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第一部 第一章 ブリュンヒルデ
第一部 天空色(スカイブルー)の想い 第一章 1
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第一章 ブリュンヒルデ
* 1 *
「くそ。なんでこんながっちりこびりついてるんだ」
僕はホテルの厨房かと思うほどの広さと設備のキッチンで、皿を相手に格闘を続けていた。
一週間分も溜め込んだ店屋物の食器にはソースや食べかすがこびりついていて、しばらく水に浸けていたというのになかなか落ちてくれない。
――まぁ、今日はこんなことしに来たわけじゃないんだけどさ。
キッチンこそかなり良い設備をしてるけど、明治だか大正に建てられたという煉瓦造りのお屋敷にやってきたのは、皿洗いのためなんかじゃない。
なくなってしまったアクセサリを探してほしいという屋敷の主の依頼を、断ることができなかっただけだ。
探す間に見つけてしまった洗い物を放っておくのはどうにも忍びなくて、僕は皿洗いに没頭していた。食器洗浄機くらい置いておいてくれよ、と思うけど、実家の用事で明後日までお休みだというここの優秀な専属メイドは、たぶんそんなものがなくても食器を溜め込んだりはしないんだろう。
「……しかし、見つからないな」
失せ物の捜索の方は、僕で見て回れるところは終わっていて、後はリーリエに任せてあった。いまもリーリエは、アリシアを操ってどこかそこら辺の、人の目線では見つけにくい場所を探し続けていることだろう。
でも、ディスプレイを跳ね上げてヘッドホンだけを耳につけてるスマートギアからは、まだ発見したという声は聞こえてこない。
そんなとき、外部音声集音モードをオンにしてあるヘッドホンから聞こえてきたのは、微かなモーター音だった。
『もうやだっ』
スマートギアを通して愚痴を垂れ流しながら僕の足下にやってきたのは二十センチサイズの、アリシア。
『ぜんぜん見つからないよぉ、おにぃちゃん。もう暗いところも狭いところもイヤだよぉ』
ちょっと舌っ足らずな幼い感じの口調で、イヤホンマイク越しにリーリエの愚知の言葉が響いてくる。
大口径の一輪バイク型の機動ユニット「スレイプニル」に乗って足下までやってきたリーリエの操るアリシアに、僕はしゃがんでエプロンで水気を拭った手を差し出してやる。
スレイプニルに内蔵されてる補助バッテリと接続されたケーブルを自分で外して、リーリエはぴょこんと手のひらに乗っかってくる。
汚れることも考慮して、どうせ機敏な動きが必要になる場面もないだろうからと、アリシアには専用でつくってもらった全身防御タイプのハードアーマーを着せてやっていた。
メイドがいない間にどれだけ汚れてたというのか、アーマーはいろんなところに埃なんかがこびりついてしまっている。
水色のツインテールはピクシードールの一番の熱源であり、運動の制御や指令の送受信に使われる「スフィア」の冷却器を兼ねているから仕舞うわけにはいかず、猫か犬の耳にも見える追加センサーがついたヘルメットから飛び出している。
鬱陶しそうにヘルメットを脱ぎ去った下から現れた少し丸っこくて幼さを感じる顔は、頬を膨らませていた。
「もうあと探してないのはそこの食料庫ぐらいなんだから、文句言うなよ、リーリエ」
『だってぇー。……お兄ちゃんこそ、そんな仕事頼まれたわけじゃないんでしょう? こっち手伝ってよぉ』
「仕方ないだろ。夫人にはいろいろ恩があるんだから、これくらいは」
ピクシードールを動かすのに使われているのは、旧来型のロボットのようなモーターとは違い、電気のオンオフにより収縮と伸張を行う人工筋だ。
ある程度のパワーを確保するためにはそれなりの太さが必要になるから、人間の縮尺とは違い手のひらだけでも顔を覆えるような大きなサイズの両手を腰に当てて、さらにアリシアの頬を膨らませるリーリエ。
集音マイクは搭載してるけど、ペット型やいわゆるお人形サイズのフェアリードールや、人間に近い百二十センチを基本サイズとしているエルフドールと違い、充分な音量の出せるスピーカーを搭載するスペースのないピクシードールのアリシアから声がしてるわけじゃなく、あくまでアリシアを遠隔操作しているリーリエがスマートギアを通して僕に声をかけている。
怒ってるはずなのにどこか可愛らしさの抜けないリーリエの声を聞いていると、たまに僕自身もアリシアがリーリエの本体のように思えちゃうこともあるくらいだった。
『少しくらい手伝ってよぉ』
「わかったわかった」
『むぅ~』
納得していない様子のリーリエは唇を尖らせながらも、手にしたヘルメットを装着した。
汚れを軽く指で拭って綺麗にしてやった後、僕はしゃがんでアリシアを床に近づけてやる。
手のひらから飛び降り、リーリエは手早く補助電源ケーブルを背中の充電ポイントに接続して、スレイプニルにまたがった。アリシアと同時にスレイプニルにもリンクしたリーリエは、厨房の奥の食料庫へと続く扉に向かって移動を開始した。
足で引っかけないように気をつけながら、さすがにピクシードールでは開けることができないサイズの扉を開けてやる。
『何かあったらぜーーーったい助けに来てよっ』
「わかってるって」
ヘルメットの下で頬を膨らませてるだろうリーリエが食料庫の中に入ったのを確認して、僕は洗い場に戻りながら跳ね上げていたスマートギアのディスプレイを下ろした。
――しっかし、リーリエはあっという間にあれを使いこなしたな。
リーリエが自分の端末として動かしてるアリシアのフェイスパーツは、一昨日取り付けたばかりの新型だ。
ある程度サイズのあるフェアリーやエルフサイズのドールでは初期の頃からあるものだけど、ピクシードールの可動型フェイスパーツ、いわゆる表情をつくれる顔はほんの一年ちょっと前まで製品化されていなかった。
潜在的な需要があったのか製品化されてすぐヒット商品となり、ヒューマニティパートナーテック、HPT社の「ヒューマニティフェイス」と言えばピクシードールに触れる人なら知らない人はいないくらいのパーツとなり、他社の参入も始まってるくらいの状況だ。
ただ「リリースマイル」と呼ばれる自然な笑みをつくることができるヒューマニティフェイスは、他社の追随を許さない売れ行きを誇っている。
そしてそのヒューマニティフェイスの原型をつくったのは、僕だ。
二年ほど前にちょっとしたきっかけで試作品をつくり、HPT社に勤める叔父さんに持ち込んで製品化したのが始まりだったわけだけど、いまでもバイトと言うには大きすぎる金額をもらいながら開発の手伝いを続けていた。
けれどフルオートで制御されるピクシードールはもちろん、セミコントロールやフルコントロール用のフェイスコントロールアプリはメーカー純正のものから、サードパーティや個人制作のものまでいろいろ出ているけど、行動にあわせてうまく動かせてるものはないと言っても過言じゃない。
いまアリシアに装着しているのは新しい配置の極細埋め込み人工筋により、「頬を膨らませる」や「唇を尖らせる」って機能を実装した僕手製の、まだ市販されていない新型モデル。
リーリエはその新しく追加された機能を、あっさりと使いこなしていた。
――やっぱりリーリエは、違うな……。
リーリエによるアリシアの制御は、フルオートに分類されるべきドールの制御方法ではあるけれど、やはり普通のフルオートとは一線を画していた。
スマートギアの表示の左側に大きめなウィンドウで、アリシアに搭載しているカメラの映像を表示している。食料庫の照明は点けていないから、暗視機能による視界は白黒だ。
スレイプニルに搭載してある赤外線ライトで見える視界内には、実家に帰る前にメイドが処理していったのだろう、ほとんど食材のない棚や、何が入ってるかわからない樽なんかがあるだけでたいした物はなく、広大な空間が広がっている。
その広大さは当然だろう。
食料庫は四メートル四方程度の広さしかないけど、人間の六分の一程度のサイズであるピクシードールの視点で見ると、体育館ほどのスケールになってしまう。
残っている洗い物に手を伸ばしながら、僕はアリシアのボディの状態と同時に、リーリエがコントロールするスレイプニルの動きに合わせて動く白黒の表示に注目していた。
――さすがに第四世代パーツは性能だけじゃなく、耐久性も低いな。
バトルをやるわけじゃないからたいした補助制御は必要ないけど、使い込んだ第四世代の人工筋の出力が不安定になるのを避けるために細かに調整を入れながらそんなことを考えてるとき、何か光るものがあるのに気がついた。
『いま、何か光らなかったか?』
イメージスピークでリーリエに呼びかけつつ、カメラの映像をプレイバックしてみると、壁沿いに置かれた棚の隙間に、赤外線ライトを反射して光るものがあるようだった。
『なんか嫌な予感がするぅ』
『嫌な予感って……。一応画鋲銃を装備しておけよ』
『うん』
画鋲銃は本来人が使う用のネイルガンの一種で、わずかに頭部が大きくなってる無頭画鋲を打ち出して掲示物を貼り付けたりするための道具だ。それをばらしてちょっと改造して、ピクシードールでも使える形の銃に仕立て上げたものを、護身用でスレイプニルに搭載してあった。
スレイプニルを下りたらしいリーリエは、壁に寄って棚の隙間へと近づいていく。
風通しのためか十センチは優にありそうな隙間に、リーリエがアリシアと同時にリンクしているスレイプニルを動かし、可視光に切り替えたライトを照射する。
強い光に照らし出されたのは微かに動く複数の影と、たくさんの赤い光。
「あ……」
と呟くのもつかの間。
『きゃーーーーーーーっ!』
耳をつんざく悲鳴がスマートギアのヘッドホンから響いた。
棚の隙間にいたのは、ネズミ。
ライトの光に驚いたんだろう。五匹のネズミたちは一斉に棚の隙間からアリシアのいる方向に飛び出してきた。
『きゃーーーーっ! きゃーーーーーー!!』
頭が痛くなりそうなほどの悲鳴を上げながらも、リーリエの視界では飛び出してくるネズミたちに向けて照準のポインタが出現している。
俊敏なネズミを避けるように素早く後退をしつつ、リーリエは正確無比な射撃を浴びせかける。
微かな悲鳴を上げながら、画鋲を命中させられたネズミたちは食料庫の闇へと消えていった。
――命中数十五。距離五十から八十センチからだったら、まぁまぁか。だけど……。
元々画鋲銃は壁に押しつけて使う道具で、多少命中精度が上がるように手を加えてはあるにしても、離れた距離から装弾されてる二十発に対して十五発の命中なら上々の結果と言ってもいい。
でも一発二発命中させれば撃退できそうなネズミ相手に、状況に関わらず正確な射撃をしつつも全弾撃ち尽くしてしまうのは、リーリエの性格に問題がありそうだった。
――まぁ、ネズミにとっては不幸な事件だったかも知れないけど。
G相手なら必殺の威力がある画鋲銃も、ネズミの皮膚相手だと痛いと感じる程度か、刺さってもすぐに抜け落ちる程度だろうから、そんなに気にすることでもないけど。
『やだっ! もう帰るぅ』
『ドブネズミ相手じゃなかっただけマシだろう』
今回いたのは大きさからすると小型のクマネズミのようだった。
もし飢えた大人のドブネズミだったら、画鋲銃を無視して突っ込んできて、奴らの体重じゃあピクシードールなんて押し倒されてボディにかじりつかれていてもおかしくない。
『あんなのだったらスレイプニルぶつけて逃げるよっ!』
『勘弁してくれ。それ、高いんだから。……ん?』
文句を垂れつつも周囲を見回しているリーリエの視界の中で、まだ光るものが残っていることに気がつく。
『リーリエ、そこ』
ポインタでそれを指示すると、ものすごく警戒した動作でリーリエが近づいていく。
ゴミに紛れてほとんど埋まっていたが、そこにあったのは確かに指輪だった。
『やたっ。はっけーん!』
まるで人間のような本当に嬉しがってる声に、僕もまた安堵の息を吐いていた。
「お疲れさま。克樹君」
ノックして入った部屋から掛けられたのは、柔らかい感じのある女性の声。
「少し待っていてね」
執務室、なんだろうけど、小さい会社の事務所に使えそうなほどの広さがある部屋に、僕は一歩足を踏み入れる。
沈み込む感触のある絨毯とか、棚の上に並んだ調度品とか、壁に掛けられた絵画だけでも一般人の僕にとっては圧倒されそうになると言うのに、いくらするのかも予測のつかない重厚な応接セットとか、年代物の執務机とかは、もう別世界の代物のように見える。
執務机に就いて、一品ものだろう金などで品の良い装飾の入ったワインレッドのスマートギアを被っている女性が、この屋敷の主、平泉夫人。
ビジネスで紙を使う機会が減っているからまだこの部屋はマシな状態だけど、洗っていなさそうなカップなんかがいくつも机の上に並んでいたりした。
「本当にもう、あの子がいないと不便で仕方ないわね」
生まれも育ちもお嬢様のこの人に言っても仕方ないんだろうけど、夫人はいくら何でも生活能力がなさ過ぎだ。
身だしなみは自分でできるらしく、輝きを放っているような長い黒髪とか、部屋着にするのはどうだろうと思うじっくり眺めてみたくなる胸元の開き方をしている黒いイブニングドレス風の服とかはきっちりとしている。さすがに手をつけなかった寝室の洗濯物は、明後日の予定と言わず今日にもメイドが帰ってきた方がいい状況になっていたけど。
「お待たせしちゃったわね。どうぞ座って」
スマートギアを外した下から現れたのは、二十代と見まごうばかりの若く整った顔。
確か年齢は三十代半ばか後半くらいだったはずだけど、夫人の黒く深い瞳に見つめられて、思わずゾクッとするなんとも言えないざわめきが起こるのを、僕は止めることができなかった。
二年前に行われたスフィアドールの初めての全国的なお祭りであり、メインイベントでもあったピクシードール同士のバトルトーナメント。コントロール方式によって三部門に別れていたそこのフルコントロール部門決勝戦で出会った夫人とは、そのとき以来いろいろお世話になっていて、ちょくちょく頼み事をされたりする関係だった。
今年高校に入ったばかりで、学校以外はあんまり出歩くことのない僕だけど、夫人には借りが多すぎて、今回みたいな捜し物なんていうたいしたことのないお願いでも断るのは難しい。
彼女を知る人の間では黒真珠なんてあだ名される夫人は、僕よりも高い百七十センチを越える身長と、モデル並みのプロポーションを見せつけつつ、勧められて座った応接セットのソファの僕の正面に、優雅な動きで腰を下ろした。
「あの、これでいいんですか?」
右手に包み込むように持っていた指輪を夫人に見せる。
「えぇ。これよ。本当にありがとう、克樹君」
主にリーリエが苦労して発見した指輪は、どう見ても安物、というよりオモチャだった。
お祭りの縁日辺りで手に入りそうなプラスティック製で、銀色のメッキも所々剥げていて、アクセサリならいくらでも持っていそうな夫人が身につけるものではないように思えた。
「これはあの人との思い出なのよ。いろいろあって最初あの人との関係は私の家族にも、あの人の家族にも認めてもらえなかったのだけど、そんなときにこっそりふたりで行ったお祭りでもらったものなの」
僕の手から優しくつまみ上げ、自分の手のひらの上に指輪を乗せて愛おしそうに目を細める夫人。
「あの人の墓参りに行って帰ってきた後、着替えをしている間になくなってしまったのよ」
『ネズミが持って行っちゃってたんだよ!』
外部スピーカーをオンにしておいたスマートギアから、リーリエの声が発せられた。
「そう。リーリエちゃんが見つけてくれたの?」
『うんっ』
僕からじゃ見えないけど、僕の肩の上で脚をばたばたとさせてるリーリエは、たぶんアリシアに満面の笑みを浮かべさせてることだろう。
「ありがとうね、リーリエちゃん」
『んっ』
手を伸ばした夫人に頭をなでてもらって、リーリエは満足そうな声を上げていた。
「でも本当に、リーリエちゃんはあの子に似ているのね」
「……まぁ、そういう性格付けをしていますから」
ソファに腰を落ち着かせた夫人の、僕の奥底を覗き込んでくるような視線から目を逸らす。
ピクシードールを含むスフィアドールのコントロール方式は主に三種類ある。
スフィアドール全体として一番多いのはフルオートと呼ばれる、自律行動型で、エルフやフェアリーではコンパクトなシステム本体を内蔵してることもあるけど、高精度なフルオートは主に外部システムと近距離通信か、ネットを経由で接続した専用システムで行う。
現在のアリシアも、リーリエというシステムで制御しているから、フルオートシステムで動かしていると言ってもいいと思う。
バトル向けの機敏な動きができるのはかなり大型で高性能なシステムが必要になるから、一般のピクシードールでフルコントロールを使ってる人は少ない。
自作要素が強く、バトル向けが多いピクシードールでは現在のところセミコントロールが主流で、基本方針を事前に組み上げておいて、随時必要となった動作を手元の端末やスマートギアで指示していくのが一般的だ。
ロボットの制御用としては恐ろしく高機能なスフィア。ピクシードールでは頭部に搭載されてるスフィアが多目的な処理装置をしているからこそ、セミコントロールではかなり複雑なことでも携帯端末程度の性能があれば行えるし、意外に複雑なコマンドを使ってかなり精密な動きもできる。
現在のピクシードール同士を戦わせるピクシーバトルでは、大半の人がセミコントロールだ。
それからもうひとつ、フルコントロールというタイプがある。
スマートギアを使って、スフィアドールのすべての動きを脳波によってコントロールするものだけど、セミコントロールに比べてかなりの熟練が必要な上、上手くできない人は頑張ってもできないし、他の制御方法より精密な動きも可能だけど、専用システムが必要なフルオートほどではないにしろ、高価なスマートギア前提のフルコントロールは、割合としては大きくない。
二年前にスフィアカップで僕が参加したのは、フルコントロール部門。
そのとき僕はアリシアのオーナー、クリエイトマスターであって、ソーサラーと呼ばれる操縦者ではなかった。
夫人は、アリシアの元々のソーサラーを知る人物のひとりだ。
「私もリーリエちゃんみたいなのが手に入るならほしいと思うのだけど、可能かしら?」
意識してるんじゃないかと思うけど、いたずらな瞳でそう問うてくる夫人。
夫人の財力をもってすればリーリエを運用しているシステムのハードウェアそのものは手に入れることは容易い。実際僕は一度リーリエのシステムを手に入れるために夫人を頼っているのだし。
――でも、そんなことできない。できるわけがない。
「すみません。リーリエは試験運用してるシステムなので」
「そう。それは残念。別口でエレメンタロイドのシステムも購入可能かどうか訊いてみたことがあるのだけど、ダメだって言うのよ」
「エレメンタロイドを? それはまた無茶な」
エレメンタロイドと言えば、エルフやフェアリー、ピクシーといったスフィアドールを生み出すこととなったロボット用制御コンピュータ「スフィア」をつくり出したスフィアロボティクス社、SR社の子会社で絶賛開発、試験中の人工個性と称されるAIのことだ。
現在のところエレメンタロイドは一個体だけが発表され、エイナという名前で3Dの映像や、映像と同じ形にデザインされたエルフドールを使ってアイドルのような活動を行っていたりする。
アイドルとしても「精霊」エイナなんて呼ばれて人気は高いけど、技術的にも恐ろしく高度なエレメンタロイドは、二年前のスフィアカップの司会として発表されてからも、まだ二号システムや他社による同等のシステムが完成したという話は聞いたことがない。
もしピクシードールのソーサラーとして人工個性を使うことを考えてるなら、理由が見えない。
もともと夫人は恐ろしく強いフルコントロールソーサラーなんだ、そんな物が必要になるとは思えなかった。
――まぁ、リーリエの使い方はそれだけじゃないけど。それにリーリエとエイナは……。
半分無意識のうちに、僕はパーカーのポケットに右手を突っ込んでいた。
そしてその中に入れてあるものを、強く握りしめる。
「まだそんなものを持っているの?」
そう言った夫人が、手を伸ばして僕の右手を服の上から優しく包み込む。
「止める権利は私にはないけれど、あまりお勧めはできないわ」
たしなめるように厳しく顰められた眉をしながらも、服の上からでも感じる夫人の柔らかい手の感触に、僕は右手の力を緩めていた。
「それに気をつけなさい、克樹君」
厳しい顔のまま、夫人は言う。
「貴方が通り魔に遭遇しないとも限らないのだから」
「例の、ピクシードールを壊したって言う?」
「えぇ。昨晩、二件目の事件が起こったわ」
『リーリエ、事件記事を検索』
『うん』
すぐさまリーリエに事件のことを検索させる。
スマートギアのディスプレイを跳ね上げたままだから、時を待たずして見つかった記事の内容をリーリエが読み上げてくれる。
襲われたのは高校生男子のソーサラー。後ろから接近されてることに気がついて抵抗したものの、殴られた拍子に街灯に頭をぶつけて全治数日の軽傷。奪われたピクシードールは近くの公園の茂みで頭部が壊された状態で荷物と一緒に発見されていた。
――一件目とほぼ同じか。
一件目も二件目も財布などは抜き取られていないから金銭目的ではなく、何故かピクシードールが破壊されて発見されているという内容は共通してる。盗みが目的なのかどうか不明なため、記事では被害者が怪我していることから通り魔という呼び方がされていた。
「貴方が通り魔に襲われてしまったとき、どうなってしまうのかとても心配よ」
少し寂しそうにも見える夫人に、僕は入れたままだった手をポケットから出した。
「もし怖かったり寂しかったりしたら、この家に泊まっていってもいいのよ? 私ができる限りもてなすから」
生活能力のない夫人にいったい何ができるんだ、と思ったけれど、右手を包んでいた手が僕の身体をなで上げつつ、顎に添えられる。
「明後日までは、この家にいるのは私だけなのよ?」
魅惑的な笑みと誘いに思わず頷きそうになる。
「が、学校もありますからっ」
『ダーメ! おにぃちゃんはあたしのなの!』
「残念ね。でも克樹君にはあまり女の子関係で良くない噂も聞くのよ? 不満があるならいつでもいらっしゃいね」
どこまで本気で言ってるのか、夫人は誘うような視線を僕に向けてくる。
いろんな業界に人脈と情報網を持っているらしいことは知っているけど、どんなところから僕のことなんて調べてくるのか。
空恐ろしいものを感じながら、僕はできるだけ夫人から距離を取るように背中をソファに押しつけた。
「でも今日は本当に助かったわ。それに、貴方の顔も、見ておきたかったしね」
夫人の真意はどこにあるというんだろうか。どこか疲れたような笑顔を浮かべている夫人の瞳には、悲しげな色が浮かんでいるように思えていた。
* 1 *
「くそ。なんでこんながっちりこびりついてるんだ」
僕はホテルの厨房かと思うほどの広さと設備のキッチンで、皿を相手に格闘を続けていた。
一週間分も溜め込んだ店屋物の食器にはソースや食べかすがこびりついていて、しばらく水に浸けていたというのになかなか落ちてくれない。
――まぁ、今日はこんなことしに来たわけじゃないんだけどさ。
キッチンこそかなり良い設備をしてるけど、明治だか大正に建てられたという煉瓦造りのお屋敷にやってきたのは、皿洗いのためなんかじゃない。
なくなってしまったアクセサリを探してほしいという屋敷の主の依頼を、断ることができなかっただけだ。
探す間に見つけてしまった洗い物を放っておくのはどうにも忍びなくて、僕は皿洗いに没頭していた。食器洗浄機くらい置いておいてくれよ、と思うけど、実家の用事で明後日までお休みだというここの優秀な専属メイドは、たぶんそんなものがなくても食器を溜め込んだりはしないんだろう。
「……しかし、見つからないな」
失せ物の捜索の方は、僕で見て回れるところは終わっていて、後はリーリエに任せてあった。いまもリーリエは、アリシアを操ってどこかそこら辺の、人の目線では見つけにくい場所を探し続けていることだろう。
でも、ディスプレイを跳ね上げてヘッドホンだけを耳につけてるスマートギアからは、まだ発見したという声は聞こえてこない。
そんなとき、外部音声集音モードをオンにしてあるヘッドホンから聞こえてきたのは、微かなモーター音だった。
『もうやだっ』
スマートギアを通して愚痴を垂れ流しながら僕の足下にやってきたのは二十センチサイズの、アリシア。
『ぜんぜん見つからないよぉ、おにぃちゃん。もう暗いところも狭いところもイヤだよぉ』
ちょっと舌っ足らずな幼い感じの口調で、イヤホンマイク越しにリーリエの愚知の言葉が響いてくる。
大口径の一輪バイク型の機動ユニット「スレイプニル」に乗って足下までやってきたリーリエの操るアリシアに、僕はしゃがんでエプロンで水気を拭った手を差し出してやる。
スレイプニルに内蔵されてる補助バッテリと接続されたケーブルを自分で外して、リーリエはぴょこんと手のひらに乗っかってくる。
汚れることも考慮して、どうせ機敏な動きが必要になる場面もないだろうからと、アリシアには専用でつくってもらった全身防御タイプのハードアーマーを着せてやっていた。
メイドがいない間にどれだけ汚れてたというのか、アーマーはいろんなところに埃なんかがこびりついてしまっている。
水色のツインテールはピクシードールの一番の熱源であり、運動の制御や指令の送受信に使われる「スフィア」の冷却器を兼ねているから仕舞うわけにはいかず、猫か犬の耳にも見える追加センサーがついたヘルメットから飛び出している。
鬱陶しそうにヘルメットを脱ぎ去った下から現れた少し丸っこくて幼さを感じる顔は、頬を膨らませていた。
「もうあと探してないのはそこの食料庫ぐらいなんだから、文句言うなよ、リーリエ」
『だってぇー。……お兄ちゃんこそ、そんな仕事頼まれたわけじゃないんでしょう? こっち手伝ってよぉ』
「仕方ないだろ。夫人にはいろいろ恩があるんだから、これくらいは」
ピクシードールを動かすのに使われているのは、旧来型のロボットのようなモーターとは違い、電気のオンオフにより収縮と伸張を行う人工筋だ。
ある程度のパワーを確保するためにはそれなりの太さが必要になるから、人間の縮尺とは違い手のひらだけでも顔を覆えるような大きなサイズの両手を腰に当てて、さらにアリシアの頬を膨らませるリーリエ。
集音マイクは搭載してるけど、ペット型やいわゆるお人形サイズのフェアリードールや、人間に近い百二十センチを基本サイズとしているエルフドールと違い、充分な音量の出せるスピーカーを搭載するスペースのないピクシードールのアリシアから声がしてるわけじゃなく、あくまでアリシアを遠隔操作しているリーリエがスマートギアを通して僕に声をかけている。
怒ってるはずなのにどこか可愛らしさの抜けないリーリエの声を聞いていると、たまに僕自身もアリシアがリーリエの本体のように思えちゃうこともあるくらいだった。
『少しくらい手伝ってよぉ』
「わかったわかった」
『むぅ~』
納得していない様子のリーリエは唇を尖らせながらも、手にしたヘルメットを装着した。
汚れを軽く指で拭って綺麗にしてやった後、僕はしゃがんでアリシアを床に近づけてやる。
手のひらから飛び降り、リーリエは手早く補助電源ケーブルを背中の充電ポイントに接続して、スレイプニルにまたがった。アリシアと同時にスレイプニルにもリンクしたリーリエは、厨房の奥の食料庫へと続く扉に向かって移動を開始した。
足で引っかけないように気をつけながら、さすがにピクシードールでは開けることができないサイズの扉を開けてやる。
『何かあったらぜーーーったい助けに来てよっ』
「わかってるって」
ヘルメットの下で頬を膨らませてるだろうリーリエが食料庫の中に入ったのを確認して、僕は洗い場に戻りながら跳ね上げていたスマートギアのディスプレイを下ろした。
――しっかし、リーリエはあっという間にあれを使いこなしたな。
リーリエが自分の端末として動かしてるアリシアのフェイスパーツは、一昨日取り付けたばかりの新型だ。
ある程度サイズのあるフェアリーやエルフサイズのドールでは初期の頃からあるものだけど、ピクシードールの可動型フェイスパーツ、いわゆる表情をつくれる顔はほんの一年ちょっと前まで製品化されていなかった。
潜在的な需要があったのか製品化されてすぐヒット商品となり、ヒューマニティパートナーテック、HPT社の「ヒューマニティフェイス」と言えばピクシードールに触れる人なら知らない人はいないくらいのパーツとなり、他社の参入も始まってるくらいの状況だ。
ただ「リリースマイル」と呼ばれる自然な笑みをつくることができるヒューマニティフェイスは、他社の追随を許さない売れ行きを誇っている。
そしてそのヒューマニティフェイスの原型をつくったのは、僕だ。
二年ほど前にちょっとしたきっかけで試作品をつくり、HPT社に勤める叔父さんに持ち込んで製品化したのが始まりだったわけだけど、いまでもバイトと言うには大きすぎる金額をもらいながら開発の手伝いを続けていた。
けれどフルオートで制御されるピクシードールはもちろん、セミコントロールやフルコントロール用のフェイスコントロールアプリはメーカー純正のものから、サードパーティや個人制作のものまでいろいろ出ているけど、行動にあわせてうまく動かせてるものはないと言っても過言じゃない。
いまアリシアに装着しているのは新しい配置の極細埋め込み人工筋により、「頬を膨らませる」や「唇を尖らせる」って機能を実装した僕手製の、まだ市販されていない新型モデル。
リーリエはその新しく追加された機能を、あっさりと使いこなしていた。
――やっぱりリーリエは、違うな……。
リーリエによるアリシアの制御は、フルオートに分類されるべきドールの制御方法ではあるけれど、やはり普通のフルオートとは一線を画していた。
スマートギアの表示の左側に大きめなウィンドウで、アリシアに搭載しているカメラの映像を表示している。食料庫の照明は点けていないから、暗視機能による視界は白黒だ。
スレイプニルに搭載してある赤外線ライトで見える視界内には、実家に帰る前にメイドが処理していったのだろう、ほとんど食材のない棚や、何が入ってるかわからない樽なんかがあるだけでたいした物はなく、広大な空間が広がっている。
その広大さは当然だろう。
食料庫は四メートル四方程度の広さしかないけど、人間の六分の一程度のサイズであるピクシードールの視点で見ると、体育館ほどのスケールになってしまう。
残っている洗い物に手を伸ばしながら、僕はアリシアのボディの状態と同時に、リーリエがコントロールするスレイプニルの動きに合わせて動く白黒の表示に注目していた。
――さすがに第四世代パーツは性能だけじゃなく、耐久性も低いな。
バトルをやるわけじゃないからたいした補助制御は必要ないけど、使い込んだ第四世代の人工筋の出力が不安定になるのを避けるために細かに調整を入れながらそんなことを考えてるとき、何か光るものがあるのに気がついた。
『いま、何か光らなかったか?』
イメージスピークでリーリエに呼びかけつつ、カメラの映像をプレイバックしてみると、壁沿いに置かれた棚の隙間に、赤外線ライトを反射して光るものがあるようだった。
『なんか嫌な予感がするぅ』
『嫌な予感って……。一応画鋲銃を装備しておけよ』
『うん』
画鋲銃は本来人が使う用のネイルガンの一種で、わずかに頭部が大きくなってる無頭画鋲を打ち出して掲示物を貼り付けたりするための道具だ。それをばらしてちょっと改造して、ピクシードールでも使える形の銃に仕立て上げたものを、護身用でスレイプニルに搭載してあった。
スレイプニルを下りたらしいリーリエは、壁に寄って棚の隙間へと近づいていく。
風通しのためか十センチは優にありそうな隙間に、リーリエがアリシアと同時にリンクしているスレイプニルを動かし、可視光に切り替えたライトを照射する。
強い光に照らし出されたのは微かに動く複数の影と、たくさんの赤い光。
「あ……」
と呟くのもつかの間。
『きゃーーーーーーーっ!』
耳をつんざく悲鳴がスマートギアのヘッドホンから響いた。
棚の隙間にいたのは、ネズミ。
ライトの光に驚いたんだろう。五匹のネズミたちは一斉に棚の隙間からアリシアのいる方向に飛び出してきた。
『きゃーーーーっ! きゃーーーーーー!!』
頭が痛くなりそうなほどの悲鳴を上げながらも、リーリエの視界では飛び出してくるネズミたちに向けて照準のポインタが出現している。
俊敏なネズミを避けるように素早く後退をしつつ、リーリエは正確無比な射撃を浴びせかける。
微かな悲鳴を上げながら、画鋲を命中させられたネズミたちは食料庫の闇へと消えていった。
――命中数十五。距離五十から八十センチからだったら、まぁまぁか。だけど……。
元々画鋲銃は壁に押しつけて使う道具で、多少命中精度が上がるように手を加えてはあるにしても、離れた距離から装弾されてる二十発に対して十五発の命中なら上々の結果と言ってもいい。
でも一発二発命中させれば撃退できそうなネズミ相手に、状況に関わらず正確な射撃をしつつも全弾撃ち尽くしてしまうのは、リーリエの性格に問題がありそうだった。
――まぁ、ネズミにとっては不幸な事件だったかも知れないけど。
G相手なら必殺の威力がある画鋲銃も、ネズミの皮膚相手だと痛いと感じる程度か、刺さってもすぐに抜け落ちる程度だろうから、そんなに気にすることでもないけど。
『やだっ! もう帰るぅ』
『ドブネズミ相手じゃなかっただけマシだろう』
今回いたのは大きさからすると小型のクマネズミのようだった。
もし飢えた大人のドブネズミだったら、画鋲銃を無視して突っ込んできて、奴らの体重じゃあピクシードールなんて押し倒されてボディにかじりつかれていてもおかしくない。
『あんなのだったらスレイプニルぶつけて逃げるよっ!』
『勘弁してくれ。それ、高いんだから。……ん?』
文句を垂れつつも周囲を見回しているリーリエの視界の中で、まだ光るものが残っていることに気がつく。
『リーリエ、そこ』
ポインタでそれを指示すると、ものすごく警戒した動作でリーリエが近づいていく。
ゴミに紛れてほとんど埋まっていたが、そこにあったのは確かに指輪だった。
『やたっ。はっけーん!』
まるで人間のような本当に嬉しがってる声に、僕もまた安堵の息を吐いていた。
「お疲れさま。克樹君」
ノックして入った部屋から掛けられたのは、柔らかい感じのある女性の声。
「少し待っていてね」
執務室、なんだろうけど、小さい会社の事務所に使えそうなほどの広さがある部屋に、僕は一歩足を踏み入れる。
沈み込む感触のある絨毯とか、棚の上に並んだ調度品とか、壁に掛けられた絵画だけでも一般人の僕にとっては圧倒されそうになると言うのに、いくらするのかも予測のつかない重厚な応接セットとか、年代物の執務机とかは、もう別世界の代物のように見える。
執務机に就いて、一品ものだろう金などで品の良い装飾の入ったワインレッドのスマートギアを被っている女性が、この屋敷の主、平泉夫人。
ビジネスで紙を使う機会が減っているからまだこの部屋はマシな状態だけど、洗っていなさそうなカップなんかがいくつも机の上に並んでいたりした。
「本当にもう、あの子がいないと不便で仕方ないわね」
生まれも育ちもお嬢様のこの人に言っても仕方ないんだろうけど、夫人はいくら何でも生活能力がなさ過ぎだ。
身だしなみは自分でできるらしく、輝きを放っているような長い黒髪とか、部屋着にするのはどうだろうと思うじっくり眺めてみたくなる胸元の開き方をしている黒いイブニングドレス風の服とかはきっちりとしている。さすがに手をつけなかった寝室の洗濯物は、明後日の予定と言わず今日にもメイドが帰ってきた方がいい状況になっていたけど。
「お待たせしちゃったわね。どうぞ座って」
スマートギアを外した下から現れたのは、二十代と見まごうばかりの若く整った顔。
確か年齢は三十代半ばか後半くらいだったはずだけど、夫人の黒く深い瞳に見つめられて、思わずゾクッとするなんとも言えないざわめきが起こるのを、僕は止めることができなかった。
二年前に行われたスフィアドールの初めての全国的なお祭りであり、メインイベントでもあったピクシードール同士のバトルトーナメント。コントロール方式によって三部門に別れていたそこのフルコントロール部門決勝戦で出会った夫人とは、そのとき以来いろいろお世話になっていて、ちょくちょく頼み事をされたりする関係だった。
今年高校に入ったばかりで、学校以外はあんまり出歩くことのない僕だけど、夫人には借りが多すぎて、今回みたいな捜し物なんていうたいしたことのないお願いでも断るのは難しい。
彼女を知る人の間では黒真珠なんてあだ名される夫人は、僕よりも高い百七十センチを越える身長と、モデル並みのプロポーションを見せつけつつ、勧められて座った応接セットのソファの僕の正面に、優雅な動きで腰を下ろした。
「あの、これでいいんですか?」
右手に包み込むように持っていた指輪を夫人に見せる。
「えぇ。これよ。本当にありがとう、克樹君」
主にリーリエが苦労して発見した指輪は、どう見ても安物、というよりオモチャだった。
お祭りの縁日辺りで手に入りそうなプラスティック製で、銀色のメッキも所々剥げていて、アクセサリならいくらでも持っていそうな夫人が身につけるものではないように思えた。
「これはあの人との思い出なのよ。いろいろあって最初あの人との関係は私の家族にも、あの人の家族にも認めてもらえなかったのだけど、そんなときにこっそりふたりで行ったお祭りでもらったものなの」
僕の手から優しくつまみ上げ、自分の手のひらの上に指輪を乗せて愛おしそうに目を細める夫人。
「あの人の墓参りに行って帰ってきた後、着替えをしている間になくなってしまったのよ」
『ネズミが持って行っちゃってたんだよ!』
外部スピーカーをオンにしておいたスマートギアから、リーリエの声が発せられた。
「そう。リーリエちゃんが見つけてくれたの?」
『うんっ』
僕からじゃ見えないけど、僕の肩の上で脚をばたばたとさせてるリーリエは、たぶんアリシアに満面の笑みを浮かべさせてることだろう。
「ありがとうね、リーリエちゃん」
『んっ』
手を伸ばした夫人に頭をなでてもらって、リーリエは満足そうな声を上げていた。
「でも本当に、リーリエちゃんはあの子に似ているのね」
「……まぁ、そういう性格付けをしていますから」
ソファに腰を落ち着かせた夫人の、僕の奥底を覗き込んでくるような視線から目を逸らす。
ピクシードールを含むスフィアドールのコントロール方式は主に三種類ある。
スフィアドール全体として一番多いのはフルオートと呼ばれる、自律行動型で、エルフやフェアリーではコンパクトなシステム本体を内蔵してることもあるけど、高精度なフルオートは主に外部システムと近距離通信か、ネットを経由で接続した専用システムで行う。
現在のアリシアも、リーリエというシステムで制御しているから、フルオートシステムで動かしていると言ってもいいと思う。
バトル向けの機敏な動きができるのはかなり大型で高性能なシステムが必要になるから、一般のピクシードールでフルコントロールを使ってる人は少ない。
自作要素が強く、バトル向けが多いピクシードールでは現在のところセミコントロールが主流で、基本方針を事前に組み上げておいて、随時必要となった動作を手元の端末やスマートギアで指示していくのが一般的だ。
ロボットの制御用としては恐ろしく高機能なスフィア。ピクシードールでは頭部に搭載されてるスフィアが多目的な処理装置をしているからこそ、セミコントロールではかなり複雑なことでも携帯端末程度の性能があれば行えるし、意外に複雑なコマンドを使ってかなり精密な動きもできる。
現在のピクシードール同士を戦わせるピクシーバトルでは、大半の人がセミコントロールだ。
それからもうひとつ、フルコントロールというタイプがある。
スマートギアを使って、スフィアドールのすべての動きを脳波によってコントロールするものだけど、セミコントロールに比べてかなりの熟練が必要な上、上手くできない人は頑張ってもできないし、他の制御方法より精密な動きも可能だけど、専用システムが必要なフルオートほどではないにしろ、高価なスマートギア前提のフルコントロールは、割合としては大きくない。
二年前にスフィアカップで僕が参加したのは、フルコントロール部門。
そのとき僕はアリシアのオーナー、クリエイトマスターであって、ソーサラーと呼ばれる操縦者ではなかった。
夫人は、アリシアの元々のソーサラーを知る人物のひとりだ。
「私もリーリエちゃんみたいなのが手に入るならほしいと思うのだけど、可能かしら?」
意識してるんじゃないかと思うけど、いたずらな瞳でそう問うてくる夫人。
夫人の財力をもってすればリーリエを運用しているシステムのハードウェアそのものは手に入れることは容易い。実際僕は一度リーリエのシステムを手に入れるために夫人を頼っているのだし。
――でも、そんなことできない。できるわけがない。
「すみません。リーリエは試験運用してるシステムなので」
「そう。それは残念。別口でエレメンタロイドのシステムも購入可能かどうか訊いてみたことがあるのだけど、ダメだって言うのよ」
「エレメンタロイドを? それはまた無茶な」
エレメンタロイドと言えば、エルフやフェアリー、ピクシーといったスフィアドールを生み出すこととなったロボット用制御コンピュータ「スフィア」をつくり出したスフィアロボティクス社、SR社の子会社で絶賛開発、試験中の人工個性と称されるAIのことだ。
現在のところエレメンタロイドは一個体だけが発表され、エイナという名前で3Dの映像や、映像と同じ形にデザインされたエルフドールを使ってアイドルのような活動を行っていたりする。
アイドルとしても「精霊」エイナなんて呼ばれて人気は高いけど、技術的にも恐ろしく高度なエレメンタロイドは、二年前のスフィアカップの司会として発表されてからも、まだ二号システムや他社による同等のシステムが完成したという話は聞いたことがない。
もしピクシードールのソーサラーとして人工個性を使うことを考えてるなら、理由が見えない。
もともと夫人は恐ろしく強いフルコントロールソーサラーなんだ、そんな物が必要になるとは思えなかった。
――まぁ、リーリエの使い方はそれだけじゃないけど。それにリーリエとエイナは……。
半分無意識のうちに、僕はパーカーのポケットに右手を突っ込んでいた。
そしてその中に入れてあるものを、強く握りしめる。
「まだそんなものを持っているの?」
そう言った夫人が、手を伸ばして僕の右手を服の上から優しく包み込む。
「止める権利は私にはないけれど、あまりお勧めはできないわ」
たしなめるように厳しく顰められた眉をしながらも、服の上からでも感じる夫人の柔らかい手の感触に、僕は右手の力を緩めていた。
「それに気をつけなさい、克樹君」
厳しい顔のまま、夫人は言う。
「貴方が通り魔に遭遇しないとも限らないのだから」
「例の、ピクシードールを壊したって言う?」
「えぇ。昨晩、二件目の事件が起こったわ」
『リーリエ、事件記事を検索』
『うん』
すぐさまリーリエに事件のことを検索させる。
スマートギアのディスプレイを跳ね上げたままだから、時を待たずして見つかった記事の内容をリーリエが読み上げてくれる。
襲われたのは高校生男子のソーサラー。後ろから接近されてることに気がついて抵抗したものの、殴られた拍子に街灯に頭をぶつけて全治数日の軽傷。奪われたピクシードールは近くの公園の茂みで頭部が壊された状態で荷物と一緒に発見されていた。
――一件目とほぼ同じか。
一件目も二件目も財布などは抜き取られていないから金銭目的ではなく、何故かピクシードールが破壊されて発見されているという内容は共通してる。盗みが目的なのかどうか不明なため、記事では被害者が怪我していることから通り魔という呼び方がされていた。
「貴方が通り魔に襲われてしまったとき、どうなってしまうのかとても心配よ」
少し寂しそうにも見える夫人に、僕は入れたままだった手をポケットから出した。
「もし怖かったり寂しかったりしたら、この家に泊まっていってもいいのよ? 私ができる限りもてなすから」
生活能力のない夫人にいったい何ができるんだ、と思ったけれど、右手を包んでいた手が僕の身体をなで上げつつ、顎に添えられる。
「明後日までは、この家にいるのは私だけなのよ?」
魅惑的な笑みと誘いに思わず頷きそうになる。
「が、学校もありますからっ」
『ダーメ! おにぃちゃんはあたしのなの!』
「残念ね。でも克樹君にはあまり女の子関係で良くない噂も聞くのよ? 不満があるならいつでもいらっしゃいね」
どこまで本気で言ってるのか、夫人は誘うような視線を僕に向けてくる。
いろんな業界に人脈と情報網を持っているらしいことは知っているけど、どんなところから僕のことなんて調べてくるのか。
空恐ろしいものを感じながら、僕はできるだけ夫人から距離を取るように背中をソファに押しつけた。
「でも今日は本当に助かったわ。それに、貴方の顔も、見ておきたかったしね」
夫人の真意はどこにあるというんだろうか。どこか疲れたような笑顔を浮かべている夫人の瞳には、悲しげな色が浮かんでいるように思えていた。
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