神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第三部 第三章 リミットオーバーセット

第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 第三章 3

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       * 3 *


「克樹!」
「克樹さん?!」
 そんな声に顔を上げると、近づいてきていたのは灯理と近藤だった。
 結局夏姫は扉を開けてくれることも、返事をしてくれることもなく、仕方なく僕はとぼとぼと家に向かっている途中だった。
 まだ夏本番には早いこの時期、傾き始めた陽射しは、一戸建てが建ち並ぶ街並みの影を長く引き延ばしていた。
 車の通りもあんまりない細めの路地を歩いていたのに、僕を発見して駆け寄ってくるふたりは、たぶんエリキシルバトルアプリのレーダーを頼りにここまできたんだろう。
「夏姫さんとは話せたのですか?」
「あぁ、うん。話せた。……でも、何かよくわからないんだ」
 さっき夏姫としていた会話を思い出して、道路にしゃがみ込みそうになるのを堪えつつ、心配そうな顔を向けてくる灯理に、僕は力ない微笑みを返していた。
「そんなことより克樹! エリキシルスフィアの反応が近づいてるんだっ」
「どういうこと?」
「そうなのです。先ほど一瞬だけ反応があって、おそらく克樹さんか、夏姫さんのところに向かったと思ったので、急いでここまで来たのです」
「リーリエ!」
『うんっ。すぐ確認する!』
 夏姫のところで被ってそのままだったスマートギアで、リーリエに確認をさせる。
 僕も上げていたディスプレイを下ろして、レーダーの表示を見る。
 表示されてるのは灯理と近藤の分のふたつで、他に反応はない。夏姫の家からもある程度離れたから、ブリュンヒルデの反応も確認できなかった。
『あっ、反応あった! ……これ、たぶん車だよっ』
 あまり遠くまで感知できないレーダーに反応があった次の瞬間には、大きく距離が縮まっている。速度から考えれば、リーリエの言う通り車か何かに乗ってるんだろう。
「……止まりましたね」
 ある程度近づいたところで、新たに感知されたエリキシルスフィアとの距離に変化が見られなくなった。たぶん車を停めたんだろう。
 ――この距離で、この場所だとすると……。
 スマートギアの表示に近隣地図を呼び出し、僕は車が停まってるだろう場所を探す。
「こっちだ!」
 可能性の高い場所を発見して、スマートギアのディスプレイはそのままに、僕は走り出した。
 ここしばらく新しいエリキシルスフィアの反応がなかったのだから、この反応はおそらく槙島猛臣のものだろう。
 予想通りに距離が縮まっていくレーダーの距離表示を見つつ、僕はその場所に急いだ。
「んぁ? 三つも反応があると思ったら、てめぇらか」
 携帯端末を片手にコインパーキングに停めた車からいままさに降りてきたのは、やっぱり槙島猛臣。
 僕たちのことを認めて、奴は不適な笑みを浮かべた。
「この前いなかったお前は、確か音山克樹だったか? この辺りに妙にスフィアが集中してると思ったが、やっぱり仲間だったか。てめぇらから来てくれるとは手間が省けたな」
 ニヤリと笑って、黒いヘルメット型スマートギアやアタッシェケース、鞄なんかを車から取り出した猛臣。
 ――こいつさえ、いなければ……。
 猛臣さえバトルの資格を失えば、夏姫はスフィアを売る必要がなくなる。
 そんなことを思う僕は、奴を睨めつけた。
「いい目をしてるじゃねぇか。さぁ選びな。スフィアを俺様に売るか、戦って奪われるかをな!」
「もちろん戦う!」
「克樹さん?!」
「克樹!」
 即答した僕に、灯理と近藤が口々に心配そうな声をかけてくる。
 でも僕は奴を睨みつけるのを辞めない。
「全員一緒に相手にしてもいいが、あんまり多いと面倒だな」
「戦うのは僕だけだ。ふたりは見ていてくれ」
「大丈夫なのですか?」
「おい。こいつはスフィアカップの優勝者で――」
 それまで縮んで小さくなっていた心が逆流したように、僕の身体は熱さを感じるほどになっていた。
「なんだかわかんねぇが、威勢がいいじゃねぇか。しかしてめぇは所詮地方大会優勝止まり。ソーサラーだった妹もいないんだろ? お前自身はたいしたソーサラーじゃねぇクセによ」
 近づいてきて、歓喜と怒気とが共存する瞳を向けてくる猛臣を、僕は怯まず睨み返す。
「リーリエ、いけるか?」
『あたしは大丈夫だけど、おにぃちゃんは大丈夫なの?』
 小声でリーリエに問うと、心配そうな声音で問い返された。
「大丈夫だ。いつもより元気があるくらいだよ」
『ん……。そっか。でも気をつけてよ。まだ、願いを諦めるつもりはないんでしょう?』
「――そうだな。そうだったな」
 リーリエにそう言われて、燃え上がっていた気持ちが少し収まる。
 夏姫のことばかり考えていたけど、それだけじゃない。エリキシルバトルは僕の願いを叶えるための戦いなんだ。
「誰とこそこそ話してやがんだ。どうすんだよ。戦うんだろ?!」
「あぁ、戦うさ。こっちに公園がある。来い」
 ひとつ深呼吸してから、心配そうな顔をしてる灯理と近藤に笑みを向け、それから顎をしゃくって猛臣に行き先を示した。
 ――僕の戦いだけど、夏姫のための戦いでもある。
 そう思いながら、僕は公園に向かって歩き始めた。


          *


 夏姫の家からそう遠くない、近藤との決着をつけた公園。
 日曜で昼間のいまは子供連れの人が少なくなかったけど、僕は人がいる広場から生い茂った枝葉を分け入って、ちょっと奥まったところにある広場までやってきた。
 まさに僕と夏姫が、近藤と戦ったその広場であることにか、近藤は微妙な顔を見せてるけど、アタッシェケースを取り出して不要になったデイパックを彼に押しつけた。
「別に僕がどんな風に戦っても文句言わないよね?」
「ちゃんとエリキシルバトルをするならな。逃げるとか、俺様に直接攻撃するとかは辞めてくれよ?」
 確か学年がひとつ上の、年上の余裕なのか、……いやたぶん、こいつの性格なんだろう、手にぶら下げていたスマートギアを頭に被りながら、猛臣は不適な笑みを浮かべた。
 でも、その言質が取れれば充分だ。
『おにぃちゃん、どうするの?』
 スマートギアのディスプレイを下ろした途端、リーリエから質問が飛んでくる。
『アレをやるつもり?』
『さっさとアレで決着をつけたいところだけど、まだ使うのは無理だろ。シンシアを使う』
 イメージスピークでリーリエと相談しながら、僕はアタッシェケースからアリシアとシンシアを取り出し、武器なんかを装備させていく。
「……てめぇもデュオソーサラーなのか?」
「さぁね。説明してやる義務はないだろ?」
「ちっ。始めるぞっ。アライズ!」
 細かい砂利の地面の上に立たせた水色のアリシアと緑色のシンシアを見た猛臣の質問を躱し、二体の手を繋がせた僕は、エリキシルバトルアプリに向かって唱える。
 僕の願いと、いまの僕の想いを込めて。
「アライズ!!」
 光に包まれたアリシアとシンシアが、約百二十センチのエリキシルドールに変身する。
 猛臣の斜め前に立つのは、銀色のポニーテールとボディをしたドール。この前灯理たちと戦った、ウカノミタマノカミだ。
 ――イシュタルは持ってきていないのか?
 メインドールであろうイシュタルじゃないことに少し疑問は覚えるけど、詮索する必要があることじゃない。こいつを倒せばいいだけのことだ。
「フェアリーリング!」
 戦場の真ん中に立って、僕たちの代わりにフェアリーリングを張ったのは、灯理。
 レフェリーを買って出てくれたらしい彼女は、僕と猛臣を交互に見て戦いの準備が整ってるのを確認し、広場の隅に下がってから叫んだ。
「それでは、始め!」
『先手ひっしょぉーっ!』
 号令とともに水色の二本のテールをなびかせてアリシアを飛び出させたリーリエに、僕も少し遅れて緑の三つ編みを揺らしながらシンシアを追随させる。
 待ちかまえるウカノミタマノカミは、映像で見たのと同じショルダーシールドからマントを垂らし、両手に一本ずつ件を持って悠然と立っている。
 アリシアにもシンシアにもいくつかの武器を持たせてあるけど、リーリエはまずは手甲に接続されたナックルガードを、僕はウカノミタマノカミが持つより長く幅広の剣を二本持たせていた。
『はっ!』
 僕にしか聞こえない気合いの声とともに、胸のアーマーを擦りそうなほど低い姿勢の突撃をさせていたリーリエは、襲いかかる剣を無視して顎を狙ったパンチを地面から伸びるように垂直に繰り出す。
 アリシアに振り下ろされていた剣を受け止めたのは、シンシアの左の幅広剣。
 懐に入られて後ろに下がるしかないウカノミタマノカミに、僕はシンシアの右の剣を繰り出していた。
 フレイとフレイヤのように、僕たちにはアリシアとシンシアの二体のドールがあるわけだけど、灯理のデュオソーサリーとは少し戦い方が違う。
 デュオソーサリーは両手にひとつずつ填めたパペットのように、ひとりの人間が行う連続作業だ。
 ふたりの人間が行う連携ではないそれは、呼吸を合わせる必要がないという点で、集中されると厄介だ。
 けれど同時に、デュオソーサリーができる能力があっても、ひとりの人間が周囲に向けられる注意はふたりよりも狭い。
 稼働を開始してからずっと一緒にいるリーリエとは、呼吸を合わせるなんてことが必要ないほどに、バトルについては僕は彼女の思考を、次の行動をわかってやることができる。
 僕とリーリエという、ふたつの脳を使って行うバトルは、灯理と戦って以降、ずっと連携しての戦いを訓練してきた僕たちなら、デュオソーサリーにも負けるものじゃない。
「なかなかやるじゃねぇかよっ!」
 拳と剣という、ふたつの距離からの絶え間ない攻撃に、反撃すらできずにいる猛臣は、ウカノミタマノカミのショルダーシールドを早速使い始めていた。
 防刃生地に用法を特化して人工筋を編み込んだ、確かバリアブルアーマーとかって名前で少し前に発表があった生地を使ってるだろうマント。
 二本の剣とともに、腰の辺りまで動いてマントで下半身をも防御できるショルダーシールドは、腕が六本あるような状況をどう制御してるのかはわからないが、アリシアとシンシアの攻撃を完璧に防御していた。
「なら、これはどうする?!」
 言いながら僕は、二本の幅広剣を地面に突き刺して手放し、背中から新たな武器をシンシアに抜かせる。
 柄まで含めれば百センチ近くと、シンシアの身長ほどもあるように見える、幅も長さもある両手剣。
 アニメのキャラクターが持っている、格好ばかりで実用性がなさそうな、試しにアライズしてるときに僕が持ってみたら構えるのすら難しいくらいの重量のその武器は、元々パワータイプでアライズによって大人の筋力すらも超えるシンシアなら扱うことができる。
 水色のツインテールを右に左に揺らしながら陽動の攻撃を仕掛けてるアリシア。
 その間を突いて上段から最大の力を持って振り下ろしたシンシアの両手剣を、ウカノミタマノカミは頭の上で交差させた二本の剣に、下半身のバネまで使って受け止めた。
「ちっ」
「ははっ。すげぇな、音山克樹! てめぇなんて近藤誠よりも、中里灯理よりも弱い雑魚だろうと思ってたけどよ、なかなかやるじゃないか!!」
 まだまだ余裕がありそうな声音で、猛臣が吠える。
 ――実際、余裕があるんだろうけど。
 リーリエがアリシアを機敏に跳び回らせつつ、僕がシンシアで狙い澄ました一撃を放つ。
 僕たちの攻撃はさっきよりもウカノミタマノカミを追いつめてる感じはあるけど、マントやアーマーに掠めるくらいで、まともな打撃を入れられてない。猛臣の反撃はほぼ封じ込めて一方的に攻撃しているというのに、そのすべてが防がれていた。
 ――ドールの性能も、ソーサラーの能力も高いっ。
 猛臣と出会ったときに感じていた怒りはすっかり静まり、僕はいつもの落ち着いた思考を取り戻していた。
 ドールの性能は第五世代パーツを使っていればそう大きく違うものではないと思っていたけど、そうじゃないことをいま僕は実感していた。
 六本の腕状のショルダーシールドもすごいものの、ウカノミタマノカミは明らかにアリシアやシンシアよりも性能が高いピクシードールだ。
 それに猛臣のソーサラーとしての力量も凄まじい。
 いつも練習をしてる灯理や近藤とは比べものにならないほどに、視野の広さも集中力もあって、ドールの動きもリーリエ以上に細やかだ。
 さすがにスフィアカップ優勝者と思うほどの敵と、いま僕とリーリエは戦っていた。
 ――このままじゃ、負ける。
 僕はそれを予感していた。
 いまのところ押せているけど、攻撃が途切れて反撃され始めたら、たぶんじり貧になる。
 必殺技が使えればよかったけど、シンシアを操りながらは難しい。人工筋の性能を限界を超えて、動きにあわせて引き出す微妙な操作には、集中力が必要だ。
 だから僕は、勝つために、いまよりもさらに卑怯な手を使うことにした。
『リーリエ。十秒だけ頼む』
『うんっ、わかった!』
 何をするかを言わなくても理解してくれたリーリエが、ウカノミタマノカミの前に突っ込む。
 襲いかかる二本の剣を手甲で裁き、アーマー同士がぶつかるほどに接近して膝蹴りを、回し蹴りを、飛び込んでの正拳突きを放つ。
 その間に僕は、ウカノミタマノカミの後ろに人がいない位置にシンシアを移動させ、両手剣を地面に突き刺した。
 そして、背中に背負わせていた武器を取り、両手に構える。
『リーリエ!』
『うんっ』
 胸と腹を狙った左右の拳をショルダーシールドに防がれ、反撃の剣を強く地を蹴って避けたアリシア。
 その影から現れるようにして立つシンシアで、僕は引鉄を絞った。
 画鋲銃(ネイルガン)。
 以前使っていた害虫駆除用のものと違い、小型化した上に威力も装弾数も増やし、命中精度はさほど変わらないものの、連射を可能にしたものだ。
「なんだそりゃ!!」
 猛臣が声を上げたときにはもう遅い。
 圧搾空気が抜ける音が連続するのと一緒に、人間の頭すら貫きそうな威力とサイズの画鋲が、ウカノミタマノカミに降り注いだ。
 六十発の画鋲を五秒ほどで撃ち終わったとき、猛臣のドールはまだ立っていた。
 二本の剣を盾のようにして構え、ボディの重要な部分を守っているが、フレイとフレイヤの針やナイフでは先端しか刺さらなかったバリアブルアーマーのマントには、数十本の画鋲の貫通痕が空いている。たぶん、内側のハードアーマーにもダメージがあったはずだ。
「そんなもんまで持ち出してくるか。くそっ。やってくれるぜ」
 毒吐く猛臣は、画鋲が突き刺さって使い物にならなくなった剣を捨てさせた。
「さすがに俺様も容赦しねぇぞ。こんだけドールを傷だらけにしてくれたんだからな!」
 まだ動くことができるらしいウカノミタマノカミのマントが、ショルダーシールドはそのままに、外れた。
 マントの下から現れたのは、鈍く銀色に輝く、ほっそりとしたボディ。
 ――やっぱり、性能が違うんだな。
 画鋲で傷ついているが、目立った損傷は見られない銀色のハードアーマー。腕や脚はスピードタイプのアリシアと同じくらいに細いが、シンシアと並ぶほどのパワーを持つウカノミタマノカミ。
 スフィアドールの内部に組み込むパーツはスフィアの承認が必要だけど、ここまでスリムでパワーのある人工筋の存在を、僕は知らない。
 SR社で人工筋の開発をしてる猛臣が、量産品ではない高性能なものを、自分の立場を利用して使えるようにしたんだろう。
「二体とも手足を引きちぎってバラバラにしてやるからな!」
『くるぞっ、リーリエ!』
 リーリエの返事がある前に、猛臣が発する怒りの炎を纏ってるようにも見えるウカノミタマノカミが両手を構え、腰を落として、飛んだ。
 三メートル以上離れていたのに、地を蹴ったと言うより飛んできたというのがふさわしい動きで、シンシアに接近していた。
「なっ?!」
 途端に僕の視界に踊る、シンシアの破損警告。
 伸ばされた腕の先は、左肩に突き刺さっていた。
 手刀による突き。
 嫌な予感がしてシンシアの身体を傾けていなければ胸の真ん中に突き刺さっていただろう、指を揃えて突き出されたウカノミタマノカミの手刀。
「エリキシルドールとは言え、あんなことができるのですか?」
「……あれはたぶん、格闘用のコンバットマニピュレーターだ」
「そんなもんじゃない。あれは特別製の手だ」
 僕の後ろで驚きの声を上げてる灯理と近藤に、僕は無意識に返事をしていた。
 パワータイプで、僕が動かすために防御型でもあるシンシアのハードアーマーは、アリシアのそれの二倍以上の厚みがある。
 金属製のハードアーマーを使ってアライズさせるだけで、その強度は銃弾くらい防ぐだろうくらいになるエリキシルドール。
 殴るのに特化したコンバットマニピュレーターは確かに強度が高いけど、シンシアの装甲を貫けたのは、指先に硬い金属を仕込んだ、市販されてない特別製のものとしか思えない。
 ――それに、いまの動き。
 飛ぶようないまの接近速度は、エリキシルドールでも普通では不可能なものだ。
 おそらく猛臣は、僕とリーリエが使ってるのと同じ必殺技を、リミットオーバーセットを使えるんだ。
 猛臣が見せてるのと同じニヤリとした笑みを浮かべたウカノミタマノカミが、追撃の手刀を左で構えたとき、アリシアが割って入ってきた。
 振り下ろされた手刀を振り上げた脚で蹴り飛ばし、そのまま回し蹴りを食らわせる。
『大丈夫? おにぃちゃんっ』
『シンシアはダメだ。戦えない』
 距離を取ったウカノミタマノカミにアリシアを油断なく構えさせながら、リーリエが発した心配の声に、僕はそう答えていた。
 肩を貫かれたシンシアの左腕は、もう動かすことができない。
 右腕は無傷なわけだけど、左腕が動かずバランスが取りにくくなったシンシアは、僕じゃ戦わせることはできない。
『シンシアは下げる。代わりに、必殺技を使う』
『わかった。でもあっちも、必殺技を持ってるよ?』
『新しい戦法はいまのアリシアじゃ二分と使えない。まだ必殺技の方が勝ち目がある』
『そうだね』
 アリシアで目配せをしてくるリーリエと視線を交わした僕は、シンシアを自分の側まで下げて、パッシブセンサーを全開にする。ウカノミタマノカミと、猛臣のすべての情報を取るために。
 腰に提げていた刀を鞘ごと捨て、リーリエはアリシアに短刀を抜かせて前に進み出させた。
「緑色の方はもう出さないのか? 一対一で本気の俺様に勝てると思ってるのか?」
「やってみないとわからないさっ」
 莫迦にしたように言う猛臣にそう反論して、僕は視界にアリシアの各人工筋のプロパティを広げる。
 八つのポインタを同時にコントロールして、必殺技を使う準備を終えた。
「いくぜぇ!」
 雄叫びを上げながら先に攻撃をしてきたのは、猛臣。
 右側のショルダーシールドを最初の位置に戻した後、肩を突き出してタックルの構えを取った。
 次の瞬間、高速モードに切り換えたスマートギアのカメラでもかろうじて捉えられるほどの速度で、ウカノミタマノカミが突進してきた。
『電光石火!』
 イメージスピークで叫ぶのと同時に、アリシアの脚部のリミッターを解除する。
 ぶれたようにアリシアが動き、突進を躱して距離を取った。
『疾風迅雷!』
 タックルの態勢のままのウカノミタマノカミに、反撃とばかりに短刀を顔の前に構えたアリシアが突撃する。
「見えてんだよ!」
 リーリエが短刀を振らせるよりも先に、ウカノミタマノカミの右手がアリシアの頭をつかみ、地面に叩きつけていた。
『リーリエ!』
 首筋を狙った手刀が振り下ろされる直前で、リーリエはアリシアを横に転がせて攻撃に避ける事に成功する。
 ――本当にじり貧だ。
 地面を横に転がっていき大きく距離を取って、再びウカノミタマノカミと短刀を構えて対峙したアリシアだけど、もう僕には勝つ目を見いだせなかった。
 必殺技を避けたり、先読みして対応するならともかく、目で見て正確に潰せる奴に、他の必殺技も効くとは思えない。あちらにも必殺技を使われたらすべてを打ち落とされる。
 激しく動き続けていたアリシアのバッテリ残量は、もうさほどない。
 勝つための方法を、僕はもう思いつくことができなくなっていた。
「楽しくなってきたぜ。もっと楽しませてくれよ、音山克樹!」
 剣を構えるように、揃えた両手を突き出す攻撃の態勢。
 あとどれくらいアリシアが戦える状態にあるのか、僕にはわからなかった。
『リーリエ。あの戦法を使う』
『でも、いまのこの子じゃ……』
『わかってる。でもこのまま負けるよりマシ――』
 イメージスピークでリーリエと相談する僕の思考を中断したのは、携帯端末の呼び出し音。
 僕や後ろにいる灯理と近藤じゃなく、金色に光るフェアリーリングの反対側の縁に立つ、猛臣から音が聞こえてきていた。
「ちっ、くそっ。……いや、まぁそうか」
 ウカノミタマノカミを操りつつも、胸ポケットからちらりと出した携帯端末の表示を見て舌打ちする猛臣は、でもニヤリと笑う。
「すまねぇな、音山克樹。たいして緊急の用件じゃねぇだろうから、このまま決着をつけたいところだが、水を注されちまった」
 鳴り続ける呼び出し音に視線だけで注意を向ける猛臣は、大きくため息を吐いた。
「何かと忙しいんでな、本当にすまねぇ。その緑のを修理して、また今度戦おうぜ。俺様の本気のドールを用意しておくからよ。じゃあな。カーム!」
 アライズを解いてピクシードールに戻ったウカノミタマノカミや武器を無造作につかんでアタッシェケースに収めた猛臣は、もう僕たちに目を向けることなく、スマートギアで電話の相手に応じつつ、広場を歩き去っていった。
 その背中が完全に見えなくなってから、緊張が解けた僕は膝に力入らなくなってその場に座り込んでいた。
「大丈夫ですか? 克樹さんっ」
「なんだあいつ。勝手に帰りやがって」
 側に来てくれた灯理と近藤のことも気にしてられず、僕は呟きを漏らす。
「負けるかと、思った……」
 それくらい、僕とリーリエには勝ち目がなかった。
 猛臣の方にはまだ余裕が感じられた上に、次は本気のドールを、たぶんイシュタルを出してくるという。
 いまの僕たちに、勝てる要素はひとつも見つけられなかった。
『おにぃちゃん』
 アリシアを操るリーリエが差し出してくれた手を取り、立ち上がる。
『次は、絶対に負けないようにしないとね』
「……そうだな」
 柔らかく微笑みながら、でもアリシアを通して揺るぎない決意の瞳を向けてくるリーリエ。
 それに応えた僕は、猛臣との再戦のためにやるべきことを考えていた。


          *


 部屋の隅で膝を抱えて座る夏姫は、膝に顎をつけてずっと動かないままだった。
 克樹を扉の外に追い出してから、ずいぶん時間が経っていた。
 扉を叩いたり声をかけてきていた彼は、いつの間にかいなくなったらしい。静まり返った部屋の中で、夏姫はひとり考える。
「アタシは、どうしたらいいんだろう」
 顔を上げた夏姫は、机の上の充電台に置いてあるブリュンヒルデのことを見る。
 見た目には以前と大きく変わっていないが、母親の春歌にもらったときとはすっかりパーツが入れ替わってしまったヒルデ。
 春歌が生きていたときと同じなのは、メインフレームと、フェイスを除く首から上のパーツだけだった。
 克樹には勢いで猛臣にスフィアを売ると言ってしまったが、どんなに考えてもそれ以外の方法を、夏姫は思いつくことができない。
 いまはエリキシルスフィアとなった、スフィアカップのときに贈られたスフィアは、春歌と一緒に手に入れたもの。エリキシルバトルのことがなくても手放したくはなかった。
「でも、パパにまで死んでほしくないよ……」
 いまのままで行けば、保険金を手に入れるために、会社は謙治の治療を辞めてしまうだろう。
 もう一年以上まともに会っていなくて、春歌の死の遠因となり、葬式すらもまともに出ずに逃げるように出ていった謙治。
 恨みこそあれ、一緒に暮らしたいなどとは思えなかったが、死んでほしいとは思えなかった。小学校の頃、まだちゃんと仕事をしていたときの優しい謙治のことも、夏姫は忘れることができなかった。
 母親に続いて、唯一となった肉親を、失いたいとは思えなかった。
「克樹は、アタシのことが好きだったんだな」
 告白してきたときの彼の顔を思い出す。
 バトルをしているときよりも真剣で、真っ直ぐで、夏姫のことだけを見てくれていた彼。
 灯理に身体を寄せられて少し迷惑そうに、少し嬉しそうにしている彼とも、リーリエと仲良く喧嘩をしている彼とも違っていて、言葉以上に気持ちが伝わってきた。
 嬉しくて、本当に嬉しくて、克樹に全部を預けてしまいたくなったけれど、それはできない。
 夏姫では一生かかっても返しきれるかどうかわからないような金額を、彼に肩代わりしてもらうわけにはいかなかった。
 克樹はおそらくそんなことは気にしないだろう。何があっても大切にしてくれるだろう。そう思える。
 けれども克樹にそんなに大きなことを頼ってしまった夏姫は、もう彼の目を真っ直ぐに見ていられなくなってしまいそうだと感じていた。
「アタシも、アタシも好きだよ、克樹。だからこそ、この問題は、アタシがどうにかしなくちゃならないの。克樹のことを、真っ直ぐに見ていられるように、ね」
 嬉しさと、悲しみの籠もった笑みを浮かべて、夏姫は立ち上がる。
 ヒルデの隣に置いてある携帯端末を手に取り、登録しておいた電話番号をリストから選び出す。
「一度別れることになるかも知れないけど、またいつか会おうね、克樹。そのときは、真っ直ぐに克樹の目を見ていられるようにするから」
 ここにはいない克樹に呼びかけながら、夏姫は発信ボタンを指でタッチした。

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