陽の当たるアパート

なたね由

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SS集

2.チープとクール

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 菓子鉢、というらしい。
 うちにはあったよ、と当たり前のような顔をして一弥さんが言うので、少なくとも子供の頃、俺の家にはなかったけれどとは言えず、なるほどそんなものかと納得した。世代の差ですかねなんて言おうものなら、軽率に手が出てくることも目に見えている。
 そもそも問題はそこにはない。
 文句ではなく事実を伝えるならば、この部屋はそれほど広くはない。風呂トイレ別、とは言っても風呂場の入り口は台所にあるし脱衣所なんて立派なものもない。故に何か物を増やすのであれば、可能であれば相談して欲しいと思うのだけれど、ここはもともと一弥さんが一人で住んでいたアパートだ。だから、あまりその辺りに目くじらを立てるのもどうかとは思っている。とはいえ、断りなしにコーヒーメーカーを買ってきた時にはさすがに苦言を呈したが、何だかんだ重宝しているので事あるごとにそれを擦られるので正直面倒臭い。
 深夜零時に帰宅して一弥さんの部屋のドアを軽くノックし、進入OKの証である薄く開いた隙間から中を覗くと、椅子に胡坐を掻いて猫背になった一弥さんが、いかにも重たそうなバカでかいヘッドセットを付けて前のめりにモニタを見詰めている。ゲームしているならドアは閉めておいてくれ、と余計な邪魔をしたくなくて伝えても、別に邪魔してこないからいいよと頓珍漢なことを言う。そちらがそのつもりなら別にいいかと部屋に入り、声を掛けず荷物を床に置いてベッドに腰を掛けと、ベッドの傍のローテーブルに見慣れないものがあることに気付いた。

 「うわ」

 ごとんと音がして顔を上げると、ヘッドセットをパソコンデスクに置いた一弥さんが椅子ごとこちらに身体を向けていた。

 「ただいまです」
 「おう、おかえり。お疲れ」
 「ゲーム終わったんですか」
 「してないよ」

 音楽聞いてた、と一弥さんは言った。確かに、モニタには再生が終了したらしい動画の画面が映されている。9分割にされたサムネイル画像。そのうちのいくつかは見覚えのあるもの、というか自分たちがアップロードした動画のものだ。

 「いい曲じゃん」
 「まさか見たんですか、配信」
 「見てたよ」

 突っ込みたいことが多くて困ってしまう。テーブルの上の見覚えのないものとか、一弥さんの口から発せられた配信という単語のこととか。
 バレンタインデーに生配信をやる、と言い出したのは例によって大知である。まあそうだろうなあ、とメンバー全員特に驚きも反論もなかったのだけれど、その配信で新曲を発表するしその後動画も上げるなどと言い出して、まあそれもいつものことではあるけれどそれなりにてんやわんやをしてしまった。お陰様でここ数日は帰宅もすっかり遅くなり、今日は比較的早いうちに帰れたのだ。
 ささやかな期待がなかったとは言えない。人付き合いは苦手だけどコミュニケーションには気を遣う一弥さんのことだから、多分そういうことも考えているんじゃないかとは思ったりもした。それでもあまりに普通過ぎる対応にちょっとがっかりしてしまったのだけれど。
 それはそうと、だ。

 「なんですかこれ」
 「菓子鉢。食っていいよ」

 つまりこれが冒頭の話である。子供の頃の話、というのはなかなかレアだなと思い突っ込んで聞こうと思ったのだけれど、それ美味いんだよと椅子から立ち上がりベッドにやってきた一弥さんに、それ以上何かを聞くこともできなかった。一弥さんの子供時代の話はたまに出るのだけれど、ある程度進んだところでいつも適当にはぐらかされる。話したくない事なんだろうなと薄々察してはいるけれど、それが何かも分からないものだから踏み込むこともできない。だからいつも、なんとなく微妙な空気になってしまう。
 今だってそうだ。子供の頃は、という話がそれ以上進まず菓子鉢とやらに盛られたキャンディ包みの小さな菓子を手に取る。紫色に青のライン。包みを剥いて口に放り込むと、甘ったるくてほんのり酸っぱい。ぶどう、と言うとブルーベリーですと即座に訂正が飛んだ。

 「……これ、つまり、チョコレートですね」
 「うん、まあ、そういうことだよ」
 「どういうことですか」
 「欲しいもんある?」
 「チョコ下さい」
 「それ食えばいいじゃん」
 「そういうことじゃないですって。分かってるでしょう」
 「……しょうがねえなあ」

 ベッドから立ち上がった一弥さんはやや乱暴な足取りで台所へ行き、食材をストックしている棚の前で何やらガサガサとしている。
 用意はしてたんだな、と笑ってしまう。つくづく、まわりくどいにも程がある人だ。
 この場合お返しはふたつぶんになるんだろうか。そんなことを考えていたら、シックなココア色の小さな紙袋を手に戻ってきた一弥さんが俺の隣に座り、悪ガキの小学生みたいに俺に突き付けてから菓子鉢のチョコレートをつまんでいる。
 俺が話題に出さなかったらこの高級そうなチョコレートはどうなっていたんだろう。それを考えるとなんとも言えない気持ちになって、いちご味、とつぶやく一弥さんの頭頂部を掴んで撫で回してしまった。
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