最悪 ー 絶望・恐怖短篇集

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きざしのうた

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 ある日、世界から人が消えた。いや、呑み込まれた。
 シンギュラリティを二度超えた人類は判断力を失い、機械統制を受け動かされていた。そんな中での、ひとつの記憶が日記として残されていた。



 西暦7878年 8月1日
 東アジアの大国で謎の死亡事故が発生した。全身が銀色の液体に筒まれて何の痕跡も残さずに消滅するという説明不可能な事故だ。
 どうやらこの事象は“感染する”らしく、かつての昔、全世界に流行したパンデミックと同様に被害が拡大しているようだ。この国にもやってくるのだろう。
 私は調査団のひとりとして現場への強制視察を行う事になっているが、かの国は受け入れないだろう。国に残す妻と娘が心配だが、誰かがやらねば我が国にも被害が発生して妻と娘まで危険な目に及ぶだろう。そんな事はさせない。

 西暦7878年 8月12日
 例の謎の“感染”事故が急拡大しているようだ。案の定かの国は入国を拒否した。今回は渡航ではなく空港検疫を行う事になった。かの国からの入国者、経由渡航者の強制検疫の実施にかの国は猛反発しているが、過去の失敗例から何も学んでいないのだろうか。本当に自国の利益しか考えていない。むしろ迷惑だ。
 検疫にあたり、家族とは当面接見禁止となった。ただ無事は確認出来ている。港湾から近い自宅なので、とても心配だが水際で止めるしかない。今はやれるだけの事をやろう。

 西暦7878年 9月2日
 最悪の事態が起こった。我が国でも例の事故が発生した。どうやらその銀色の液体は金属製のようで、触れた者は例外なく“呑み込まれる”ようだ。官公庁は大混乱している。今までコンピュータに判断を委ねるという人としてあってはならない状態が二千年も続いているのだから、国の上層部に考える力はもうない。ルールの網目を搔い潜って利益を得る事に勤しんでいる。ここまで対応出来ないとなると、もはや乗り越える事は不可能だろう。

 当然このような状況なので、家族に連絡出来なかった。これを書いているのは深夜2時。妻と娘はもう寝ているだろうから、古い手段だが文章でメールを入れておいた。互いに連絡が出来なかったらいつもこうして文章で連絡する手段を持っているから、古いシステムでもありがたいものだ。

 西暦7878年 9月21日
 国家機能が麻痺するレベルで、事故が急速に拡大している。海外ニュースでは、10の国の大使館から連絡が取れない状況と報道している。
 我が国でも、もう幾つかの地方自治体が消滅しているようだ。無事だった住民が被害のない土地へ我先にと避難している。しかし、この我先にの具合が余りにも互いへの気配りがない。自家用車の略奪まで発生している。
 このような状況で、当然検疫どころではない。私は職務放棄し、家族と合流した。妻と娘は無事だった。しかし妻の両親とは連絡がつけていない。妻の地元は既に被害にあった場所であり、もう希望はないだろう。私の両親や友人の何人かとも連絡がつかない。

 西暦7878年 9月28日
 信じられないものを目にした。家族の為に食料を調達する為に外へ繰り出したのだが、すれ違った通行人が銀色の流体に包まれた。事故は初めて目にしたのだが、信じられなかったのは、その流体が“喋った”のだ。機械的な声の為、どうやら人為的に作り出された物だろう。声に感情の抑揚がなく、「これでお前たちは終わりだ」と私に向けて言い放ってきた。そして人を包み込んだ流体は跡形もなく路面に浸み込んで消滅した。
 どうやら、私達人間は最悪のシンギュラリティを迎えたらしい。どういう意図で作られたのかはわからないが、ろくでもない物なのは確かだろう。

 西暦7878年 10月15日
 五日前に妻が死んだ。家の外へゴミを搬出していた際、流体にやられてしまった。妻が消えて、流石にずっと落ち込んでいた。娘も泣き続けており、疲弊した。
 インフラも死に始めている。大昔と違ってライフラインは家屋単体で賄えているが、そのメンテナンス業者は当然来れなくなっているから、水の色が褐色化し、電圧も弱くなっている。娘を守る為にここを出ないといけない。

 西暦7878年 11月20日
 情報がなくなった。人通りもなくなった。連絡手段もない。私は娘を連れてところどころ煙る街を彷徨っている。
 食料品や飲料などは、いくつか店に残っていた缶詰などを拝借した。いけない事とは分かっていても、もう止めてくれる者もいない。誰もいない。
 私も、日記を書けるだけの精神力も、そろそろ限界に近いだろう。娘はまだやっと8歳になったところだ。死なせてなるものか。



 (日付なし)
 娘が死んだ。これ以上ないくらい泣いた。どれだけの時間が経ったかわからないが、それだけの時間が私をおかしくさせるには充分に長かった。しかし、いくらおかしくなったとは言え、娘を捨て置いて行くとは、最低過ぎる。最低過ぎるという言葉でも全く足りない。
 ただ、幸か不幸か、娘の体は流体に呑み込まれていなかった。これだけは私に許された贖罪だったのだろう。これから娘の埋葬をして、その後に私自身に決着をつける。どういう経緯で道端に落ちていたのかわからないが、充分に弾が残っている古い拳銃を拾っている。娘をキレイにして送って、その後に私も後を追う。
 この手記を、もし誰か見つけてくれたなら、こんな過ちをもう繰り返さない為に、人々に伝えて欲しい。

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