15 / 16
SS集
2.チープとクール
しおりを挟む
菓子鉢、というらしい。
うちにはあったよ、と当たり前のような顔をして一弥さんが言うので、少なくとも子供の頃、俺の家にはなかったけれどとは言えず、なるほどそんなものかと納得した。世代の差ですかねなんて言おうものなら、軽率に手が出てくることも目に見えている。
そもそも問題はそこにはない。
文句ではなく事実を伝えるならば、この部屋はそれほど広くはない。風呂トイレ別、とは言っても風呂場の入り口は台所にあるし脱衣所なんて立派なものもない。故に何か物を増やすのであれば、可能であれば相談して欲しいと思うのだけれど、ここはもともと一弥さんが一人で住んでいたアパートだ。だから、あまりその辺りに目くじらを立てるのもどうかとは思っている。とはいえ、断りなしにコーヒーメーカーを買ってきた時にはさすがに苦言を呈したが、何だかんだ重宝しているので事あるごとにそれを擦られるので正直面倒臭い。
深夜零時に帰宅して一弥さんの部屋のドアを軽くノックし、進入OKの証である薄く開いた隙間から中を覗くと、椅子に胡坐を掻いて猫背になった一弥さんが、いかにも重たそうなバカでかいヘッドセットを付けて前のめりにモニタを見詰めている。ゲームしているならドアは閉めておいてくれ、と余計な邪魔をしたくなくて伝えても、別に邪魔してこないからいいよと頓珍漢なことを言う。そちらがそのつもりなら別にいいかと部屋に入り、声を掛けず荷物を床に置いてベッドに腰を掛けと、ベッドの傍のローテーブルに見慣れないものがあることに気付いた。
「うわ」
ごとんと音がして顔を上げると、ヘッドセットをパソコンデスクに置いた一弥さんが椅子ごとこちらに身体を向けていた。
「ただいまです」
「おう、おかえり。お疲れ」
「ゲーム終わったんですか」
「してないよ」
音楽聞いてた、と一弥さんは言った。確かに、モニタには再生が終了したらしい動画の画面が映されている。9分割にされたサムネイル画像。そのうちのいくつかは見覚えのあるもの、というか自分たちがアップロードした動画のものだ。
「いい曲じゃん」
「まさか見たんですか、配信」
「見てたよ」
突っ込みたいことが多くて困ってしまう。テーブルの上の見覚えのないものとか、一弥さんの口から発せられた配信という単語のこととか。
バレンタインデーに生配信をやる、と言い出したのは例によって大知である。まあそうだろうなあ、とメンバー全員特に驚きも反論もなかったのだけれど、その配信で新曲を発表するしその後動画も上げるなどと言い出して、まあそれもいつものことではあるけれどそれなりにてんやわんやをしてしまった。お陰様でここ数日は帰宅もすっかり遅くなり、今日は比較的早いうちに帰れたのだ。
ささやかな期待がなかったとは言えない。人付き合いは苦手だけどコミュニケーションには気を遣う一弥さんのことだから、多分そういうことも考えているんじゃないかとは思ったりもした。それでもあまりに普通過ぎる対応にちょっとがっかりしてしまったのだけれど。
それはそうと、だ。
「なんですかこれ」
「菓子鉢。食っていいよ」
つまりこれが冒頭の話である。子供の頃の話、というのはなかなかレアだなと思い突っ込んで聞こうと思ったのだけれど、それ美味いんだよと椅子から立ち上がりベッドにやってきた一弥さんに、それ以上何かを聞くこともできなかった。一弥さんの子供時代の話はたまに出るのだけれど、ある程度進んだところでいつも適当にはぐらかされる。話したくない事なんだろうなと薄々察してはいるけれど、それが何かも分からないものだから踏み込むこともできない。だからいつも、なんとなく微妙な空気になってしまう。
今だってそうだ。子供の頃は、という話がそれ以上進まず菓子鉢とやらに盛られたキャンディ包みの小さな菓子を手に取る。紫色に青のライン。包みを剥いて口に放り込むと、甘ったるくてほんのり酸っぱい。ぶどう、と言うとブルーベリーですと即座に訂正が飛んだ。
「……これ、つまり、チョコレートですね」
「うん、まあ、そういうことだよ」
「どういうことですか」
「欲しいもんある?」
「チョコ下さい」
「それ食えばいいじゃん」
「そういうことじゃないですって。分かってるでしょう」
「……しょうがねえなあ」
ベッドから立ち上がった一弥さんはやや乱暴な足取りで台所へ行き、食材をストックしている棚の前で何やらガサガサとしている。
用意はしてたんだな、と笑ってしまう。つくづく、まわりくどいにも程がある人だ。
この場合お返しはふたつぶんになるんだろうか。そんなことを考えていたら、シックなココア色の小さな紙袋を手に戻ってきた一弥さんが俺の隣に座り、悪ガキの小学生みたいに俺に突き付けてから菓子鉢のチョコレートをつまんでいる。
俺が話題に出さなかったらこの高級そうなチョコレートはどうなっていたんだろう。それを考えるとなんとも言えない気持ちになって、いちご味、とつぶやく一弥さんの頭頂部を掴んで撫で回してしまった。
うちにはあったよ、と当たり前のような顔をして一弥さんが言うので、少なくとも子供の頃、俺の家にはなかったけれどとは言えず、なるほどそんなものかと納得した。世代の差ですかねなんて言おうものなら、軽率に手が出てくることも目に見えている。
そもそも問題はそこにはない。
文句ではなく事実を伝えるならば、この部屋はそれほど広くはない。風呂トイレ別、とは言っても風呂場の入り口は台所にあるし脱衣所なんて立派なものもない。故に何か物を増やすのであれば、可能であれば相談して欲しいと思うのだけれど、ここはもともと一弥さんが一人で住んでいたアパートだ。だから、あまりその辺りに目くじらを立てるのもどうかとは思っている。とはいえ、断りなしにコーヒーメーカーを買ってきた時にはさすがに苦言を呈したが、何だかんだ重宝しているので事あるごとにそれを擦られるので正直面倒臭い。
深夜零時に帰宅して一弥さんの部屋のドアを軽くノックし、進入OKの証である薄く開いた隙間から中を覗くと、椅子に胡坐を掻いて猫背になった一弥さんが、いかにも重たそうなバカでかいヘッドセットを付けて前のめりにモニタを見詰めている。ゲームしているならドアは閉めておいてくれ、と余計な邪魔をしたくなくて伝えても、別に邪魔してこないからいいよと頓珍漢なことを言う。そちらがそのつもりなら別にいいかと部屋に入り、声を掛けず荷物を床に置いてベッドに腰を掛けと、ベッドの傍のローテーブルに見慣れないものがあることに気付いた。
「うわ」
ごとんと音がして顔を上げると、ヘッドセットをパソコンデスクに置いた一弥さんが椅子ごとこちらに身体を向けていた。
「ただいまです」
「おう、おかえり。お疲れ」
「ゲーム終わったんですか」
「してないよ」
音楽聞いてた、と一弥さんは言った。確かに、モニタには再生が終了したらしい動画の画面が映されている。9分割にされたサムネイル画像。そのうちのいくつかは見覚えのあるもの、というか自分たちがアップロードした動画のものだ。
「いい曲じゃん」
「まさか見たんですか、配信」
「見てたよ」
突っ込みたいことが多くて困ってしまう。テーブルの上の見覚えのないものとか、一弥さんの口から発せられた配信という単語のこととか。
バレンタインデーに生配信をやる、と言い出したのは例によって大知である。まあそうだろうなあ、とメンバー全員特に驚きも反論もなかったのだけれど、その配信で新曲を発表するしその後動画も上げるなどと言い出して、まあそれもいつものことではあるけれどそれなりにてんやわんやをしてしまった。お陰様でここ数日は帰宅もすっかり遅くなり、今日は比較的早いうちに帰れたのだ。
ささやかな期待がなかったとは言えない。人付き合いは苦手だけどコミュニケーションには気を遣う一弥さんのことだから、多分そういうことも考えているんじゃないかとは思ったりもした。それでもあまりに普通過ぎる対応にちょっとがっかりしてしまったのだけれど。
それはそうと、だ。
「なんですかこれ」
「菓子鉢。食っていいよ」
つまりこれが冒頭の話である。子供の頃の話、というのはなかなかレアだなと思い突っ込んで聞こうと思ったのだけれど、それ美味いんだよと椅子から立ち上がりベッドにやってきた一弥さんに、それ以上何かを聞くこともできなかった。一弥さんの子供時代の話はたまに出るのだけれど、ある程度進んだところでいつも適当にはぐらかされる。話したくない事なんだろうなと薄々察してはいるけれど、それが何かも分からないものだから踏み込むこともできない。だからいつも、なんとなく微妙な空気になってしまう。
今だってそうだ。子供の頃は、という話がそれ以上進まず菓子鉢とやらに盛られたキャンディ包みの小さな菓子を手に取る。紫色に青のライン。包みを剥いて口に放り込むと、甘ったるくてほんのり酸っぱい。ぶどう、と言うとブルーベリーですと即座に訂正が飛んだ。
「……これ、つまり、チョコレートですね」
「うん、まあ、そういうことだよ」
「どういうことですか」
「欲しいもんある?」
「チョコ下さい」
「それ食えばいいじゃん」
「そういうことじゃないですって。分かってるでしょう」
「……しょうがねえなあ」
ベッドから立ち上がった一弥さんはやや乱暴な足取りで台所へ行き、食材をストックしている棚の前で何やらガサガサとしている。
用意はしてたんだな、と笑ってしまう。つくづく、まわりくどいにも程がある人だ。
この場合お返しはふたつぶんになるんだろうか。そんなことを考えていたら、シックなココア色の小さな紙袋を手に戻ってきた一弥さんが俺の隣に座り、悪ガキの小学生みたいに俺に突き付けてから菓子鉢のチョコレートをつまんでいる。
俺が話題に出さなかったらこの高級そうなチョコレートはどうなっていたんだろう。それを考えるとなんとも言えない気持ちになって、いちご味、とつぶやく一弥さんの頭頂部を掴んで撫で回してしまった。
1
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
はじまりの恋
葉月めいこ
BL
生徒×教師/僕らの出逢いはきっと必然だった。
あの日くれた好きという言葉
それがすべてのはじまりだった
好きになるのに理由も時間もいらない
僕たちのはじまりとそれから
高校教師の西岡佐樹は
生徒の藤堂優哉に告白をされる。
突然のことに驚き戸惑う佐樹だが
藤堂の真っ直ぐな想いに
少しずつ心を動かされていく。
どうしてこんなに
彼のことが気になるのだろう。
いままでになかった想いが胸に広がる。
これは二人の出会いと日常
それからを描く純愛ストーリー
優しさばかりではない、切なく苦しい困難がたくさん待ち受けています。
二人は二人の選んだ道を信じて前に進んでいく。
※作中にて視点変更されるシーンが多々あります。
※素敵な表紙、挿絵イラストは朔羽ゆきさんに描いていただきました。
※挿絵「想い03」「邂逅10」「邂逅12」「夏日13」「夏日48」「別離01」「別離34」「始まり06」
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子
葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。
幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。
一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。
やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。
※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。
孤独な蝶は仮面を被る
緋影 ナヅキ
BL
とある街の山の中に建っている、小中高一貫である全寮制男子校、華織学園(かしきのがくえん)─通称:“王道学園”。
全学園生徒の憧れの的である生徒会役員は、全員容姿や頭脳が飛び抜けて良く、運動力や芸術力等の他の能力にも優れていた。また、とても個性豊かであったが、役員仲は比較的良好だった。
さて、そんな生徒会役員のうちの1人である、会計の水無月真琴。
彼は己の本質を隠しながらも、他のメンバーと各々仕事をこなし、極々平穏に、楽しく日々を過ごしていた。
あの日、例の不思議な転入生が来るまでは…
ーーーーーーーーー
作者は執筆初心者なので、おかしくなったりするかもしれませんが、温かく見守って(?)くれると嬉しいです。
学生のため、ストック残量状況によっては土曜更新が出来ないことがあるかもしれません。ご了承下さい。
所々シリアス&コメディ(?)風味有り
*表紙は、我が妹である あくす(Twitter名) に描いてもらった真琴です。かわいい
*多少内容を修正しました。2023/07/05
*お気に入り数200突破!!有難う御座います!2023/08/25
*エブリスタでも投稿し始めました。アルファポリス先行です。2023/03/20
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる