46 / 88
参/夢見の悪さとその答え
3-12
しおりを挟む
◇
倫理観が精神に問い続けてくる。どことなく漂う罪悪感が背中に張り付いて消えることはない。それらが意識をなぞり続けて仕方がない。それらを意識することはしたくなかったが、視線をそらしてしまったことで、そらす対象についてをさらに明確にしてしまった。
俺は、彼女らに視線を向けることができない。
ふわふわと浮つく感覚がする。どこか呆然と浮き上がって、自分が自分でないような感覚を覚えた。そこにいるのは自分ではないみたいで、あらゆる風景が自分以外だけで構成されているような、そんな感覚を覚えて仕方がなかった。
まるで小劇場の中にいるようだった。すべては俯瞰のものでしかなく、俺は観客でしかない。
いつも見る夢と同じ。だが、その違いがあるとすれば、まぎれもなく目の前のものは現実でしかなく、それ以上も以下もない。けれど、意識がそれを享受したくないと拒絶している。そのせいで目の前で繰り広げられる会話を認識することができないでいる。
視界の端に映る彼女らの表情を見れば会話をしていることがわかる。
眉の角度、口の開きよう、微笑、隠された呼吸の残滓。皐と伊万里の笑顔を少しだけ覗くことができる。そんな気がした。
そうして彼女らは会話を終えたらしい。煙草を吸い終えた俺の背中を皐が押してくる。バツが悪いような表情をしている伊万里の視線が俺の顔をとらえている。俺はそれを呆然と見つめ返しながら、背中を押されるままに彼女と一緒にコンビニの中へと入る。
先ほども聞いた入店音。俺を歓迎してくれているのかはわからない。だが、音を聞くたびに胃袋がきしむ感覚を反芻してしまう。
伊万里はおにぎりのコーナーのほうへとちょこちょこと移動をする。俺は彼女の後ろについて回るように行動をする。
おにぎりのコーナーにたどり着いて、伊万里の視線がツナマヨをとらえていることを知る。ごくり、とつばを飲み込む音が聞こえてくる。それが、目の前にある食に対して喉を鳴らしたのか、この後に待っている店員とのやり取りに対しての意気込みとして飲み込んだものなのかはわからない。伊万里はそうした後に、目的物であるおにぎりを手に取った。ツナマヨと、明太子のおにぎりをひとつずつ。
その時、伊万里に何かを聞かれたような気がする。髪の中に隠れていた視線が俺のことを見つめているのがわかった。だが、意識は浮ついたままで言葉を聞くことができなかった。俺はそれを悟られないように苦笑を浮かべながら、とりあえず、大丈夫、とだけ声を返した。
昼間の感覚を思い出してしまう。
ご飯を取り込むことができないほどに、きゅっと締め付けてくる感覚。何かを取り込むための余白はあるだろう。きちんとした空腹も感じている。だが、伊万里と同じようにおにぎりを選ぶ気にはならなかった。きっと、対象がおにぎりでなくとも同じものだと思う。
そんな俺の様子を、伊万里は不思議そうな顔をして見つめている。その表情に心配をかけたくなくて、大丈夫、と改めて声をかけた。
同じやりとりの繰り返し。
昼前に恭平としたやりとり。
反省することもなく、大丈夫じゃないのに大丈夫と繰り返している。
でも、今はこれ以外の正解は思い浮かばない。だから、これが正解なのだ。
そこでようやく気づいたこと。気づいてしまったこと。
不思議そうな表情をしている伊万里の顔をのぞくことができているというのは、俺は彼女から視線をそらさずに見つめているということ。
彼女に対して顔を合わせているということ。
そんなことに気が付いてしまう。
……でも、すぐに視線をそらしてしまう。
付き纏うのは、倫理と罪悪。
皐のこと、伊万里のこと。
皐に対して考え事がよぎっているのに、それから視線をそらして伊万里と視線が合ってしまうこと。
それは、罪にならないだろうか。
そんなことを考える。考えてしまう。
俺も伊万里も、恋について介在させる何かを持ち合わせているわけでもないのに。
どうでもいい。考える事柄ではない。不要な思考だ。考える必要性はない。
すべての気持ちを振り払って、俺たちはそのままレジのほうに並んでいった。
◇
「おめでとう!」とコンビニを出た瞬間に皐から元気な声がかかる。そんな声を合図としたように、ようやく浮ついていた意識に落ち着きを取り戻すことができた。
へっ? と呆然としている俺を横目に、伊万里はきらきらとした表情を浮かべながら「や、やりました!」と嬉々とした様子を皐に返している。
「ずっと見てたけど、翔也の力を借りずとも頑張れたじゃん! 伊万里ちゃんすごいよ!」
「あ、ありがとうございます! で、でも、加登谷さんがついていてくれたからこそなので、み、みなさんのおかげです」
大げさだな、と思うリアクションをとりながら、彼女らはそんな会話を繰り広げている。そんな会話に混ざることはできず、やはりどこか風景のような感覚で世界をとらえてしまうことをやめられない。
よかったな、と一言だけつぶやく。それらが彼女らに届いたのかはわからない。けれど、伊万里は今までに見せたことがないにっこりとした表情で「はい!」と返した。
倫理観が精神に問い続けてくる。どことなく漂う罪悪感が背中に張り付いて消えることはない。それらが意識をなぞり続けて仕方がない。それらを意識することはしたくなかったが、視線をそらしてしまったことで、そらす対象についてをさらに明確にしてしまった。
俺は、彼女らに視線を向けることができない。
ふわふわと浮つく感覚がする。どこか呆然と浮き上がって、自分が自分でないような感覚を覚えた。そこにいるのは自分ではないみたいで、あらゆる風景が自分以外だけで構成されているような、そんな感覚を覚えて仕方がなかった。
まるで小劇場の中にいるようだった。すべては俯瞰のものでしかなく、俺は観客でしかない。
いつも見る夢と同じ。だが、その違いがあるとすれば、まぎれもなく目の前のものは現実でしかなく、それ以上も以下もない。けれど、意識がそれを享受したくないと拒絶している。そのせいで目の前で繰り広げられる会話を認識することができないでいる。
視界の端に映る彼女らの表情を見れば会話をしていることがわかる。
眉の角度、口の開きよう、微笑、隠された呼吸の残滓。皐と伊万里の笑顔を少しだけ覗くことができる。そんな気がした。
そうして彼女らは会話を終えたらしい。煙草を吸い終えた俺の背中を皐が押してくる。バツが悪いような表情をしている伊万里の視線が俺の顔をとらえている。俺はそれを呆然と見つめ返しながら、背中を押されるままに彼女と一緒にコンビニの中へと入る。
先ほども聞いた入店音。俺を歓迎してくれているのかはわからない。だが、音を聞くたびに胃袋がきしむ感覚を反芻してしまう。
伊万里はおにぎりのコーナーのほうへとちょこちょこと移動をする。俺は彼女の後ろについて回るように行動をする。
おにぎりのコーナーにたどり着いて、伊万里の視線がツナマヨをとらえていることを知る。ごくり、とつばを飲み込む音が聞こえてくる。それが、目の前にある食に対して喉を鳴らしたのか、この後に待っている店員とのやり取りに対しての意気込みとして飲み込んだものなのかはわからない。伊万里はそうした後に、目的物であるおにぎりを手に取った。ツナマヨと、明太子のおにぎりをひとつずつ。
その時、伊万里に何かを聞かれたような気がする。髪の中に隠れていた視線が俺のことを見つめているのがわかった。だが、意識は浮ついたままで言葉を聞くことができなかった。俺はそれを悟られないように苦笑を浮かべながら、とりあえず、大丈夫、とだけ声を返した。
昼間の感覚を思い出してしまう。
ご飯を取り込むことができないほどに、きゅっと締め付けてくる感覚。何かを取り込むための余白はあるだろう。きちんとした空腹も感じている。だが、伊万里と同じようにおにぎりを選ぶ気にはならなかった。きっと、対象がおにぎりでなくとも同じものだと思う。
そんな俺の様子を、伊万里は不思議そうな顔をして見つめている。その表情に心配をかけたくなくて、大丈夫、と改めて声をかけた。
同じやりとりの繰り返し。
昼前に恭平としたやりとり。
反省することもなく、大丈夫じゃないのに大丈夫と繰り返している。
でも、今はこれ以外の正解は思い浮かばない。だから、これが正解なのだ。
そこでようやく気づいたこと。気づいてしまったこと。
不思議そうな表情をしている伊万里の顔をのぞくことができているというのは、俺は彼女から視線をそらさずに見つめているということ。
彼女に対して顔を合わせているということ。
そんなことに気が付いてしまう。
……でも、すぐに視線をそらしてしまう。
付き纏うのは、倫理と罪悪。
皐のこと、伊万里のこと。
皐に対して考え事がよぎっているのに、それから視線をそらして伊万里と視線が合ってしまうこと。
それは、罪にならないだろうか。
そんなことを考える。考えてしまう。
俺も伊万里も、恋について介在させる何かを持ち合わせているわけでもないのに。
どうでもいい。考える事柄ではない。不要な思考だ。考える必要性はない。
すべての気持ちを振り払って、俺たちはそのままレジのほうに並んでいった。
◇
「おめでとう!」とコンビニを出た瞬間に皐から元気な声がかかる。そんな声を合図としたように、ようやく浮ついていた意識に落ち着きを取り戻すことができた。
へっ? と呆然としている俺を横目に、伊万里はきらきらとした表情を浮かべながら「や、やりました!」と嬉々とした様子を皐に返している。
「ずっと見てたけど、翔也の力を借りずとも頑張れたじゃん! 伊万里ちゃんすごいよ!」
「あ、ありがとうございます! で、でも、加登谷さんがついていてくれたからこそなので、み、みなさんのおかげです」
大げさだな、と思うリアクションをとりながら、彼女らはそんな会話を繰り広げている。そんな会話に混ざることはできず、やはりどこか風景のような感覚で世界をとらえてしまうことをやめられない。
よかったな、と一言だけつぶやく。それらが彼女らに届いたのかはわからない。けれど、伊万里は今までに見せたことがないにっこりとした表情で「はい!」と返した。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
疎遠になった幼馴染の距離感が最近になってとても近い気がする 〜彩る季節を選べたら〜
若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)
ライト文芸
「一緒の高校に行こうね」
恋人である幼馴染と交わした約束。
だが、それを裏切って適当な高校に入学した主人公、高原翔也は科学部に所属し、なんとも言えない高校生活を送る。
孤独を誇示するような科学部部長女の子、屋上で隠し事をする生徒会長、兄に対して頑なに敬語で接する妹、主人公をあきらめない幼馴染。そんな人たちに囲まれた生活の中で、いろいろな後ろめたさに向き合い、行動することに理由を見出すお話。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる