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第九章 反逆の狼牙編
EP263 善意の対象 <☆>
しおりを挟む「くっそぉ……ねみぃじゃねぇかよぉ……。」
征夜と花に言いたい放題の嫌味をぶつけたシンは、スタスタと廊下を歩いて自室に戻ろうとしていた。
アメリアの部屋で寝ようとしたのは良いが、入眠寸前の微睡を爆発音で邪魔されて、叩き起こされた。
アメリアが起きるより前にソソクサと部屋を逃げ出した彼は、猛烈な睡魔を引き摺って征夜が起きるまで待機していた。その執念だけは称賛に値する。
「…………お?アメリアじゃん。起きたのか。こんな所で何してんだ?」
そんなこんなで廊下を進んでいると、アメリアに遭遇した。キョロキョロと落ち着かない様子で辺りを見渡す彼女は、どことなく小動物のような愛らしさが有る。
「な、何してんだって……!
爆発音がしたから飛んで来たのよ!大勢が巻き込まれたって聞いたんだけど、何があったの!?」
「爆発して大勢が巻き込まれたんだよ。」
「バカにしないで!」
「はいはい、すまんかった。
征夜のせいで爆弾ゾンビが爆発して、巻き込まれてガキが死んだ。」
「やっぱり……そうなんだ……。」
言葉尻に棘のある表現で、シンは必要最低限の要点を伝える。言っている事に嘘は無いのだが、何故か悪意が感じられる。
「乱暴されて、爆弾扱いなんて……酷い……酷過ぎるよ……。」
「そうだなぁ。」
どことなく棒読み感の有る声のトーンで、シンは呟いた。興味が無いとまでは言わないが、悲痛な響きは存在しない。
「……震えてるぞ?大丈夫か?」
「う、うるさいっ!放っといて!」
「怖いのか?」
「怖くない!別に怖くない!ちょっと……ゾッとしただけ……。」
精一杯に去勢を張るが、ほんの少しだけ溢れ出した本音の声色がか細くて、頼りない印象を感じさせる。
彼女と出会ってまだ2日。普段は強気に振る舞うアメリアの新たな一面を発見できたシンは、なんだか嬉しくなる。
「……まぁ、そんなビビんなよ。何かあったら俺が守ってやるからよ。」
「……は!?アンタに守られるのとかお断りなんだけど!」
「そうはいってもよ、これ戦争だからな。」
「返事になってない!」
アメリアの意見は尤もだ。「戦争している事」と「シンに守られる事」は線で繋がっておらず、一筋の論理として成立していない。
だがシンは、そんな彼女の反発的な反応に全く動じずに、自分の意見を貫き続ける。
「とにかく、俺ならお前を守ってやれるから。そこは安心しろよ。……少なくとも、お前の弟よりは頼り甲斐が有ると思うぜ?」
「ちょっと!それどういう意味よ!」
突如として差し込まれた弟disに対して、アメリアは憤慨する。
だが今回に限っては、シンの方が道理にかなった論拠を持っていた。
「さっきだってそうだ。
俺がお前を部屋に運んだ時も、アイツは姉貴ほっぽらかして飲んだくれてたぞ?
酒浸しのテーブルにぶっ倒れる寸前で助け起こしてやったのは、アイツじゃなくて俺なんだぜ?」
「ま、まぁ……それはありがと。
けどね!イーサンは頼り甲斐は無いけど…………ぇ"?」
「ん?どうした?」
助け起こされた事に関しては、アメリアも感謝している。
イーサンが頼りない事に関しても、彼女は同感だった。
だが問題は、その他についてだった。
「た、助け起こして……運んだ?私を……?」
「おぅ、おんぶした。」
「ッ!?」
シンにも聞こえるくらい大きく喉を震わせて息を呑んだアメリアは、右手で口を覆って、彼の傍から飛び退いた。一歩、また一歩と後退りして、距離を取る。
唇の色は分からないが、明らかに顔色が悪くなった。額と首に冷や汗が光り、手足が小刻みに震えだす。
「何だ何だ?どうしたんだよ?」
「わ、私の体!私の体に触ったの!?」
「おぅ、そりゃな。俺はエスパーじゃねぇんだ。
感謝してくれよ?お前が自分のベッドで寝れてたのは、俺のおかげなんだぜ?」
シンは得意げに胸を張って、恩着せがましくアメリアに目配せした。
宴会場で酔い潰れて醜態を晒してしまう寸前で助け起こして、自室まで送り届けたのだ。彼としては、ファインプレー以外の何物でもなかった。
――だが、彼女の方はというと。
「ど、どこ!どこ触ったの!?私のどこ触ったのよ!い、言いなさい!!!」
「尻。」
「はっ……ぁ……ぁあ……!」
「おいおい大丈夫か?顔色悪いぞ?」
青ざめ、過呼吸になり、目が泳いでいる。
明らかに様子がおかしいアメリアの事が心配で、シンは彼女の額を触ろうと手を伸ばす――が、しかし。
「ち、近寄らないで!それ以上近寄ったら殺すから!!!」
差し伸ばしたシンの手を弾く事もせず、怯えるように震えながら後退りする。
シンが一歩進めば、アメリアは二歩下がる。そこには、明確な拒絶と恐怖の気があった。
「だから、どうしたんだよ?」
「うるさい!うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!!!!こっちに来ないで!!!」
「あっ、おい待…………。」
頭を抱えて絶叫し、廊下の向こうに走り去ってしまったアメリアを、シンは追いかけなかった。
追いかけて良い雰囲気でもなければ、呼び止めて止まる雰囲気でもない。完全に拒絶されてしまったのだ。
「何だぁ……アイツ……。」
眉を顰めてアメリアの後ろ姿を眺めるシン。
その胸中に怒りはなく、純粋な困惑だけが感情を覆っていた。
(そういや恐怖症とか言ってたな。
つー事はアレか。トラウマだな。…………あちゃぁ、ミスったなぁ。)
イーサンに教えられた事を、完全に失念していた。
彼女は幼少期に、母親の愛人から虐待を受けている。それがキッカケで男性恐怖症になり、男嫌いになった。
そんな彼女に対して、たとえ邪な考えが無くとも尻を触るのは、あまりに刺激が強すぎた。
(酒飲んでたら大丈夫で、酔いが冷めるとダメなのか。
つーか、トラウマってアルコールとか貫通するもんじゃねぇのか?知らんけど。)
トラウマという物は精神の中に占める要素の中でも最も強烈で、酔っている事などに関係なく突発的に表れてくるのだと、シンは先入観を持っていた。
しかしどうやら、今日のアメリアに関しては話が違うらしい。酔った状態でもわずかに抵抗していたが、少なくとも最初は従順だった。
「善意ってのは、人に通じないモンだなぁ。………………ん???」
自ら口に出した言葉に反応して、シンは首を傾げる。
今何か、すごく不思議な事を言ったような。そんな気がした。
「善意……善意…………善意か。」
善意――そう、善意である。
シンは確かに今、善意と言った。
「アイツって……見返りのある奴かな?」
シンは自問自答する。
頭の中に宙道アメリアの像を浮かべ、回転させ、舐め回すように観察する。自分の中に在る彼女のイメージを反芻し、そこに確固たる価値を見つけ出そうとする。
(普通に考えれば、今のところ得より損の方が多いんだよなぁ。)
彼が他者と接する時は、打算と合理的思考の入り混じった損得勘定が働く事が多い。
相手がどんな人間で、自分に何の得があり、何の損があるか、友好的に接する価値があるのか。
頭を殴られた時は、ウザい女。
その直後に、イジり甲斐のある女。
その次に、意外と良い女だと思い直した。
だが、たったそれだけの理由で「一緒に居たい」「善意をもって接したい」と思えるだけの価値が、彼女に有るだろうか。
打算的な思考を元に判断した場合、真摯な心持ちで関わりたいと思えるだけの理由が、彼女のどこに有るのだろうか。
(明らかにめんどくせぇ女だし、この先もそんな感じだろうなぁ……。)
男性恐怖症で、気が強くて、すぐ叫ぶ。思い込みも強く、暴力的だ。
一般的に見れば地雷としか言いようがないアメリアの性質は、損得以前に関わるのを憚られるタイプの女だろう。
「でも……なんか放っておけないんだよな。」
頭では分かっていても、心が着いて行かない。
この二日間でダメな面も色々と見えたが、逆に良い面も見つけられた。
「危なっかしいし、何か気になるし……。」
他人を減点方式でしか見られないシンにとって、長所を見つけて加点できるという彼女の性質は、特異と言う他ない。
悪い面も良い面も見た上で、損得に関わらずに善意を持って接したくなる相手。そんな人間は滅多に居ない――と言うより、直近の数年で初めてだった。
(非合理的な……純粋な善意か……。)
頭の中で、久しく忘れていた善意という二文字が呪いのように循環し、シンの思考を侵食する。
新鮮なようにも、懐かしいようにも思える、人格の純粋な状態。
アメリアの事を考えると、理屈っぽい思考と下世話な打算に浸り切ったシンの脳が、滑らかに整地される。
「バカになっている。」と言うのは容易いが、この感覚を心地良いと感じている自分も居る。
合理的思考を続けていくと溜まる、老廃物のようなストレス。非合理的な奇行に走るか、危険を味わう他に発散する方法が無い不治の病。
――ソレが何故か、アメリアの事を考えるだけで消えていくような。それは本当に、シンにとって未知の感覚であった。
「やっぱ面白いなぁ……アイツ……。」
考えれば考えるほど、興味が湧き出て止まらない。
アメリアは何なのか、自分にとってどんな存在なのか。言語化が難しい好奇心と執着が胸の内側で肥大し、シンの心を満たしていく。
「…………♪」
誰も居ない廊下。
頭上の電灯だけが身を照らす、要塞の一角。
数多の前途有望な少年兵を失った悲壮感と絶望で沈み込み、闇に包まれた城。
誰も彼もが悲しみに暮れる涙の渦で金入俊彦ただ1人が、悦楽に溺れて微笑んでいた――。
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