狐狸の類

なたね由

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二章

狐の領分

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 それがどうした、と彼は言った。
 だらしなく畳に寝そべり、長く伸びた爪で不器用に栗の皮を剥きながら、事も無げに。

 もう毎年祭はできないかもしれない。
 僕が集会所で聞いたのはそんな言葉だった。背中が冷え、慌てて駆け戻り次第を彼に伝えたところ、先の通り余りにも興味がなさそうな口ぶりでそう答えたのだ。

 祭が無くなれば、僕らの存在だって消えてしまうかもしれない。昔僕にそう教えたのは彼だ。だから、そうなってもいいのかと僕が言えば、そうなる前にさっさとここを出ていけばいい、などと言う。
 それも確かに前々から聞かされていたことだ。いつか、土地から信仰心が無くなってしまったら、彼は僕みたいなものはどこかまた別の土地へ移るか、それかそこで消えてしまうかのどちらかだ、と。
 消えるということは死ぬ、ということだ。それはそれで嫌なのだけれど、だからと言ってそう易々と慣れ親しんだ、神とまで崇められた土地を捨てられるものなのだろうか。

「俺は元々神様じゃないですしね」
「それは、そうだけど」

 彼と違って僕は時々里へ下りるから、村の人たちは僕のことを何となく、この社に住む神職の子か何かだと思っているらしい。どういう仕組みなのかはよく分からないけれど、辻褄の合わないことも『なんだかそういうこと』として村の人は、僕や彼のことを認識している。それは彼の力が為せる業なのか、それともこの辺りの地域性なのかは分からない。でも、だから、もし僕らがここから居なくなっても、いつの間にか「いた」ことさえ忘れられていくんだろう。
 そういえばあの神社の子、どこ行ったのかしらね、なんて。

「でもだからって、一体どこに行くつもり? あてはあるの?」
「さあ。分かりませんが、どうとでもなりますよ」

 伸びた獣の爪では栗の皮は剥き辛いらしい。やろうか、と声を掛けても、僕よりずっと不器用なくせに彼は大丈夫、と答えて決してこちらに渡そうとはしない。やっぱり、出歩けないから拗ねているのだ。子供みたいに。
 人の気配がして賑やかなのは決して嫌いではないけれど、その分彼の機嫌が損なわれるのは面倒臭い。手を伸ばして、ぱたぱたと揺らめく彼の尻尾を撫でると、ふん、と甘えた声で鼻を鳴らした。

 多分その時が来たら、彼はきっとあっさりと新しい安住の地を探すのだろう。そうすれば僕も、彼に従ってここを離れなければいけなくなる。彼に従い人をやめた僕は、彼の居ない土地で一人で生きていくことはできない。振り回されている、と言えばその通りなのだけれど、それを不便だとも理不尽だとも思わない。僕はあの時一度死に、彼に生かされている身なのだ。

 今まで一体どれだけの歳月を二人で過ごしてきたのはも、もう分からない。多分これから先も、どれだけ生きたのか分からなくなるくらい、二人で永らえていくのだろう。今更過ごす場所や棲む土地が変わったところで、一体何だというのだ。
 強く自分に言い聞かせても塞ぐ気持ちが顔に出たのか、上半身を起こした彼が、ぴこりと耳を動かしながら僕の顔色を窺うように覗き込む。

「やっぱり、嫌ですか?」
「そういう訳じゃないけど」
「どうしても嫌だっていうなら、別の方法を考えないでもないですよ」

 柔らかい掌で頬を撫でられ苦く笑う。
 長く二人でいるくせに、僕らはお互いの名前すら知らない。聞きもしないし聞かれもしなかった。僕らの世界には彼と僕しかなく、それであれば名前などなくてもそれだけで足りた、というだけの話だ。
 おかげで、僕は僕の名前をもうすっかり忘れてしまった。

「尻尾も髪もぼさぼさじゃないか。梳いてあげるよ。おいで」

 立ち上がって、小抽斗こひきだしから椿が彫られた柘植つげの櫛を取り出す。いつだったか、境内に落ちていた忘れ物で、歯が何本か欠けてしまっているが、滑らかな手触りの櫛は彼のお気に入りだ。
 畳に座り膝を叩く僕の動作を待つ彼は、狐というより犬のように見えてしまう。最近では最近は犬の首に輪をつけて紐で繋いだ人たちが散歩のついでなのか境内に訪れることがあり、一体何の意味があるのかと思っていたのだけれど、愛玩用に飼い慣らして連れ歩いているのだと彼に聞いてから、真っ先にこの彼の姿が浮かんだ。言われてみれば紐を引く人間たちの足元に寄り添って歩く犬たちは、一様に満足げな顔をしている。

 畳に座り膝を叩けば、それが合図というように僕の腿に頭を預けて横になる彼の髪を梳きながら、何となくまだ賑やかしい集会所の方に気を向けた。

 ずっと彼と一緒に居た所為で、何故だか僕も土地神のように敬われることがある。それなのに、僕に出来ることと言えば精々神である彼を甘やかすことしか出来ない。知らぬ間に近隣を行き買う人たちの髪型や服装、言葉遣いもすっかり変わり、生き方やこだわり方も変わってきているのだろう。もはや土地の神など必要としないということだと彼は言ってのけるけれど、僕にはそれが分からない。

 騒ぎの音は徐々に小さくなっていった。僕の膝の上で焼き栗を弄ぶ彼の髪を撫でると、彼は目を細めてまどろみ始める。
 秋の夜長を照らしていた月は、もう傾いているだろうか。
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