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第五章 氷狼神眼流編

EP133 伝授 <キャラ立ち絵あり>

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奥義を授ける。
願いを伝える。
彼も勇者を望んでいる・・・。

―――――――――――――――

 負けた。負け続けた。次の日も、その次の日も。この二週間、彼は朝から晩まで資正に挑み、敗れ続けていた。

 彼に負ける感覚は嫌ではない。憎悪を持って戦うのとは違う、涼しげな爽快感があるからだ。
 しかし、悔しさは募っていく。未だに、一太刀も浴びせられていないのだ。

 ただ初戦とは違い、資正に関して分かった事がある。

 信じられない事だが、彼は自分の姿を消せるのだ。いや正確には、視界に捉えられない座標に実像を移動できる。
 たとえ彼の姿を捉えても、それは霞に過ぎない何かであり、別の場所からトドメを刺される。
 この不思議な妖術を、清也は攻略出来ていなかった――。

「でやあぁぁっっっっ!!!!おぶぅっ!!」

 掛け声と共に鋭い斬撃を放つ。それでも相手には当たらずに、顔面を殴られる。
 顔面のパーツが崩壊してもおかしく無い威力だが、特製の薬草で回復する事で、それを避けている。

「少し休むか?」

 その日は既に10時間もの間、一方的に負け続けていた。流石の資正も、心配になって来たようだ。

「ま、まだ・・・やれま・・・ぐふっ・・・。」

 腹筋に込めた力が一気に脱力した事で、膝から崩れ落ちる。誰がどう見ても、再挑戦できる体調では無い。
 今日だけでも7箇所の打撲と、3箇所の捻挫を負っており、過去二週間の傷を合わせると、清也の体に怪我を負っていない場所はおそらく存在しない。

「今日はもう休め。これ以上続けても、実りがあるとは思えん。」

 資正の声にも、いささかの憐れみが混ざっている。清也の方も、無言で頷いて資正の提案に乗る。

 結局その日の修業は、資正に背負われたまま道場に搬送される形で、終了となった。

~~~~~~~~~~

 湿布と薬草を貼り付けて、うつ伏せのまま布団に横たわる。冷たく、スースーとした感覚が、熱を帯びた傷に効いて来る。

 しかし、休んでいる最中でも清也の頭の中にあるのは、資正に勝つ事だけだ。

(このままじゃ・・・いつまで経っても勝てない・・・。奥義だ、奥義を先に会得する必要がある・・・。確か名前は・・・金剛霜斬こんごうそうざん・・・。)

 "氷狼神眼流奥義・金剛霜斬"その実態は、今の清也には分からない。
 ただ一つ分かる事、それはこの奥義を用いれば資正に勝てるという事――。

(でも、教えてくれと頼んでも、教えてくれる雰囲気じゃ無いし・・・やっぱり、"調気の極意"を使うのかな・・・?)

 特殊な呼吸により体温を変化させる。
 その後、体表から発散された熱を用いて、周囲の空気を自由自在に操る。それが、調気の極意である。

(呼吸の仕方は分かる。だけど、それがどうして、風を起こしたり、真空刃を放つことに繋がるんだ・・・?
 温度を操れば、湿度や気圧を操る事も可能だって言ってたけど・・・。)

 氷室で過ごした一夜以来、清也は無意識のうちに調気の極意を使っていた。いや、正確にはその呼吸を用いて生活していた。
 しかし未だに、氷塊を溶かした時のような熱は、自在に出す事が出来ないし、気圧を操る事などもっての外だ。

(はぁ・・・困ったなぁ・・・。)

 楽に勝てるとは思っていなかった。しかし、ここまで負け込むと先行きが見えなくなって来る。

(このまま戦っても無駄・・・だったら、むしろ手の内を隠した方が・・・・・・そうか!それが良い!)

 暗く沈んだ清也の思考に、単純だが確実な一筋の光が差し込んだ。その考えを、今すぐにでも始めたくなる。

 しかし、その日は既に日没を回った時刻であった。その上、体は満身創痍極まる状態である。
 その為、実行は明日以降に回し、今夜はゆっくりと休む事にした――。

~~~~~~~~~

「自主鍛錬・・・?」

「はい!・・・ダメでしょうか?」

「・・・確かに、自分と向き合う事で見えて来る物は多い。
 良いだろう、好きなだけ自己を研鑽するが良い。そして、某に挑みたくなったら、いつでも声を掛けるがいい。」

「ありがとうございます!」

 翌朝のまだ日が昇る前、清也は資正に頼み込み、自主鍛錬の許可を得た。
 師匠の手を借りずに行う初めての修練。これもまた、腕を磨く為に必須な道筋だろう。

「して、どのような鍛錬をするつもりなのだ?」

「剣道も大切ですが、そちらばかりに気を取られて、”調気の極意”の修業を何もしていない事に気付いたんです。
 それを使えないと、氷狼神眼流を極めたとは言えないと思ったんです。」

 修業の方向性は決まった。しかし、具体的な方法は分からない。

(どうしようかな・・・。何をすればいいのか、何も考えて無い・・・。)

 清也の表情が曇ったのを感じ取った資正は、少しだけ助言をしてみる事にした。



「”木枯らしの丘”に行け。気流の調べを聞きながら、律動する神経を研ぎ澄ませ。」

「へ?今、何と?」

「北山道を左に行くと、雪の禿げた小高い丘がある。直方体の中心に真円の空いた岩。それが目印だ。」

「え?あ、はい・・・。」

 清也にはよく分からなかったが、心当たりのある岩なら、確かに山道の傍にあった。
 既に夜は明け、雪山に朝日が差し込み始めている。溶けた雪によって山道がぬかるむ前に、清也は丘へと急ぐことにした。

~~~~~~~~~~~

「着いた・・・ここが、木枯らしの丘・・・。」

 山道を脇にそれた先、その奥には小高い丘があった。
 雪は積もっておらず、鮮やかな緑の芝生がそよ風に吹かれて揺れている。

ヒュ~・・・ヒュィ~・・・ヒュォ~・・・

「・・・何の音だ?」

 よく見ると、直方体の岩に空いた穴から、不思議な音が奏でられている。
 高く不思議な、美しい音色。吹き抜ける風の勢いが、岩に空いた空洞の中で反響しているのだろう。

(なんだろう・・・心が洗われるような・・・。集中力が、極まっていく・・・。)

 朝焼けが体表を照らす温かい感触と、そよ風に煽られた道着が体を引く感覚。
 晒された心の内が、美しい世界の姿と調和を図ろうとしている。

(まずは全身の力を抜こう。話はそれからだ。)
 
 深呼吸し、全身の筋肉を脱力する。
 今にして思えば、この一ヶ月半は常に肩肘を張っていた気がする。
 確かに花の考案したノート作戦は、時間を絶え間なく修練に費やせると言う点では、非常に効率的な物だった。
 しかしそれは、裏を返すと"一切の休みが無い"と言う事だ。寝れば体は回復する。ただ、心を休めるには、何もしない時間を作る必要があったのだ。

「すぅ~・・・はぁ~・・・よし。次は逆に、全身を使って呼吸してみよう。」

 数分間、何も無い世界に閉じ篭った清也は、全体的に大きくリフレッシュ出来た。
 緊張が解け、修業に臨む万全な体勢が出来上がる。

「んぐっ・・・!ぐくくっ・・・はぁ!!!」

 不快に感じるほど深い深呼吸と共に、肺に力を入れる。ここまでは、普段の修業でも行う呼吸法だ。
 後は全身に力を入れるだけなのだが――。

「んぐぐぐっ・・・!がぁっ!!!ダメだっ!はぁ・・・はぁ・・・。」

 力が足りないわけでは無い。ただ、込め方が分からない。
 全身の筋肉に、入力するだけでは足りないのだ。もっと何か、感覚的な物が必要だ。

「血が沸騰する感じをイメージだ・・・。血が沸騰・・・んぐぐぐぅっ!!!・・・ダメだ。」

 体温すら、これ以上は上げられない。それにこの体温上昇も、全身で力んだ事による物で、調気の極意とは無関係だ。

「もう一回だ!そのうち出来るはず!」

 無謀な挑戦を、清也は続ける事にしたーー。

~~~~~~~~~~

 目指すべき方向性も掴めないまま、時間だけが過ぎて行った。
 コツは掴めない。むしろ、正解が分からない。
 模範解答の無い問題集を、延々と解き進める感覚。それすらも可愛く思えてくるほど、深く苦しい暗中模索。

 その闇を打ち払ったのは、清也ではなかった――。



「ハハハ!清也君、苦戦してるみたいだね。」

「誰だっ!」

「ごめんごめん、驚かせるつもりじゃ無かったんだ。」



 振り向くと、背後に一人の青年が立っていた。

 特徴的なのは鮮やかな青色の瞳と、青みがかった黒い長髪。
 着ている道着は清也の色違いであり、直感で彼が同じ流派の者だと察せられる。
 足取りは軽快で、背筋がピンと張っており、よく鍛えられた体つきをしている。
 恐らく、年齢は清也よりいくつか上。比較的長身な清也の178cmより一回り大きい身長は、不思議な魅力を感じさせる。

「あなたは・・・誰ですか?」

「僕は君の兄弟子だね。トオルって呼んでくれると嬉しいよ。」

 トオルはそう言うと、無言で清也に握手を求めて来た。それを突き放すほど、清也は馬鹿じゃ無い。
 兄弟子の存在は知っていた。しかし、生きている者がいるとは思わなかった。だからこそ、この体験は貴重だと言う事も分かっていた。

「初めましてトオルさん!」

「アハハ、呼び捨てで良いのに。」

「いえ!それだと失礼です!」

 清也はこの三ヶ月で、随分と礼儀について叩き込まれたようだ。
 就寝前に行う作法の座学。それが効いているのかも知れない。少なくとも、初対面の相手を呼び捨てにする事は無くなった。

「僕には時間が無くてね・・・。だから、単刀直入に言うよ。僕は君に、調気の極意を教えに来た。」

「えぇっ!本当ですか!?」

「うん。苦戦していそうだから。」

 穏やかな微笑みを浮かべるトオルは、同性である清也でも惚れてしまいそうな美男子だ。
 風に煽られた長髪が、鮮やかな黒い光を放っている。

「君は確か・・・呼吸の仕方は分かるんだね。」

「はい!肺の奥底に力を込めて、全身の血を温めるんですよね!」

「そうそう!感覚がわかってるなら話が早いよ!」

 嬉しそうに、そして満足そうにトオルは微笑む。寡黙な資正とは違い、よく笑う男である。
 出会ったばかりのはずなのに、不思議な親しみを感じるこの笑顔が、清也には眩しく感じられた。

「ただ、"真空"とか"気圧"がよく分からなくて・・・。」

「焦らなくて大丈夫。ゆっくりと覚えていこう。」

「は、はい!」

 清也の返事を聞いたトオルは、その場に絵を描き始めた。
 そしてその意味を、清也にわかりやすく説明し始める。

「まず前提として、風は気圧の差によって生じるんだ。そこまでは良いね?」

 清也は無言で頷く。しかし実際は、中2レベルの知識であるこれを、今初めて知った。

「それで、気圧の差と言うのは、温度によって生じる。そして、それを操るために・・・?」

「体温を用いる!」

「正解!」

 褒められると嬉しくなる。まるで兄のように、清也の事を肯定してくれるのだ。
 それでいて、解説が分かりやすい。同じ流派の者だから、感覚的に通じる部分もあるのだろう。しかし、それを差し引いても、やはり伝わりやすいのだ。

「気圧の差を極限まで高めると、極度の低気圧空間が出来始める。見た目で言えば"気流の歪み"だね。
 それを作るのが、僕たちの目標なんだ。僕はそれを"真空点"って呼んでる。」

「真空点・・・。」

「そうだよ。一応、これで理論編は終了なんだけど、質問はあるかな?」

「あ、一つだけあります!どうして真空を切ると、真空刃を打ち出せるんですか?」

「う~ん・・・難しい質問だなぁ・・・。僕も、理論的には良く分からないんだよねぇ・・・。
 ただ感覚的な面で言うなら、刀に巻き込んだ気流を、真空点で加速させるって感じかな。実際にやった事が無いと、分かりにくいかも。」

 解説が難しい。彼は気象学者でも無ければ、魔法使いでも無い。一介の剣士なのだ。理論的な部分は、彼の専門外である。

「真空点で加速させる・・・刀で巻き込んだ空気・・・。」

 状況を想像する。空中に出来た歪みに対して、刀を叩き込む。そして、その流れに沿って真空刃が発生する。
 たしかに、やった事が無いと分からない感覚だ。あまりにも、直感的な面が多すぎる。



 そこで初めて思い出した。
 清也は一度、真空刃を放った事がある――。



「気流の歪み・・・歪み・・・?血が沸騰・・・あぁぁッッッ!!!!!」

「うわぁっ!?」

 あまりにも大きな声に、トオルも驚いて仰け反ってしまう。

「ぼ、僕!やった事ある!真空点を作った事があります!」

「へぇ!それは凄いね!いつやったの?」

「・・・。」

 何故か、言いたく無いと思ってしまった。
 後悔はしていない。しかし、人に教えたい事でも無い。

(初めて"人を殺した時"だなんて、言えるはず無いよ・・・。)

 清也が思い出した感覚。それは、有耶無耶になっていた”殺人の瞬間”に関する記憶。
 あの体験を、人に教えようとは思わない――。

「ごめん!戦いの事なんて、話したく無いよね・・・。」

「あっ!いえ、そう言うわけじゃ・・・。すいません・・・。」

「いや良いんだ。こちらこそごめん。」

 少しだけ、空気が暗くなった。
 しかし、そんな事を気にする余裕も無い。

「よし!真空を使った事があるなら、話は簡単だ!
 後はそれを繰り返すだけ・・・なんだけど出来る?」

「う~ん・・・実は、それが分からなくて・・・。」

 頭を抱える清也に対して、トオルは実際にやって見せようとする。

「まずは、肺に力を入れるよね?そして、全身に熱を送る・・・はぁっ!!!」

ヒュォォォンッッッッ!!!!!

「うわぁっ!?」

 トオルを囲うようにして、空気を切り裂く音と共に、つむじ風が巻き込まれて行く。
 それに呼応するかのように空洞のある岩から、先ほどと異なる音が流れ出して来た。

「ほら、真空点が出来た。あとはコイツを斬れば・・・せいっ!!!」

 トオルは腰に差した真剣を抜くと、勢いよく空を切った。そして、その剣先から勢いよく真空刃が発射される。
 その時確かに、トオルの刃は空気の歪みを捉えていた。

~~~~~~~~~~

「もっと全身だ!細胞を震わせる感覚を思い出して!」

「うぐぐぐっ!!!」

 原理は分かった。後は真空点を作る練習をするしかない。

「毛細血管を意識するんだ!」

「ふぐぐぐぅっっっ!!!!」

 背筋がゾワゾワと震える。体温が少しずつ上昇していくが、まだ覚醒には至らない。

「はぁ・・・はぁ・・・駄目だ・・・。」

「ちょっと休憩してみようか。」

 一呼吸を置くと、芝生の上に座り込み青空を見上げる。

「凄いですね・・・あんな簡単に真空を・・・。」

「慣れれば簡単なんだ。血管を意識して、体温を送り込む。
 大事なのは温度差だよ。左手と右手の温度を変えるだけで、刀に風を纏わせることが出来る。
 最初はそよ風で良いんだ。それを繰り返すうちに血管が適応して、竜巻も起こせるようになる。」

「へぇ・・・早く使ってみたいなぁ・・・。一カ月以内に出来ると良いけど・・・。」

 肌を撫でる涼やかな風を感じながら、流暢な事を言う清也。
 しかしトオルはそれを見て、申し訳なさそうに告白する。

「君に、伝える事がある・・・僕がここに留まれるのは、実は今日だけなんだ・・・。
 急かすつもりは無いんだけど、今日中に真空点は作れるようにしたいなぁ・・・。そこまで出来れば、後は簡単なんだ。」

 時間が無いとは聞いていたが、そこまで切羽が詰まっているとは思わなかった。
 それを聞いた清也は、当然ながら慌ててしまう。

「今日だけ!?それだけじゃ無理ですよ!なんで今日だけなんですか!?」

「カゲルが・・・呼んでるんだ・・・。戻らないと・・・マズい事になる・・・。滅びが、加速してしまう・・・。」

 遠い目をしながら、虚空を見上げている。
 焦っているような、怯えているような。これまでの悠然とした立ち振る舞いとは、何かが異なっている。

 背筋が寒くなって来る。トオルの様子は、何かが変だ。
 小刻みに震え、喉から何かが飛び出そうとしているようにも見える。
 眼球から白目が消え、その全てが黒く染まる。それは最早、人間の顔ではない。

 背を曲げながら、仰向けに倒れ込む。生い茂る緑の芝生を掴み、何かを呟いている
 のたうち回りながら、呼吸困難に陥っているようだ。ただそれだけのはずなのに、彼から不気味な気配が漂い始める。

「ど、どうしたんですか!カゲルって誰です!?一体何があるんです!」

 清也は、もがき苦しむトオルに駆け寄っていく。明らかに様子がおかしいのだ。






「お前にハぁワがラぁ無いぃッ!オ前ぇにハァ関係ナぁいぃ!探ルなぁ!知るぅナぁッ!救えナぁイならぁ関ワるなッッッ!
 何がぁデキぃぃるッッッ?苦シい!助けてクれ!喉がカワいた!燃えるぅヨウニぃ痛ぁい!融けぇル!
 息がぁデき無いぃ?あああぁッッッあぁぁぁッッッッぁぁああッッッッッあがッッッあああ!!!!!!!」

「うわぁぁぁぁぁッッッッッッッッ!!!!!!!あ、がが・・・!げほっ・・・!おぐぉっ!!!」

 奇声を吐き散らしながら立ち上がったトオルに、先程までの面影はない。
 関節が有り得ない方向に回転し、強靭な腕力で清也の”首を締め上げる”。
 その手に一切の容赦はない。本気で命を奪おうと、握力を込めている。

(どうしちゃったんだ!トオルさん!正気に戻ってくれ!!!)

 心の叫びは、トオルに届かない。清也の意識は遠のいていく。

(ま・・・まずい・・・死ぬ・・・殺される・・・。でも・・・まだ・・・死ねないんだ・・・!)

 薄れゆく意識の中で、清也の肉体に生への渇望がみなぎって来る。その爆発力は、清也を新たな境地へ至らしめたーー。

 全ての感覚が、全身の血管に注ぎ込まれる。脈動する血液の温度は、右半身と左半身で全く異なる。
 極限状態において、清也の肉体が新たな境地を悟ったのか。
 それとも、首を絞められ満足に取り込めない呼気を、肺が左右にいびつな分配をしたのか。

 もしくは、その両方かも知れない。どちらにせよ、真空点を作る条件はそろったーー。

(空気の歪み・・・トオルさんの下に・・・!)

 真空点は、清也に対して馬乗りになるトオルと、押さえ付けられた清也の腹の間に生成された。
 トオルの言葉通り、ここまで来ればあとは簡単だった。
 絞殺を防ごうと相手の手首を抑えていた手を放し、その手で真空点に対し力強く空気を押し込む――。



「はぁぁッッッ!!!」

「おぶぅっ!」

 勢いよく打ち出された空気のうねりが、トオルのみぞおちを直撃する。
 体勢を崩し、仰向けにのけぞった一瞬の隙を、清也は見逃さなかった――。

「目を覚ましてくださいッ!!!」

 下顎に強烈なアッパーを叩き込む。トオルはそのままの勢いで、背後へと吹き飛ばされた。
 しかしトオルは失神する事無く、悠然と立ち上がる。清也は彼に向けて、腰に差した木刀を抜いた。

「来ないでください!来たら、あなたを殺します!」

 清也は本気だ。首を絞められて怒ったのではない。
 ただ純粋に、目の前に立っているトオルと言う男に対し、言い知れぬ恐怖を覚えたのだ。



「ハハハッ!よし!成功だ!」

「・・・はい?」

 立ち上がったトオルの嬉しそうな笑顔を見て、清也は拍子抜けしてしまう。
 先ほどの人外のような気配は消え、元の好青年に戻っている。

「君は確かに本気だったし、一生懸命だった。だけど、体が着いて行けてないと思ったんだ。
 だから、体の方にも本気になってもらった。本能ってのは、命がけの時以外には出てこない物なんだ。
 いや、本当に驚かせてごめん。気を失う寸前で、首を絞めるのはやめるつもりだった。」

「あ・・・なるほど!確かに、今のでコツは掴めました!ありがとうございます!」

 笑顔には、恐ろしい力がある。
 先ほどまで張り詰めていた緊張感が、一気に和やかな雰囲気へと変わった。
 崩れかけていた信頼関係も、即座に修復していく。

 雰囲気に誤魔化されていたが、彼も資正と同様にスパルタな考えの持ち主なのだ。
 殺す直前でやめてくれる分、氷室に放置した資正よりはマシだろうが――。

「もう一度試してみます!ぬぬぬ・・・はぁっ!!!・・・出来ました!」

 全身の血流を意識し、先程の感覚を再現する。
 再び発現した真空点は先刻の物より小さいが、確かに完成されている。
 その部分に空気を送ると、やはり今回も気圧の波が打ち出された。

「絶好調だね!あとは練習を繰り返して、より早く、より力強くするんだ。」

「なるほど・・・ありがとうございます!これなら、何とかなりそうです!」

 清也もトオルも、お互いに安堵の表情を以って向かい合う。
 傍から見れば、二人は仲の良い兄弟にしか見えない。

「よし、ここからは作戦の話をしよう。
 君も気付いてると思うけど、あの人は空気の流れを屈折させる事で、自分の姿を他の場所に写し、擬似的に消せるんだ。
 それに対抗するには、同じように空気を屈折させて、補正を掛けるしか無い。
 大変に聞こえるけど、慣れてくれば簡単だよ。要するに、一切の風を無くせばいいんだ。」

「風を無くす・・・。慣れるまで大変ですが、どうやって練習すれば・・・・・・あぁぁッッッ!!!」

 特訓の方法に悩んだ清也だが、すぐに革新的なアイデアを閃く。その答えは、最初から”この丘にあった”のだ。

「あの岩から、音がしなくなれば良いんだ!」

 風が通ると、美しい音が鳴る岩。
 逆に言えば、風が通らなければ音はしない。

「正解!僕も同じ特訓をしたよ。」

 弟分の察しの良さに、トオルは思わず笑みが込み上げて来る。
 どうやら、かつて彼も同じ特訓をしたようだ――。

「師匠の結界を破ったら、あとは奥義を叩き込む。
 ”舞のような感覚”が大事なんだけど・・・分かる?技と技を連ねる感じ。」

「技と技が・・・舞のように・・・あぁっ!」

 清也は、その感覚にも覚えがあった。
 それは忘れもしない、人生初の対人真剣勝負――。

(試練中に、間違えて花と戦った。あの時確か・・・うん!あれの事だ!)

 ”試練の怪物”もとい花との死闘の中で、二人の動きは調和を持って交わった。
 次から次へと、流れを意識しながら攻撃を繰り出す感覚。清也はあれを覚えていた。

「奥義は・・・たぶん分かります!あとは理論だけで・・・。」

「それなら大丈夫!理論はすごく簡単だから!耳貸して・・・。」

 トオルに手招きされた清也は、口元に耳を持っていく。奥義とは、”奥にある”から奥義なのだ。こそこそと教えた方が、拍が付くという物である。
 それはそれとして、吐息が耳に当たる感覚は、何だか変な感じがする。

「・・・分かった?」

「はい!」

 奥義の内容は以外にも単純だった。あとは放つまでの下準備と、慣れる事だけが問題だ。

「結界破りと奥義は教えた!これで君も、試験に受か・・・・・・いや、これじゃダメだ!」

「えぇぇっ!?」

 突如として、トオルは自らの結論を撤回する。そして、困惑する清也を置き去りにしたまま考え込む。

「一歩下がって・・・いや・・・覚えて・・・二連・・・?いや・・・。」

 ボソボソと呟くため、断片的にしか聞けない。
 しかしそれでも、かなり深くまで思考を巡らせている事が分かる。

「・・・清也君、耳を貸して。」

「はい・・・。」

 訳も分からないまま、清也を再び招き寄せる。
 そして彼は現状の打開策を、清也に対して余すことなく伝えた。
 これまでの作戦にあった致命的な欠陥を、新たな閃きで解決する。

「・・・よし!これなら、今度こそいける!後は君次第だ。厳しい戦いになるだろうけど、勝機は生まれる!」

「勝てるかは分かりません・・・でも、やらなきゃ勝てないんですよね・・・。なら、やるしか無いです!」

「その意気だよ!勝てる見込みは薄くても、これなら万が一はある!」

「トオルさん・・・今日は本当にありがとうございます!」

 ”怪物”との戦いに関し、僅かな勝利が見えてきた。これは大きすぎる一歩だ。トオルには感謝してもし切れない。
 トオルの方も、嬉しそうに清也を見ている。その表情は満ち足りた笑顔だ。

「僕の方こそ、君に会えて嬉しかったよ!弟分なんて、会ったことも無かったし!」

 二人は再び、両手で握手した。温かい感触をお互いに共有する。

「それじゃ・・・僕はそろそろ行くよ・・・これ以上居ても仕方が無いし、やらなくちゃいけない事があるんだ・・・。」

「そうですか・・・せっかく仲良くなったのに残念です・・・。また今度、ゆっくり会いたいです・・・。」

 社交辞令として頻繁に用いられる文句だが、清也に限って言えば本心だ。
 新しい友人、もっと言えば”兄”が出来たとさえ感じたのだからーー。



「きっと、また会えるさ・・・。君が勇者を目指すなら・・・。」

「え?」

 よく聞き取れなかった。聞き返す清也を無視して、トオルは坂道を降りていく。

「待ってくださいトオルさん!良く聞こえなかったんです!」

「持って、あと二年だ。それ以上は抑えれない。お願いだ・・・””を止めたいなら・・・急いでくれ・・・清也・・・。」

 トオルの体が、清也から見て死角に入る。真意を確かめる為に、清也は後を追いかける。



 しかし既に、トオルはそこに居なかった――。
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