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第一部 第二章 ファイアスターター
第一部 天空色(スカイブルー)の想い 第二章 5
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* 5 *
「百合乃?」
追いかけていた車が突然止まった。
車の通りが途絶えた深夜と言っていい時間の国道で、車はハザードランプを点滅させて止まっている。
自転車のペダルを必死で漕いで近づくと、運転席のドアともうひとつ、後部座席のドアが開いてるのが見えた。
それから、歩道にぼろ布の塊のような、小さな影。
「百合乃ーーっ」
疲れ果てた足をさらに酷使して、僕は車から降りた人物が小さな影に近づく前にその場所に駆けつける。
勢いを殺さずに飛び降りるようにして自転車を投げ出し、その影に近づいて抱き起こす。
お気に入りだった花柄のワンピースは、こすれてぼろぼろになっていた。綺麗に切りそろえられた髪も乱れていて、それから、いろんなところから血が出てきていた。
手を伸ばそうとしていた男を睨みつける。
首から頬にかけて火傷の跡のようなものがある貧相な顔をした男は、僕の視線に小さく悲鳴を上げて手を引っ込めた。
――こいつが、こいつが百合乃を!
捕まえようと手を伸ばす前に、顔を引きつらせたそいつは、車に引き返していって乗り込み、スリップ音をさせながら去っていった。
「おにぃちゃん?」
「百合乃!」
いつもの少し間延びした、でもいつもと違ってものすごく弱々しい呼び声に百合乃のことを見ると、苦しそうにしながらも笑っていた。
「来てくれた、んだ」
「当たり前じゃないかっ。……だから、だからもう大丈夫だっ。すぐに病院に連れて行ってやるから、それまで我慢するんだ!」
百合乃を抱いていない左手でポケットの中を探ってみるけど、携帯端末はどこかで落としたのか、見つからなかった。車の通りも多くないここじゃ、すぐには救急車を呼ぶこともできそうになかった。
「おにぃ、ちゃん?」
苦しそうに震える手を伸ばしてきた百合乃が、僕の頬に触れる。
暖かいその手を握って、僕はもう、百合乃のことをハッキリ見ることができなくなっていた。
「許せない……」
百合乃を掠って、こんなことをした奴のことを、僕は許せなかった。
殺してやりたかった。
いや、絶対に殺すと、百合乃の手を握りながら、僕は誓っていた。
「嬉し、かったよ、来て、くれて。それだけで、あたしは、充分、だよ……」
「何言ってるんだっ! 助かるっ、お前は僕が助けるから!」
本当に嬉しそうに、いつものあの、ふんわりとした笑みを浮かべる百合乃。
でもそれが本当に、僕には悲しかった。
流れ出す血は止まりそうもなかった。
小学六年生にしても成長の遅い百合乃は軽かったけど、いまはいつもよりもさらに軽くなってしまっている気がした。
「ありがとう、おにぃちゃん。いままで、本当に、ありがとう……」
「百合乃! ダメだ。しっかりするんだっ」
「だから、さようなら」
「あぁ!」
百合乃が口をすぼめて、僕の言葉を待つ。
いつも何か言ってほしいことがあるときは、こいつはこうするんだ。
言いたくない。でも、言わないと、こいつは納得しない。だから、だから僕は――。
「さようなら、百合乃。僕も、僕も本当に、ありがとう……」
涙がこぼれてきて、もう目を開けていられなかった。
百合乃の顔をずっと見ていたかったのに、でも僕は、彼女の顔をちゃんと見ていることができなかった。安らかに目を閉じる百合乃の顔が、あふれた涙で見えなくなっていた。
頬に伸ばされていた手の力が失われて、腕がくたりと地面を叩く。僕は物のように力を失ってしまった百合乃の身体を両腕で抱き寄せる。
まだかすかに動いている音がする心臓はでも、いまにも止まりそうだった。
「どうかしたのかしら?」
そう声をかけられて振り向く。
いつの間にやってきたのか、赤いスポーツカーが止まっていた。
降りて側にやってきていたのは、女性。
夜の闇に沈む黒い髪をなびかせて、黒い瞳の周りの白目がまるで光ってるようで、そしてその笑ってるみたいにつり上げられた鮮やかな紅い唇は、まるでいまの状況を楽しんでるかのようだった。
「魔女……」
「ふふっ。失礼ね」
思わず呟いてしまった僕の言葉を笑うその女性。
会社帰りか何かなのか、黒いスーツ姿の女性が百合乃の方に目を向ける。
「その子、怪我をしているのね。いいわ。近くの病院まで連れて行ってあげる。車に乗りなさい」
「う、うん……」
何となく、不安に思った。
すぐに百合乃を病院に連れて行ってあげないといけないのはわかってるのに、僕は彼女の誘いに乗ることに、なんでか恐怖を覚えていた。
それでも、背に腹は代えられない。僕は魔女に誘われて、車に乗り込んだ。
たぶん僕はそのとき、その車に乗るべきじゃなかったんだと思う。
それが魔女との最初の出会い。
あのあと起こったこと、起こされたことを考えれば、僕は後悔をしない日はないと言ってもいいくらいだ。
でもおそらく、僕が僕であり、百合乃が百合乃である限り、いつかは魔女に出会っていたのかも知れない。
たぶんあいつとの細い関係を断ち切ることは、できないんだろうとは思う。断ち切れないように、僕が望んでしまっているから。
ただもう一度魔女と直接対面したいとは思わない。
会って良いことがあるとは思えない。
でも僕は魔女との再会を望んだ。
今回のことは、いやもしかしたらもっと以前から、魔女は仕込んでいたのかも知れない。
それを問いただすために、僕は魔女と会わなくちゃならなかった。
「百合乃?」
追いかけていた車が突然止まった。
車の通りが途絶えた深夜と言っていい時間の国道で、車はハザードランプを点滅させて止まっている。
自転車のペダルを必死で漕いで近づくと、運転席のドアともうひとつ、後部座席のドアが開いてるのが見えた。
それから、歩道にぼろ布の塊のような、小さな影。
「百合乃ーーっ」
疲れ果てた足をさらに酷使して、僕は車から降りた人物が小さな影に近づく前にその場所に駆けつける。
勢いを殺さずに飛び降りるようにして自転車を投げ出し、その影に近づいて抱き起こす。
お気に入りだった花柄のワンピースは、こすれてぼろぼろになっていた。綺麗に切りそろえられた髪も乱れていて、それから、いろんなところから血が出てきていた。
手を伸ばそうとしていた男を睨みつける。
首から頬にかけて火傷の跡のようなものがある貧相な顔をした男は、僕の視線に小さく悲鳴を上げて手を引っ込めた。
――こいつが、こいつが百合乃を!
捕まえようと手を伸ばす前に、顔を引きつらせたそいつは、車に引き返していって乗り込み、スリップ音をさせながら去っていった。
「おにぃちゃん?」
「百合乃!」
いつもの少し間延びした、でもいつもと違ってものすごく弱々しい呼び声に百合乃のことを見ると、苦しそうにしながらも笑っていた。
「来てくれた、んだ」
「当たり前じゃないかっ。……だから、だからもう大丈夫だっ。すぐに病院に連れて行ってやるから、それまで我慢するんだ!」
百合乃を抱いていない左手でポケットの中を探ってみるけど、携帯端末はどこかで落としたのか、見つからなかった。車の通りも多くないここじゃ、すぐには救急車を呼ぶこともできそうになかった。
「おにぃ、ちゃん?」
苦しそうに震える手を伸ばしてきた百合乃が、僕の頬に触れる。
暖かいその手を握って、僕はもう、百合乃のことをハッキリ見ることができなくなっていた。
「許せない……」
百合乃を掠って、こんなことをした奴のことを、僕は許せなかった。
殺してやりたかった。
いや、絶対に殺すと、百合乃の手を握りながら、僕は誓っていた。
「嬉し、かったよ、来て、くれて。それだけで、あたしは、充分、だよ……」
「何言ってるんだっ! 助かるっ、お前は僕が助けるから!」
本当に嬉しそうに、いつものあの、ふんわりとした笑みを浮かべる百合乃。
でもそれが本当に、僕には悲しかった。
流れ出す血は止まりそうもなかった。
小学六年生にしても成長の遅い百合乃は軽かったけど、いまはいつもよりもさらに軽くなってしまっている気がした。
「ありがとう、おにぃちゃん。いままで、本当に、ありがとう……」
「百合乃! ダメだ。しっかりするんだっ」
「だから、さようなら」
「あぁ!」
百合乃が口をすぼめて、僕の言葉を待つ。
いつも何か言ってほしいことがあるときは、こいつはこうするんだ。
言いたくない。でも、言わないと、こいつは納得しない。だから、だから僕は――。
「さようなら、百合乃。僕も、僕も本当に、ありがとう……」
涙がこぼれてきて、もう目を開けていられなかった。
百合乃の顔をずっと見ていたかったのに、でも僕は、彼女の顔をちゃんと見ていることができなかった。安らかに目を閉じる百合乃の顔が、あふれた涙で見えなくなっていた。
頬に伸ばされていた手の力が失われて、腕がくたりと地面を叩く。僕は物のように力を失ってしまった百合乃の身体を両腕で抱き寄せる。
まだかすかに動いている音がする心臓はでも、いまにも止まりそうだった。
「どうかしたのかしら?」
そう声をかけられて振り向く。
いつの間にやってきたのか、赤いスポーツカーが止まっていた。
降りて側にやってきていたのは、女性。
夜の闇に沈む黒い髪をなびかせて、黒い瞳の周りの白目がまるで光ってるようで、そしてその笑ってるみたいにつり上げられた鮮やかな紅い唇は、まるでいまの状況を楽しんでるかのようだった。
「魔女……」
「ふふっ。失礼ね」
思わず呟いてしまった僕の言葉を笑うその女性。
会社帰りか何かなのか、黒いスーツ姿の女性が百合乃の方に目を向ける。
「その子、怪我をしているのね。いいわ。近くの病院まで連れて行ってあげる。車に乗りなさい」
「う、うん……」
何となく、不安に思った。
すぐに百合乃を病院に連れて行ってあげないといけないのはわかってるのに、僕は彼女の誘いに乗ることに、なんでか恐怖を覚えていた。
それでも、背に腹は代えられない。僕は魔女に誘われて、車に乗り込んだ。
たぶん僕はそのとき、その車に乗るべきじゃなかったんだと思う。
それが魔女との最初の出会い。
あのあと起こったこと、起こされたことを考えれば、僕は後悔をしない日はないと言ってもいいくらいだ。
でもおそらく、僕が僕であり、百合乃が百合乃である限り、いつかは魔女に出会っていたのかも知れない。
たぶんあいつとの細い関係を断ち切ることは、できないんだろうとは思う。断ち切れないように、僕が望んでしまっているから。
ただもう一度魔女と直接対面したいとは思わない。
会って良いことがあるとは思えない。
でも僕は魔女との再会を望んだ。
今回のことは、いやもしかしたらもっと以前から、魔女は仕込んでいたのかも知れない。
それを問いただすために、僕は魔女と会わなくちゃならなかった。
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