神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第二部 第一章 フレイヤ

第二部 黒白(グラデーション)の願い 第一章 2

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       * 2 *


「やっぱりオレって莫迦だよなぁ」
「そんなの最初からわかってたことだろ」
「……少しはフォローしてくれよ」
「えぇっと、さすがにそれは無理かも」
「うぐぐっ」
 僕の言葉と夏姫の追い打ちに、近藤はがっくりと肩を落として俯いた。
 ゴールデンウィーク中にも部活をやってる奴らがいるから下校時間にはまだ余裕があったけど、夕食とかのことを考えて早めに僕たちは自習室を出て、昇降口で靴に履き替える。
 勉強時間が足りてない感じの夏姫は休み中にがっつり勉強すれば追試はパスできそうな具合だったけど、近藤の方と言えば、中学の頃から空手一筋だったらしく、高校一年の勉強どころか中学の勉強からやり直さないと無理そうで、追試のパスは現状では微妙なラインに立っていた。
「でもなんでそんなに頑張るの? 近藤。さすがに赤点連発で留年ってわけにはいかないだろうけどさ」
 先に靴を履き替えて扉のところに立ち、振り向いた夏姫が小首を傾げながらそう問うてくる。
 相変わらずのポニーテールで、少し大きめの制服は胸を強調する形のジャンパースカートなのに、彼女の割と大きい胸を引き立てるには至っていない。しかし短いスカートから伸びる引き締まった脚は、肌がうっすらと透けている黒のストッキングに包まれ、靴を履き替える手を止めるのに充分なくらい魅力的だ。
 ちらりと見ると、夏姫のことを見てるわけじゃない近藤は、少し考え込むようにしていた。
「あのことがあって、この先どうするかってのは親とかとも話したんだが、一応大学は目指すってことになってな。できたらオレは大学に入ったら空手を再開したいと思ってる。空手部は退部したが、信じてくれる先輩が自宅の道場で稽古にもつき合ってくれたりしてるからな。ちゃんとした大学に入りたいと思ってるんだ」
「色々考えてるんだな、お前も」
「まぁな」
 昇降口を出た僕たちは、いまは誰も使ってない校庭を避けるようにして、脇の舗装路の上を校門に向かって歩いていく。
「将来、かぁ。アタシはどうしよ。大学とかまだぜんぜん考えてないなぁ。っていうか、行けるのかな、大学」
「何でだ? 夏姫」
「んー。ほら、うちっていまけっこうキツいし、奨学金とかもらえるほど頭いいわけでもないしね。行きたいとは思うけど、どんなとこって考えると、これっての思いつかないし、行けるかどうかもわかんないし。克樹はどうなの?」
「僕は理数系か工学系のとこに行くのは決めてるけど、どこにするかまでは絞ってない」
「克樹は頭いいもんねぇ。好きなとこいけるか」
「そこまでじゃあないけどね」
 そんな他愛のない話をしながら、春にしては少し強い陽射しの下を、僕たちは歩いていく。
『おにぃちゃん! 気をつけてっ。エリキシルスフィアの反応が近づいてる!!』
 突然僕の耳をつんざくように発せられたリーリエの声。
 即座に携帯端末をシャツのポケットから取り出して見てみると、右上のアイコンにエリキシルスフィアの距離を示すバトルアプリの表示が現れていた。
「近くにエリキシルスフィアが現れた。どんな奴かはわからないが、どんどん接近してきてる」
「え? どういうこと?」
「敵か?」
 慌ててる様子のふたりに声をかけつつ、僕は担いでる鞄からスマートギアを取り出し、イヤホンマイクを耳から外して、被る。ケーブルで携帯端末に接続しつつ、まだ鞄の中にしまったままのケースに手を伸ばし、ロックを解除してすぐに取り出せるようにした。
 椎名さんのワインレッドのスマートギアを近藤が被り、フルタッチタイプの携帯端末を取り出してエリキシルバトルアプリを夏姫が立ち上げてる間にも、スマートギアの視界の中に表示してる出現したスフィアの距離は近づいてきている。
 いま僕の近くにあるのは、近藤のガーベラと夏姫のブリュンヒルデのふたつスフィア。接近中の三つ目のスフィアは、車というほどには速くなく、走っているにはずいぶん速いくらいの速度で数字が減っている。どうせなら方向表示もあればいいと思うが、わざとそういう制限をしているのか、エリキシルバトルアプリのレーダー表示は距離の数字しか表示されていない。
 それぞれに鞄の中に手を突っ込んで自分のピクシードールをつかんで、すぐ取り出せるように構えているとき、まだ二十メートルほどある校門のところに人影が現れた。
 走ってきているのは、純白を基調に黒で彩られた、ゴシックロリータ調の衣装を纏った小柄な人影。アライズ済みのエリキシルドールだ。
 百二十センチほどしかないドールは、女の子を横抱きにし、地面に着きそうなほど長い髪をなびかせながら走り寄ってくる。
 ベージュよりももう少し白い、クリームホワイトと深緑の縁取りがされた女の子が身につけてる服は、どこだったか忘れたけど、近くの高校の制服だったはずだ。
 頭には純白のヘッドギアタイプのスマートギアを被ってる彼女は、たぶんゴスロリ衣装のエリキシルドールのソーサラーなんだろう。
 ――医療用スマートギア?
 襲いかかってきてると言うより、逃げてきてる感じの女の子に、どう反応していいのかわからないらしい近藤と夏姫の間で、僕は彼女が被っている純白のスマートギアに入った細い赤線に注目していた。
「助けてください!」
 ドールの腕から降り立った彼女は、そう叫びながら焦げ茶色のローファーでアスファルトを蹴って僕たちの元へと駆け寄ってくる。
 ゴスロリ衣装のドールは、校門の方に振り向いて彼女を守るようにして立った。
「助けてくれ、だって?」
「襲われてるの?」
 僕たちの手前で立ち止まって、顔を見合わせてる近藤と夏姫に視線をやった女の子は、それから僕のことを見て、飛びつくように近寄ってきた。
「えっと、音山克樹さん、ですよね?」
「あ、うん。そうだけど……」
「助けてください! エリキシルドールに襲われているのです!!」
 繊細でふわりとした緩いウェーブのかかった髪を腰の辺りまで伸ばし、ボレロ風の上着の上からでもわかるくらい大きな胸を押しつけるように、僕の制服にしがみついて身体をくっつけてきた。
 高校二年としては平均よりちょっと高いくらいの夏姫と違って、彼女はずいぶん小柄で、膝下くらいのスカート丈から伸びる薄茶色のストッキングに覆われた細い脚とか、胸はかなり大きいのに狭い肩幅とか、かなり女の子らしい可愛らしさがあった。
 同時に、制服も含めた彼女からは、どこかのお嬢様のような雰囲気が漂っている。
「どういうこと?」
 目元はスマートギアで覆われて見えないけど、引き結ばれ、でも微かに震えてる唇から、まだ名前もわからない彼女が必死で、切羽詰まってることはわかる。
 けれどいまここにあるアリシアを含めた四つ以外に、エリキシルスフィアの反応はないし、いったいどういうことなのかわからず、僕はどう反応していいのかわからないでいた。
『おにぃちゃん! なんか来たっ』
 リーリエの警戒の声がヘッドホンから響いたのと同時に、すぐ横にある壁を乗り越えて現れたのは、人影。――いや、エリキシルドール。
 やっぱり小柄な百二十センチだから、たぶん元は二十センチサイズだろうそのドールは、襞の多い黒いドレスのような衣装で全身を包み、仮面のような白い無貌を僕たちに向けてきた。
「なんなの? こいつ。スフィアの反応がないっ!」
「こっちもだ。本当にエリキシルドールなのか?」
 動揺する夏姫たちだが、僕にしがみついてる女の子は身体を震わせ、さらに僕に身体を押しつけてくる。
 夏姫もけっこう胸はあったが、服の上からでもわかる柔らかさにいまの緊迫してる雰囲気とは別のものを感じつつ、僕はアリシアを取り出して手の平に構えた。
『本当にエリキシルドールなのか? リーリエ』
『うん。スフィアの反応ないけど、そうだよ』
『わかった』
 イメージスピークで話し、アリシアの操作権限をリーリエに解放した僕は叫ぶ。
「フェアリーリング!」
 僕の声に反応して、敷地の端を通るアスファルトの道から校庭にはみ出すように、光るリングが地面に広がる。まだ校舎には先生とかがいるから、いまの状況を見られるのはあんまりよくない。
 ――でも、どうしてだ?
 エリキシルバトルの参加資格は、エリキシルスフィアを持ってること。それは絶対に必須のはずだ。
 アライズして巨大化したドールには必ずエリキシルスフィアが搭載されていて、レーダーで感知できるはずなのに、目の前に現れたドールにはその反応がなかった。
 近くにいるはずのソーサラーの姿もない。
 それはたぶんスマートギアでドールの視覚を使い、遠隔操作をしてるからだと思うけど、無線でスフィアドールを操作できるのは、特に強化したものを使ってない限り、せいぜい数十メートルのはずだ。
 僕にはこのエリキシルドールの正体が、わからなかった。
「克樹。本当にこいつ、エリキシルドールなの?」
「うん。どういう理屈かわからないけど、リーリエがそう言ってる。やるぞ」
「あぁ、わかった!」
 近藤が応えるのと同時に、取り出したドールを手にし、僕たちはそれぞれの願いを込めて、唱えた。
「アライズ!!」
 白いソフトアーマーを水色のハードアーマーで覆い、水色のツインテールを垂らしたアリシアが光を放つ。
 リーリエのコントロールによって地面に降り立ったときには、百二十センチのエリキシルドールへと変身していた。
 左隣には黒いソフトアーマーに濃紺のハードアーマーの、黒く長い髪をした身長百五十センチのブリュンヒルデが、左隣にはワインレッドの胴着にも見えるアーマーに身を包むアリシアと同じサイズのガーベラが立った。
「エリキシルドールが、三体も?」
「詳しい説明は後だ。いまはあいつを倒す」
 驚きの声を上げる女の子にそう言って、僕はリーリエに呼びかける。
『こっちにはふたりも味方がいるから、情報収集を優先。あいつの秘密をできるだけつかむんだ』
『ん、わかった』
 白いドールは僕と女の子のすぐ前に立ち、何もない腕を広げて守るように立っている。
 僕たちのドールを挟んだフェアリーリングの縁に立つ黒いドールは、やっぱり手に何も持たず、警戒するようにゆっくりと横に移動しつつも、構えを取る様子はない。
「夏姫」
「わかった。アタシが戦う」
 名前を呼ぶだけで意図を汲み取ってくれた夏姫が、一歩前に出て、ヒルデを黒いドールにすり足で接近させつつ、腰に佩いた長剣を抜かせて構えを取らせた。
 ――どんなタイプの戦いをする奴なんだ?
 人が着るドレスと違って、胸が開いてたり肩が見えてたりすることはなく、広がった袖で手の半分までが隠れ、スカートの裾は足首近くまで伸びていた。
 服装はドレスのようなのに、どこか忍者を思わせるのは、顔以外黒い色をしてるからってより、その雰囲気からだろうか。
 腰にも肩にも背中にも武器を持っていないからと言って、格闘タイプとは限らない。衣装からすると何か別の攻撃方法をしてきそうだったが、見た目だけでは判断ができなかった。
『あっ。逃げる!』
 しばらくの間、僕たちを観察するようにしていた黒いドールは、わずかに屈んだかと思ったら、後ろに飛び退き、フェアリーリングから飛び出して現れたのと同じように、壁を乗り越えていった。
「……なんだったんだ? あいつは」
「わからない」
 少しの間待ってても、再び黒いドールが現れることはなかった。
 まだ警戒をしてるらしい近藤がちらりと振り向きながら言うのに、何もわかってない僕はそう答えるしかなかった。
「ねぇ、そろそろ克樹から離れない? えぇっと、自己紹介もまだか」
『うんっ、そうだよ! おにぃちゃんから離れてよ!』
 夏姫の言葉に、外部スピーカーをオンにしてないから僕の耳元だけで、リーリエも同意の言葉を発している。
「そうですね。たぶん、もう大丈夫です。助かりました……」
「うわっと」
 寄せていた身体を話した女の子は、でも力が入らないように膝を崩れさせる。
 思わず僕は、彼女の身体に腕を回して支えていた。細いのに、でも柔らかい身体が再び僕に密着する。
「克樹っ!」
『おにぃちゃんっ』
「いや、仕方ないだろぅ」
 非難の声が僕に突き刺さるが、膝を震わせてる女の子は立てそうにもない。
 近寄らせた自分のドールと手をつなぎ、「カーム」と唱えてアライズを解除した彼女は、僕の顔を見つめながら言った。
「あ、ありがとうございます……。えぇっと、ワタシは中里灯理(なかざとあかり)です。音山さん、助かり、まし、た……」
 そこまで言った彼女、中里さんの身体から、力が抜けた。
 軽いと言っても鍛えてない僕じゃ一緒に倒れ込みそうになるのをどうにか堪え、鋭い夏姫の視線と、何も言ってないのにヘッドホンから発せられてる気がする圧力を感じつつ、気を失ったらしい中里さんの身体を支えていた。


          *


 喉をコクコクと慣らし、中里さんはコップに入った麦茶をひと息に飲み干した。
「ありがとうございます……」
 コップをテーブルに置き、ソファに座る中里さんは深く頭を下げた。
 気を失った彼女は本当は病院にでも連れて行った方が良かったんだけど、エリキシルバトル絡みとなると事を荒立てるのもどうかと思って、学校から一番近い僕の家に連れてきていた。
 もちろん、小柄と言っても僕じゃ抱えられないから、一番力持ちの近藤に運んでもらったわけだけど。
 LDKのソファに寝かせて、しばらくして目が醒めた彼女に麦茶を振る舞ったところだった。
「それでその、先に確認させていただきたいのですが、三人ともエリキシルソーサラーなのですか?」
「あぁ、うん。そうだよ」
「どうしてですか? エリキシルバトルは、スフィアを集めて願いを叶える戦いですよね? どうして三人ともまだバトルの参加者でいられるのです?」
 活発で元気のいい夏姫や、スポーツ少女の遠坂と違って、おっとりした感じで少しゆっくり目の口調で話す中里さんは、眉根にシワを寄せていた。
 彼女の疑問は当然と言えば当然だろう。
 昨日の夜にエイナが現れたときも確認されたことだけど、エリキシルバトルはスフィアを賭けて戦い、自分の願いを叶えるためにエリクサーを得るためのもの。
 僕は僕の考えでスフィアを奪い取ってないわけだけど、他の参加者から見たら疑問に感じるのは当然だと言えた。
「まぁ、ちょっと理由があって、この浜咲夏姫と、近藤誠は僕の仲間で、ふたりともエリキシルソーサラーだ」
「うっ……。うん、そうだね。アタシは克樹の仲間だよ」
「あぁ、まぁ。仲間、だな」
 少し言葉を詰まらせつつも僕の座るソファの隣の夏姫が言い、ひとり掛のソファに座る近藤は鼻の頭を掻いていた。
『あたしもおにぃちゃんと一緒にいるよー』
「え? どこから、声が?」
 天井近くのスピーカーから降ってきた声に、中里さんは周囲を見渡す。
「あぁ、うん。いまの声はリーリエ。さっき水色のドールがいただろ?」
「えぇっと、はい」
「それを動かしてる、……フルオートシステムみたいなものだ。僕のアリシアのソーサラーだよ」
「そうなのですか。それはその、エイナさんと同じような感じの、人工個性とかそういうものですか?」
「まぁ似たようなものと考えてもらえばいい。それよりも、何故襲われてて、どうして僕のところに助けを求めてきたのか、説明してくれ」
「はい……」
 顔を俯かせて黙り込んだ後、顔を上げた中里さんは話し始めた。
「去年の十月末、エイナさんが現れて、ワタシはエリキシルバトルに参加することにしました。それからこれまで、誰とも戦ったことはなかったのですが、最近になってあの黒いドールが現れるようになって、フレイヤで戦っていたのですが、あちらはレーダーで感知できないので、ここ最近はあまり外に出られなくなっていたのです」
「フレイヤってのは、中里さんのドール?」
「あ、はい。そうです」
 中里さんと一緒に持ってきたピクシードールは、いまは彼女が方から掛けていた鞄の中に入ってたドール用のアタッシェケースに収まっている。
 ケースを取り出し開けて見せてくれた中には、さっきの白く、黒で印象づけられた衣装の、バトル用というより昔ながらのフィギュアドールのようなピクシードールが収まってる。
 目をつむってケースの中に横たわる彼女のフレイヤは、たぶんHPT社の最新型、僕がいまアリシアに試験型を取り付けてるヒューマニティフェイスが使われていた。
 第五世代パーツを使ったドールだと思うし、衣装の下にはハードアーマーを身につけてる感じはあったけど、広がった膝下丈のスカートとか、ひらひらの多い衣装はどう見ても戦いに適した感じはしない。
「音山さんのことは以前から近くに住んでいることはわかっていて、エリキシルソーサラーだと思っていたのですが、戦いを挑めないでいて……。そのうちにあの黒いドールが現れるようになったのです」
「僕に戦いを挑もうと思ってたのに、なんで助けを求めてきたの?」
「それは、えっと、レーダーで感知できないあのドールとちゃんと戦うことができない上、ゴールデンウィーク中はワタシの両親がどうしても外せない用事で不在になってしまって……。本当は敵同士だというのはわかっているのですが、家も安全ではなくなってしまったので、それで……」
 暗い表情で下を向く中里さんに、僕はため息を吐いていた。
 ――やっぱり僕は目をつけられやすいのか。
 スフィアカップの地方大会で優勝していて、百合乃を誘拐された上に亡くしている僕は、客観的に考えればエリキシルソーサラーである可能性が高いと判断されても仕方ない。
 エイナに言われたことが、まさに実現してることに、僕は若干の不満を感じていた。
『でもどうして灯理はエリキシルソーサラーなの? スフィアカップに参加してないよね?』
「そう思えばそうだよね」
「中里灯理……。中里灯理……。いや、いいか。確か中里さんの名前は、スフィアカップの優勝者、準優勝者になかったはずだ」
 リーリエが発した疑問の言葉に、夏姫が同意し、彼女の名前を何故か呟いていた近藤も頷きながら言う。
 それについては僕も疑問に感じていた。
 特別なスフィアを持つ者は、スフィアカップの出場者に限らない可能性も考えていたけど、中里さんはまさにその出場者ではないエリキシルソーサラーだ。
 いつどうやってエリキシルスフィアを手に入れたのかは、彼女の名前を聞いて、リーリエに情報を確認してもらってから、疑問を感じていた。
「それもそうだし、その制服、確か隣の区の高校のだよね?」
「はい。ワタシはそこの、美術科に通っています」
「それにそのスマートギアは、医療用のものだよね?」
「はい。その通りです」
 いまも彼女が被っている純白に、細くて赤い線が横に引かれたスマートギアは、普通のスマートギアじゃない。
 通常はスマートギアを公道上で被って乗り物に乗ったり歩いたりすることは禁止されてるけど、確か去年辺りに法改正されて、医療用の身体機能補助するものについては使用が認められるようになっていた。通常のものとは区別するため、白地に赤い横線が引かれたデザインが義務づけられていたと思う。
 法改正は先にされてるけど、医療用スマートギアの実物を見たのは僕は初めてだった。まだ市販はされてなかったと思うし、臨床試験を行ってるって話もどこかであった、程度の記憶しかない。
「中里灯理って……、天才少女画家の、あの中里灯理さんか?!」
 そんな声を上げたのは、近藤。
「誰だ? それ」
「アタシも聞いたことある。確か小学校の頃からコンクールとかで名前出てたよね? 中学のときには海外でなんかの賞取ったとか。風景画が得意なんだっけ? あの学校に通ってるって、確か前にテレビで言ってた。知らないの? 克樹」
「いや、ぜんぜん」
「オレも梨里香から聞いたことがあるだけなんだが、凄く繊細な絵を描く女の子だ、って話だ」
「へぇ」
 夏姫も近藤も知ってるみたいだが、絵画に興味なんてない僕は中里さんの名前を聞いたことがなかった。
 ふたりの驚いた顔を見る限り、どうやら有名人らしいことはわかる。
 彼女の顔を見てみると、目はスマートギアに覆われて見えないからよくわからなかったが、どこか寂しげに感じる笑みを口元に浮かべていた。
「順番にお話します」
 言って深く息を吐き、顔を上げた中里さんは話し始めた。
「絵を描くためにいまの高校の美術科に入って少し経った頃、ワタシは交通事故に遭いました。怪我そのものはたいしたことはなかったのですが、頭を打って目が見えなくなってしまったのです」
「じゃあそのスマートギアは、視覚補助用?」
「はい。頭を打った際に何か脳か神経に異常が出てしまったらしく、検査でも原因が突き止められず、本来の視覚を回復させる方法はわかりませんでした。そんなとき、ワタシには適正があるということで、この視覚補助用のスマートギアの臨床試験の被験者になることになったのです」
「なるほど」
 僕たちソーサラーにとってはピクシードールを操作するデバイスとして主に使ってるけど、スマートギアの使用方法はそれだけじゃない。
 ポインタ機能とその応用を使った複合マンマシンインターフェースであるスマートギアは、ディスプレイやキーボードやマウス、ポイントマットなどのBICデバイスをすべて内包した端末用統合デバイスとしての利用が一番大きい。
 決して安くないし利用には慣れや熟練が必要だから使ってる人はそんなに多くないけど、仕事やゲームなど、いわゆる端末作業で使ってる人の方が、スフィアドールの操作で使ってる人よりも遥かに多い。
 他にも現実の視界のようにして使えるスマートギアは、SF世界にあるようなダイブとかはできないにしても、仮想視覚による機械の遠隔操作に利用されたり、戦闘機や戦車などの軍事用途でも利用されつつあったりする。
 それから中里さんのように、医療用スマートギアというのも、開発が続けられている。
 ポインタ操作のために脳波を受信する機能しかないスマートギアだけど、医療用のものではそれを使ったコミュニケーションデバイスとしてや、さらに脳や神経に情報を送信して失われた視覚や聴覚を得る実験が行われていると、業界のニュースで見たことがある。
 まだ実用化には時間がかかるはずだと言う話だったけど、中里さんはそうした医療用の、神経情報送信型のスマートギアの実験タイプなんだろう。
「その実験の一環として、ワタシはスフィアドールの操作を行うようになりました。それで、ピクシーバトルに興味が出てきて、ピクシードールに触れるようになったのです」
「フレイヤに搭載されてるエリキシルスフィアは、誰からもらったの?」
「えぇっとそれは、名前などは聞いていないのですが、スフィアロボティクスの女性の方から、実験の成果が上がっているからと、昨年の夏頃に最新型のスフィアをいただいたのです」
「なるほどね」
 不安げな顔をしている中里さんが本当のことを言ってるのか、嘘を吐いているのかはわからない。
 でもひとつだけ確かなことがある。
 ――エリキシルソーサラーは、スフィアカップの出場者だけじゃない。
 たぶん中里さんが言うSR社の女性ってのは、モルガーナ自身か、モルガーナに直接関わってる人物だろう。
 どういう意図で彼女にエリキシルスフィアを渡したのかはわからない。でも何か、モルガーナには彼女をバトルに参加させる理由があるように思えていた。
「言いたくなければ答えなくていいけど、中里さんの願いは、その目を治すこと?」
「はい。その通りです」
「そっか」
 死んだ人を生き返らせたい。見えなくなった目を治したい。ふたつは違うものだけど、失ったものを取り戻したいという意味では同じだ。
 エリクサーが起こすことができるという命の奇跡は、人を生き返らせることだけじゃなく、彼女の目を治すことにも有効なのだろう。
 そうした願いがあったからこそ、モルガーナはエリキシルスフィアを中里さんに渡したんだろうとは思う。
「あの、それで、お願いがあります」
 ローテーブルに顔が着きそうなほど頭を下げ、中里さんは言う。
「皆さんはエリキシルソーサラーで、戦わなければならない相手だというのはわかっています。けれど、あの黒いドールは、あまりちゃんとバトルをしたことがないワタシでは戦えませんし、レーダーで感知できないので奇襲をされると危険なのです。どうかあのドールを倒すまで、ワタシに協力してほしいのです」
 頭を下げたままの中里さんを見、難しい顔をした夏姫と近藤が僕に視線を飛ばしてくる。
『どうするの? おにぃちゃん』
 リーリエからかけられた声に、僕が判断しなくちゃならないんだろうと、諦めてため息を吐いた。
「わかった。あのドールの正体を暴いて、倒すまでは、僕たちは中里さんに協力するよ」
「ありがとうございます!」
 顔を上げた彼女は、魅力的なサイズの胸に左手を当て、安堵の息を漏らして微笑んだ。

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