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第七章 天空の覇者編

EP192 病んだ愛 <☆>

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「落ち着きなさいミサラちゃん。こんな事をして、何になるって言うの・・・。」

 懸命に説得を試みる花をよそに、ミサラは呪文発射の構えを取った。

<<ライトニングストーム!!!>>

「どうしてこうなるの・・・。」

 手のひらから打ち出された稲妻が、花に向かって加速する。
 咄嗟に机を横倒しにした彼女は、それを盾にして猛撃を凌ぐ。

 しかし、稲妻は一発では終わらなかった。
 ミサラが放ったのは、連射呪文と呼ばれるハイレベルな魔法。
 魔法防御の低い相手に対して、威力の高い魔法は必要ない。低威力な物を、相手が死ぬまで撃ち続ければ良い。

「死ね!死ね死ね死ねぇッ!!!」

「今ならまだ間に合う。やめなさい。」

「死ぬのが怖いなら、土下座でもしたら?アハハ!アハハハハハッ!!!」
<<<彷徨える放爆網プラネットボンバー!!!>>>

「今度は爆破・・・!」

 花を取り囲むようにして展開された濃紺の球体が、まるで恒星に引かれて周回する惑星のように、彼女を狙いながらにじり寄って行く。
 次々と彼女に向けて飛び込み、連鎖して爆発する球体を、彼女は必死に避けた。
 身を捻り、バク転と側転で紙一重の回避を続けながら、暴走したミサラの説得を試みる。

「やめなさい・・・こんな魔法じゃ、私を殺せないわ・・・。」

「もっと強い魔法が良い?もっと苦しんで死にたい?やっぱりアンタ、ドMじゃない!アハハハハッ!」

「はぁ・・・。」

 話が通じないと言うのは、正にこの事だろう。
 完全に斜めの構えを取られている。何を言っても反発され、取り合ってくれないのだ。

「さぁ・・・苦しみ抜いて死ね!!!」
<<死に至る握念腕ゼノアームズ>>

「・・・。」

 ミサラの背後から飛び出した二本の腕が、花の体に巻き付いた。
 締め付けながら持ち上げ、肘を食い込ませながら腹を圧し潰そうとする。

 電灯に照らされながら引き上げられた花は、微塵も暴れていない。
 足先は地面を離れ、食い込んだ腕が臓器と骨を圧迫する。破裂寸前まで締め付けられ、軋んだ体は激痛を伴っている筈なのだ。

 それなのに、花はどこまでも冷静なのだ。
 まるで何の問題も無いと言わんばかりに、流れに任せて体を揺らしている。

 だが、そんな澄ました態度さえも、ミサラにとっては不快だった。

 掴んだ花を激しく振り回しても、彼女は苦痛を感じていないようだ。
 艶のある髪が宙でフワフワと尾を引き、電灯に照らされて鮮やかに光る。

 だが何よりも目立つのは、上半身に実った二つの豊満な果実だ。
 服の上からでも分かるほど、彼女の乳房は柔らかく揺れている。
 魔法で囚われた女の無力さを知らしめるように、跳ね回って存在を主張する――。

「アハハ!アハハハァッ!いつ見ても、本当に下品な体ね!折角だし、牝牛らしく乳を搾ってあげるわ!」

 ミサラは罵倒のつもりだが、花にしてみれば褒め言葉だ。
 むしろ嫉妬の象徴として見られる事に、些かの優越感を覚える。

「私のおっぱいが、そんなに羨ましいの?
 肩は凝るし、胸しか見ない人も居るし、可愛い服は入らないし、良い事ばかりじゃないわよ。」

 巨乳にしか分からない悩みを言うフリをして、感情を逆撫でするように自慢する。
 花はミサラの体型を嘲っている訳ではなく、ただ自虐しているのだ。それでも、破壊力は抜群だった。

「うるさい!その下品な胸で、少将をたぶらかしたくせに!」

「人間の雌の胸が大きいのは、母として優秀である事を雄に誇示する為よ。
 二足歩行になった事で、見辛くなった臀部の代わりに、胸が大きくなるように進化したと言われてるわ。
 だから私の胸は下品じゃないし、彼の性欲を掻き立てるのは、それは生物として当然の事よ。」

「遂に認めたのね。その体で彼を誘ったって!この淫乱!!!」

「はぁ・・・冷静に考えて見なさい。
 私が淫らな女で、体を使った誘惑に成功してるなら、26歳で処女な筈ないでしょう。」

 どうにもミサラは、まだ子供のようだ。
 花と舌戦を交わしたとしても、全くもって相手にならない。

「彼が私を好きになったのは、体が目当てじゃない。
 まぁ確かに、私は彼に色仕掛けした事も有る。
 だけど彼は、私が誘う前から一目惚れしたらしいわ。その後から、家庭的で包容力がある面が好きになったの。」

 最初に好きになったのは、間違いなく一目惚れだ。
 だがそれだけで、これまで続いて来た筈が無い。命を張っても守りたいと思う気概は、心を通わせて育んだ恋募にある――。

「大した自信ね!良いわ!試してあげる!
 グッチャグチャに握り潰して、二度と揉めない乳にしてやるわ!子供が出来ても、母乳なんて出ない!
 そんな女でも、彼は好きになるかしら?そんなアンタでも、彼は愛してくれるかしら?楽しみねぇッ!!!」

 容姿で勝てないなら、相手の美点を文字通り”潰して”しまえば良い。
 花の美貌の象徴であり、恋敵にとっては目障りな武器であり、子を育むために重要な器官。
 それを潰してしまえば、征夜は花を愛さなくなると思ったのだ。

 花を縛り上げる腕は、凄まじい力で乳房を掴んだ。
 根元から捻り上げ、乱暴に揉みしだき、乳腺を押し潰そうと全力で握り締める――。

「痛いよね?苦しいよねぇ?このまま、アンタの自慢の胸、握り潰してあげるからぁッ!!!」

 狂気じみた笑い声を上げながら、ミサラは握力を強めていく。
 摘まみ上げられた脂肪は形を変え、圧力を逃がすように指の中をすり抜けていく。

 想像を絶する苦痛が、彼女を襲っている筈だ。
 ブチブチと組織が引きちぎられる音が、今にも聞こえて来そうだ――。




「・・・揉み方が雑で、全く気持ち良くないわ。彼の方が上手ね。」

「・・・はっ!?」

 なんと花は、微塵も痛みを感じていなかった。
 それどころか彼女は、何も感じていない。皮肉を言う余裕すらあるようだ。

「もう少し横を揉んで欲しいわ。感じやすいから。」

「くっ!舐めるなぁッ!」

 怒りに身を任せたまま、ミサラは全身全霊の握力を加えた。
 常人の胸なら、とっくに破裂している程の負荷が、既に掛かっている筈なのだ。

「・・・やっぱり駄目ね。好きな相手に揉まれないと感じないわ。」

 花は残念そうな表情を装いながら、スルスルと体をくねらせて、腕による拘束を逃れた。
 驚くほど簡単に抜けだした体と、驚くほど頑強な胸に、ミサラは動揺が抑えられない。

「な、何でっ!?どうして、私の魔法が!?ていうかアンタの胸、鉄板でも入ってんの!?」

「失礼ね。私は一度たりとも、豊胸手術の類は受けてないわ。勿論、美容整形もね。
 そもそも豊胸で入れるのはシリコンであって、鉄板じゃないけどね。
 それに物を握るなら、”柔らかい方が握り辛い”事ぐらい知ってるでしょ?
 私は昔から、胸も含めて体の柔らかさには自信が有るの。こんな腕くらい、簡単にすり抜けられるわ。」

 ミサラは無自覚の内に、花の胸を”柔らかい”と褒めてしまった。
 その事実に気付いた彼女は、再び癇癪を起してしまう。

「く・・・くぅ・・・!馬鹿にしてぇッ!!!」
<<<マスターライトニング!!!>>>

「はぁ・・・まだ続けるのね・・・。」

 花は少し気怠そうに溜息を吐いた後、放たれた高速の稲妻を側転で回避した。
 だが、ミサラの猛攻は一発では終わらない。矢継ぎ早に放たれる猛撃が彼女を掠め、ホテルの壁に風穴を開ける。

「やめなさい。ホテルの人に迷惑よ。そして何より危ないわ。」

「他人より自分の心配をすれば?いつまで避けられるかしら!」

「えぇ、そうね。そろそろ面倒になって来たし。」

 花は猛撃を潜り抜けながら、落ち着いた口調で詠唱を行ない、彼女は軽やかに杖を振った。

<生ある姿に戻りなさい・・・私に力を貸しなさい・・・魔を退け、人を救う・・・生まれた意味を知りなさい・・・。>

「な、何ッ!?こ、これはッ!」

 足元に、突如として地割れが起こった。
 だが、ここは建物の中。たとえ地震が起きようとも、簡単には引き裂かれない筈なのだ。

「壁と床が・・・枝になって!?」

 ホテルに使われた木材が、少しずつ”材木”に戻っていた。
 黒ずんだ壁は白く染め上げられ、やがて木目から太い枝が生え始める。

「な、何これ!時間が逆行してる!?」

 古びた木材から新しい木材へ。そして、材木としての姿にまで巻き戻った。
 壁から突き出した枝は、花を守るようにしてウネウネと揺れている。
 その筋を優しく撫でる花は、ミサラに向けて誇らしげに話す。

「これは”楠木”。私の名前と同じ植物。
 花言葉は"芳香"であり、”病を治す薬”にも”魔を退ける封印”にもなる。」

「それが・・・何だって言うのよ!!!」

「まだ分からないの?"あなたに付ける薬"として、これ以上の物は無いわ。さぁ・・・行きなさいッ!」

 花はそう言うと、最も太くて頑強な枝をミサラに向け、勢いよく突き出した――。

~~~~~~~~~~

「くっ!ぐぁっ!きゃあっ!!!」

「随分と粘ったわね。」

 その後、数分に渡ってミサラは枝との格闘を続けた。

 火炎魔法で焼き払ってしまえば、ホテル自体が燃えてしまい、自分も征夜もタダでは済まない。
 そうなると必然的に、効き目の薄い魔法か、体術でしか攻撃出来ない。それは即ち、"防戦一方"という訳だ。

 立場が逆転し、今度はミサラが枝に拘束された。
 花は決して、強く締め付ける事はしない。ただ、これ以上暴れないように、最低限の圧力に留めている。

 厳重な拘束によって、やっと攻撃の手を止めさせる事が出来た。
 あとは当初の予定通り、言葉による説得を試みるだけだ。

「私の事を嫌うのは良いけど、彼を傷付けるのは許せないの。
 最近のあなたの行為には、目に余るものがあるわ。
 勿論、私と征夜も悪かったけど、あなたはラインを超えているのよ。」

 花は様々な嫌がらせを受けていたが、今回は話が別だ。

 故意に喉に釘が刺さるように仕向けるなど、普通に殺人未遂である。
 征夜が死んでいても、何らおかしくなかった。
 それに加えてミサラは、既に即死級の魔法を花に向けて幾度となく放っている。
 幸いにも彼女は無傷だが、これもまた殺人未遂である。

「うるさい!アンタよりも、私の方が少将に相応しいのに!」

「どうして、そんな風に思うの?私と彼は両想いなのに・・・。」

 花は悲しげに、ミサラを諭す事しか出来ない。
 彼女と清也はお互いを好いているのに、どうして間に割って入ろうとするのか。
 たしかに彼は、ミサラをガールフレンドだと言った。だが、その誤解は既に解けたのだ。これ以上、彼に執着して何になるのか。

 だがミサラにも、思うところはあるようだ。
 花と征夜が本当に想い合っているのか、些か疑問を感じているようだ。

「最近は、素っ気ない態度を取ってるくせに!
 私なら、彼にもっと優しく出来る!その方が、少将も幸せよ!」

「私は彼を好き。だからこそ、彼には反省して欲しい。
 たとえ故意じゃなくっても、自分の無知が他人を傷つけた事を自覚して欲しい。
 だから私は、彼に冷たくしてた。彼の事が好きだから、もう二度と同じ過ちをして欲しくないの。」

「偉そうな!!!」

「くっ!」

 ミサラは体から漆黒の波動を放ち、纏わり付く太い枝を粉砕した。
 拘束から逃れたミサラは花から距離を取り、呪文発動の構えを取った。

「言ってたわね。植物操作は一日一回。つまりアンタは、もう攻撃を防げない!!!」

「やめなさい。そんな物、私には効かないわ。」

 花には既に、ミサラがどんな魔法を放つのか、直感で分かっているようだ。
 詠唱を止めるには、距離的に攻撃が間に合わない。ミサラも言った通り、植物操作はもう使えない。
 花はその場に立ち止まったまま、発動を待つことにした。

<<<<<我願う・・・主の導きを得ん事を・・・我願う・・・暗闇からの救済を・・・!>>>>>

 赤黒い波動がミサラの手先に集約した。
 稲妻のように放散される邪悪な魔力が、部屋を煌々と照らす。

 その魔法は恐ろしくも、美しく見えた。

 好きな男への未練があるのに、それを上手く表現出来ない。
 振り向いて貰えないと分かっているのに、想いを捨てる事が出来ない。

 それは正に、救いを求める"乙女の叫び"だった。
 もがいても抜けられない暗闇の中で、花を殺せば自分が救われる。

 子供じみた発想ではあるが、征夜は彼女にとって唯一の"希望"だった。
 父を失い、教団での仲間も亡くし、巨大な竜によって命を奪われそうになった。
 絶体絶命にして、先の見えない地獄の中に現れたのが、吹雪征夜という救世主だった。

 だからこそ、失いたくない。
 愛して欲しい。振り向いて欲しい。自分の事を見て欲しい。
 そう思い続けた純粋な恋心が、いつの間にか"恋敵"へのドス黒い憎悪に変わっていた。

 もう後戻り出来ない。
 自分が悪いと分かっていても、止まる事が出来なかったのだ――。

<<<堕ち果てし天女の導光エンジェリオン!!!>>>

 切り札であり、希望への活路であり、暗闇から抜ける為の"福音"。
 たった今、彼女の脳裏に浮かんだ。これまでに読んだどの魔導書にも書かれておらず、練習した事もない魔法。

 それは今、この世界においては他の誰も持ち得ない、彼女だけの魔法だった――。

 赤黒い閃光は、花に向けて放たれた。
 胸元に向けて一直線に飛んで行き、防御の術がない彼女の命を刈り取ろうとする。

(この魔法は防げない!避けれない!生き残れない!終わりよ!楠木花ぁッ!!!)

 勝ち誇った笑みを浮かべながら、ミサラは更に魔力の出力を増大させた――。





「この・・・分からず屋ぁッ!!!」

「え?」

 花の胸に直撃する寸前で、赤黒い光線は直角に折れ曲がった。
 彼女は"片手"で光線の先端を天井に向けて曲げたのだ。
 それに追随する新たな魔力も、屋根を突き破って"天空に向けて屈折"した――。

「言ったでしょ。そんな魔法じゃ、殺せないって・・・。」

「・・・掛かったな!!!」

 エンジェリオンは当たらなかった。
 いや、正確には花に直撃する寸前で、不自然に折れ曲がった。

 花がどんな防御魔法を使ったのか、それは全く分からない。
 だが、ミサラの放つ最後の大技を、無事に回避した事に違いはなかった。

 だが天空に向けて曲げられた筈の光線は、突如として向きを変え、再び急降下して来たのだ。

 花は油断していたのか、その場に棒立ちになっている。
 反応を許さない速度で急降下して来た光線は、無防備な花の胸元に直撃したーー。

「や、やったわ!遂に!遂に倒した!アハハ!アハハハ!アハ・・・あ・・・。」

 トドメを刺した後になって、ミサラは我に帰った。
 自分は何をしているのか。こんな事をして、一体何になるのか。花を殺せば、征夜が振り向くのか。

(わ、私・・・人を・・・殺して・・・!)

 突如として押し寄せた罪悪感が、見たくない現実を直視させる。
 粉砕された床の破片が、粉末状になって部屋を覆っている。
 遮られた視界の向こうには、上半身が吹き飛ばされた花が居る筈だ。

(ど、どうし・・・どうしよう・・・わ、私・・・私は・・・!)
「あ、あぁ・・・!」

 感情に任せて人を殺めた。
 その罪の意識が、ミサラの心臓を押し潰そうとする。
 暴力の快感に酔いしれている間は、余計な事を考えなくて良かった。
 だが、全てが終わってみれば、そこに有るのは"暗い現実"に他ならない。

 征夜はコレを見て、一体どう思うだろう。
 自分が殺した花を見て、自分を愛してくれるだろうか。

 いや、有り得ない。
 自分は彼の憎悪の対象となり、むしろ愛する人の仇として殺されるかも知れない。
 やってしまった事の重大さに気が付く度に、"生き返って欲しい"とすら思えて来る。

(わ、私の魔法・・・アレじゃ・・・助からない・・・!
 あ、あぁ・・・どうしよう・・・!私に・・・手を差し伸べてたのに・・・!)

 花は自分を攻撃しなかった。
 ただ魔法を避け、防ぎ、耐え忍び、心を落ち着かせようとしていた。
 最後まで見捨てる事なく、自分を救おうとしてくれた。

「だ、ダメ・・・死んじゃ・・・死んじゃダメ・・・!」

 思わず口を突いて出たのは、生存を祈る気持ちだった。
 ミサラには直感で分かった。ここで花が死ねば、自分は本当の"悪鬼"となる。
 もう二度と立ち直れない事が、自分でも分かっていたのだ――。





「気は済んだ?」

「・・・ッ!?」

 埃に遮られた視界の向こうから、突如として優しい声が響いた。
 それは、聞こえる筈がない声。もう既に、この世には居ない筈の者の声だ。

「い、生きてる!?・・・ハッ!?」

 ミサラのすぐ横を、何かが通り抜けて行った。
 視線をそちらに向けると、不思議な光景が広がっている。

 そこには、花の残像が幾重にも重なって存在していた。

 先ほどまで花が居た場所には、今も彼女の姿が見えている。
 だが、その横には別の花が立っており、連続して重なった姿がミサラの横を通り抜け、背後へと回っていた。

「これは一体!?」

 理解が追いつかない光景を前にして、ミサラは立ち尽くした。そうしている間にも、視界には異変が起こる。
 花の残像は次々と消えて行き、まるで"映写機に巻かれたフィルム"のように、別の場所へと集約する。

 全ての残像が消え、一つの姿として再び重なった時、ミサラの背後に"実体を持った花"が現れた――。

「え?えっ?・・・えっ?」

 困惑し、理解が全く追い付かないミサラに対し、花は淡々と説明する。

「肉体の座標を、あなたを鏡面にして反転させた。その後、数秒間の因果律を逆転させたわ。」

「な、何言って!?」

「あなたが放ち、私に直撃する。
 その因果を逆転させた。即ち、私が放ち・・・あなたに直撃する・・・。」

 背後に立った花の手に、赤黒い閃光が現れた。
 ミサラの放った魔法と全く同じ物が、今度はミサラに向けて放たれようとしている。

 だがミサラには、もう戦う気がなかった。
 むしろ花が生きていた事を、嬉しくさえ思っていたのだ。

「・・・え?ま、待って!待ってください!私、もう戦いませ!」

<<<堕ち果てし天女の導光エンジェリオン>>>

「きゃぁっ!・・・え?」



 それは、不思議な光景だった。
 放たれた閃光はミサラの体をすり抜け、壁を貫通した。
 極大の威力を誇る魔法を透過させた彼女の体は、不思議な残像を描きながら花の背後に移される――。

「え?えっ?えぇっ!?な、何これ!?どういう・・・?」

「言ったでしょう?座標を反転させたって。
 あなたの座標もまた、私を鏡面にして反転しているわ。因果律逆転の影響でね。」

 花の魔法によって、ミサラを鏡面にして花の肉体が動いた。
 ならば因果が逆転すると、"ミサラの魔法によって、花を鏡面にしてミサラの肉体が動く"となる。

 理屈は全く分からないが、花には隠し球があったようだ――。

「あなたは今、とても怖かったよね。
 死ぬかも知れない。大怪我を負うかも知れない。
 あなたは、そんな事を何度も何度も繰り返して、人を傷付けようとした。
 それが、あなたの罪よ。・・・歯を食い縛りなさい!」

バチィーンッ!

 花の平手が、ミサラの右頬に飛んだ。
 ピンク色の手形を付けながら、ジンジンとした痛覚が彼女の心に沁みて行く。

 意外にも、悪い気分はしなかった。
 とても痛いが、不快な折檻ではない。自分の事を思っての、正しい"説教"であると分かる。

 叩かれた勢いで地面に倒れ込んだミサラは、うずくまってしまった。
 自分がやって来た事を考えると、許してもらえる気がしないのだ。
 花は怒っている。きっと、征夜にも自分の悪行は報告されるだろう。

 ここには、もう居られない。
 明日にでも荷物を纏めて、ここを去るべきだ。悪いのは自分であり、自業自得なのだから。

 倒れ込んだミサラに近寄った花は、その場にしゃがみ込んだ。
 見下ろすような視線と共に両手を広げ、ミサラに向けて伸ばして来る。

(首を絞めるのね・・・仕方ないよね・・・私・・・殺そうとしたんだし・・・。)

 観念したように、彼女は全てを諦めた。
 殺されても文句は言えない。それだけの事をして来たのだ。

 伸ばされた腕はミサラを包み、覆い被さる花の体が彼女の視界を狭めていく。
 いよいよ覚悟を決めた彼女が、襲い来る死に備えて目を瞑った時――。



 花は、彼女を優しく抱きしめた。



「ごめんなさいね・・・。」

「・・・え?」

 絞め殺されると思ったミサラだが、実際に行われたのは温かい抱擁だった。
 そして何より信じられないのは、自分が"謝られた"という事実である。

「どうして・・・謝って・・・?」

「私も征夜も、あなたを傷付けた。
 あなたの痛みを無視して、追い詰めてしまった・・・。
 だから、落ち着いたら三人で一緒に話しましょう。そうすれば、きっと仲直り出来るわ・・・。」

「あ・・・。」

 ミサラは返事が出来なかった。
 自分を包み込む腕と胸に、確かな"愛"を感じたのだ。
 恨まれていない。嫌われていない。そして何より、見捨てられていない。

 自分の事を真剣に想っている人が、世界にはまだ居るのだ。
 そんな人に対し、自分は本気の殺意を向けてしまった。

 自然と涙が溢れて来て、言いたい事が声に出なくなる――。

「ぐすっ・・・うぅっ・・・ひくっ・・・。」

「よしよし・・・大丈夫・・・大丈夫・・・また後で来るから、今は休んで・・・。」

 温かく優しい抱擁と共に、花は彼女を許した。

 許されない事をしても、"後戻り出来る道"を作ってくれる。
 その事実が、彼女にとっては"福音"にすら思えた――。

「最後に聞いておくわ。あの釘は、あなたが入れたの?」

 それは、最もされたくない質問だった。
 だがミサラは、自分の罪を認めていたので、自然と謝罪をする事が出来る。

 床に両手を開き、額を擦り付ける。
 一切の躊躇もなく行われた土下座は、清々しさを感じさせる――。

「えぐっ・・・ひぐっ・・・ぐずっ・・・はい"・・・わ"だじが・・・いれ"ばじだ・・・ほんどうに・・・ごべんなざ」

「待って。」

 濁音が混ざる声で、必死に謝罪を行おうとする。だが花は、彼女の言葉を遮った。

「謝るのは、私じゃなくて彼に対してよ。今は水でも飲んで、少し落ち着いて。
 ・・・あと!しっかり床を直しなさい!怒られちゃうから!」

 花はワザとらしく"膨れっ面"を見せて、ミサラに修理を頼んだ。
 ただ優しくされるよりも、少しフザけた調子で怒られた方が、むしろ安心するのだ。

「はい"・・・わがりまじだ・・・。」

「素直で良い子ね・・・!
 植物化は私が何とかするから、穴が空いた部分だけお願い。出来る範囲で良いよ。」

「・・・はい!」

 涙を拭いたミサラの顔には、笑顔が浮かんでいた。
 "素直で良い子"という言葉が、まるで母からの褒め言葉のように思えて、とても嬉しかったのだ。

「修理が終わったらデザートを持って来るから、しっかり取り組むように!」

 花はそれだけ伝えると、少し嬉しそうに部屋を出て行った。
 残されたミサラは、魔法を使っての修理を開始する。

(酷い事して・・・酷い事言って・・・それでも、許してくれるんだ・・・。)

 ハッキリ言って、数々の暴挙と暴言は許される物ではない。
 だが花は、全てを許す心の広さを持っていた。それを知って、彼女は羨望と尊敬の念を抱かずにはいられない。

(体型の問題じゃない・・・私の性格が悪いんだ・・・。)

 "カップ"の大きさだけでなく、人としての"器"でも、完全に負けている。
 いつも笑っている花と、いつも僻んでいる自分では、どちらが良いか一目瞭然なのだ。

(私も・・・あの人みたいに・・・!)

 征夜がテセウスに"反面教師"として人生の指針を見出したように、ミサラは花に"あるべき姿として"目標を見出した。
 まずは心構えから変えてみる。そうすれば、きっと"さち"が寄って来る。

(まずは謝らないと!
 そして、色々と教えてもらう!あの魔法も凄かったな!因果律反転・・・え?)

 ミサラは思い出した。
 かつて読んだ魔導書の一文に、こんな記述があったのだ。

「因果律って・・・"人主魔術"における、普遍法則の一部だわ・・・。」

 この宇宙の魔法には、"普遍法則"と言う物が存在する。
 何でも出来る魔法の中でも、絶対に動かせない法則。それが普遍法則。
 人主魔法。即ち"人間が唱える魔法"では、因果律の操作は不可能なのだ。

「あの人・・・一体・・・あ・・・あれ・・・?」

 ミサラは突然、視界がボヤけて行くのを感じた。強烈な頭痛が押し寄せ、思考を保っていられない。

「な、何・・・が・・・。」

 理由も分からないままミサラはその場に倒れ込み、意識を失ってしまった――。
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