青葉が大病を患っていたり、側で亡くなった者がいる様子もなかった。
――エリクサーで、こいつは何を叶えるつもりなんだ?
訊いてみたくもあったが、俺はエリキシルソーサラーだと明かしていない以上、直接問うわけにはいかなかった。
「布団敷くね」
言って青葉は卓袱台を部屋の隅に移動させ、押し入れを開いた。
「お前はここの仕事が好きなんだろ? 高校なんて行かなくても、親父の手伝いをして魚を捕ればいいんじゃないのか?」
「人手が増えたからって魚が増えるわけじゃないし、うちは親戚と共同でやってるから、人手は充分なんだ」
布団を抱えようとした格好で動きを止め、振り返った青葉の答えに、俺は訊いてみる。
「親父の跡を継ぐんじゃないのか? お前は」
「あははっ。ボクが跡を継げればいいんだけどね。――うわっ!」
寂しそうに笑った青葉の悲鳴に、反射的に俺は駆け寄っていた。
体勢を崩した青葉を支えようとして、……失敗した。
「ぐふっ」
「わっ、あれ? ゴメン!」
押し入れの中に積み上げられた布団は一斉に崩れてきて、俺は青葉を後ろ抱き寄せて引っ張りだそうとしたが、失敗して一緒に畳の上に潰される結果となった。
下は畳だし、青葉も軽いし、布団の重量もたいしたことないから、ダメージがあったわけでもない。
しかし助けようとして失敗するなんて情けない。
「くそっ」
悪態を吐いて布団の下から脱出しようと身体を動かしたとき、何か手が柔らかいものに触れてることに気づいた。思わず手を動かして確かめてしまう。
柔らかいと言ってもそんなにボリュームがあるわけじゃない。だが触っていると予想される場所が、これまで思ってた通りならあり得ない感触であることは確かだった。
「……なんだ、こりゃ?」
「あ、うっ。う、うわーーっ!」
メチャクチャに身体を動かして先に脱出した青葉は、部屋の隅に逃れて顔を真っ赤にしていた。
胸を、両手で隠しながら。
助けようとして触ってしまった青葉の胸は、服の上からではわからないほどだったが、男じゃあり得ない柔らかさがあった。
「お前、女だったのか?」
「そ、そうだよっ」
「でもお前の名前は、由貴(よしたか)だろ?」
「違うよ! ボクの名前は由貴(ゆき)だよっ!」
「そうだったのか……」
親父の名前が貴成(たかなり)だから、青葉の名前も貴の文字の読みはてっきり同じだと思っていた。
髪が短く、服装も男でも女でも通用するようなもので、手脚が細い他は女の特徴なんて欠片も感じなかった。せいぜい中性的なくらいのものだ。
しかしその胸は、小ぶりでも確かに女のものだった。
謝るべきなのかどうするのか迷っているとき、表情を暗くした青葉が言った。
「ボクは女だから、親父の跡は継げないんだ。親父と一緒に漁に出ることもできないんだ。観光のときなら乗せてくれることはあるけど、漁は男の仕事だから、ダメだって」
「なるほどな」
漁師で女ってのはいるかも知れないが、あまり話には聞かない。海女を除けば女は陸で仕事して、男が海に出るってことが多いんだろう。
あの頑固で頭が硬そうな青葉の親父なら、なおさらだ。
悲しそうな顔をした青葉が話す。
「親父には男に生まれればよかった、ってよく言われるんだ。そしたら漁に連れてってやれたのに、って。ボクは女だから、跡取りになることも、漁の手伝いもできない。それでも、ボクはボクにできることで、親父の手伝いがしたいんだっ」
両手を握りしめ、青葉は泣きそうな顔をする。
「だから、そのためにはいまはマーメイディアを壊されるわけにはいかないんだ!」
「そうか」
――こいつの願いは、男になることか。
あらゆる命の奇跡を起こせるというエリクサーならば、おそらく女が男になることも可能なんだろう。
願いを叶えるためにはマーメイディアを壊されるわけには、エリキシルスフィアを奪われるわけにはいかない。
だが一日やそこらで強くなれるわけはないし、敵はグランカイゼルだ。特訓したところで勝てるような相手じゃない。
そして俺もまた、自分の願いを諦める気はない。
――さて、どうしたものか。
青葉の願いは金で解決できそうなものでもない。いまさら金をやるからエリキシルスフィアを売れと言ってもこいつは聞きはしないだろう。
俺の目的は青葉のものも、西条のエリキシルスフィアも、俺のものにして帰ることだ。
この先どう動くべきかを考えてるとき、メールの着信音がした。
「……」
「どうした?」
ポケットから取り出した携帯端末を見て、青葉は泣きそうな、それでいて決意の籠もった表情をする。
無理矢理青葉から携帯端末を奪った俺は、表示されたメールの内容を読んでみる。
メールは西条から。内容は明日の十二時に今日の砂浜に来いというもの。
「ゴメン、猛臣」
俺から携帯を取り返した青葉は、振り返らずに部屋から出て行った。
光る滴を、ひと粒残して。
放り出しっぱなしの布団を一組だけ敷いて、ポットからお茶を注いだ俺は、自分の携帯端末を手に取って窓際のリクライニングチェアに座った。登録済みの電話番号をコールする。
「よぉ、俺だ。槙島猛臣だ。こんな時間に電話して済まないな」
電話の相手は三コールで出てくれた。もう遅い時間なのに電話に出てくれたことを感謝しつつ、俺は用件を話す。
「ちょっと貸してほしいものがあるんだ。その代わりと言っちゃなんだが、耳寄りな情報がある」
*
「どうしよう……」
青葉はそんなことを呟きながら、朝は遅めに開店する食堂の店先を箒で掃いていた。
西条から連絡のあった十二時にはまだ余裕があった。
夜のうちにマーメイディアの左右のスクリューを外し、戦闘用の武器も用意してあったが、青葉の本来の戦型であるバランスタイプの人工筋はストックがなく、買いに行く時間も懐の余裕のなかった。
例えマーメイディアをバトル仕様にできたとしても、あのグランカイゼルに勝てる気はしない。
――それでも、ボクは負けるわけにはいかないっ。
箒を握りしめて、青葉はそう自分に言い聞かせる。
けれど同時に、エリキシルバトルに参加したのだから、マーメイディアをバトル用にしておけばよかったとか、もっと訓練しておけばよかったとか、そんなことを思う。
――やっぱり、ボクなんかじゃ願いを叶えるなんて、無理だったのかな。
心を奮い立たせようとしても、どうしても勝てるイメージの湧かないグランカイゼルの偉容を思い出し、ため息を吐いた。
「あのぉ、ここは青葉さんのお店で大丈夫ですか?」
「え? あっ、はい!」
背後からかけられた声に驚いて、慌てて振り向いた青葉は声の主を見る。
まだ昇りきっていない日差しの下に立つ男は、初めて見る顔だった。
シャツとスラックスに白衣を羽織り、少しは日焼けしているようだが、この辺りの人間にしてはずいぶん白い肌をしている。
そして何より、胡散臭さすら漂ってきそうな、にこやかな笑みを浮かべていた。
「あの……、どちら様で?」
「あぁ、すみません。僕はこういう者です」
白衣のポケットから取り出した名刺入れから名刺を差し出され、青葉は反射的に受け取っていた。
「お父さんはいまいらっしゃいますか」
「スフィアロボティクスの、永瀬さん? どんなご用件ですか?」
スフィアロボティクスの研究所がそんなに遠くないところにあるのは知っていたが、そこの人間が訪ねてくる理由がわからない。
不審と、スフィアドールに関わっているらしい人と直接会ったことへのワクワクを覚えつつ、青葉は永瀬に尋ねた。
「私は水中調査用のスフィアドールを研究してましてね。ちょっと知り合いから、ここなら協力が得られるかも知れないと小耳に挟みまして」
「水中調査用の、スフィアドール?」
「えぇ。まぁそれよりもまずは船に同乗させてもらえないとどうにもならないんですがね。それで、お父さんは?」
「はいっ。えっと、いま呼んできます!」
「お願いします」
永瀬のにこやかな笑みに促され、青葉は急いで貴成を呼びに店の中に駆け込んだ。
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