神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第二部 第四章 シンシア

第二部 黒白(グラデーション)の願い 第四章 1

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第四章 シンシア


       * 1 *


 鍛えた近藤よりも高いガーベラの脚力を利用して一気に距離を詰め、飛び込みながら正拳を繰り出す。
 慎重に構えを取っていた割に、慌てたように上半身を浮つかせ、忍者ドールはかろうじて警棒で拳をいなした。
 動きを止めることなく、右手を身体に引きつけつつ、首の脱臼を狙ってボクシングに近いフォームで近藤はガーベラの左手を突き上げた。
 どうにかクロスさせた警棒で、ガーベラの拳を受け止める忍者ドール。
 しかしスピードタイプらしい軽量なボディは、比較的パワータイプのガーベラの打撃で浮き上がり、灯理の家の壁へと飛んでいった。
 ――こいつ、弱いぞ。
 休む暇を与えず、近藤はガーベラを操って突撃を仕掛ける。
 警棒を投げ捨てて腰の辺りに手を突っ込み引き抜いた忍者ドールの剣を、ガーベラは左の手甲で受け流し、胴体に拳を叩き込んだ。
 夏姫から事前に暗器使いであること、動画で動きを見ていた近藤に取って、取り出す武器に意外性はなく、動きは鈍いものに過ぎなかった。
 暗器使いと知らずに戦えば苦戦を強いられていただろうが、挙動さえ見逃さなければ怖いものではない。
 克樹の強い勧めで、両腕の手甲を金属製のものにしていたのも、戦いを有利に運べている一因となっていた。
 ゆったりとした袖口から取り出した二本のトンファーに阻まれ、ガーベラの攻撃はクリーンヒットしない。
 鈍いと言ってもスピードタイプの忍者ドールは、防御に徹しられると、崩しやすい敵ではなかった。
 ――だが、このまま押し込めば勝てる。
 目が良く、しかし戦い慣れていない感じがある忍者ドールは、フェイントにもよく引っかかる。
 フェイントを織り交ぜながら打撃を加え続け、壁に背をする敵を逃さず釘付けにする。
 肩の上に掲げるように構えたガーベラの右腕に、強打を警戒してトンファーの位置を高くした忍者ドール。
 おそらくドールの視覚を通して右手に注目してるだろう、ここにはいないソーサラーの挙動。
 それを見て口元に笑みを浮かべた近藤は、低く構えたガーベラの左手を繰り出させた。
 かろうじて叩き落とされた左の拳。
 しかしそれすらもフェイント。
 身体が反るほどに肩に力を溜めたガーベラが、忍者ドールの頭に向けて右の拳を打ち下ろした。
 ――なんだ?
 一瞬、ガーベラの拳の出足が鈍った。
 それでも繰り出した攻撃は、上半身を傾けた忍者ドールに避けられる。
 お返しとばかりに腹を狙った蹴りに、ガーベラは突き飛ばされるように距離を離された。
 ――慣らしが足りてないのか?
 新品の人工筋はコマンドを受けてからの伸縮開始が微妙に遅れたり、伸縮速度が安定しないことがある。
 PCWの親父にもらった慣らし用アプリをひと晩かけて、ガーベラの人工筋は充分に慣らしが終わっていると思ったが、まだ足りなかったのかも知れない、と思う。
 ――何か、違う気がする。
 心の中で鳴ってる警笛に、近藤はガーベラを自分の側まで下げて相手の出方を観察する。
「何だと?」
 下げたガーベラの視界の隅に見えたのは、いつの間に現れたのか、暗幕を縫い合わせたような黒い衣装を纏う、身長百二十センチの人影。
 エリキシルドールだった。
 壁の上に直立していた二体目は、裾をはためかせながら地上に降り立ち、忍者ドールの隣に立った。
 スマートギアの視界の隅に表示してる距離の数字だけが表示されているレーダーには、忍者ドールとは違い、エリキシルスフィアがガーベラの約三メートルの位置にあると出ていた。
「ふたり目の敵、か?」
 自分自身も構えを取る近藤だったが、悩んでしまっていた。
 技術だけ考えればさほど強くない忍者ドールだが、人間を大きく超えるエリキシルドールの腕力で一発食らえば、骨折やら気絶くらいは覚悟しなければならない。
 ガーベラを動かしながら自分も動けると言っても、同時に戦えるわけでもない。
 危機であると同時に、チャンスだとも近藤には思えていた。
 上手く行けば二体同時に倒し、忍者ドールのレーダーで感知できない秘密も暴けるかも、と。
 まだしばらくかかるだろう克樹たちが来るまで凌ぐか、素直に逃げるかで悩んでいたとき、先に相手が動き出した。
「まずい!」
 ガーベラを無視して、二体は近藤に走り寄ってくる。
 視界を自分のみにし、忍者ドールの右、左の攻撃を紙一重で躱した近藤。
 近接からの上半身を狙った蹴りをしゃがんで避けたとき、目の前にあったのは二体目の手。
 その手に握っていた小さな円柱状の物体の上部を押し込んだのが見えたとき、噴射口から煙のようなものが発射されて近藤の顔に命中した。


          *


 近藤からいまも送られてくるGPS情報を元にタクシーを飛ばして、聞いていた灯理の家の近くまでたどり着いた。
 幹線道路でタクシーを停め、夏姫を先に下ろした僕は支払いを済ませて、昼過ぎの陽射しの下を走り始める。
 歩道はないけど車がすれ違って人が通っても充分なくらいの幅がある道を、夏姫に置いていかれそうになりながら、必死で駆けた。
 近藤からのメールが届いて、もう三十分近く経ってる。
 タクシーの中で電話をかけてみたが、応答はなかった。
 たいていのピクシーバトルの決着は数分、長くても十分程度。
 戦いが長引いたとしても、戦っていられる時間はガーベラに搭載してるバッテリじゃ、二十分がいいところだ。
 最後の角を曲がったところで見えたのは、しゃがみ込んでる灯理と、道路に倒れてる近藤の姿。
「何があったの?!」
「わ、わかりません。バトルがあったようなのですけど、ワタシが外に出たときにはもう近藤さんが倒れていたので……」
「近藤、大丈夫か?!」
 やっと追いついた僕が肩を揺すりながら声をかけるが、近藤は強く目を閉じて時折激しく咳き込むだけだった。
「早く、救急車を!」
「ま、待て……」
 かすれた声で、夏姫の言葉に近藤が言う。
「たぶん、使われたのは、防犯スプレーか、何か、だ。目と口と、鼻を洗って、しばらく休めば、大丈夫だ」
『でも誠! そんなに苦しそうなのに!』
 おろおろとしている灯理。心配する僕と夏姫に、スマートギア越しにリーリエも参加する。
「ダメだ。辞めて、くれ。いまオレは、警察沙汰は、避けたいんだ」
「……わかった。夜まで休んで良くならなそうだったら、病院行くからな」
「あぁ。それでいい」
 被っていたスマートギアのディスプレイを下ろし、僕はリーリエに指示を出す。
『ここまでタクシーを一台手配してくれ』
『うん、わかった。それと、おにぃちゃん、あそこ』
 言ってリーリエが僕の視界の一部を拡大させて見せてくれた道の端には、手の平に収まるくらいのスプレー缶が落ちていた。
 近寄って拾い上げてみると、近藤に向けて使ったんだろう、それは防犯スプレーだった。
 振ってみて中身がほぼ空になってる様子のそれを、ラベルが見えるようにスマートギアのカメラに向ける。
『成分と対処方法を検索。もし家にないものが必要だったら、買ってくるからリストにしておいてくれ』
『すぐやるね』
 検索に入ったらしいリーリエが黙った後、僕はエリキシルバトルアプリを立ち上げて、レーダーの表示を確認する。
 近くにあるエリキシルスフィアはふたつ。
 夏姫のヒルデと、近藤のところまで戻りながら距離の変化を確認してみて、灯理の家の中にあるらしい、たぶんフレイヤのものだけだった。
 近藤のガーベラの反応は、感知できなかった。
「それと、ワタシが外に出たときに、近藤さんの側にこんなものが……」
 灯理から渡されたのは、折り畳まれた紙。
 プリンタで印刷したらしいその紙に書かれた内容は、シンプルだった。
 ガーベラを預かった。フレイヤとアリシアとブリュンヒルデを持って、明日の夜に指定の場所に来るように、というもの。
 ――やっぱり、そうか。
 小さくため息を吐いた僕は、髪を夏姫に手渡しながら立ち上がる。
「近藤のことはこっちでどうにかするから、灯理は指定の時間まで、家に籠もっていてくれ」
「えっと、指定の場所まで行けばいいのでしょうか?」
「あぁ、うん。必要なら迎えに行くけど、たぶん敵もわざわざ場所と時間を指定してるんだ、明日までは動かないだろう」
「……わかりました」
 近藤の鞄を拾い、夏姫と一緒にでかい身体に肩を貸して、立ち上がらせる。
「いいの? 灯理をひとりになんてして」
「たぶん、ね。ガーベラを持っていったなら、忍者の方はレーダーに引っかからなくても、ガーベラは感知できるからね」
「あぁ、そっか」
 近藤の身体に隠れるように囁いてくる夏姫にそう答え、僕は自分の眉根にシワが寄るのを感じていた。
 ――明日まで、あんまり時間がないな。
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