神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第二部 第五章 フレイとフレイヤ

第二部 黒白(グラデーション)の願い 第五章 3

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       * 3 *


「ただいま」
 何となくそう声をかけて家に入ると、バタバタと足音を立てて二階から近藤が下りてきた。
「大丈夫なのかよ、近藤」
「あぁ。まだ目がかすれた感じになってるが、もうだいたい見える。それよりもっ」
 だいたい大丈夫と言いながら手すりにつかまって階段を下りてきたこいつの言葉を信じる気はないが、充血してるが僕をちゃんと目を向けてきてるくらいだから、見えてきてるのはわかる。
「ほらよ」
 荷物が増えてぱんぱんになってるデイパックからアタッシェケースを取り出し、渡してやる。
 開いて中身を見た近藤は、感極まったみたいに表情を歪ませ、ケースを閉じて胸に抱き締めた。
「ん、よかった……」
「まぁな」
 近藤に釣られたように瞳を揺らしてる夏姫に、小さく息を吐く。
「何笑ってんのよ! 別にいいじゃないっ。アタシも嬉しかったんだから!!」
「何も言ってないだろ。それより近藤、大丈夫だったらベッドは空けてくれ。眠い……」
「いや、オレはもう帰るよ。明日には大丈夫になってるだろうし、もう帰る準備をしてたところなんだ」
「大丈夫なの? 本当に」
「あぁ」
 まだ少し目尻に涙を残しつつも、笑って見せる近藤。
 完調とはいかないだろうが、確かにもう大丈夫そうだった。
『夏姫はどうするのー? もうひと晩泊まってく?』
「んー。アタシも一回帰る。明日また勉強会やるんでしょ? 早めの時間に来るようにする」
『そっかぁ。わかったー』
 何だか残念そうにも聞こえるリーリエの声。
 玄関先で話し込んでた僕は、大きな欠伸を漏らして靴を脱ぐ。
「帰るなら帰るで好きにしてくれ。僕は寝る」
「ん。近藤の家はアタシの家の先だから、途中まで送っていくよ」
「済まない。頼む」
 もうすっかり準備万端らしい近藤が、アタッシェケースを鞄に収めて靴を履いた。
 僕を通り越して階段を駆け上がっていった夏姫を追って、二階に向かう。
 寝室の扉に手をかけたところで、もう帰る準備が終わったのか、奥の寝室から出てきた夏姫とすれ違う。
「終わったね、克樹」
「あぁ」
「今回も、いろいろあったね」
「そうだな」
「今後のことはどうするの? 灯理のこととか、バトルのこととか」
「あんまり考えてない。というか、いまは考えたくない。とにかく眠いんだ」
 灯理は、公園を出た後タクシーで帰宅していった。
 複雑な表情のままだった彼女が、どんなことを考えていて、どんなことを望み、どうしていくのかはいまの僕にはわからない。
 ただ去り際、彼女は「また近いうちに会いに行きます」と言い残していた。
 ――なんかまた、面倒なことになりそうだよなぁ。
 とくに根拠のない不安が、僕の中に去来していて、小さくため息を吐いていた。
「じゃあまた明日。お休み、克樹」
「うん、お休み」
 夏姫のにっこりした笑みに、いまできる精一杯の笑みを返し、僕は寝室に入った。
 デイパックを開け、アリシアとシンシアを納めたアタッシェケースを取り出してロックを解除した。眠気で霞んでいく視界でアリシアの首筋に指を滑らせて起動し、被ったままのスマートギアのディスプレイを下ろして言う。
「リーリエ。アリシアのコントロール権とアライズ権は渡しとく。二体とも充電させておいてくれ」
『わかった、よ? おにぃちゃん?』
 天井から降ってくるリーリエの声は、いまの僕では理解できていなかった。
 ベッドまで、とか、スマートギアを脱がないと、とか思ってる間に、視界が急速に狭まって、頭の中が眠気の波に沈んでいく。
 近藤がシーツを交換して整えてくれたらしいベッドの手前で、僕の意識は途切れてしまった。




『あ、おにぃちゃん!』
 リーリエが声をかけたときには、克樹は這い寄ろうとする格好のまま、ベッドの手前で寝転がってしまっていた。
 しばらくしても動かない彼は、安らかな寝息を立てている。
『もう、おにぃちゃんっ。本当に……』
 苛立ちと呆れを含んだ声音で言い、リーリエは起動済みのアリシアとリンクして床に立たせた。
『あっらぁいず!』
 舌っ足らずな声が響き、アリシアが光に包まれて、百二十センチのエリキシルドールとなる。
 散らばってしまったデイパックの中身をまとめ、シンシアが入っているアタッシェケースも納めて、邪魔にならないよう扉の横の壁に立てかける。
 克樹に近寄ったアリシアは、彼の頭からスマートギアを剥ぎ取り、胸ポケットの携帯端末を取り出して一緒にサイドテーブルの上に置いた。
『本当に、おにぃちゃんったら』
 呟きのような言葉を漏らしながら、小柄なアリシアで克樹の身体を抱え上げ、ベッドの上に寝かせる。掛け布団を肩までかけて、ベッドの上で四つん這いになるような格好で、アリシアの身体を使ってリーリエは克樹の寝顔を間近で眺めた。
『おにぃちゃんは、優しすぎるよ』
 そんな声をかけても、克樹の反応はない。
 夜から午前中まで、平泉夫人の特訓を受けた克樹は、仮眠を三時間ほど取っただけで、完全に寝不足だった。
『おにぃちゃんが優しいのはわかるけど、いまみたいにしてたら、そのうち大変なことになっちゃうかも知れないよ? おにぃちゃんの願いを、叶えられなくなっちゃうかも知れないよ?』
 克樹の顔にかかりそうになる水色のテールを左手で掻き上げて背中に追いやり、アリシアの顔を近づけさせる。
『あたしはずっとおにぃちゃんと一緒にいたいんだ。おにぃちゃんとずっと、最後まで戦い続けていたいんだ。だから、ね? あたしも気をつけるから、おにぃちゃんも、気をつけてよ』
 優しく笑み、克樹の頬を撫でる。
 彼の息がかかるほどにアリシアの顔を近づけさせたリーリエは、言う。
『ね? 知ってる? おにぃちゃん。おにぃちゃんに願いがあるように、あたしにも、叶えたい願いがあるんだよ』
 安らかに寝息を立て、その声に反応がない克樹。
 アリシアの瞳でそれをじっと眺めていたリーリエは、彼の唇に、アリシアの唇を、そっと口づけた。

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